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2010年6月

2010年6月30日 (水)

詩  「原っぱの神さま」 「交換」の原型をうたう

Dscf9770_2 (「砂時計」が詩「原っぱの神さま」を寄せた詩誌『堅香子』第3号ー2008年6月ー.)

 「交換」の根源的なかたちは「キャッチボール」という遊びのうちに生き残っている。ひとりが投げる、ひとりがそれを受け取り、投げ返す。この遊びが「交換」の原型である。(略) あなたなしには、私はこのゲームを続けることができない。キャッチボールをしている二人は際限なく、そのようなメッセージをやりとりしているのである。このとき、ボールとともに行き来しているのは、「I cannot live without you」という言葉なのである。これが根源的な意味での「贈与」であるーーー『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(内田樹・文芸春秋)

  詩 「原っぱの神さま」  

                      黒川純

どすんという快音をつかむ

私と私のあなたのそれを

手のひらの快いしびれと共に

足元にまで伝わる重さと共に

夕方が近い公園の先の原っぱで

私が力を込めてこの球を投げると

すぐにボールが返ってくる

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2010年6月29日 (火)

そうだ!温泉にゆこう  「詩的生活」には(?)市営やしおの湯

Dscf9759_2 (露天風呂が気持が良い日光市営「やしおの湯」=リーフレットから)

 28日は朝から曇りのち小雨、のち晴れ、そして小雨といった荒れた天候。「詩的」に思ったので(?)、「そうだ!温泉にゆこう」。ということで(どうして?)、日光市内の市営「やしおの湯」へ(日光市には市営温泉がいくつもあるが、砂時計は霧降高原から車で10分ほどのやしお湯が身近だ)。「露天風呂で詩づくりのきっかけでも」。そう思わないでもないが、詩はまず、そんなときには浮かばないのが常だ(砂時計の場合はだが~)

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2010年6月28日 (月)

「何もないぜいたく」を 霧降高原の「月夜見照らす」、7月7日7時オープン

Dscf8740(キャンドルだけが灯りの「月夜見照らす」・ツキヨミテラス=日光市霧降高原)

 「詩的生活」を実践するには、幻想的な空間を味わうことだ(別に「詩的生活」でなくとも、いいのですが~)。

 ということで、ブログ「砂時計の夢~」が個人的にも推薦するのが、霧降高原に7月7日午後7時(7・7・7のスリーセブン、これはお友達ブログ「日光を漂ふ」の受け売りです~)にオープンするスペース「月夜見照らす」(ツキヨミテラスと読みます)。芸術的建築家あるいは建築的芸術家と、私が呼んでいる「幾何楽堂」に隣接している(私の寓居から歩いて約7分の町内会的距離にある)。

 めいめいが飲食物を持ち込み(日本酒、焼酎、ビールにウオッカなんでも)、大谷石のキャンドルだけが灯りのウッドデッキで語らったり(語らなかったりでも、かまわないが~)して、シカや野ハトが寄ってくることもは珍しくないテラスで、幻想的な晩を過ごす。

 淡い灯りの下、霧降高原の開放的な空間で、酒を傾け合うのは、確かに「詩的生活」といえる(?)(昨夏、よく顔を出したので.。というか、よく飲んだので~。うそをつくと閻魔ざまに舌を抜かれてしまうので、正直に).

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2010年6月27日 (日)

詩  深い海の底へ 詩集『砂時計主義』(黒川純)から

 

 「詩的生活」にはもちろん、そのものズバリ、詩が必要だ。きょうはブログ名を「砂時計の夢 夢の砂時計」に決めた理由のひとつである私の詩集『砂時計主義』(随想社・2008年5月)から、その一篇を紹介させていただく。学生時代にアルバイトで稼いだ資金で、仲間たちと伊豆七島の小さな旅に出た。そのときの光景がきっかけのひとつになって書いた詩だ。

  深い海の底へ

                黒川純 

海の青と空の青が交差する

南の海のスカイブルーの海流で

マンボーのように漂い歩けば

若い鮎の裸身が蜃気楼に映え

方角がない喫水線で眠りに落ちる 

   

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2010年6月26日 (土)

格好いいリリーの「哲学」  渥美清の遺作「寅次郎紅の花」

 寅   

 男は引け際が、肝心だってことを言ってんの。それが悪いのか

 リリー 

 悪いよ。

  ばかにしか、みえないよ。そんなのは。

 自分じゃ格好いいつもりだろうけど、

  要するに卑怯なのよ。

 意気地がないの、気が小さいの。

  体裁ばかり考えているエゴイストで、

 口ほどにもない臆病者で、つっころばしで、

  グニャチンで、トンチキチの

 オタンコナスだっていうんだよ

 「詩的生活」には映画が欠かせない(要するに映画が好きなだけかも?)。なかでも「男はつらいよ」(渥美清主演)シリーズは手放しで面白い。たまたま、25日夜にリリーを演じる浅丘ルリ子がマドンナの「寅次郎紅の花」(1995年)を見ていた。おいの満男(吉岡秀隆)が思いを寄せていた泉(後藤久美子)の結婚式が始まろうとする岡山県津山市に突然現れる。

  満男は泉と婚約者の男が乗った車に自分の車を突っ込み、後退させてしまう。しきたりを大事にする古い城下町とあって、結婚式は中止になってしまう。失意の満男がたまたま転がり込んだのが、鹿児島県奄美群島加計呂麻島で暮らしていたリリーと寅さん。一部始終を話した満男に寅さんが、伯父の教訓をたれる。その寅の言い方に(珍しく、寅さんが世間を代表するような立場に)反発して、リリーの浅丘ルリ子がタンカを切る。その小気味良いこと。

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2010年6月25日 (金)

「わたしは、月下美人みたい」 「詩的生活」にはユーモア

http://nikkosunadokei.cocolog-nifty.com/blog/cat40302461/index.html (吉永小百合が歌う「勇気あるもの」(1966年 作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正)

 「切れ切れな日常」からーその1-

  「詩的生活」には、ユーモアが必要だ(「詩的生活とユーモアの関係とは?」と、問わないで)。テーマのユーモア、それもほんのりしたユーモアは「砂時計」の周りにも、それなりにあるが(栃木県で最も人気があるブログ・日光「ふぃふぁ山荘」元単身赴任日記は、ほとんどその典型だが~)。最も身近なところで、仲間たちで、年に一度、発行している同人誌「序説」(「砂時計」が事務局)のメニューに、それがある。人気エッセー「切れ切れな日常」(安齋博)が、それ。福島県で自営業を営みながら、身の周りの何気ない出来事を題材に、筆者独特の味付けをしている。連載は5回目(5年目)を数えた。なかでも奥さんの天然派的(?)な発言や鋭い突っ込みに、戸惑ったり、うろたえたり。あるいは、あきらめたり、自問自答したりする筆者の姿が、(毎回じっくり読んでいるが)いつもながらおかしい(ユーモアがある?)。筆者の人生の喜怒哀楽を優しく見つめる精神、世間を斜めに切る見識も、これまた貴重だ。

(1)

 「わたしはね、朝はだめ。昼も仕事をする気力がない。午後には、ちょっと調子がよくなって、夜は又だめ。月下美人みたいなのよね」。奥さんの言葉です。美しい月下美人だと思います。

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2010年6月24日 (木)

天然氷の「かき氷」で涼しく! エルネスト号で「生イチゴミルク」

Dscf9628_2 (日光の天然氷でかいたばかりの美味しい「生いちごゴミルク」のかき氷=24日、エルネスト号で)

 24日の日光霧降高原は、久しぶりに青空が広がる快晴(関東地方はどこでもか~)。この日は注目の参院選公示日だが、「詩的生活」でまずやることは「天然氷のかき氷」を味わうことが一番(?)。井上陽水の「傘がない」ではないが(これも?)、「かき氷さまよろしく」といった感じ。さっそく、かき氷の売り上げで財産を築いているという噂がある(?)有名な移動珈琲店のエルネスト号へ。

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2010年6月23日 (水)

「大切な一冊」の寄贈を 霧降高原「森の図書館」からーその1- 

Dscf9549_2 (豊かな森の中にある元はロッジだった霧降高原「森の図書館」)

 「詩的生活」に必要なのは読書(「砂時計」だけでなく、これは多くの人も)。それにふさわしい空間が霧降高原「森の図書館」。最近は「天然の氷」(日光特産)のかき氷を味わう観光客らの姿が絶えない観光施設「日光霧降高原チロリン村」内の森の中にある。「アースマザーの森」と名付けられ、森の広さは約3万平方㍍(3千平方㍍ではなく、3ヘクタール)もある。Dscf9563_3 (来館者の読書の世界の入り口、「森の図書館」の温かなドア)

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2010年6月22日 (火)

小さな巨人(?)の活躍に期待  霧降高原山荘に「散水栓」が登場

(新調したノズルから水道水が勢いよく噴き出し、寓居のウッドデッキを洗う=22日昼、日光霧降高原)Dscf9524

、 「詩的生活に」に、やはり必要なのが庭の散水栓(ともかく、砂時計はそう思うので)。ウッドデッキを洗い流す必要があり、それが課題だった。先週から頼んでいた設備工事が専門の高村さんが「梅雨が本格化する前に」と、本日・20日に、さっさと工事に入った。午前中で工事が終わり、昼にはごらんの通りに。

 散水栓が取り付けられたことで、霧降高原山荘は少なくとも八つの効用が得られる。

①まず、名古屋のコウチャンが汚してしまうデッキが洗える②洗車ができる③駐車場が洗える④育てている紫陽花やキンモクセイ、ギンモクセイ、ローバイに水をやることができる⑤「山荘菜園」のナス、キュウリ、ピーマン、ニンジンに水をやることができる⑤名古屋コウチャンの飲み水を用意できる⑥盛夏に空気を冷やす水まきができる⑦花火など火の気に対する水がすぐ用意できる⑧バーベキューをやる際の野外台所用水になるーだ。まさに小さな「巨人」(意味が違うかな?)。

Dscf9543 (散水栓に直結したホースとノズル。20mぐらいあるかも)

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2010年6月21日 (月)

同人誌『序説』17号発刊 四半世紀の休刊を経て復刊5号

(1974年の創刊から36年。17号となった同人誌『序説』)Dscf9451_3

  「詩的生活」をするには、やはり同人誌への参加が必要だ(これも、私が唱えているだけかも~)。(いつもの)というわけで、私・砂時計が編集委員会事務局を担当する同人誌『序説』17号(104頁)が発刊したので、PRがてら、紹介させていただく。学生だった当時20代前半の仲間たちで1974年に創刊した(最初の表題は『解体新書序説』だった)。

 1981年まで8年間に12号まで発刊していたが、それから四半世紀は「自然休刊」していた。復刊の13号は2006年。それから毎年発行しつづけ、今回で創刊から36年となる(そんなにも過ぎたとは。数えたのは、この文を書くために振り返ったことで~)。

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2010年6月20日 (日)

広いウッドデッキで紅茶を  霧降高原で美味しい一杯をどうぞ

Dscf9380_6 (手前が新たに加わった12畳のデッキ。奥の方が昨冬完成の15畳のデッキ)

 「詩的生活」」になんといっても、必要なのがウッドデッキ(? これも砂時計が言っているだけですが~)。昨冬の引っ越しまでに15畳のウッドデッキができていたが、場所は玄関前。薪ストーブのある居間からそのまま、庭に出られるデッキが欲しくなり、新春から希望していた。そうこうするうちに(?)、5月20日に新たに12畳が加わった。

 総監督は前回と同じく幾何楽堂。主に「木匠 倫久」さんが連日、ていねいに作業を進めた。出来上がったデッキの広さは計約27畳分。広々としていて、本当に気持が良い。「詩的生活」には、ややゼイタクな気もしないでもないが(あえて、「いいとしよう」とは私・砂時計)。最大の目的は真昼間のデッキで、紅茶(あるいは珈琲)をのんびりと楽しむことだ(訪れる友人たちは、「ぜひビヤガーデンに。生ジョッキ用意したかね」と、好き勝手に~)

(昨冬に出来上がっていた手前の古いデッキ側から見たウッドデッキ全景)Dscf9400_2

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2010年6月19日 (土)

詩  霧降高原の「素敵な周波数へ」

 「何かいいことがありそうだ」。だれもそんなときが、たまにあるでしょう。そのときに思いついたことをヒントにしたのが、この詩「素敵な周波数へ」。日光霧降高原にある、いわば,「詩的生活」「詩的」な空間である幾何楽堂(幾何学ではありません、念のため)で開くさまざまな個展やコンサートなどのイベントを通じて、知り合った人たちの姿から、そう感じたことだった。

 幾何楽堂に集まってくる若者や中高年には(定年世代も?)、タスマニアやインド、キューバ、エチオピアなどアフリカ、米欧など世界各地の旅を体験してきた人も珍しくない(現在進行形もあるか?)。それらの旅の物語は何だか、懐かしい「ラジオ」を聴いているかのようだ。初出は詩誌『堅香子・第4号』(08年12月 事務局・岩手県滝沢村 今回同題改稿)。

 素敵な周波数へ

              黒川  純

それを聞いているうちに

この先のいつかどこかに

何かいいことがありそうだ、

うしれいそんな予感が届くので

だんだんに魅せられていく

とても素敵なラジオがある

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2010年6月18日 (金)

緑のシャワーですっきり 霧降高原はグリーンな世界

  日光の霧降高原は咲き乱れていたツツジが散り、今は緑でいっぱいの季節を迎えた。つい半月前までは、寓居のそばではヤマザクラの白い花と深紅のツツジが競うように咲き誇っていた。

 それはそれは見事。まるで風景画を見るよう。それもいいが、緑色だけの世界もまたなかかなかだ。緑系の砂利を敷いた庭先を出ると、すぐにこんな「詩的定年」の光景が広がる。Dscf9329_2

Dscf9322_2

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2010年6月17日 (木)

「詩的定年」は忙しい(?) お友達ブログ内の「時間配分」談議

637_2(「砂時計」の寓居で活躍している薪ストーブ)

 たまたまだが、「お友達」ブログの「日光の親爺の徒然」が6月16日に「つぶやき」を主題に「気づき 足りないもの」として、以下のようにつぶやいた。

 「仕事 ブログ ワールドカップ おまけにツイッターを使いこなしている方まで。時間だけは、人間皆平等 みんな、時間の配分をどんな風にしているのだろう?」

 時間の使い方は「詩的定年」にとって課題なので、さっそく、コメントを投稿。そのうちに「砂時計」はどんな状況にあるのか、「キイワード」で振り返るようなことに。それなら、「砂時計」にコメントのやりとりの流れをそのまま再現してみると、いいのではないかと。ということで(どうして、「ということで」だか、読者は問わないでください 笑い)。以下は16日から17日にかけて、「日光の親爺の徒然」ブログのコメント欄でやりとりされた「つぶやき」」だ。 

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2010年6月16日 (水)

「詩的定年」にはジャズ 霧降高原に「ニューヨークの風」

http://ernest.petit.cc/Dscf93191

「詩的生活」に欠かせないのが、音楽、それもジャズ(私がそう言っているだけでもあるが~)。ということで、地元・霧降高原の私が建築的芸術家、いや芸術的建築家と呼んでいる幾何楽堂で13日夜あった「三上クニトリオコンサート」に出掛けた。

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2010年6月15日 (火)

60年安保・「恋と革命」に散った歌人・岸上大作を偲ぶ

Dscf9300_2   (「意志表示」などの歌を収めた『岸上大作歌集』・現代歌人文庫)

 

 1960(昭和35)年6月15日。半世紀前のきょうは忘れられない日だ。朝日新聞(15日付)の1面コラム・「天声人語」が過不足なく、伝えていたが、50年前のこの日、日米安保条約改定に反対する学生らのデモが国会に突入し、22歳の東大生・樺美智子さんが犠牲になった。マスコミ紙上では樺さんの死を象徴に、いわゆる「60年安保」が語られているが、「70年安保」世代の私としては、樺さんの死から半年後の12月5日に21歳で「恋と革命」に散った国学院大生の歌人・岸上大作についても伝えたいと思う。

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2010年6月14日 (月)

詩論  流れ着いた海岸の向こうへー清水昶小論ー(その2)

  053_2     (村上一郎の詩人論・「清水昶論」も収められている『新選・清水昶詩集』・1980年・思潮社)

 その後、自ら命を絶った評論家・村上一郎も「清水昶論」(『新選・清水昶詩集』・1980年・思潮社)で、この詩「夏のほとりで」について、こんな書き方をしていた。

 「夏のほとりで」のこの冒頭が私の心を搏ったのは、、あたかもわたしが『北一輝論』という本をまとめようとしていた頃であった。わたしはこの詩の二連ばかりを、その本のなかに引用させてもらった。むろん、「夏のほとりで」が、その成る過程で、北一輝や二・二六事件にえにしをもっているなんぞとは思えなかったし、戦後に育った作者・清水昶が、そんな人物や事物に関心をもっているかどうかは、まるで判らなかった。にもかかわらず、わたしには「夏のほとりで」がもっている喩的なリズムが、国家とか社会機構とか権力構造とか、わたしらの存在それ自体にしつような狂気を強いてくるものの現象に向かってではなく、その淵源に向かって、敢えて空の空を撃つ覚悟でくきやかな(はっきりとした)対位を志しているように思えたのであった」

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2010年6月13日 (日)

さらわれたか、かわいそうな名古屋コウチャン

         (2羽になってしまった名古屋のコウチャン=11日)908

856      (仲良く食事していた3羽の名古屋のコウチャン=10日)

 「詩的生活」にぜひ必要なのが、ニワトリの飼育(「砂時計」が勝手に思っているだけかも~)なのだが、その家族ともいうべき我が家のひとり、いや1羽が何者かにさらわれる事件が起きた(事件は我が家にも起きるのですね)。ただちに捜索しているところだが、かなり絶望的だ。これで3羽が2羽に。警戒をしていたつもりだが、残念に尽きます。

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2010年6月12日 (土)

詩論  流れ着いた海岸の向こうへー清水昶小論ー(その1)

Dscf9254

  (詩集「朝の道」や「少年」などを収めた清水昶詩集・思潮社)

明けるのか明けぬのか

この暗闇に

だれがいったいわたしを起こした

やさしくうねる髪を夢に垂らし

ひきしまる肢体まぶしく

胎児より無心に眠っている恋人よ

ここは暗い母胎なのかも知れぬ

そんななつかしい街の腹部で

どれほど刻がたったのか

だれかがわたしを揺すり

たち去っていく跫音を聞いたが

それは

耳鳴りとなってはるかな

滝のように流れた歳月であったかも知れぬ

だれがいったいわたしを起こした

土地から生えた部族たちが旗をおしたて

村をめぐった豊年祈願の祝祭

祭りの中心で旗を支えわたしは

凶作の林道をぎらぎらめぐり

飢えの中心で旗を支えた少年の

麦のような手のそよぎであったのか

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2010年6月11日 (金)

「毎日が日曜日」はもう少し先

 会員の仲間より一足早く定年を迎えた。

 この2月22日のことだ。3年に1回の転勤で全国各地を異動してきて、最後の勤務地・日光の霧降高原が気に入った。そこで昨秋に中古別荘を買い取り、そのまま移り住むことにした。ほとんど衝動買いに近い住宅購入だったせいもあるのか、昨秋から「序説」発行作業が始まったこの春まで約半年間の忙しかったことか。

909                      

(「真面目」なウッドデッキが完成したばかりの霧降高原の寓居)

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2010年6月10日 (木)

詩  寓居

 

明日の天気はどうであっても

風向きは北北東だ

そうわかっていたので

海図は一枚もなかったが

遠くまで行く覚悟はあった

大和魂をピンセットでつまみ

大河の源流に辿り着こうと

少年時代に覚えた抜き手で

悪臭を放つ小川から小川へ

偶然を重ねて漂いながら

泥水をかき分けたつもりだ

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2010年6月 9日 (水)

詩 薪の幸福量

火の力が臨界点に達し

青白い光を四方八方に散らせ

銀色の世界を真夏日に変える

その真黒い薪ストーブの

赤々とした青い炎の向こうに

私は音もなく瞬間移動し

五百度の灼熱世界に

じっと耳を澄ます

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2010年6月 8日 (火)

詩  傷病兵の森

押し合いへしあいの号砲で

視えない痛みに倒れた傷病兵たちよ

台所仕事もろくにできずに

時候の挨拶だけはいっぱしの

野戦病院を探すくらいなら

深い霧の路を辿りながら

霧降高原を訪れてみることだ

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