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2018年5月31日 (木)

わくわくどきどきの読書 柄谷行人『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』

久しぶりにわくわくどきどきの読書でした。いずれも柄谷行人(かたらに・こうじん)の『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』(青土社、2014年8月20日第二刷)、『<戦前>の思考』(講談社学術文庫 2001年3月10日第一刷)。とくに『帝国の構造』は、「交換」「贈与」、「商品」、「生産様式」「交換様式」などを導入部にして、「中心」「周辺」「亜周辺」、つまりは「帝国」「封建主義」「帝国主義」の変遷を見事に解剖している。

 柄谷行人の『世界史の構造』は名著とされ、手元に岩波現代文庫(2015年2月5日第二刷)があるのだが、題名が硬いので、なかなかひもとく機会が訪れなかった。しかし、その前に現代の状況とも絡んで、「<戦前>の・・」と「帝国の・・」を読まざるを、というか、読むべきものとして手にとってみると、これが意外とすらすらと、頁をめくるのが惜しいほどの魅力的な視方が展開されていた。個人的には<これらがなるほどとうなづける年代になっのだな>、そう感じて、いずれもほとんど一気読みしたのでした。となると、次は、文庫本だが、543頁という厚い『世界史の構造』を開くことになりますー。

 そう感じるのは、登場するのは、批判的にだが、「資本論」のマルクス、「法の哲学」のヘーゲルから始まり、続いて「悲しき熱帯」のレヴイ=ストロース、「クラ交易」のマリノフスキー、当然、マルセル・モースという人類学を俎上にした論の展開、さらに網野善彦、吉本隆明、丸山眞男といった「懐かしい」論者が登場―。いずれも私の関心とほとんど近いということにもあるのだろう。

 その『帝国の構造』のイメージを示すために、各章を紹介すると、第一章が「ヘーゲルの転倒とは何か」、第三章「専制政治と帝国」、第五章「近世の帝国と没落」、第六章「帝国と世界共和国」、そして最後に「亜周辺としての日本」。「封建制」「帝国」「帝国主義」を論じ、展開しながら、<これがどのような結語になっていくのだろうか?>、そう思いながら、最後に向かっていったのでした。

 すると、なんとー。憲法九条でした。これは思いもしなかった結びでした。結語に向けて、同書では、憲法九条は「自らの『帝国主義』の結果として得たのです」としたうえ、「ただ、日本人はその意義を十分に理解しているとはいえません。実際、この憲法はたんに文面だけであって、実行されていない。日本は実際には強大な軍事力をもっているからです。憲法は確かに帝国主義の歯止めにはなっていますが、それ以上ではない」。

 柄谷行人は憲法9条の大事さを指摘する一方、そのあいまいさに危険性があるとして、批判的です。『<戦前>の思考』では、「自主的憲法について」という章があり、そこで正面から、徳川幕府の崩壊などの歴史から、さらには海外各国との関係から論じています。憲法神学論争がありますが、その流れのひとつになるのかもしれませんが、柄谷の指摘は、傾聴すべき論です。こう説いています。

 「憲法上、存在しえないはずの自衛隊が法律上存在するならば、憲法は何も決定しないことになる(略)、こういう状態は危険です。自衛隊を文字通り『自衛』に限定されたものとして憲法上確定すべきだと思います。いうまでもなく、それは現憲法を『原理』として、確立するためです」

 この憲法九条論を念頭に、さらに「帝国の構造」の結語を読み返すと、そのひとつひとつの文の重さがわかります。憲法改正が日程にのぼっている2018年初夏の現在であるだけに、なおさらです。この著書を締めくくるむだのない文章だと思います。

 「この憲法九条は日本の中では、米占領軍に強制されたという理由で批判されてきました。しかし、米占領軍がその後まもなく朝鮮戦争に際して日本に憲法改正と再軍備を迫ったとき、日本人はそれを斥けた。ゆえに憲法九条は日本人自身がつくったものだといってよいのです。この憲法の根底にあるのは、カント的な『永遠平和』の理念です。そして、この理念は近代国家ではなく、『帝国』に由来するものです。したがって、憲法九条は、もしそれを真に実行するのではあれば、たんに一国にとどまるものではない。それは世界共和国への第一歩となりうるものです」

(折々の状況 5月31日)



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2018年5月 9日 (水)

手続きをすっばして無理やり  最新刊新書『憲法の良識』

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 「安倍政権による解釈変更は、そもそも手続き一つとってみても、順番が逆さまです。まず『憲法改正していいですか』と、国民に聞いて、『いいですよ』といわれ初めて『では、集団的自衛権の行使を容認していいですか』とあらためて国民に聞くべきもののはずです。ところがその手続きをすっ飛ばして、無理やり解釈変更で集団的自衛権を行使できることにしました」(「憲法の良識」 109頁)

 

9日は、終日、小雨模様だったので、「晴耕雨読」へ。とくに憲法学者・長谷部恭男さんの最新刊の朝日新書(2018年4月30日第一刷)『憲法の良識 「国」のかたちを壊さない仕組み』を一気に。それが面白いので、「霧降文庫」に積読していた『憲法と平和を問い直す』(ちくま新書 2015年7月5日第12刷)もその流れで、読み終えました。

 

 『憲法の良識』では、第7章「憲法と戦争の意外な関係」のなかの「自己保存の権利」などをキイワードにした法哲学が魅力的な展開だ。このなかで、知られるルソーの「人間不平等起源論」が紹介されているが、これは邦訳だという。もともとの題「戦争法原理」なのだという。「え~、そうなのかー」と。青年時代に手にしているのを思い出したが、これはわけもわからず読んでいた覚えがある。なので、再びルソーに挑んでみることへ。

 

 もっとも大事なキイワードである集団的自衛権についていえば、『憲法と平和を問い直す』の第8章「平和主義と立憲主義」のところに、「さもありなん」という箇所がありました。

 

 「自国の安全が脅かされているとさしたる根拠もないのに言い張る外国の後を犬のようについて行って、とんでもない事態に巻き込まれないように、あらかじめ集団的自衛権を憲法で不定しておくというのは、合理的自己拘束として、充分ありうる選択肢である」(『憲法と平和を問い直す』「穏和な平和主義へ」162頁)

 

 「ドゴール将軍が喝破したように、『国家には同盟者はありえても、友人はありえない』。自国の利害得失の計算を離れて国家間の関係はない。国家間に友情があると考えている人は、国家を擬人化して考えすぎている。それは自国の利益にとってきわめて危険な情緒論である」

(折々の状況 5月9日)

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2018年5月 7日 (月)

「大東亜共栄圏」がいかにまやかしだったか 改めて「アジア・太平洋戦争」を読む

 

1img_7304 「大東亜共栄圏」がいかにまやかしだったか 改めて「アジア・太平洋戦争」を読む

 

 「日本がアジアの各国を解放する役割を担ったんだ」「白人支配から日本がアジアを解き放つ戦争だったんだ」、あるいは、「英米の植民地を解放し、民族の独立を進めたのだ」―――といった、太平洋戦争史観があったが(今も一部の人はそう思っているのだろう、そうでなければ、安倍自民の岩盤はないだろうから)。

 ところが、日本近現代史が専門の吉田裕の『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)を一読するだけで、それがいかに歴史的に誤りであったかが、一目瞭然―。10年前、20078月に発刊されていたのですね。書棚を整理していて気になったので、ぱらぱらとめくっていたら、最初の章からすっかり引き込まれていた。

 いろんなところで、これは初耳、あるいは「これは知らなかったー」という箇所があるが、とくにきちんと押さえたいと思ったのは「第三章 戦局の転換」にある「『大東亜共栄圏』の現実」だ。108頁から121頁のわずか10数頁だが、学ぶべき事実がぎっしり詰まっている。

 例えば、もともと、戦争初期、同書によると、1942(昭和17)年1月21日、国内が戦勝に沸き返る中、衆院本会議で、東条首相は「大東亜共栄圏」の建設を内外にアピールした。

 大東亜共栄圏建設の根本方針は、実に肇国(ちょうこく 建国)の大精神に淵源するものでありまして、大東亜の各国家及び各民族をして各々其の所を得しめ、帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立せんとするにあるのであります

 

いやはや、「帝国を核心とする」などと、言っていたのですね。同書では「日本を盟主としたピラミッド型の階層的な秩序が想定されていた」ことがわかる演説だ。

 

 ところが、戦局が悪化、日本を盟主とする「大東亜共栄圏」の建設というスローガンは、東条演説から1年半強後の1943(昭和18)年8月には放棄されたという。日本国家が域内の諸国家・諸民族を指導するという意味合いが強すぎるという理由だったとする。

その秋、1943(昭和18)年11月に東條内閣がアジアの対日協力政権の代表者を東京に集めた「大東亜会議」があり、「大東亜共同宣言」が採択された。参加したのは、日本、タイ、フィリピン、ビルマ、中国(汪政権)、満州国、自由インド仮政府。「大東亜共同宣言」では、「大東亜を英米の桎梏より解放」することなどを戦争目的として提示し、自主独立の相互尊重、各々の伝統の尊重、互恵的経済発展、人種差別撤廃、文化交流の促進、資源の開放などを共同綱領として揚げていたという。

 これでみると、当初の「大東亜共栄圏」建設の目的からかなりずれてきて、「自主独立の尊重」や「それぞれの伝統の尊重」などの綱領が目を引く。しかし、同書によると、この「大東亜共同宣言」によって、日本の権益至上主義的な対外政策の大幅な手直しが進んだわけではないと、指摘する。

これより少し先の1943年5月の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」について、触れて。この大綱は、大東亜会議開催のための基本戦略を確定したもの。その中にフィリピン、ビルマの独立準備とともに「注目すべき一節」があるという。この一節、私もついぞ、知らなかったこと。じっくり向き合いたい一節だ。以下に示そう。

 

「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「セレベス」は、帝国領土と決定し、重要国防資源の供給源として極力之が開発並びに民心把握に努む

 

 同書では、日本にとって、重要な地域は独立を認めないという政策だとする。実際、インドネシアの民族主義者スカルノの例にみられるように、この地域を代表する民族主義者は大東亜会議に一人も招請されていない、という。(折々の状況 5月7日 BLOG「霧降文庫」)

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2018年1月31日 (水)

名作「七人の侍」3時間26分 「仲間を守れない者は自分も守れない」 

 

Photo 確かに世界的な名作です。それにしても3時間26分の長編だとは。とにかく山場がたくさんあって、最後は40人から13人となった野武士集団との決戦 へ。リーダーの島田勘兵衛(志村喬)の一言が耳に。

 村内の20軒の家を守るために、村はずれの3軒は外す判断に、3軒の農民が反旗。これを鎮め、その言葉。「仲間を守れない者は自分も守れない、自分も滅ぼすことになる」ーといった趣旨。あらすじが進む中での村人への呼びかけなので、なーるほどと
 それにしても、制作は1954年。昭和29年。いまから60年以上も前。。。だが、2018年の今もじっくり観させる名画です。「七人の侍」は今は銀幕の中に。いずれもあの世です。合掌。きょうも睡眠不足です。

 

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2018年1月29日 (月)

出撃9回、命令に背き、生還を果たした特攻兵 「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」

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出撃9回、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた・・・

「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史)

 

 1944年11月の第一回特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた・・・。というオビだが、<そんな特攻兵がほんとにいたのか?、どうして生き延びたのか?>。そんな興味津々の本、「講談社現代新書」を劇作家で知られる鴻上庄史さんが発刊していた。2017年11月20日第一刷だが、2018年1月12日第6刷までいっている。特攻兵物語は数多いが、これはとくに異色だ。

 佐々木友次(ささきともじ)、当時21歳。9回出撃して、9回とも帰っている。というか、生還している。上官は?、同僚は?、国は?、さまざまな疑問に答えているが、作者が特に知りたかったのは、そんな生還の気力、どんなことが背景になって、生き残ることができたのか?。

 繰り返しのインタビューを経て、鴻上さんは、以下のように書いています(同書207頁)

 

何度も何度も、友次さんの強さの秘密を聞きました。同じような質問を何度もしました。じつは、僕はあまり信じられませんでした。念仏を唱えているわけでもなく、お守りを信心深く持っているわけでもない。けれど、「寿命」という言葉は強く響きました。そう考えるしかない、というのは分かるような気がします。人間は、自分の想像を超えたことに直面すると、運命とか偶然とか寿命とかを考えるようになる。けれど、その運命や偶然を呼び込んだのは、友次さんの「空を飛ぶことが大好き」という強烈な思いと行動なんじゃないかと思いました。いろんな要素、「岩本大尉の命令」や「父親の言葉」や「先祖や仏様」や「母親」や「飛ぶことが大好き」という思いが、9回出撃で9回の生還という奇跡を生んだのでしょう。それは、「寿命」で、「寿命」は自分で決めるものではない。しかし、思います。『万朶隊(ばんだたい)』(ウイキペディアによると、日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊、万朶とは多くの花の枝、または多くの花、という意味)で最年少の21歳の若者が、体当たりの命令に背き、けれど逃げずに戦い、生き続けた姿勢は、「戦争中の日本人」というイメージからはるかに離れていると。

 

 9回の出撃の状況は、この「不死身の特攻兵」を読んでもらうことが一番だ。・当然の疑問は、「死んでこい」という命令に9回も背き、その度に生還してしまうことに対する上層部の批判、反応だ。そのこともかなり書かれているが、<もっと深い情況、事実があるだろう>と、読んでいたら、やはりという箇所があった。命令に何度も背いてきた特攻兵に対する「銃殺」である。それも「刺客」による殺害だ。この本では、その模様を以下のように語っている。背筋の凍るような当時の動きだ(同書、157頁)

 

佐々木はフィリピンのカンルーバン捕虜収容所で、読売新聞の鈴木記者と再会する。戦争中に何度も話した相手だった。鈴木記者は佐々木が生きていることに驚いた。鈴木記者は「佐々木、お前、殺されることになっていたのを知っているか」と話し出した。第四航空軍は佐々木と津田少尉の銃殺命令を出していたと、鈴木記者は続けた。大本営発表で死んで者が生きていては困るから、そんな命令を出したのだと。佐々木は驚き、信じられなかった。鈴木記者はさらに、第四航空軍の命令は、第四飛行団の猿渡参謀が実行するはずだった、と説明した。二人を分からないように殺すために狙撃撃隊まで作っていたと、「俺達新聞記者もエチャーゲの山の中にいたが、近くの地上勤務の兵隊が怒ってね。特攻隊の狙撃命令を出すとは何事かというわけだ。佐々木達を守れというので、狙撃隊を見つけて応戦しろと騒いでいた。日本が降伏したので、佐々木達も命が助かったようなものだ」

 

佐々木友次さんは生きて終戦を迎え、内地へ。北海道の大地に暮らし、2016年2月9日、呼吸不全のため、札幌の病院で亡くなった。92歳だったという。鴻上さんのインタビューは亡くなる3カ月前まで行われたとある

(ウイキペディア)

万朶隊(ばんだたい。萬朶隊)は、日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊である。1944昭和19年)1021日、鉾田教導飛行師団で編成された。装備機種は九九式双発軽爆撃機。日本陸軍では、1944年前半頃から航空機による艦船への体当り攻撃を検討していた。海軍機と異なって対艦攻撃を本来の任務としてこなかった陸軍航空隊では、艦船攻撃用の新戦術を必要としており、跳飛爆撃と並んで体当りが検討されたのである。

7月末には、機首に起爆装置を取り付ける特攻用九九双軽の改装も着手された。現場が自発的に体当たりを行う例も出てきており、同年1019日には中尉阿部信弘(元総理で当時の朝鮮総督だった阿部信行の子)以下3機がイギリス艦隊に体当たりして航空母艦1隻大破・駆逐艦2隻撃沈と認定されていた。1017には海軍が最初の組織的な特別攻撃隊を編成し、21日から出撃を開始していた。

こうした状況下で、1021日、陸軍も特別攻撃隊の編成に踏み切った。鉾田教導飛行師団で編成された部隊(後の万朶隊)と同時に、浜松教導飛行師団において四式重爆撃機装備の特別攻撃隊「富嶽隊」も編成されている。いずれも飛行学校改編の教導飛行師団の精鋭が投入された。鉾田の特別攻撃隊隊長に任命された陸軍大尉岩本益臣は、それまで教官としてもう一つの新戦術である跳飛爆撃研究を行っていた。

編成された特別攻撃隊は4航空軍の指揮下に入り、1029日にルソン島バタンガス州リパへ進出し、現地で「万朶隊」と命名された。万朶とは多くの花の枝、または多くの花、という意味である。しかし、出撃前に移動中の敵戦闘機との遭遇などで損害を受け、115、岩本が出撃叶う前に戦死してしまう。それから1週間後の1112神風特攻隊に遅れること3週間の後に4機が初の特攻出撃を行い、以後12月までレイテ湾へと出撃を繰り返した。多数の戦果を報じたが、事実は不明である。

大部分は戦死したが、佐々木友次伍長は機体故障での途中帰投や通常爆撃による攻撃などを9回以上行い続けるも、かろうじて唯一生存した。佐々木はその後のミンドロ島方面への出撃でも生還を果たし、ルソン島で生きて終戦を迎えた。

特別攻撃用に改造された当初の九九式双発軽爆撃機は、空中で爆弾が投下できない状態になっていた。鉾田からルソン到着までの間に陸軍航空審査部に立ち寄った岩本大尉は、爆弾の安全装置離脱と緊急時の爆弾投下を可能にする助言説明を受け、レイテ出撃までに飛行機には最小限の安全措置改修が加えられていた




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