(第8章が読ませる『価値観再生道場 原発と祈り』 (株)メディアファクトリー)
一気に読んだ『原発と祈り』。かなり読み飛ばすような読み方をしてしまった。それでも、そのうち最後の8章「今をいきるための心構え」は、それなりに読ませた。その周辺からお気に入り、というか、<なるほど~>と思ったフレーズが以下。
ツイッターでつぶやいたばかりだが、ブログを視てくれる人もいるので、ツィートをコピーし、さっそくアップへ。わたしの好きなフロイト学者、岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』にも異口同音のような文章があったと思う。
ただし、フクシマ原発で、内田樹さんが話している「死者の視点」というのが、さらにリアルになってきた、そう思うことができる。たぶん、言葉、とくに詩は東日本大震災の膨大な「死者」の「ひとりびとり」を背景にうたうこと、うたわざるをえないこと、その理由の一端がこの本にある、そう感じたのだった。
(以下はツイッターでもつぶやいた同書での語り)
「生き残った人間が死んだ人間に対して、鎮魂の儀礼をするっていうのが人間の営みのほとんど、8割ぐらいを占めているんじゃないかな。」
「いつでも楽しいことがあるたびに『これが最後かもしれない』って思う習慣を持つのはたいせつだと思いますよ。そう思うと、過ごしている時間がすごく濃密になるからね。」
「死者の視点から今の自分を見るっていうのが、物事の価値、意味を深く理解するうえでは一番いい。」
「場に引かれていくうちに個性や人格が作られる。そういう場の優位性みたいなものがあるんじゃないかな。
(午前123人、午後100人以上が参加した「ミツバチ」上映会 写真は午後=22日、日光)
昨春から話題になっていたドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」(鎌仲ひとみ監督)の上映会(「原発問題日光実行委員会」主催、日光市、日光市教育委員会後援)が22日、日光市今市中央公民館中ホールであった。会場に足を運んだのは(「参加者名簿」を書いてくれた人だけでも)午前の部が123人、午後が100人以上、これに実行委員を加えると約240人(あるいは250人)を数えた。
道路に雪が残るあいにくの天候だったが、日光はもちろん、鹿沼や宇都宮などからも。会場の定員は「150人」。午前の部はほとんど満席の状態だった。いわゆる「フィルム代」の支払いから言うと、「200人」が収支決算の分かれ目。収支の上でもこれをクリア。もともと黒字がでたら、3月3日に日光総合会館(旧日光市)で予定する「肥田舜太郎氏講演会」に回すつもりでいた。財政面でも大助かり。大成功の自主上映会となった。
今回は「祝島写真展」も同時開催した。映画の主要な舞台となったのが瀬戸内海(山口県)に浮かぶ祝島。中国電力が同島の対岸3.5㌔に「上関原発」を計画しており、島民は30年近くも島ぐるみで反対運動を続けている。そこに暮らす人々や風景など約20点を会場入り口に展示した。
写真ジャーナリズム誌「days japan」のフォトジャーナリズム学校第一期生たちが撮った写真で、その仲間の一人が日光と縁があることがわかった。「縁」がというより、その撮影家の一人が今市出身だという。東京の大学4年生、馬場加奈子さんで、昨年大みそかに初めて会い、急きょ、同時開催することにした。
会場では脱原発を掲げる「さようなら1000万人アクションプログラム」(大江健三郎さんや澤地久枝、内橋克人、鶴見俊輔、鎌田慧らの各氏が提唱)の署名簿も用意。事前に告知していたわけでもないが、ふたを開けてみると、なんと、100人以上の署名が寄せられた。私もこの2カ月、自宅を訪れる友人たちに促してきたが、集まった署名は30人弱。それだけにこの1日だけで100人以上の署名があったことは特筆されるのではないか。脱原発問題について、県内、日光での関心の高さを示す好例だと思う。
評判の映画でもあり、それなりの参加者があるとは思っていた。だが、会場がほぼいっぱいになるとまでは正直、思っていなかった。会場内では笑ったり、怒ったり、泣いたりする様子が手にとるように。というのも、わたしは最前列で「映写技師」?をやっていたため。背中でそんな様子がわかつた。それほど盛り上がった映画会だと思う。
映画は試写会も含め、わたしは計3回、観た。毎回、「主人公」が署名簿(確か段ボールに詰められた61万通だったか)とともに上京。国と交渉する場面になると、わがことのようになってしまう。文章を読み上げるような答弁を続ける官僚に「とにかく現場へ」(祝島を訪れ、島の暮らしと原発は相いれない現実を視てくれー)と心の底から訴える思いに共感してしまうのか、涙がぽろぽろ(なんだかカッコ悪いと思ってしまうので、そっとハンカチで拭っていたのだった)。
TWITTERでは昨日のうちに御礼をつぶやいているが、このブログでも。たくさんの人たちに「協力券」という前売券(1000円)を頒布させていただいた。チケットを持っていて、会場に来ることができたのはそのうちの半数。仕事などで来場できなかったと思うが、今の時代に「必見」の映画なので、ぜひ、別の機会で観て欲しい。ありがとうございました。
(「原発問題日光実行委員会」がつくった映画「ミツバチ」のポスターの部分拡大)
(次々参加者が訪れた午前の部の「ミツバチ」上映会受付=今市中央公民館中ホール)
(「ミツバチ」上映会と同時に開催した「祝島写真展」も多くの方が足を止めていた)
(「祝島写真展」について会場で説明する日光出身の大学生、馬場加奈子さん)
(「さようなら原発1000万人」署名にも参加者の100人以上に署名していただいた)
(わたしが青年期に影響を受けた好著、フロイト学者・岸田秀さんの『ものぐさ 精神分析』)
ツイッターで20ほど「アフォリズム」(警句)的なものをつぶやいたので、そのうちのいくつかをブログ「砂時計主義」でもアップしておくことに。「村の船頭さん」の年齢になったことが、こうした試みを促したのだと思う。
ひとりでも愉快に過ごせない人がいくら集まっても愉快になれない。ひとりでも愉快な人が集まるとさらに愉快になれる(「戦後詩の長女」茨木のり子さんの詩「一人は賑やか」にそんなフレーズがあるが~)
世の中は白か黒かなんてめったにない。大半は灰色であり、それも濃い灰色から薄い灰色までさまざま。そこからいかに黒っぽいものを見分けてゆくか。そのための知識と経験と情熱の大切さがわかるだろう。
今ある仕事や事柄、あるいは課題にせいいっぱい真正面から取り組んでゆくこと。成功でも失敗でもいいが、そこから思わぬ場面に抜け出したり、縁に出会うだろう。それがきみの道なのだ。
ほんとうの美しさはもっとも普通のところにある。みんなの求める中心点に向かうと、それが平均になるからだ。普通になることほど難しいものはない。
ほんとうの言葉はだれかに教えられた言葉ではなく、本人も気づかないうちにだれかのだれかに向けた駆け引きのないことばに潜んでいる。
死んだことがないので、死んだあとのことはわたしもあなたもわからないが、これだけはいえる。死ぬのが辛いのは後悔が残ってしまうことだ。後悔のない人生ならば、これほどいい人生はない。
あれをやるべきか やめておくか。どうしようか悩んだときはとにかく一歩踏み出してみること。やることの方に向かうこと。後悔をいかに少なくしてゆくか(とはいえ、人生は後悔の連続ではあるのだが~)。
とにかく走りながら取り組んでみる、あるいは走る前に予習を繰り返す。さらには走って予習してまた走って。どのパターンをとるかは自分の経験知や直感力から。何度も失敗してまた次の課題へ。
きはち
日光の今市中央公民館中ホールで22日の午前10時、午後2時の一日2回開く 自主上映「ミツバチの羽音と地球の回転」(135分、鎌仲ひとみ監督)と同時開催の「祝島写真展」まであと1週間と迫った。
原発問題日光実行委は14日夜開き、これまでに「協力券」(前売券1000円)が約200になったことを確認した。フィルム料10万円のほか、ポスターやチラシ5千枚の印刷費、実行委員会の会場を借りる会議費などで(これに郵送費、電話料、資料費や交通費などが加わる)計20万円はかかるという。
赤字はなんとか避けられそうだが、会場の定員は150人(最大200)。2回上映なので300人は来場してほしい。当日に来場する方もいると思うが、まだまだ「協力券」を頒布しなければ(「協力券」にご協力を)。
映画は「高校生以下不要」。中学生や高校生は無料だ。開催まで1週間と迫ったので、地元高校生たちにも観覧を呼びかけることにした。チラシを16日からの週の一日、高校生らに「ビラ配り」ならぬ「チラシ配り」をすることを決めた(のだが、チラシが足らなくなり、18日に予定したチラシ配りは中止に)
中学生や高校生といった伸び盛りのときにこうした優れたドキュメンタリー映画を(それも原発問題のー)視ることは非常にいいことだと思う。黒澤明の「七人の侍」や「生きる」など、岡本喜八の「肉弾」「吶喊」などを観る一方、こうした現実を真正面から切り取った映画に触れることも大事だ。
22日(日)の日程
午前8時半 実行委員ら集合・上映会場づくり
午前9時半 開場・受付開始
午前10時 開催挨拶と訴え
午前10時5分 一回目上映開始(上映時間135分)
午後12時20分 一回目終了
午後13時半 2回目開場・受付
午後14時から 一回目と同じ日程
終了 午後16時20分
問い合わせは代表幹事の福田洋吾
tel&fax 0288・32・2250
携帯 090・8803・9790
e-mail yogo_453@ybb.ne.jp
あるいは 黒川純=富岡洋一郎
tel&fax 0288・25・3348 eーmail qk3y-tmok@asahi-net.or.jp
「作品解説・紹介 - ミツバチの羽音と地球の回転」
「『ヒバクシャ――世界の終わりに』『六ヶ所村ラプソディ』に続く、鎌仲ひとみ監督&グループ現代製作による三部作の“完結編”。本作は、山口県上関原発の問題と向き合う祝島の人々と、スウェーデンでの、地域自立型のエネルギーを創り出し持続可能な社会を模索する人々の取り組みを追ったドキュメンタリー。祝島の原発予定地には、絶滅危惧種とされている希少生物が棲息しており、エネルギーと自然の共存がいかに大切かを観る者に問いかける。原発重視かつ電力独占体制の日本のエネルギー政策は、果たしてこのままでいいのか。決して他人事ではないエネルギー問題を、真摯に考えるきっかけを提供してくれる作品と言っていいだろう。
「日本のエネルギーの最前線、上関原発計画に向き合う祝島の島民と、スウェーデンで持続可能な社会を構築する取り組みを行う人々の両面から現代のエネルギー問題を描き出すドキュメンタリー。監督は「六ヶ所村ラプソディー」の鎌仲ひとみ。瀬戸内海に浮かぶ祝島の真正面に、原発建設計画が持ち上がってから28年。島民は一貫して建設に反対してきた。島では海藻や鯛をとり、無農薬のびわを栽培して千年も前から生活が続けられている。最も若い働き手、山戸孝さんは妻子を抱えて自立を模索しているが、その行方を阻むように着々と進められる原発計画。島民は一体となって阻止行動に出る。孝さんの眼差しの先にはスウェーデンの取り組みがある。足元にある資源で地域自立型のエネルギーを作り出すスウェーデンの人々が目指すのは、持続可能な社会。それを支えるのは電力の自由市場だ。原発重視かつ電力独占体制の日本のエネルギー政策を変えるためにはどうしたらいいのか。そして、祝島の未来はどうなるのか。決して他人事ではないエネルギー問題を、真摯に考えるきっかけを提供してくれる作品と言っていいだろう。」(ネット検索で)
(「祝島写真展」の作品のひとつ)
(薪ストーブが焚かれた12畳の居間に19人の新年会=12日夜、霧降高原・砂時計家で)
霧降高原の「砂時計家」で12日夜、「日光かいわい新年会」を開いた。集まったのは、最初7人だったが、雪だるま式?に増え、とうとう19人に。数人は立って飲むようだった。
というのも薪ストーブを焚いている居間は12畳ほど。10人くらいで、と思っていたが、「あの人に声をかけたら、この人にも声をかけないと」。ということで、その人数に。
ほんとうはあと3人が参加する予定だったが、当日、都合がつかなくなり、キャンセル。この3人が加わっていたら、22人。畳1枚に2人づつという新年会になるところだった。
(その日夕、準備した霧降高原「砂時計家」の新年会会場。ここに19人が~)
定年退職後、霧降高原で迎える正月は2回目。それ以前から友人付き合いをしていただいている人もいるが、災害支援のボランティアなどで知り合った人が次々と。
そんなこんなで日光地域に限って、ふだん会っている友人たちに声をかけたところ、「一人一品持ち込み」に次々と参加してきた。
これからタイなどの海外の旅に出る人、スキー学校の先生から一時帰って来た人、春には東京に家族で引っ越す人、正月から新たに職を得た人、三陸の災害支援ボランティアから戻ってきた人、ペンションの仕事を終えて駆けつけてくれた人など、それこそさまざま。
飲み会もいいが、それぞれが全員を知っているわけでもないので、一人1分の自己紹介タイム(次々と質問が飛び、これだけで1時間も)、さらに「詩人」の館、砂時計家なので、「第2部」?で詩の朗読会も。
わたしが「いよいよ恐怖の時間がやってきました」と断って」(「エッー」という脅える声がかなりー)、黒川純の詩2篇を朗読したり、朗読してもらったり。(ひとつの詩は参加者からのリクエストでもありました。エヘン!。ゴホゴホ・・・)
「第3部」?は唄・歌の時間。さぶちゃんの「風雪流れ旅」の演歌が出たので、わたしが新民謡「上州小唄」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)、さらに若いころから歌い続けている高知県のマグロ漁船の歌「おいらの船は300トン」を。いずれも手拍子で。
「第4部」?は「かくし芸」を考えていたが、その用意をしていなかったので、パス。とうのも参加した仲間には「ヴィォリニスト」や「横笛の名手」、「フォークギター達人」や「瞬間芸の名人」などが。次回はぜひ、「演奏会」も含めて計画しようと思う(そうすれば、もっと楽しい新年会になると思うが、どうだろうか?)。
(陸前高田の詩友、松崎みき子さんからその日届いた三陸の「海の幸」)
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