詩 寓居
明日の天気はどうであっても
風向きは北北東だ
そうわかっていたので
海図は一枚もなかったが
遠くまで行く覚悟はあった
大和魂をピンセットでつまみ
大河の源流に辿り着こうと
少年時代に覚えた抜き手で
悪臭を放つ小川から小川へ
偶然を重ねて漂いながら
泥水をかき分けたつもりだ
まずは特高警察を一網打尽に
その投網をうってやろうと
私一人だけのジャズ喫茶で
とがった喉にタオルを巻いたとき
風景が食卓に並び始めた
うぬぼれた泥沼にも嫌気がさしたので
真っ白いワイシャツに着替え
高層ビルの自動ドアをちょうだいし
顔役たちをノートに記録した
もともとレタスのアパートから
にこやかさが痛い古里に
一度は別れを告げていた
行き先は首都だけだった
山手線の倉庫の3畳から
銭湯が近いアパートの8畳へ
2LDKからピアノが奏でる社宅へ
自慢の髭が得意な男爵の
冷笑に刺されもしたが
それほど苦にせず
幼い娘を背負って森林に分け入った
明日の風は明日しか吹かない
そうとも覚悟していたからだ
ただ
私のものはあくまで私のものだと
卑弥呼の時代からそんな権利がある
そう固く信じて疑わない
所有権の言い分になじまず
仲介料ももったいないと
寓居でも暮らそうなんて
これっぽっちもなかった
けれど
温かい風と温かい家は大切だ
そんな詩句が潮騒のように聞こえ
その日暮らしの紋次郎の
道すじをたどろうとしたが
風雨はしのがねばならぬ
ある日、そう思えたので
歴史年表の友とも旨い酒が飲める
森の中の土地を探しにでかけた
木枯らしの旅が長かったが
ゆっくり着地することを決めた
熊笹が生い茂る小さな家だが
風向きだけは知っておかねばと
月夜見のベランダを継ぎ足し
霧降高原に寓居をつくった
ただ
いまだに表札がない
(初出・詩誌『堅香子6号』「寓居」改稿・09年12月)
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