リアルタイムで進行中の「現代史」を会報に 吉岡斉『新版 原子力の社会史 その日本的展開』
「さよなら原発!日光の会」会報「げんぱつニュース第58号」は7月17日(金)が原稿の締め切り。そこに『新版 原子力の社会史』(吉岡斉)をネタ本に、「福島原発事故の衝撃」を連載していく予定だ。この本の最終章である「第8章」をそのまま丸ごと載せていきたい。掲載は1回あたりA4版2頁分。なので、たぶん5回~6回ぐらいの連載となるだろう。この会報発行は基本的に1年に4回だ。となると、終わるまでに1年から1年半かかるかも。その初回は7月31日(金)発行を予定している。乞うご期待というところだ。
今
号から「さ福島原発事故の衝撃」と題した連載を行います。この内容は吉岡斉(よしおかひとし)さんの『新版 原子力の社会史 その日本的展開』(2011年10月25日第1刷、2012年6月30日第3刷 朝日新聞出版)から。本は「第1章 日本の原子力開発利用の社会史をどうみるか」、「第2章 戦時研究から禁止・休眠の時代」など全8章から成る全399頁。
そのうち連載するのは、終章である「第8章 福島原発事故の衝撃」の363頁~394頁。「あとがき」によると、福島第1原発事故を受けて、「現在史」を大幅に加筆し、リアルタイムで進行中の歴史を描いたとあります。連載は吉岡斉さんが大幅に加筆したその部分にあたります。福島第1原発事故から15年、改めて「なぜ、史上最大級の原発事故に発展してしまったのか」について学び直す機会になると思います。
吉岡斉さん(1953年8月~2018年1月)は、日本の科学史家、元九州大学副学長、「政府事故調」と呼ばれた東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の委員。専門は科学革命の歴史、科学社会学、科学技術政策。逝去するまで民間シンクタンク「原子力市民委員会」の座長も務めていた。以下は『新版 原子力の社会史』から。
1 福島原発事故の発生
2011年3月11日14時46分、宮城県男鹿半島の東南東130キロの海底約24キロメートルを震源として、モーメント・マグネチュード9・0の巨大地震が発生し、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。この巨大地震のもたらした災害は、東日本大震災と通称されている。その際立った特徴は、世界の震災史上はじめて「原発震災」(原発が地震で損傷して大量の放射能が外部に放出され、それによって地震と原発事故との相乗効果による被害拡大がもたらせる事態)が発生したことである。
2007年の新潟中越沖地震でも、東京電力柏崎刈羽原発の7基の原子炉のすべてが大きな被害を受けたが、放射能による一般住民への被害はわずかであった。それが今回との大きな違いである。原発は他の発電所と比べて異質な破壊力を秘めており、それがひとたび開放されると他の発電所とは異質な被害をもたらすことが、改めて浮き彫りになった。
東日本大震災では、福島第1原発から26キロメートル北方にある東北電力原町火力発電所(電気出力100万キロワットの石炭火力2基を擁する)を地震動と津波が襲い、物理的には福島第一原発を凌駕する被害をおよぼした。津波の高さは福島第一の14メートルを上回る18メートルに達したという。それにより原町火力発電所は全電源喪失状態におちいったが、発電所外部に被害を及ぼすことはほとんどなかった。起動用の重油タンクが破壊され、重油が周囲に漏洩した程度であった。火力発電所は大災害に襲われても、発電所外部に被害をおよぼすことはほとんどないのである。しかし原子力発電所においては、火力発電所とは比較にならない安全対策が必要となる。
東北・関東地方の太平洋岸には、多くの原子力発電所が林立している。最北の青森県には東北電力東通1号機、宮城県には東北電力女川1~3号機、福島県には東京電力の福島第1の1~6号機および福島第2の1~4号機、茨城県には日本原子力発電(原電)東海第2の合計15基ある。他に建設中が2基(電源開発大間、東京電力東通1号機)、建設準備中が5基(東北電力東通2号機、東北電力浪江・小高、東京電力東通2号機、東京電力福島第1の7~8号機)がある。まさに東北地方の太平洋沿岸、とりわけ宮城県から福島県にかけての一帯は、世界一の「原発銀座」である。これらに加えて周知のように青森県六ケ所村に核燃料サイクル諸施設の集中立地地点がある。
これらの原発が大震災により、地震・津波の被害を受けた。地震動により原発やその関連施設(とりわけ送配電システム)は大きな被害を受けたとみられる。それに追い打ちをかけるように津波が襲来し、事態を大きく悪化させた。強い地震動を受けると、原子炉には自動的に制御棒が挿入され核分裂反応は停止する。今回は原子炉停止はうまくいった。
しかし福島第1では(6号機の空冷ディーゼル発電機1基をのぞき)すべての電力供給が絶たれたため、原子炉冷却機能が停止した。原子炉を動かす電力は通常時は原子炉自身が生み出している。それが停止した場合には発電所の外部にある送電線(外部電源)からの電力供給に頼る。それも駄目な場合は非常用のディーゼル発電機を稼働させる(非常用内部電源)。福島第一原発ではそのすべてが絶たれたのである。
それにより東京電力福島第1原発は、同時多発的な炉心溶融事故を起こした。そこでは運転中だった1~3号機までの3基の原子炉がすべて冷却材喪失事故LOCA(Loss Of Coolant Accident)におちいり、核燃料メルトダウン(溶融落下)を起こし、さらにメルトスルー(溶融貫通)に至ったと推定される。
それにより、圧力容器・格納容器の双方が三基すべてで損傷した。4~6号機の炉心は空っぽだったが、4号機建屋に設置されていた使用済核燃料プールで火災・爆発が起こり、プールは大破した。他の5つの核燃料プールも冷却機能喪失により水温が上昇し、水位が下がった。
こうした深刻な事故を招いた引き金は、地震動および津波という自然災害である。事故発生当初は津波がすべての原因であるという見解が、経済産業省原子力安全・保安院や東京電力によって流布された。しかしその後、地震動によって炉心(原子力圧力容器)と直結する配管が損傷し冷却水が漏出した可能性が、1号機について指摘されるようになった。もしそうであれば原子炉立地指針の定める基準地震動と同程度の地震動によって、致命的な破壊が生じたことになる。つまり実質的な安全率(裕度)は1程度ということになる。地震動の影響について決定的な証拠を得るには、配管の破壊状況などの実地検証が不可欠であるが、そのためには放射線レベルが十分下がる必要があり、検証可能な状態となるには少なくても数年以上の時間が必要となるだろう。
地震動に追い打ちをかけるように約1時間後の15時40分ごろから数次にわたり津波が襲い福島第一原子力発電所は水浸しとなった。それにより全電源喪失状態におちいった(生き残ったのは6号機の空冷式のディーゼル発電機1機のみだった)。地震動と津波のダブルパンチにより原子炉の心臓部だけではなく、発電所にある他の多くの機器も損傷した。全電源喪失により1~3号機の3基すべてで、電源を必要としない冷却系(1号機の非常用復水器、2・3号機の原子炉隔離時冷却系)が稼働した。
しかしそれを動かすには非常用バッテリー(動力用ではなく制御用)による調節を必要とした。しかもバッテリーは8時間分の蓄電容量しかなかった。バッテリーが消耗しつくまでの間、有効な冷却水注入策がとられず時間が空費された。多数の電源車が遠方から招集されたが、まったく役に立たなかった(非常用ディーゼル発電機を動かすには、高圧大型電源車を何台も並列につなぐ必要があるが、現場には必要な台数の高圧大型電源車もなければ、その並列接続技術もなかったとみられる)。
そして核燃料の温度上昇がつづき、核燃料被覆管の材料であるジルコニウムの合金(鉄合金は中性子を余分に吸収するので使えない)が、冷却水の酸素と結合する酸化反応が進み始め、大量の水素ガスを発生させた。さらなる温度上昇により被覆管(融点摂氏1700度)が溶け、核燃料が剥きだしになった(核燃料損傷)。さらに核燃料も摂氏2800度(二酸化ウランの融点)を上回る温度となって溶け出した(核燃料溶融)、
そして核燃料が圧力容器底部に落下するメルトダウン(溶融落下)が進んだ。そして核燃料の一部が圧力容器の底部を突き抜け、核能容器底部に落下するメルトスルー(溶融貫通)を起こしたとみられる。こうした事態の進行に伴い水素ガスの発生量も増えた。水素ガスは、他の揮発性の高い放射性ガスとともに、何らかの経路で圧力容器から抜けて外側にある格納容器に充満した。格納容器の温度は高まりつづけ、そのままでは破壊にいたる恐れが出てきた。以上のような事象が3基すべてで起こったと考えられる。(次号に続く)







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