無料ブログはココログ

ブログランキング

  • ブログランキング
    人気ブログランキングへ

2017年9月22日 (金)

土、日ともオープンしてます 古書店図書室「霧降文庫」

「霧降文庫」の今週は、珍しく、土、日ともオープンしております。

国会が風雲急を告げる~、嵐の前の静けさ、みたいなー。

23日(土)、24日(日)、いずれも正午~夕方まで。

9月、10月の企画は「ぼくらの憲法だぜ!」ですー。厳選?90冊(非売品)を用意しました。

 

古書販売(有料)は1、000冊、貸し出し図書(無料)は5、000冊ーで。

自動代替テキストはありません。

2017年9月 2日 (土)

「ぼくらの憲法だぜ!」 霧降文庫の9月、10月テーマ。

Photo_2 「霧降文庫」の9月、10月のテーマは、「ぼくらの憲法だぜ!」。今週の土、日ともオープンしますが、2日は13時半~15時が臨時休憩、3日は14時からオープンです。いずれも自治会防災訓練に参加のためー。

2017年8月25日 (金)

表現の周辺 9    「序説第24号」冨岡弘

 

Img_4001 表現の周辺9    冨岡 弘

 最近の世界情勢を見たとき、混沌とし且つ自信のない不安定さを内在させた各国の苦悩が見え隠れする。そんな世界の片隅で生きている私にも当然のごとく心理的影響はある。世界に対して言いようのない漠然とした不安感が私の一部となってきていて、同居している。この種のものは、私が長年生きてきて初めて感じるもので、老いを少しずつ日々蓄えている自分にとって、世界の事を気に病んでも仕方がないと重々承知してはいるもののやはり気になる。世界の今後に関して知りたくなるのだ。確かな思想など全く見当たらない、正に混沌だけが闊歩するつかみどころのない世界。明るい未来などといった光明を見出す術もない閉ざされた世界。それが今の私の世界感である。そんな重い足かせをかけられてしまった如くふさぎがちな私の好奇心に、いくらかの気持ちの整理のきっかけを与えてくれたのが、エマニュエル・トッドの「グローバリズム以後」という本であった。副題が「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」となっている。非常に解りやすく、私のようなど素人にも頭にすんなりと入ってくる。読みやすいのである。これは朝日新聞がトッド氏にインタビューしたものをまとめた本で、1998年から2016年までの18年という長い年月に及んでいる。最近、エマニュエル・トッドの名を知る人は多くいるはずで、本の帯にも印刷されているところのトランプ勝利を予見した人物で、グローバリズムの終焉そして国民国家への回帰の潮流をいち早く予想した人として注目をされている。とにかくこれだけ解りやすく世界や先進国の苦悩そして戸惑いを浮彫にしているのは見事である。例えば米国については、

 

「米国の指導層が、自らを米国だけでなく世界の主人だと思い、米国の国民さえも上から見るような時代でした。帝国とはそうしたものなのです。論理的には帝国には、支配する中核部分があります。しかし、その中核に属する一般の人々は、必ずしも特権的な地位にない。

 ソ連という帝国の中で、そのシステムに一番苦しんでいたのはロシア人でした。周辺の人々はまだ少しましでした。つまり米国の場合も、米国人自身が、その帝国支配にとても苦しめられてきたのです。」とある。

 

2008年のリーマンショック以後アメリカ帝国の失墜の速度は増々加速したはずであるが、それ以前から既に兆候あったことを具体的にこの本は取り上げている。

 

「米国社会では、大学教育まで受けていない大衆層だけでなく、もっと上の層、本当の中流を構成している人たちまでもが、自由貿易についての意見を変えています。米国は大統領がだれになるにしても、大きく方向を変えようとしているのです。

 今、不可逆的な転換点にあるのだと思わせる指標があります。昨年(2015年)、ある人口動態調査が明らかになりました。それによると、45歳から54歳までの米国の白人の死亡率が1999年から上昇しているのです。」

さらに

「こうした上昇は、おそらく自殺や麻薬、肥満といったことが原因でしょう。それはとくに高等教育を受けていない、中等教育までの人たちへの打撃となっています。

 米国の社会全体が苦悩の中にあります。自由貿易、生活レベルの低下、絶え間のない構造改革がもたらした経済的な不安定、高齢になったときに何が起きるか分からないという退職後の不安。それらが、多くの人にとって耐えがたい状況を現実に作り出しているように見えます。」

 

トランプ現象は、こんな背景からきているのだと納得してしまう。アメリカの危機的状況はまだまだ続くであろうとトッドは予想している。

 そして次にヨーロッパに目をやると、EU離脱問題で騒がれた英国の自国回帰については、二つの理由を上げている。一つ目は、

 

「英国の場合、トランプ現象に当たるのはEU離脱問題ですが、そこではむしろ外国人嫌いが原動力になりました。あまりにたくさんの移民を受け入れることへの拒否反応です。しかし、それを外国人嫌いと呼んでいいのかどうか。だって、人々には自分の土地にやってくる人たちについて意見を持つ権利はあるわけですから。

 だから、外国人嫌いというのは良い言葉ではないでしょう。むしろEU離脱をめぐって、英国でも民族とか国民という問題が優先課題になったと言うほうがいいかもしれません。」

 

国民国家への回帰現象に関して、移民問題を取り上げている。二つ目の理由として、元々英国の歴史に内在している階級社会についてこう述べている。

 

「英国社会は平等ではありません。階級の違いがある。話す言葉の発音も違う。私は、大衆の話す英語があまりよく分かりません。それに、グローバル化にともなって経済的な不平等が拡大していた時期、英国では社会的人種差別が広がっていきました。教養があまりない大衆を「chav]なんていう言葉で差別していたこともその例です。米国やフランスでの事例よりずっと激しかった。」

 

そんな社会的差別を受けた人々が、グローバル化の波にのり経済的恩恵を受けたであろうEU残留賛成派エリートに反発したのだ。さらに

 

「不平等に寛容な英国でも19世紀末には、労働者たちは労組と労働党へと組織されていきました。そして政治制度が変化しました。エリートへの社会的敬意にも限界があるのです。

 英国で見られたことは、エリートへの敬意が保たれるのは、指導者がある程度の国民の安全をきちんと示しているときに限られるということです。これはグローバル化への批判の重要な点です。」

 

グローバル化という世界の潮流に巻き込まれて足元の生活が脆弱化してしまった結果、大衆層の不満・苛立ちがエリート層に牙を向けることとなり、EU離脱にいたった。

 

「離脱に投票したのはふつうの人たちです。大学教育は受けておらず、イングランド北部、南部、中部の大衆的な地域に暮らす人々。これに対して、左翼に限らず、高等教育を受け、高級紙の(ガーディアン)を読み、親EUの人たち。この人たちは、離脱という結果に慄然としました。その驚きのほどと言ったら!私の長男は英国で暮らし、英国民になっていますが、彼によると、国民投票のあと、大学人たちは激しい憤りぶりだったそうです。」とある。

 

明らかにEU離脱の動揺と怒りはエリート層の中にあり、階級社会に慣らされ不平等に寛容であったはずの英国大衆層の反逆による結果が離脱という選択になったのだ。(ここで英国の階級社会について少し触れておきたい。大まかに三つに分けられるらしい。上流階級・中流階級・労働者階級である。パソコンで検索すると、上流階級は、王室・貴族・地主・資産家でオックスフォード大学やケンブリッジ大学に進学するのが一般的。中流階級は、ホワイトカラーで大学に進学するのはこの階級以上に属する人たちであると考えられている。労働者階級は、義務教育を終えるとすぐに社会に出るのが一般的で、大学に進学するのは稀です。もちろん、労働者階級も学業成績次第でオックスフォード大学にも進学できる。これらのことが本当ならば、日本人の私には少し理解しかねる。マジかと言いたい。)

ヨーロッパでは、移民の流入というなかなか解決が難しい問題を抱えていることは、我々日本人の誰もが承知しているはずだが、実際、流入の数が膨大なためどうしても内向きになってしまう現状も理解できる。加えて英国では、階級社会という背景が歴史的に存在しそのことが微妙に影を落としている。

 

「人々が絶対に妥協できない限界があります。国の領土という自分たちが暮らしている空間の中での最低限の安全。だから、移民についての危機が最終局面を開くに至っているのだと思います。」

 

断っておくがトッドは移民反対の立場をとっていない。ある程度の移民は望ましいと言っている。移民は社会に活力をあたえるし、人口問題にも貢献する。その量に問題があり、さらなる問題は、受け入れるすべての社会の条件が同じではないということもより問題を複雑にしている。

 

「移民問題に対しては一般的な解というのはありません。とにかくイデオロギーからは離れないといけない。  

 私は、イデオロギーというのは人間の原始的な精神の形の焼き直しだと思うのです。原始的な共同体の価値観は、二元的な構造を持っていました。私たちと彼ら、白と黒、という具合に。しかし移民問題は、賛成か反対かではないのです。一定程度の移民は必要だけれども、それを賢く管理、運営することも必要だからです。多すぎてはいけないし、だれでも、どんなふうなやり方でも、というのはいけないのです。」

 

トッドは、決して理想論を語っていない。かなり冷静に語っている。それは彼がフランス生まれでヨーロッパの現状を深く観察し認識した上での現実的発言だと思う。移民問題は簡単ではなく、受け入れ国の住民との摩擦は避け難いことで、人道的観点からすれば無制限に受け入れた方がいいに決まっているが、数が度を超えれば様々な問題が派生することは、容易に想像できる。受け入れ国の国民は内向きになり排他的になりがちで、どうしても大衆層も巻き込んで自国ファーストの風潮に傾いてしまう。

グローバル化に関して、トッドはこんなことを提言している。

 

「高等教育を受けた人たちが、自分の国の人々のことをほったらかして、この惑星全体をながめようとしたり、自分たちが世界中のすべての人と連携しているのだと考えたりすることをやめることです。そうすれば、民主主義は地に足のついた、適切なものとなるでしょう。責任ある、理にかなった、節度ある民主主義。

 そうならなかったら、想像しうるのは社会の崩壊、無秩序のモデルだけです。それはグローバル化ではありません。無秩序への回帰であり、社会の粉砕であり、暴力の高まりです。」

 

彼はグローバル化を単純に否定しているのではなく、たぶん節度あるグローバル化を願っているのだと思う。それとエリートに対して地に足のついた展望を持つことへの期待を語っている。(彼にとっての究極のグローバル化とは、識字率が世界に行き渡り教育レベルが一致したときに達成されるもので。経済自由主義を指すのではない。どちらかというと経済的な側面で使ってしまいがちである。実は私もそんな使い方をしてしまっている。歴史をうごかすのは教育であると、教育の重要性を上げている。そして民主主義ついては、まず普遍的な識字運動であり、だれもが読み書きできるようになることであると。そこが最低ラインでそこが出発点なのだろう。)

 私は以前から、論理的根拠も乏しいながら、現在進行中の(経済的側面に偏った)グローバル化が世界の人々にとって本当に必要なのか疑問に思うことがある。経済的格差の拡大が生じただけではないかと近年指摘されることが多いい。しかし一方でグローバル化が魔法の言葉のように、肯定的に受け止められてきたことは否定できない。だがトッドはグローバリゼーション・ファティーグ(グローバル化疲れ)という英語を最近よく使うらしい。ほころびが目立ちはじめていることをうかがわせる。生態学者の今西錦司の棲み分け理論というのがあるが、人類も棲み分けを一部取り入れてもいいのではないかと思うことがある。グローバル化により全てが平たんに均されることなど永遠にない。何故なら国・民族による数百年いやそれ以上の歳月を費やして築いた文化を、強引にミックスさせても決してうまく均一に馴染むはずがない。インターネットの普及による情報のグローバル化のスピードと、人間が元来抱えている心にまつわる部分(文化)を、同軸上に並列させてしまうわけにはいかない。パソコンのCPUの速さに心は追いついていないのが現状である。

 最後に、トッドは日本に関してどんなことを言っているのかというと、

 

「日本は、安定していますが、老いつつあります。そして、安定しているけど疲れている米国、安定しているが縮んだロシア、解体しつつある欧州、次第に不安定になっていく中国が形

作る新しい世界の中で、日本はかつてないほど経済的、軍事的安全にかかわる構造的な問題の解決を迫られています。」

 

確かに、日本を取り巻く状況も、北朝鮮の核問題、中国の南沙諸島の軍事化問題、本当に距離的にみても近所で起きていることなので、最悪、戦争という文字が見え隠れすることがあり、今後も危うい緊張状態が続くことに間違いない。昨年、序説23号で島尾敏雄の戦争体験を基にした小説「出発は遂に訪れず」を取り上げたのは、そんな近年の日本のまわりで起きている騒がしい状態が継続していることに危機感があったからで、よく日本人は平和ボケだといわれるが、ボケたままで居られるような日本であればいいのだが。うまく近隣諸国と摩擦なくスムーズにいくとはおもえない。世界はどこか方向性を見失った船のようで、どんな港に着くのか皆目予想しづらいのが現状であろう。しばらく世界は摸索の時代に入った様にみえる。トッドは保護主義に戻ることが世界の安定化の一つの方法だと推奨しているが、はたしてそうなのか経済に疎い私には判断しかねる。いずれにせよ、トッドの書「グローバリズム以後」が、現代の世界を読み解くのに大いなるヒントを与えてくれた事に間違いない。私は、はなはだ感謝している。

 

 

     あとがき       冨岡 弘

 家庭菜園のことを少し書きたい。四月下旬庭の片すみ四坪ほどを耕しました。まず土作りからです。冬に燃やした薪ストーブの灰と鶏糞を丁寧に土とブレンドし、二週間ほどなじませました。五月の連休に種まきと苗の移植をしました。植えた種類は全部で十一種類です。ナス・ピーマン・エダマメ・シュンギク・ニラ・バジル・モロヘイヤ・オクラ・ネギ・キュウリ・ゴーヤです。狭い割に結構植えられるものです。六月一日現在収穫できたのは春菊だけですが、これから夏に向かって徐々に収穫が増えることでしょう。だけど本当のことを言いますと、収穫量はどうでもよくて、花をながめるごとく野菜を観賞するのもありかと、本音はそこにあります。

 連休中のホームセンターの菜園コーナーは、めちゃ混みで、どこの家でも同じようなことをやっているのだと思うと、平和のありがたみをかみしめたしだいです。テレビでは、北朝鮮のミサイル、アメリカの空母の報道が連日ながれていますが、庭先だけは平和そのものなのが不思議でたまりません。客観的に見たとき、実は我々は非常に危うい世界に生きていて、いつ何時どうなるか分からない、薄氷の上にいるのです。

 はなしは急にぶっ飛ぶが、私は宇宙について考えることが好きです。最新の宇宙物理学によりますと、宇宙空間に存在するダークエネルギーの力により、(ダークエネルギーにかんしては、存在することは確かなことであるのだけれど、現在のところ、まだまだよく分かっていないようです。)宇宙空間は益々膨張していて、観測でもそのことは裏付けられています。膨張の加速はましているのです。このまま加速膨張していきますと数千億年後には、星と星の間隔はそうとう遠く離れてしまい、結果、宇宙は冷え切ってしまいます。そう絶対零度の宇宙が出来上がるのです。その時生物はいないのでしょうし、勿論人類もです。宇宙的に考えたとき我々の未来は決して明るくないのです。たぶん今までの人類の努力これからの努力も無に帰するのです。そう肝に銘じて過ごしていけば、地位・名誉・お金だけに縛られてしまう人生にならないですむはずです。少しお説教がましくなりました。ちなみに新興宗教にも全然興味ありません。

ブログランキング
人気ブログランキングへ

 

2017年8月24日 (木)

恐竜と青春  SF小説「竜の眠る浜辺」

 

Img_4200 SF青春小説「竜の眠る浜辺」 山田正紀

 

相変らず展開が豊かー、相変わらずというのは、もともと彼・山田正紀の初期SFである『神狩り』や『弥勒戦争』などで、のけぞったほど。物語が魅力的なのは言うまでもない。ただ、最後の展開は、このテーマにしては、意外と静かというか、行くべきだろうところの世界へ。ある種の青春SFかな。と思っていたら、SF作家の新井素子さんも「青春小説と評し、ネコまで青春している」と書いたとか。

 

 と、「あとがき」で確認していたら、作品が最初に出たのは、なんと1986年11月の「徳間文庫」。今から30年以上も前になる。私が手にしているこの「ハルキ文庫」にしても、1998年11月第一刷り。これも20年近い前・・。書店で買い求めてそのままになっていたが、買い求めた当時の書棚をなんとなく覚えてはいるのです。それにしても、こんなに「積読」になっていたとはー。驚きでもあります。

 

 作品の全体の空気は、「あとがき」で本人・山田正紀が書いています。

こんな言い方です。

「自分でいうのも何だが、私はもともと性格の悪い、悲観的な人間なのだが、この作品を書いたときには、めずらしく人生を肯定する気持ちになっていた。その気持ちがこの作品にあらわれているのではないかと思う。だからこそ愛着があるのだろう」

(折々の状況 2017その4)

ブログランキング
人気ブログランキングへ

2017年8月23日 (水)

相変わらずの筒井康隆ワールドでしたー。 「モナドの領域」

 
Img_4198 法廷論争はわかりやすかったが、最後のテレビ問答は、わからんかったー。いずれもしても「神」を主人公に、古今東西の哲学を机の中から引き出し、ぐいぐいと読者を引っ張っていく、相変わらずの筒井康隆ワールドでしたー。「モナドの領域」(新潮社、2016年2月15日、4刷)
ブログランキング
人気ブログランキングへ

« 「叙時詩」に向かって吹く風 詩の<現況>についての私的メモ  

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30