60年安保・「恋と革命」に散った歌人・岸上大作を偲ぶ
(「意志表示」などの歌を収めた『岸上大作歌集』・現代歌人文庫)
1960(昭和35)年6月15日。半世紀前のきょうは忘れられない日だ。朝日新聞(15日付)の1面コラム・「天声人語」が過不足なく、伝えていたが、50年前のこの日、日米安保条約改定に反対する学生らのデモが国会に突入し、22歳の東大生・樺美智子さんが犠牲になった。マスコミ紙上では樺さんの死を象徴に、いわゆる「60年安保」が語られているが、「70年安保」世代の私としては、樺さんの死から半年後の12月5日に21歳で「恋と革命」に散った国学院大生の歌人・岸上大作についても伝えたいと思う。
岸上大作はプロバリン自殺をする直前まで7時間にわたって書きつつ続けた遺稿「ぼくのためのノート」(200字詰め原稿用紙54枚)の中で、こう記している。
「安保闘争に参加し、歌を書き、レーニンを読んだ。ぼくは恋と革命のために生きるんだ、とおもった。すべてが、ひとりの女へのシュプレヒコールにすぎなかった。そのシュプレヒコールが冷たく拒否されたのは、シュプレヒコールそのものが出発からまちがっていたのだ。それではとり下げて、新たに出発せよというのは誰れだ。そのシュプレヒコールはぼくの21年の生涯の結晶だったのだぞ。それをおめおめと引きさげてすむというのか」
遺稿の結びに岸上大作は「これは、一人の男の失恋自殺です。それ以外の何者でもない」と強調しているが、安保闘争の敗北の中の死であることは間違いない。よく知られる歌は以下などだ。
「意志表示」(1960年4月~1960年10月)
意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている
戦いて父が逝きたる日の祈りジグザグにあるを激しくさせる
以上は世間にかなり知られてきた歌だが、岸上大作を偲び、改めて手元の『岸上大作歌集』(国文社)をひもといてみたら、もっと胸にせまるいい歌があった。いずれも樺美智子さんの死に絡んだ歌だ。以前にもっと丁寧に岸上大作の歌を詠むべきだったと、今になって反省することしきりだ。これらの歌の方が岸上大作らしいこまやかな心情、死者を思いやる気持、そして安保闘争に敗れた悔いや死者に対する呵責の念、それらが重層的に込められた歌ではないか。長い喪の列に硬い表情で立ちつくす彼が眼に浮かぶようだ。それから半世紀、「沖縄」はまだ「差別」の中にある。
以下は岸上大作の「しゅったつ」から。これを記し、今夜は霧降高原の寓居で彼を偲びながら、熱燗をやろう。
遺影への礼なれば問え犠牲死と言いうるほどに果たしたる何
微笑みには微笑みかえさん許されてもし呵責なき位置をたもたば
喪の花はわたくしにのみ自己主張してきびしきになに捧げうる
美化されて長き喪の列に訣別のうたひとりしてきかねばならぬ
そのものの宿命のごとくする偽瞞にすりかえられて涙さそう死
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コメント
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私は六十年安保当時久我山三丁目秦方に下宿していました。岸上は四丁目秦方に下宿です。自殺して一月くらい経ち失恋して自殺した奴が居ると噂が少し流れただけです。私も毎日一人でデモに参加していたので卒業後歌集買い写真見て見た事ある奴と思いました。歌仲間などはよく噂していたかも知れませんが、私は毎日渋食の前のパチンコ屋の二階の雀荘に出席していたので岸上ま事はこれだけです。70期生より
投稿: 動機さん | 2013年4月13日 (土) 13時34分
動機さんへ
そうでしたか、岸上大作と同じ時代を生きたのですねー。私は吉本隆明を読んで
いる途中で知った歌人です。その彼と同じ久我山で生活していたとは。今や歴史上の人物ですが、60年安保も70安保も、今の脱原発の動きにつながる「今」だと思っています。
コメント、ありがとうございましたー。
投稿: 砂時計 | 2013年4月13日 (土) 18時39分