無料ブログはココログ

ブログランキング


  • 人気ブログランキングへ

2026年7月14日 (火)

リアルタイムで進行中の「現代史」を会報に  吉岡斉『新版 原子力の社会史 その日本的展開』

 「さよなら原発!日光の会」会報「げんぱつニュース第58号」は7月17日(金)が原稿の締め切り。そこに『新版 原子力の社会史』(吉岡斉)をネタ本に、「福島原発事故の衝撃」を連載していく予定だ。この本の最終章である「第8章」をそのまま丸ごと載せていきたい。掲載は1回あたりA4版2頁分。なので、たぶん5回~6回ぐらいの連載となるだろう。この会報発行は基本的に1年に4回だ。となると、終わるまでに1年から1年半かかるかも。その初回は7月31日(金)発行を予定している。乞うご期待というところだ。

Photo_20260714212701 号から「さ福島原発事故の衝撃」と題した連載を行います。この内容は吉岡斉(よしおかひとし)さんの『新版 原子力の社会史 その日本的展開』(2011年10月25日第1刷、2012年6月30日第3刷 朝日新聞出版)から。本は「第1章 日本の原子力開発利用の社会史をどうみるか」、「第2章 戦時研究から禁止・休眠の時代」など全8章から成る全399頁。

 そのうち連載するのは、終章である「第8章 福島原発事故の衝撃」の363頁~394頁。「あとがき」によると、福島第1原発事故を受けて、「現在史」を大幅に加筆し、リアルタイムで進行中の歴史を描いたとあります。連載は吉岡斉さんが大幅に加筆したその部分にあたります。福島第1原発事故から15年、改めて「なぜ、史上最大級の原発事故に発展してしまったのか」について学び直す機会になると思います。

 吉岡斉さん(1953年8月~2018年1月)は、日本科学史家、元九州大学副学長、「政府事故調」と呼ばれた東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の委員。専門は科学革命の歴史、科学社会学、科学技術政策。逝去するまで民間シンクタンク「原子力市民委員会」の座長も務めていた。以下は『新版 原子力の社会史』から。

 

1 福島原発事故の発生

 

 2011年3月11日14時46分、宮城県男鹿半島の東南東130キロの海底約24キロメートルを震源として、モーメント・マグネチュード9・0の巨大地震が発生し、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。この巨大地震のもたらした災害は、東日本大震災と通称されている。その際立った特徴は、世界の震災史上はじめて「原発震災」(原発が地震で損傷して大量の放射能が外部に放出され、それによって地震と原発事故との相乗効果による被害拡大がもたらせる事態)が発生したことである。

 2007年の新潟中越沖地震でも、東京電力柏崎刈羽原発の7基の原子炉のすべてが大きな被害を受けたが、放射能による一般住民への被害はわずかであった。それが今回との大きな違いである。原発は他の発電所と比べて異質な破壊力を秘めており、それがひとたび開放されると他の発電所とは異質な被害をもたらすことが、改めて浮き彫りになった。

 東日本大震災では、福島第1原発から26キロメートル北方にある東北電力原町火力発電所(電気出力100万キロワットの石炭火力2基を擁する)を地震動と津波が襲い、物理的には福島第一原発を凌駕する被害をおよぼした。津波の高さは福島第一の14メートルを上回る18メートルに達したという。それにより原町火力発電所は全電源喪失状態におちいったが、発電所外部に被害を及ぼすことはほとんどなかった。起動用の重油タンクが破壊され、重油が周囲に漏洩した程度であった。火力発電所は大災害に襲われても、発電所外部に被害をおよぼすことはほとんどないのである。しかし原子力発電所においては、火力発電所とは比較にならない安全対策が必要となる。

 東北・関東地方の太平洋岸には、多くの原子力発電所が林立している。最北の青森県には東北電力東通1号機、宮城県には東北電力女川1~3号機、福島県には東京電力の福島第1の1~6号機および福島第2の1~4号機、茨城県には日本原子力発電(原電)東海第2の合計15基ある。他に建設中が2基(電源開発大間、東京電力東通1号機)、建設準備中が5基(東北電力東通2号機、東北電力浪江・小高、東京電力東通2号機、東京電力福島第1の7~8号機)がある。まさに東北地方の太平洋沿岸、とりわけ宮城県から福島県にかけての一帯は、世界一の「原発銀座」である。これらに加えて周知のように青森県六ケ所村に核燃料サイクル諸施設の集中立地地点がある。

 これらの原発が大震災により、地震・津波の被害を受けた。地震動により原発やその関連施設(とりわけ送配電システム)は大きな被害を受けたとみられる。それに追い打ちをかけるように津波が襲来し、事態を大きく悪化させた。強い地震動を受けると、原子炉には自動的に制御棒が挿入され核分裂反応は停止する。今回は原子炉停止はうまくいった。

 しかし福島第1では(6号機の空冷ディーゼル発電機1基をのぞき)すべての電力供給が絶たれたため、原子炉冷却機能が停止した。原子炉を動かす電力は通常時は原子炉自身が生み出している。それが停止した場合には発電所の外部にある送電線(外部電源)からの電力供給に頼る。それも駄目な場合は非常用のディーゼル発電機を稼働させる(非常用内部電源)。福島第一原発ではそのすべてが絶たれたのである。

 それにより東京電力福島第1原発は、同時多発的な炉心溶融事故を起こした。そこでは運転中だった1~3号機までの3基の原子炉がすべて冷却材喪失事故LOCA(Loss Of Coolant Accident)におちいり、核燃料メルトダウン(溶融落下)を起こし、さらにメルトスルー(溶融貫通)に至ったと推定される。

 それにより、圧力容器・格納容器の双方が三基すべてで損傷した。4~6号機の炉心は空っぽだったが、4号機建屋に設置されていた使用済核燃料プールで火災・爆発が起こり、プールは大破した。他の5つの核燃料プールも冷却機能喪失により水温が上昇し、水位が下がった。

 こうした深刻な事故を招いた引き金は、地震動および津波という自然災害である。事故発生当初は津波がすべての原因であるという見解が、経済産業省原子力安全・保安院や東京電力によって流布された。しかしその後、地震動によって炉心(原子力圧力容器)と直結する配管が損傷し冷却水が漏出した可能性が、1号機について指摘されるようになった。もしそうであれば原子炉立地指針の定める基準地震動と同程度の地震動によって、致命的な破壊が生じたことになる。つまり実質的な安全率(裕度)は1程度ということになる。地震動の影響について決定的な証拠を得るには、配管の破壊状況などの実地検証が不可欠であるが、そのためには放射線レベルが十分下がる必要があり、検証可能な状態となるには少なくても数年以上の時間が必要となるだろう。

 地震動に追い打ちをかけるように約1時間後の15時40分ごろから数次にわたり津波が襲い福島第一原子力発電所は水浸しとなった。それにより全電源喪失状態におちいった(生き残ったのは6号機の空冷式のディーゼル発電機1機のみだった)。地震動と津波のダブルパンチにより原子炉の心臓部だけではなく、発電所にある他の多くの機器も損傷した。全電源喪失により1~3号機の3基すべてで、電源を必要としない冷却系(1号機の非常用復水器、2・3号機の原子炉隔離時冷却系)が稼働した。

しかしそれを動かすには非常用バッテリー(動力用ではなく制御用)による調節を必要とした。しかもバッテリーは8時間分の蓄電容量しかなかった。バッテリーが消耗しつくまでの間、有効な冷却水注入策がとられず時間が空費された。多数の電源車が遠方から招集されたが、まったく役に立たなかった(非常用ディーゼル発電機を動かすには、高圧大型電源車を何台も並列につなぐ必要があるが、現場には必要な台数の高圧大型電源車もなければ、その並列接続技術もなかったとみられる)。

 そして核燃料の温度上昇がつづき、核燃料被覆管の材料であるジルコニウムの合金(鉄合金は中性子を余分に吸収するので使えない)が、冷却水の酸素と結合する酸化反応が進み始め、大量の水素ガスを発生させた。さらなる温度上昇により被覆管(融点摂氏1700度)が溶け、核燃料が剥きだしになった(核燃料損傷)。さらに核燃料も摂氏2800度(二酸化ウランの融点)を上回る温度となって溶け出した(核燃料溶融)、

そして核燃料が圧力容器底部に落下するメルトダウン(溶融落下)が進んだ。そして核燃料の一部が圧力容器の底部を突き抜け、核能容器底部に落下するメルトスルー(溶融貫通)を起こしたとみられる。こうした事態の進行に伴い水素ガスの発生量も増えた。水素ガスは、他の揮発性の高い放射性ガスとともに、何らかの経路で圧力容器から抜けて外側にある格納容器に充満した。格納容器の温度は高まりつづけ、そのままでは破壊にいたる恐れが出てきた。以上のような事象が3基すべてで起こったと考えられる。(次号に続く)

 

 

2026年7月13日 (月)

いっそのことなら自分の手で   初めての「かき揚げ」つくり

何度か挑んでようやく成功させた「かき揚げ」だがー。つくるのに夢中だったので、気がついたら、たくさんつくってしまった。「こんなにつくるつもりはなかったのに」ー。かき揚げは1枚か2枚で充分なのだが。ということでかき揚げをかなり残しての昼飯・「冷やしざる天うどん」でした。何度も失敗したので、かき揚げつくりは、「片栗粉」と「小麦粉」と「水」の割合をうまく調整することがカギであることはわかりました(苦笑い)。この間、高速道のサービスエリアで「かき揚げそば」の定価をみたら、確か「880円」だったか-。そんな値段のそば・うどんなら自分でつくってしまえーということとかき揚げつくりを学びたいという、「向上心」(?)が、今回のかき揚げづくりへの挑戦でした~itPhoto_20260713162001

2026年7月12日 (日)

「栃木県における再エネの状況」は?  7月31日(金)日光市民活動支援センターで「県政出前講座」

Photo_20260713144601 福島第一原発事故以降における太陽光や水力、バイオマス、風力などに代表される再生可能エネルギーの爆発的な拡大で世界は今やエネルギーの大転換期を迎えています。さらに「ホルムズ海峡危機」でエネルギーの自給率を高めていくため、これまで以上に地産地消の再エネの必要性が高まっています。再エネの国内の先進事例は環境省の特設サイト「GOOD ECHO」で知ることができますが、栃木県内ではどんな取り組みがなされているのか、どんな計画が立てられているのか、その現状と課題と今後、いわば「栃木県における再生可能エネルギーの状況」は?―それについて、栃木県政でこの分野を担っている県気候変動対策課の担当者から面前で講義してもらう「栃木県政出前講座」を企画しました。この機会に地元栃木の再エネの全体像を知ろうと思います。参加無料。会員はもちろん、どなたでも参加できます。 Photo_20260712231901

2026年7月11日 (土)

どう生き抜けられるのかを堂々と公開  『獄に暮らせば』(重信房子)

ともあれ、朝日新聞7月11日(土)の書評から「これは読みたいぞ」と。3520円とあるので、日光図書館経由で借りに行こうと思う。

(書評)『獄に暮らせば 「21年7カ月の獄中日記から」』 

 重信房子〈著Photo_20260711224901

『獄に暮らせば 「21年7カ月の獄中日記から」』

 ■好奇心と冷静さで何でもござれ

 日記である。あの元赤軍派の重信房子の20年余の獄中生活を、こと細かに書き記した生きる記録だ。

 何が面白いと言って、実に明確なる好奇心を持って、獄中のハード、ソフト両面にわたる出来事を、第三者が描くように冷静に記載していることだ。無論、権力と闘う意思に変わりなく、重信にとって合理的な獄中生活をおびやかすものに対しては、刑務官であれ伝達事項であれ、徹底的に抗弁し抗議する。

 ただ重信のクールな対応がすごい。言うだけ言うも、ダメなときは次の機会を待って一時撤退。カッとなって一時の感情に身を任せることはしない。そのための生きるすべなのであろう。毎日の獄中生活をあくまでもきちんと獄の行事や日常の歳時記通り、それこそ淡々とすごしていく。日記には、重信の生活や草花をあしらったイラストや短歌が添えられている。

 「寝そべって世界の変化夢想する失業中の革命家あり」「判決は終わりにあらず始まりとまつろわぬ意志ふつふつと湧く」。いや、闘志をかきたて、歌にするのだ。

 でも、重信は実に獄中生活を器用に受容できるものは受容して生き抜いていく。食事、体操、コーラスなど、何でもござれ。それらを全部生きる糧にしていくのだ。とはいえ彼女は健康ではない。何度もがんという病気に襲われ、それと闘わねばならぬ。

 日記は、裁判とがん治療と獄中暮らしに大別される。裁判10年の記録は、それでもピリピリした感じが強い。余裕がなく、あれこれ考え、外の支援者との接触、それこそ検察や裁判への対峙(たいじ)に明け暮れる。外からの激励の言葉がいかに力になるか。刑務当局との闘争がいかに精神を鍛えるか。長文の日記からわかる。

 10年あまりの受刑生活は、いかに日々を快適に暮らすかという側面と、がん治療のために繰り返す病床生活の側面とに分かれる。獄中でのハイライトは運動会。その余裕が堂に入っている。楽しめるものはとことん楽しもうという精神なのだ。でも、それに密着するごとく、大腸がん、小腸がん、子宮がんという病気との闘いがある。医療日記のごとく、医師とのやりとり、手術の様子がこと細かに記される。患者の目というより、医療の伴走者の冷静な目だと言ってよい。「クレゾールの匂う廊下を足早に看守に連れられ医務へと急ぐ」

 重信房子とは何であったのか。赤軍幹部としての活動で有名だが、「獄に暮らせば」どう生き抜けられるのかを堂々と公開する。一人の人間としてのあり方が、よく見えてくる。

 評・御厨貴(東京大学名誉教授・政治学)

     *

 『獄に暮らせば 「21年7カ月の獄中日記から」』 重信房子〈著〉 作品社 3520円

     *

 しげのぶ・ふさこ 45年生まれ。元日本赤軍最高幹部。71年出国、パレスチナ解放闘争に参加。00年逮捕。「ハーグ事件」の殺人未遂などの罪に問われ、懲役20年の判決を受け服役。22年出所。

 

2026年7月10日 (金)

「明るい覚悟」で自分との約束を守る   同人誌「序説第33号」の「編集後記」

同人誌「序説第33号」(9月1日発行)の原稿の最終締め切り日である7月10日(金)に滑り込みセーフで担当の「編集後記」(黒川純)を送ることができましたー。以下はその「編集後記」。字数はいつもよりもやや長い約2450字(400字詰め原稿用紙約6枚)ぐらいだったかー。

 

 「おい、地獄さ行ぐんだで!」。二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(カタツムリ)が背伸びしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。―――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。プロレタリア文学で名高い小林多喜二(1903~1933)の『蟹工船』(1929「昭和4」年5、6月「戦旗」に発表)の冒頭部分だ。知っての通り、多喜二は1933(昭和8)年2月20日、築地署特高に治安維持法違犯で逮捕され、拷問を受けて殺された▼「女工」として働いた体験を描いた「キャラメル工場から」で知られるプロレタリア作家、佐多稲子(1904~1998)とプロレタリア作家・評論家の宮本百合子(1899~1951)が一緒に多喜二宅に駆け付けた。彼女らは虐待を受けた多喜二を手厚く「看護」したという。これは毎週土曜日に放送されているNHKラジオ番組「保阪正康が語る昭和人物史」に登場した佐多稲子が生前に語っている。録音のこの肉声を聴いたのはこの初夏のこと。。多喜二虐殺はこれまで「歴史」の教科書のように受け止めがちだった。だが、この佐多稲子の「歴史の証言」を聴いたことで、モノクロの昭和初期のことが急にリアルに感じられるようになってきた▼『蟹工船』について冒頭に挙げたのは実は「連想ゲーム」から。というのも日本人の死因のトップはガン(癌)だが、その「語源」はどこから来ているのか?その問いから。ネットのAi回答によると、がん、癌、悪性腫瘍の英語表記はCANCERだが、これは「カニ」を意味する言葉からきている。腫瘍本体とそこから周囲へ伸びる血管やリンパの様子が「カニの脚」に似ているということから、その名がついたと説明されている。『蟹工船』に触れたのはこのためだが、日本語の「ガン」は、このCANCERの訳語として使われるが、語源そのものはあくまで漢語「癌」に由来するというのが標準的な説明だという日本経済新聞「NIKKEI STYLE」によると、男性の3人に2人、女性の2人に1人が一生のうちに何らかのがんを発症すると推計されている。それも早期に発見すれば約9割は治るとされている。私も日光市の一斉健診で胃潰瘍の疑いありとなり、日光市民病院の胃カメラ検査でチェックしたら、胃がんと判明。セカンドオピニオンを県立がんセンターで、サードオピニオンを自治医大病院で。ふたつの病院を渡り歩いたうえで、済生会宇都宮病院で内視鏡手術を受けた。胃の4分の3を切除し、半年ごとの検査へ。幸いにも5年間、がんの転移はなかった。今から3年前だが、この際、担当医から「もう胃の治療で病院に来ないでくださいね」と言われた。さらに「治癒おめでとう」と記された「表彰状」みたいなものを手渡され、眼を丸くしたものだがんのことが気になったのは、つい最近、ラインを通じて、同人の一人から大腸癌の摘出手術で入院することなったという報告があったため。「弱音を吐かずに頑張ります」とも伝えていた。同人はいずれも高齢者同士であり、すぐさま励ましのエールが送られた。「治療に対して前向なスタンスをキープして下さい」、「どうか治療が順調に進みますよう」、「現代医学は進んでいますから大丈夫ですよ」、「大変だね。気を強く持って治療へ」、「大変ですが、頑張って下さい」、「お気を強く持って、病気に負けないでください」など。親しい仲間の大腸がん治療について、いずれも我が事のように思えたのだ。今はこの大腸がんの手術と治療が順調にいくことを願うばかりだ▼がん治療といえば、落合恵子さんさんが思い浮かぶ。私たち70年安保世代には深夜放送のパーソナリティで「レモンちゃん」という愛称で親しまれていた(文化放送「セイヤング」など)。宇都宮出身のその彼女が肺がん治療の心境と記録を2025年暮れに『がんと生ききる 悲観にも楽観にも傾かず』(朝日新聞出版)として出版している。この本で落合恵子さんは「病と向き合うことも『明るい覚悟』のひとつである」と書いている。その『明るい覚悟』とは、彼女が2020年に出版した加齢をめぐるエッセイ本。「『明るい覚悟』とは、自分にとって大事なほんの僅かなものを握りしめて暮らすことであり、自分が自分になっていく過程を惜しまず、省略しない、自分との約束と言い換えることもできる」(『明るい覚悟』あとがき)▼「自分との約束」は落合恵子さんにとってのキイワードのようだ。「さようなら原発1000万人ニュース」最新号(第40号 7月1日発行)に執筆している彼女の記事によると、6月になると、必ず開く本を庭のテーブルに置く。60年安保の国会構内で「圧死」した当時22歳の東大生・樺美智子さんの復刻版『人知れず微笑まん 樺美智子遺稿集』。その中の樺美智子さんが19歳の頃に書いた詩「最後に」を読む。と書いて、落合恵子さんはこう結ぶ。「酷い時代は続く。酷い社会も続く。だからわたしはデモに行く。自身との約束のために」。肺がんの闘病下にあっても、落合恵子さんは自分のルールは外さないという強い決意を示す。病になるとどうしても弱気になりがちだ。そこを乗り越え、前向きな姿勢のままでいく。だれもが彼女のような強い精神を保っていけるかというと、そうもいかないだろうとも。それでもこうした構え方ができる人がいることを知ることは、世の中を生きていく「力」のひとつになるのではないか▼冒頭の『蟹工船』に戻ると、蟹工船「博光丸」の労働者300人が一斉に「ストライキ万歳!」と三度叫んで意気を上げた最初の試みは失敗に終わる。みんなの全員による闘争だということを示す必要があったのだ。『蟹工船』は、彼らがその「力」の使い方に気づいたことを伝えて、こう結ぶ。「『ん!もう一回だ』。そして彼等は、立ち上がった。―――もう1度!」(黒川純)

Photo_20260711000701

«「用心棒日月抄」もいいが、「よろずや平四郎活人剣」も   とにかく面白さ抜群の藤沢周平時代小説

2026年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31