《ジャズより他に神はなし》平岡正明・考 (上) 桜町文庫の窓(7)(「序説第33号」)
桜町文庫の窓(7)
磯山オサム+ハル
〈ジャズより他に神はなし〉平岡正明・考 (上)
「序説第33号」(9月1日発行)から。(上)(中)(下)の3回連載で伝えますー。
窓から旅立ったのは十九歳十月ではなく、二十歳六月二二日。金沢から上野に向かう夜行列車の自由席で手にしていたのは、平岡正明著『ジャズ宣言』。冒頭に《どんな感情を持つことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、正しい。ジャズがわれわれをよびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。・・・われわれは感情をこころの毒液にひたしながらこっそり飼い育てねばならぬ。身もこころも智慧も労働もたたき売っていっこうにさしつかえないが、感情だけはやつらに渡すな、他人にあたえるな》とある。
平岡正明は、一九四一年東京本郷に生まれ、一九六〇年早稲田大学第二文学部露文科に入学。安保闘争世代。彼の『大革命論』のなか〈赤色残侠伝〉によると、入学後の五月にはブンド(共産主義者同盟)に加盟し闘争に参加。六一年には脱退。同じ早大の宮原安春(一九四二~二〇一七・ノンフィクション作家)らと共に〈犯罪者同盟〉を結成している。
平岡正明は鵺的。生涯の著作は一二〇作に及ぶが、左翼と思えば右、右と思えば左翼。評論はジャンルを超えて、ジャズから歌謡曲・新内・落語に及ぶ。〈知る人ぞ知る〉と言いたいが、平岡正明を知ったり覚えていたりは、少ないだろう。
彼のプロフィールを伝える文章が『昭和ジャズ喫茶伝説』にある。
平岡正明の六十年・七十年代の政治活動と出会ったジャズ喫茶についての書。その文庫本の表紙裏に記された彼の紹介。《作家・評論家。六十年安保闘争以後、政治結社「犯罪者同盟」を設立、その理論武装書『犯罪あるぃは革命に関する諸章』を著す。六七年に『ジャズ宣言』でジャズ評論家として衝撃デビュー。全共闘運動の渦中、ノンセクトラディカル派のカリスマ的存在として絶大な思想的影響力をおよぼす。・・・以後、政治・文学・芸能(ジャズ、映画、歌謡曲)など思想・文化全域を批評対象として位置づけ、独自の民衆史観的視点から鋭い問題提起を発しつづけた。二〇〇九年没》。
平岡正明は犯罪者同盟設立後早大を中退。谷川雁・吉本隆明らが講師の〈自立学校〉で事務局を務め、その後ジャズ評論家となった。
七十年安保当時のノンセクト系のカリスマとあるが、『共同幻想論』の吉本隆明・『都市の論理』の羽仁五郎・六三年『影の越境をめぐって』を出版した谷川雁や埴谷雄高らの〈政治的影響〙と比較すると、彼の過激な〈テック闘争〉などの活動などがあるものの、〈左翼文化〉的な影響の要素が強い。
『大革命論』によると、当時の彼は自身を《お上に盾突くトップ屋》と書いている。
トップ屋とは、週刊誌の暴露的な冒頭記事を書く、フリーランスのライター。事実、彼は六九年に〈ヤングレディ〉誌のアンカーマンになっている。七十年に松田政男や足立正生らと共に「批評戦線」を結成し『第二次・映画批評』を創刊。ジャズから映画批評をも執筆している。
平岡正明の系譜を考えると、斎藤龍鳳と五木寛之を思い浮かべる。
斎藤龍鳳(一九二八~一九七一)は東京生まれ。予科練入隊後復員。旧制松本高校卒業後、明治大学に入学するが一年ほどで中退。地方公務員をレットパージで失職し、内外タイムスに入社。映画評論や風俗の記事を書いた。
著書は『遊撃の思想』・『武闘派宣言』の二冊。他に遺作集『なにが粋かよ』がある。内外タイムスを退社後、トップ屋的記事と映画批評などを書いた。彼は四十歳にして七十年安保闘争(ML派)に参加。戦後の左翼活動の経験が、実戦として重宝がられたという。
平岡よりほぼ十歳上だが、平岡が六十年安保の活動後の評論が当時の学生に影響をあたえたと同じくした。 遺作集『なにが粋かよ』は、彼の戦後史と映画監督評・『映画芸術』に掲載された映画評が中心。他に〈遊撃的実践〉などの政治時評が掲載されている。巻末、丸山邦男の追悼文の一部。
《龍鳳の死は、精神的にも肉体的にも、また情況的にも「追いつめられた男」の、あまりにも自己思想と行動の統一的表現に忠実すぎたために、ロマン詩人的な燃焼による終末に向かって直線コースを駆け下りて行ったのではないか・・・》。
斎藤龍鳳は、闘争のなか〈仕事〉の映画評論を〈資本主義的生活〉としてやめ、工員となった。闘争敗北後の七一年、再び映画評論に戻ろうとした中、いくつかの走り書きを残し四三歳で亡くなった。彼の部屋の敷布団の下には、出刃包丁があったという逸話を聞く。
五木寛之(一九三二年~)は、斎藤龍鳳とほぼ同世代。早稲田大学露文科中退は、平岡正明に繋がる。業界誌やコラム・ルポルタージュ記事などを書いた後、『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞作家となった。
氏は大学繋がりか、平岡の書の何冊かに推薦文を書いている。そのうちのひとつ、歌手山口百恵の評論集『山口百恵は菩薩である』の推薦文。
《平岡正明は山口百恵を〈菩薩〉であると言う。かつて〈大菩薩峠〉が大衆のアナーキーな殺気をはらんだ脱欧入亜の斜坑であったとすれば、〈少女菩薩歌手〉の背後に見え隠れするものは、新たな日中米三国同盟の包囲線の中に備蓄される組織されたエネルギーの後光である。異論を持つ者にこそ、彼の一冊は有効だ。この酔狂の魅力》。 五木の近著、新書『昭和の夢は夜ひらく』の、藤圭子のレコードの売り上げを語る部分に、《平岡正明に言わせれば、「ジャックナイフのように上がって、ジャックナイフのように落ちた」》と平岡の文を引用している。
五木寛之・世をすねた斎藤龍鳳、生まれた時代は違うが無頼漢のような平岡正明。ともに、どこか世を斜めにみる、捨てられない魅力を持っている。
『山口百恵は菩薩である』は、平岡の彼女へのオマージュ。人物・歴史・音楽を、政治にのせて検証する。
文中〈百恵百態〉の一部。
《原体験を歌のなかで普遍化して、迷える衆生にかえす。自分と闘いながらよろこびや悲しみを返す。天は横須賀の貧しい少女にプロレタリアートの星を埋めておいた。すなわち、山口百恵は地涌の菩薩であります。・・・》。
とし《天下の山口百恵、スーパースター山口百恵は人民の菩薩である》と礼賛している。
この書は、彼のである数少ないヒット作となったが、同書のなかのジャズについての記載。《ジャズは方法であり、生き方である。現今のジャズが本調子でないことも無視して、依然としてジャズは現代思想の中核であり、諸王の王である。ジャズは自分で変わり、周辺を変え、アメリカではポピュラー音楽、日本では歌謡曲が変わる時に必ず影響力を強める、という通性をもっている》と書き《山口百恵は歌謡曲のコルトレーン》としている。
一九七五年五月、東アジア反日武装戦線の一斉逮捕の同時刻、平岡は組織の黒幕として家宅捜査を受けている。思想的繋がりもあるが、逮捕の際服毒死した斎藤和(一九四七~七五)と、逮捕後、超法規処置法でアラブに渡った浴田由紀子(一九五〇~)は〈テック闘争〉を共にしている。
テック闘争とは、谷川雁が役員の〈外国語教育団体〉の労働組合と団体側の対立で、七一年当時平岡は組合員として参加、斎藤と浴田は支援者として参加している。浴田はその後ペルーで逮捕。国内で懲役二十年の判決を受け、二〇一七年に満期出所している。斎藤とはテック闘争のほかに、平岡の著書『日本人は中国で何をしたか』の取材などでも協力関係にあった。
平岡の逮捕は無かったが、神奈川県葉山に転居。政治から文学・芸能へと批評の方向に変化があった。七五年の東アジアの逮捕事件と並行して、山下洋輔の「全日本冷やし中華愛好会」に論客として参加。東アジア反日武装戦線と、冷やし中華の両刀が平岡(続く)
。








最近のコメント