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2010年7月

2010年7月31日 (土)

霧降高原の「ツリーハウス」完成へ 少年少女たちが家づくりに快い汗

Dscf1073 (ほぼ完成にちかづいた霧降高原の「ツリーハウス」=30日)

 日光霧降高原のチロリン村内の森の中の栗の大木を活かした「ツリーハウス」づくり、は、30日の段階で、ほぼ完成に近づいた。空中デッキに室内外の白い塗り壁、草を乗せた屋根づくりなどまで進んだ。少女たちが夜近くまでネアリカの作業を続けたドアはすでに完成済みだという。あとは漆喰などに手を入れ、ドアと窓と縄ばしごなどを(バリアフリーはしご、ハンモック、ベンチもありか?)取り付ける作業が残っているだけだ。

 「日光森と水の会」と鹿沼市の福祉施設「ネバーランド」の提携プロジェクト(「NPO法人アースマザー支援)で、夏休みの少年少女たちに森の中で、思いっきり、野外活動を楽しんでもらおうという取り組み。デッキのくぎ打ち、屋根材の丸太運び、ドアづくり、内壁・外壁の漆喰塗り・・・。「こんなに集中してやる姿は見たことがない」。小学生から高校生まで総勢31人の少年少女たちの仕事ぶりについて、「先生」たちは異口同音に感心することしきり。

 仕事の合間には霧降高原隠れ三滝めぐりをしながらのごみ拾い、フルーツカービングの体験実習をやり、狩猟家(?)の「講話」を聞き、森の中を歩いた。日光の天然氷のかき氷を味わい、外国人観光客らも交えた夕食会も楽しんだ。霧降高原「森の図書館」で寝泊りもした。(「砂時計」も少年時代にこんな「科目」を体験したかったと思うほど~)。特筆すべきは東京や鹿沼、日光など県内外、さらに外国人観光客ら、さまざなボランティアが駆け付けたことだ。

 「英国ではみんな忙しくて、子供たちを交えたツリーハウスづくりに、こんなにも大人たちが参加するということはまず考えられない」。プロジェクト初日の25日、東武日光駅前のゲストハウス「巣み家」に案内されて、くぎ打ちなどに参加したイギリスの小学校教師が、こんなことを話してくれた(25日は少年6人に大人が約15人も)。ギャラリー(「砂時計」もそれに近いが~)も含めて、大人たち自身も楽しんだ(喜んだ?、味わった?、群れた?、遊んだ?、戯れた?)「ツリーハウス」づくりだったと思う。以下はその作業工程・風景についてアップ。

Dscf0844 (25日では、まだようやくデッキを張り始めた段階だった=霧降高原)

Dscf0851 (金づちでデッキにくぎを打つ「ネバーランド」の少年たち=25日、霧降高原)

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2010年7月30日 (金)

「仕事はしたくないけど、お金は欲しい」  「切れ切れな日常」からーその4-

Dscf1024_4「仕事はしたくないけど、お金は欲しい」などのユーモアエッセー「切れ切れな日常」などを掲載している『序説14号』)

 夏本番、真っ最中だが、きょう29日の日光霧降高原は朝から終日、雨が降り続いている。シトシト・・・、シトシト・・・(我が家の名古屋のコウチャンたちも、表に出しても、すぐに自分からニワトリ小屋に戻ってしまうほど)。こんな感じで、どうもいまいち、意気があがらない。なんとなくユーモアが欲しくなった(みなさんも、そんなときって、あるでしょう~)。ということで(?)、しばらくアップしていなかったユーモアエッセー「切れ切れな日常」(安齋博)をとりあげたい。

 今回は(「砂時計」が事務局をつとめる)同人誌『序説』の第14号(2007年6月)から。藤沢周平の映画「たそがれ清兵衛」での宮沢りえの熱演ぶりを、さまざまな思いで受け止めたことなど、かなり真面目なエッセイもある。だが、きょうは、雨が降り続いているので、超論理矛盾系の(?)、我が道をゆく(?)、世界は私のためにある系(?)の素敵な奥さまと筆者・安齋君の非日常的日常の「普通の生活」ぶり(?)を。

(1)

  奥さんの最近の名言。

「仕事はしたくないけど、お金は欲しい」

  正しい。

(2)

 奥さんは、テレビで、相当集中して宮様の結婚式を見ていたらしいのです。

「お~い、Kさんから電話ですよ」

「存じ上げております」

 いい加減にしてください。頭の中が、すっかり宮様になっています。

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2010年7月29日 (木)

お見事、フルーツ・カービング  霧降高原でタイ王国の伝統芸

   Dscf0936_4 (スイカを材料にしたフルーツ・カービング。作品名は「スイカの花」。すぐに実習参加者が味わうことになったが~=霧降高原「森の図書館」)

 いや~、こんな彫り物もあるのか!。と驚いたのが、フルーツ・カービング。「砂時計」の浅学非才さを思い知らされた(知らないのは「砂時計」だけなのかも~)。日光霧降高原の「森の図書館」を拠点にチロリン村内の森で、少年少女たちが、「ツリーハウス」づくりなどの野外体験をしている。その体験実習のひとつとして、今週、この「科目」が登場(?)。そこでの制作を見聞きしてのことだ。

 講師は宇都宮市大谷町、タイ料理を中心した東南アジア料理店「象の家」を経営している斎藤秀夫さん、裕子さん(お店のあれこれは栃木を楽しむ!!が詳しい)。斎藤さんによると、スイカでも、ニンジンでも、リンゴ、ダイコンなど、身近な果物や野菜が材料。料理に添えたり、食卓を華やかに飾ったりする彫り物だ(今度、「象の家」に行ってみよっと~)。

 もともとタイ王国に伝わってきた伝統芸で、王国のタイ宮廷料理には欠かせなかったという。と、まぁ、斎藤さんがフルーツ・カービングのナイフでスイスイ彫りながら、解説。そうこうするうちに、あっという間に赤い色を生かした「スイカの花」になっていく。

 タイに渡り、フルーツ・カービングを見聞きしたり、書籍を購入したり。「石鹸なども彫る材料に」と、説明してくれた裕子さんによると、ほとんど独学だというから、それもすごい(チェーンソウ・カービングは知っていたが、こんな伝統芸もあるんですね)。ということで、以下は制作工程を。Dscf09241 (フルーツ・カービングの最初の場面。ふだん使っているフルーツ・カービングナイフは5種類ほどという)

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2010年7月28日 (水)

「宇宙」が庭先に広がる朝  詩 「ていねいな葉っぱ」

Dscf0993_2 (日光霧降高原の寓居の庭先で太陽をいっぱいに浴びる葉っぱたち=27日)

 日光霧降高原では、長い冬から春を迎えようとするとき、一日一日、木々がまばゆい緑に色づく。ほんの小さな芽のようなものが、次第に背伸びするかのようにして、葉っぱの姿になっていく。その「観察日誌」(?)を、詩にしてみた。

 葉っぱが少しずつ開いていく様子を「観察日誌」にまとめる作業は(?)、とにかく、ひま人、遊び人、夏休みの宿題に取り組む小学生「詩人」でないと、できない。詩誌「ベン・ベ・ロコ」(岩手弁で「ネコヤナギ」のこと 岩手県北上市)の次回159号(8月下旬発行)に寄せたばかりだ。

詩 ていねいな葉っぱ

              黒川 純(「砂時計」)

一日一日とふくらんでいく

ほんの少しずつ少しずつ

スローモーションのように

ミクロの世界が展開されるように

  (電子顕微鏡で聴くかのように)

ある朝

初めて見ることになった

身体全体を薄緑色に染め

一枚の葉っぱになる姿を

    (赤ん坊が自力で世に出るように)  

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2010年7月27日 (火)

清楚な美人に会いにゆこう(2)  小杉日光美術館で「高畠華宵の大正イマジュリィ」

Dscf0960 (「浅き春」 昭和10年前後。図録から。全体の人物を拡大した。戦前の美人画だが、現代でも通じるものが。ただ、かすかに池上遼一的な美人といった感があるにはある)

 「高畠華宵の大正イマジュリィ」の2回目は初回で紹介できなかった印象的な美人画を。今回はさらに高いファッション性についても、確認したい(「砂時計」もアップしながら)。

 ただ、どうしても大正ロマンでいえば、夢二と華宵との違いを少しでも考えてみたい欲求にかられる(まぁ、そんなことを思うにも、「砂時計」がヒマ人だからかも~)。図録「高畠華宵大正ロマン館」でも、やはり、その辺を承知しており、そのものズバリ、「高畠華宵と竹久夢二」(小倉忠夫)と題したエッセイがある。以下はそのエッセイから。少しはその違いの雰囲気がわかるかも(でも、ようするに作品を楽しめばよいのだ!~赤塚不二夫風に~)

「二人の資質を比較するために、割り切って言えば、夢二が浪漫主義とアール・ヌーヴォーの側にあるとすれば、華宵はこれらの要素を持ちながらも、むしろ、理想主義とアール・デコの側に比重がある、と私には思われる。夢二は大正ロマンの時代と運命を共にしたかのように、昭和初めに画業にも人生にも終止符を打ってしまう。そして、華宵は大正時代はもちろんのこと、次の昭和時代をも、より盛んに活躍を展開していく」Dscf0703 (この作品は洋装だが、着物姿で弾く若い女性を墨と鉛筆でデッサンした「バイオリン」・昭和初期も。会場で)

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2010年7月26日 (月)

アラセブ(70歳)初当選  花巻市議選で高齢者の星に

Dscf0904

アラセブ(70歳)増子義久さん 岩手県花巻市議選に初当選

 岩手県花巻市議選(定数34)の投開票が25日あり、「アラセブ」(70歳)最期の決断!として、初めて立候補した元朝日新聞記者、増子義久さんが無所属で初出馬、初当選を果たした。「砂時計」としては、花巻市民から高齢者の「星」として期待されたわけで、大いに喜びたい。

 「無投票選挙を許すことは、民主主義の根幹を否定することにつながる」。新聞も定数割れの可能性を報じている状況に立ち上がった。朝日新聞記者35年のキャリアがあるが、定年退職で生まれ故郷の宮澤賢治の古里・花巻に戻ったのは10年前。

 花巻では知的障害者施設の施設長として活躍してきたが、なにせ、地元に帰ってからまだ10年(もう10年も、とも思うが、市町村議選は、どこでもまず地縁血縁がものをいう)。立候補表明も告示直前だ。当初は「泡沫候補の一人」(本人の弁)だった。しかし、増子さんによると、選挙戦に入ると、がぜん、地元高校の同窓生や福祉施設関係者などの熱い支援を感じられるようになった。結果は1119票を獲得。第30位で議席を得た。

 朝日新聞岩手版によると、立候補していたのは、現職27人、前職2人、新顔8人の計37人。地域政党いわてが初めて市町村議選に2人の候補者を出した。ほかに、社民3人、共産2人、公明1人。

 花巻市選管によると、当日有権者は8万4272人(前回8万5646人)。落選者は、いずれも無所属新顔の3人。地域政党いわて,が市町村議選で当選者を出したのは今回が初めて。それも一気に複数の当選者を出したことになる(県議選ではつい最近の県議補選盛岡選挙区で一人を立て、当選している)。

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2010年7月25日 (日)

清楚な美人に会いにゆこう(1) 小杉日光美術館で「高畠華宵の大正イマジュリィ」

 夢二か華宵か。描いた独特な美少女や美少年の絵は一世を風靡したという。そんな高畠華宵(たかばたけ・かしょう)の作品を集めた企画展が24日から、日光市の小杉放菴記念日光美術館で始まった、大正ロマンといえば、すぐに竹久夢二となるが、いや、華宵(1888~1966)もたいしたものだ。浅学非才でこれまで華宵を知らなかったことで、おどろきも倍加したかもしれない。(企画展は9月12日まで。会期中無休)

 夢二の美人画は、けだるさ、はかなさが漂う。、落ちていく風情(?)、崩れていく後ろ姿(?)、退廃美(?)とでもいおうか。対して、華宵のそれは清楚な美人、あるいは清潔な、知的な、霧降高原が似会う(?)、シャンプーの香りの(?)美人とでもいったらいいのか。「美人画」といっても、これほど違いある(でも、どちらも「詩的」だ)。それだけに、予想以上に見ごたえがあった(ブロガーの「砂時計」をコメント付きで案内してくれた田中正史・同館学芸課長さん、お世話さまでした)

 今回は高畠華宵大正ロマン館から一括して借りた挿絵や日本画の作品、百数十点を展示したという。美少年もすごいが(これは~、う~む、「砂時計」の・・・関心外です)、やはり美少女というか、美人画に魅せられる(華宵が活躍した時代に、こんな美人画のモデルがいたのかと、疑問に思うほどだ。田中学芸課長は「いたはず」というのだが~)。企画展の正式の名称は「挿絵≒日本画 高畠華宵の大正イマジュリィ」。

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2010年7月24日 (土)

ヒャ~涼しい!霧降高原「マックラ滝」  大雨で流された木橋を再架橋 

Dscf0622_4 (ヒャー!とする涼しさが味わえる霧降隠れ三滝のひとつ、「マックラ滝」=22日、日光霧降高原)

 夏だ!それも大暑。当然、海だ!山だ!ということになるが、涼しさを求めるなら、日光霧降高原の滝めぐりがピッタリかもしれない。霧降高原「森の図書館」に用事があったのと、天然かき氷が味わいたかったので、22日は霧降高原チロリン村へ。

 チロリン村の村長さんと話していると、霧降隠れ三滝のひとつ、「マックラ滝」に向かう霧降川に架かる木橋が以前の大雨で流された、きょうはその木橋を新たに架けるところだという。ということで、村長さんのトラックに同乗。本来の滝めぐりハイキングではなかったが、思わず、マックラ滝の快い涼しさを味わう機会に恵まれた。

Dscf0588 (大雨で流された霧降川に掛ける木橋の架橋。まず川の真ん中にある大岩を利用して半分に掛けているところ=22日、霧降高原)

 「砂時計」はこの日、初めて「マックラ滝」にお目にかかることができた。日光には、もう3年暮らしているのだが、なぜか、霧降隠れ三滝には縁がなかった。滝めぐりの詳しい案内人なら、「滝の道」、あるいは隠れ三滝ハイキング(ふぃふぁ山荘)、日光を漂ふ、などがある。

 「砂時計」が思っていた以上に「マックラ滝」はよかった。ハイカーも滝を目の前に思わず「これはすごい、隠れ三滝ではないのではないか」と口にしていたほどだ。今度は「玉簾の滝」「丁字の滝」と合わせた三つの滝をめぐるハイキングにでかけようっと~。

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2010年7月23日 (金)

「森の図書館」、25日から1週間休館 森の中の「ツリーハウス」づくりで

Dscf955825日から31日まで1週間、臨時休館する霧降高原「森の図書館」=日光市霧降高原)

 日光霧降高原「森の図書館」(霧降高原、チロリン村内)は25日(日)から31日(土)まで1週間、臨時休館する。 霧降高原「森の図書館」からーその4ー

 鹿沼市の児童養護施設「ネバーランド」の子供たちが、25日から31日まで、「森の図書館」奥の森の中に空中に浮かぶ簡易型の家・「ツリーハウス」づくりの野外体験をする。この期間中、「森の図書館」は、ネバーランドの子供たちや先生たちが寝泊まりしたり、休憩したりする拠点になる。このため、「森の図書館」が再び開館するのは8月1日からになる。

 「ツリーハウス」づくりは「ネバーランド」と地元の「日光森と水の会」や「NPO法人アースマザー」(事務局・東京)との「協働事業」。基本は家づくりのプロである木匠たちが進め、それにグループごとに森を訪ねてくる子供たちが参加する。現場ではすでに基礎づくりが始まっている。炎天下の森の中でノミやノコギリ、キヅチをふるっているところだ。 Dscf0633ツリーハウスづくりの基礎作業が始まった「森の図書館」奥の大きなクリの木=22日、霧降高原)

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2010年7月22日 (木)

「風の又三郎」や「猿丸」の寄贈も 霧降高原「森の図書館」からーその3-

Dscf0492 (霧降高原「森の図書館」が寄贈を受けた『風の又三郎』と『猿丸の弓のはなし~日光戦場ヶ原の伝説~』)

 霧降高原「森の図書館」に「大切な一冊」の寄贈が相次いでいることはつい先日、お知らせしたばかりだが、さらに郵送も含めて寄贈が続いたので、これもお伝えしたい。

 ひとつは宮澤賢治原作で名高い童話『風の又三郎』(1984年7月第5版、朝日ソノラマ)。コミック『アタゴオル物語』などで知られ、宮澤賢治イーハトーブ賞を受賞しているコミック作家・ますむらひろしさんがますむら版・風の又三郎に仕上げた本だ。

 もうひとつは絵本『猿丸の弓のはなし~日光戦場ヶ原の伝説~』(画・苅田規恵、文・小島喜美男 2008年、日光二荒山神社中宮祠、日光青年会議所35周年実行委員会、日光ユネスコ協会)。

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2010年7月21日 (水)

花のように鳥のように 阿久悠小論ーその3-

Dscf0480 (編集後記に「歌はときに時代に先んじ、時代の根源につくものだということが、氏の作品に触れると諒解される」などと書かれている追悼アンソロジー 『阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史』・2007年12月・柏書房)

新聞各紙が紹介した阿久悠の代表曲は1970年代が中心だ。だが、私は「白いサンゴ礁」は別にして、むしろ90年代に入ってから、さらに2000年代の詩に魅せられている。「花束(ブーケ」(90年、八代亜紀)、「花のように 鳥のように」(94年、桂銀淑) 「花になれーうめさくらあやめあじさいひがんばな「(2004年、田川寿美)などが典型だ。

 「花束」「花のように~」の2曲は日本レコード大賞作詞賞に選ばれているのだが、それを知ったのも阿久悠が亡くなってから。阿久悠の追悼アンソロジーとなってしまった『阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史』をひもといてからだ。阿久悠の作品では新しい方だが、それでも6年~20年も過ぎている。 

 スナックでお客が歌うのを聞いていて、「なにか気持が動かされるいい詩だな」。そう思ってはいた。それが、高く評価されていたことがこの本でわかった。「やはり、発売当時も評価されていたのか。いい詩はいい詩なのだな」。そんな思いを抱いたことだった。そのひとつ。

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2010年7月20日 (火)

詩 「生き延びる日課」 詩集『怒りの苦さまた青さ』からーその1-

Dscf0473(「砂時計」・黒川純の第1詩集『怒りの苦さまた青さ  詩論「反戦詩とその世界」』・2004年9月・随想舎新書)

 詩 生き延びる日課

喉はもうからからなのだが

スコールはまだやってこない

もうどのくらい時が過ぎるのか

数えることもできないくらいだ

欲しいときはそこに向かう

岩山の絶壁を登って下りて

ワニが目を光らす川の向こう

岩陰のその先に水がある

喉が渇き切っているから

スコールがなかなか来ないから

仲間たちでそこまで向かう

それが俺たちの日課になる 

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2010年7月19日 (月)

「大切な一冊」の寄贈が最近、次々と  霧降高原「森の図書館」からーその2-

Dscf0303 (霧降高原「森の図書館」に最近、寄贈されたばかりの「あなたに読ませたい大切な一冊」たち)

 ようやく梅雨明け宣言が出され、全国的に夏本番。日光霧降高原の観光施設、チロリン村で日光の天然氷でつくったかき氷を味わうのもいい。さらにチロリン村の森の中にある霧降高原「森の図書館」の緑陰で本をまくらに昼寝をするのもいい、読むのもよい。<あなたに読ませたい大切な一冊>。数は少ないが、そんな思いで寄贈された本(詩集、小説、絵本、童話、エッセイなどなど)が待っている。最近も「砂時計」(霧降高原「森の図書館」館長)の日光の友人たちから、そんな寄贈本が相次いでいる。

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2010年7月18日 (日)

「すくすくと」成長し、丸3ケ月 名古屋コーチンのコウチャン・タカチャン

Dscf0462 (寓居のウッドデッキを飛び回る名古屋コウチャンとタカチャン=17日、日光霧降高原)

 一羽が何者かに連れ去られ、一羽が野良猫に連れ去られそうになった我が家のコウチャンとタカチャン(いずれも名古屋コーチン)。18日で元気に生後丸3カ月を迎える。誕生日は今年4月19日。4、5、6月、さらに7月も中旬になった。美味しいタマゴを生んでくれるのは生後約160日というから、あと約70日。その初秋まで元気でいてくれるか。

 「砂時計」は「美味しそうですね」とか、「立派な太ももですね」とかいう、下心がみえみえの心ないブロガー(例えば、「ふぃふぁ山荘」みたいな~)の欲望をはねのけ、敢然と(?)育てていく決意です(保護者の責任というか、義務というか~、まぁ、新鮮なタマゴを食べたいという「砂時計」の欲望なのですが~)。Dscf0142 (クマザサが生い茂る寓居の庭先を動き回るコウチャン・タカチャン=16日、日光霧降高原)

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2010年7月17日 (土)

それもこれもお天道様のおぼしめし  詩「ゴーシュの毎日」

Dscf0426_3  (「砂時計」・黒川純の第2詩集『砂時計主義』・2008年5月・随想舎)

 なにか忘れているなぁ~と思っていたら、日光霧降高原で暮らす「砂時計」・黒川純の詩集そのものを、せっかくのブログなのに、写真入りで紹介(売り込み?、押しつけ?、販路拡大? 笑い)していなかった。ということで、今回はブログ名を「砂時計~」としたきっかけ、詩集『砂時計主義』(第42回小熊秀雄賞最終選考作品 本体1500円)から詩を。19篇を集めた詩集のうち、今回は(?)、自分でも好きな「ゴーシュの毎日」をアップしたい。

ゴーシュの毎日

それやこれやあれらの問いに

夜なべ仕事があったとしても

いやおうなしに関わるのも人生だ。

今ある課題に答えを出すこと

そこで求められていることに

いかに応ずるかが大事だ。

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2010年7月16日 (金)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその2-

Dscf0404 (「歌謡曲のない時代は不幸な時代である。歌謡曲よ目を覚ませ、餌を食え」とアピールした阿久悠の『歌謡曲の時代』(2004年9月、新潮社)

 阿久悠があの世に旅立ったのは07年8月1日。もうすぐ丸3年になる。死因は尿管ガン。70歳だった。悲報を新聞で知った朝、「えっ!」と驚いたことを、よく覚えている。その死がいかに出来事だったか。朝日新聞「天声人語」、読売新聞「編集手帳」、毎日新聞「余録」と、3社が一斉にコラムで惜しんだことからも、わかる。

 朝日新聞は「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)といった日本レコード大賞受賞曲など、生涯に作詞した歌詞は5千曲に及ぶと、紹介していた。大みそかのNHK紅白歌合戦も阿久悠の作詞した曲で締めくくられた。「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」(和田アキ子)、「契り」(五木ひろし)、「北の蛍」(森進一)の4曲だ。

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2010年7月15日 (木)

花のように鳥のように 阿久悠小論ーその1-

(ズーニーブーの「白いサンゴ礁」。これも阿久悠の作詞だ)

 伊豆半島のすぐ沖に浮かぶ小さな島、初島。熱海港から客船で約25分で着く。周囲約4㌔。伊豆半島からも初島港やリゾートホテルがわかる。青空が広がる初夏の海岸線を走るマイカーから、何度もその初島を眺めた。そのとき感じた海原のすがすがしさ。心が広がるといったらいいのか。そんな情景も含めて歌った校歌がある。「初島小学校・中学校校歌」だ。これも阿久悠が作詞した。

初島小学校・中学校校歌

空にも道がある

海にも道がある

流れる風にも 道がある

歩けよ たずねよ 自然の子らよ

太陽と語れよおおらかに

君らにはあり余る光があり

君らにはあり余る愛がある

視界は はるか 三百六十度

地球の丸さを知る子供たち

初島 初島 ああ初島

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2010年7月14日 (水)

「アラセブ(70歳)、最期の決断!」  花巻市議選に名乗り出た高齢社会の「星」!

Dscf0381 (18日告示の岩手県花巻市議選に名乗り出た増子義久さんのチラシ)

 最近にない痛快なニュースが飛び込んできた。ともかくも面白い社会的な出来事だ。18日告示、25日投開票の岩手県花巻市議選(定数34)に「アラセブ(70歳)、最期の決断!」として、花巻市の知的障害者授産施設の施設長で、「砂時計」が尊敬する、増子義久(ますこ・よしひさ)さんが名乗り出たからだ。

 増子さんは1940年生まれの「70歳」。1950年生まれの「砂時計」より、ちょうど10年上。「砂時計」は70年安保の全共闘世代だが、増子さんは、それより10年前の60年安保世代だ。朝日新聞社で知らない人はいない(と、思われる)反骨の敏腕記者を35年。10年前に定年で辞め、童話作家・詩人の宮澤賢治の街で知られる故郷の花巻市に帰っていた。

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2010年7月13日 (火)

「いまニッポンで」  磯山オサム・小詩篇からーその1-

Dscf0365

  11日の参院選の結果、民主党が大敗北、自民党が「敵失」もあり、地力を発揮、みんなの党が、やはり大躍進といったことになった。せっかく歴史的な政権交代があったのに、また混迷へ。「詩的生活」の日々を送るにも、なんだか、憂鬱な気分の一日となった~。それを吹き飛ばそうと、久しぶりに童謡詩人「金子みすゞ」の3巻本を本棚から引っ張りだしてきた。ぱらぱらと頁をめくってみたが、言葉が素通りしてしまい、どうも頭の中に入らない。

 と、突然、仲間の詩人・磯山オサムの詩「いまニッポンで」を思い出した。読み始めると、それまでの「頭痛」(?)が、和らいできた(詩はある種の鎮痛剤なんだね~。「いまニッポンで」は、そんな効果がある詩だと思う)。この詩は「砂時計」が編集委員会事務局を担当している同人誌『序説』の最新号・第17号(5月29日発行)に掲載されている。「小詩篇 いざ生きるために」を小題にした4篇の詩のうちのひとつだ。

いまニッポンで 

ムシもころさぬ

こころのバクチ

 イマ

人があふれて

海へおちています

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2010年7月12日 (月)

霧降高原に妙なる響き  高原ロッジでオカリナ演奏会

Dscf0330(霧降高原リフトの高原ロッジで開かれたオカリナコンサート=11日)

 「夏の思い出」「星に願いを」、あるいは「棚田の春」・・・・・。今が旬のニッコウキスゲが咲き乱れる日光霧降高原で11日、オカリナコンサート(無料)があった。会場は標高1440㍍の高原ロッジ。ニッコウキスゲを楽しみにリュックサックを背に訪れた人たちが、にこやかにオカリナ奏者・野口喜広さんが吹き鳴らす妙なる調べに聴き入った。Dscf0241(ニッコウキスゲにはオカリナの調べが似会う=10日、日光霧降高原キスゲ平)

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2010年7月11日 (日)

今が旬、ニッコウキスゲ  美しい黄色の霧降高原へ

Dscf0242_3 (日光霧降高原で見られる美しいニッコウキスゲ=10日、霧降高原キスゲ平)

 この時期の日光といえば、ニッコウキスゲ。このところの天候がうそのように青空が広がった10日(午後からやや雲が広がったが)、さっそく、霧降高原を代表する美しい黄色の花の観賞に出かけた。例年よりやや遅いという今が、旬。この日はそれを知るキスゲファンがどっと(本当にどっと、という表現がふさわしい)、霧降高原に集まった(詰めかけた?)。霧降高原リフト事業所によると、今夏はあと10日、今月20日ごろまでは楽しめそうだという。

Dscf0221 (霧降高原の第3リフト窓口で「砂時計」が買い求めたリフト搭乗券)

 では、出発。霧降高原リフトは第1リフト(標高1240㍍)、第3リフト(1340㍍)、第4リフト(1440㍍)の3本。「砂時計」は途中の第3リフトから。そこに至るまでの渋滞のノロノロ運転で対向車に注意していたら、茨城、福島、埼玉、千葉など関東・東北近県のほか、「品川」「川崎」「横浜」なども。霧降高原に東京、神奈川からもかなり訪れていることが、うかがえた(なぜか、群馬ナンバーは少なかったよう?)。

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2010年7月10日 (土)

「先住民」は気ままに日常生活(?)  霧降高原のシカやサルたち

Dscf0076 (<なにか文句があるのか!>。そんな表情の立派な角を持ったシカ=8日、日光霧降高原))

 「砂時計」の寓居がある日光霧降高原では、もともとの「先住民」たちに出会うことは珍しくない。たまたまだったが、8日朝、寓居近くの道路でシカに会った。その日午後には隣地のヤマザクラの大木でサルたちが幹から幹へ。ということで(つまり、そんな機会が続いたので~汗~)、霧降高原が開発される以前から暮らしているシカやサルたち(以前に夜中に寓居のベランダでタヌキに遭遇したことも~)の表情を紹介してみたい。

Dscf9866 (<オーイ、みんなそろったか あっちへいくぞ!>。集団で道路を移動する日光霧降高原のサルたち)

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2010年7月 9日 (金)

霧降高原は凄腕に拍手喝采 ギタリスト・小松和貴の投げ銭ライブ

(投げ銭ライブに余念がないギタリスト・小松和貴=7日、日光霧降高原の「月夜見照らす」)Dscf0058_3 226px" />s=1">

(小松和貴の凄腕の一端がわかる参考画像)

 「いやー凄い腕だね!」「一芸に秀でるというのは、 こういうことなんだね・・・」「Very Good!」 。 会場のあちこちから声が上がる。七夕の7月7日、午後7時過ぎ(スリーセブン!)、日光霧降高原の「幾何楽堂」の隣、「月夜見照らす」。今季のオープン記念で招かれたアコースティックギタリスト、小松和貴(こまつ・かずき)に驚きの声が続いた。                                                                     

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2010年7月 8日 (木)

「明日またね、という感じ」  「切れ切れな日常」からーその3-

(1)

 若い二人が、自転車に相乗りしてきて、

 交差点で、軽くキスをして別れていきました。

 明日またね、という感じです。

 私の奥さんは、疲れを出して、マッサージにいっています。

 わたしは、歯の治療の帰りです。

 お互いに明日はあるのですけれども、

 私たちの明日は、あなた方のようには明るくはないかも知れません。

 

  「切れ切れな日常」からの連載(ブログで「連載」って、いうのかどうか)を続けたい。その1、その2では、筆者(安齋博君)の奥さんの突っ込み(天然性の?)の面白さ、つまりはユーモアを中心にとりあげた。その3の今回は、安齋君がとらえた時代の空気や気分、生活の主義というか、生きるヒントみたいなもの、さらには就寝の際に必ずやっている「儀式」(?)を、ぜひ紹介したい。一読すると、クスリと微笑み、「わかるよなぁ」といった反応をもたらす「詩的」な短章だ。いずれも、日光霧降高原の「砂時計」が編集委員会事務局を担当している同人誌『序説』(今回は第16号から)に連載されている。

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2010年7月 7日 (水)

霧降高原は「晴耕雨飲」  炎を背に「銘酒」と「天然氷」を楽しむ

Dscf0001(「晴耕雨飲」に差し入れされた栃木県の地酒、本醸造「惣誉」=5日夜、日光霧降高原の寓居)

 冬に備え、薪ストーブのマキの搬入が一段落したので(したので、?)、5日夜は日光霧降高原の寓居で飲み会となった。お友達ブログの「日光の薪ストーブ屋」、さらに「隣組」のペンション経営者、「2社1寺」の神職、それに途中だけだったが、やはりお友達ブログの「日光の親爺の徒然」が加わった。「砂時計」と合わせ、老壮青(?)5人の「どうだこうだ」「あうだこうだ」という飲み会だ。スタートはビールだったが、そこは「詩的生活」(?)、中盤からは(中盤というのかどうか~)、日本酒専門の利き酒会的飲み会ともなった。

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2010年7月 6日 (火)

霧降高原は、もう冬支度 薪ストーブのマキづくりに大わらわ

Dscf9990(霧降高原では、もう冬に備え、薪ストーブに使う薪を用意する準備が始まった=5日、寓居ベランダ)

 これから夏本番だが、寓居がある日光霧降高原では、もう冬支度だ。薪ストーブ生活では冬になったら、薪は生命線。その薪は冬までに充分、乾燥させないといけない。本当は初春からやらなけれなならないが、寓居では7月5日のこの日がスタート。「日光の薪ストーブ屋」が軽トラックで4日、5日の両日、3回にわたって、薪を運んできた。

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2010年7月 5日 (月)

「不良詩人」を生きるーその3-  ときには「ヨイトマケの唄」を

Dscf9933 (「人の一生は、下り坂をどう楽しむかにかかっている。これを習得するためには、若いころより、訓練しておかねばならない」と説く、嵐山光三郎の『「下り坂」繁盛記』・2009年9月・初版・新講社。これは「不良詩人」を生きるルールづくりに役立つ)

 人は、年をとると「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」とか「若い者には負けない」という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく、下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ」ー嵐山光三郎『「下り坂」繁盛記』(序章 「下り坂」の極意)ー

 その1、その2までで「不良詩人を生きる」ルールの70項目を列記済み。今回はお約束した(?)ルール100項目のうち、残る30項目を以下に示したい。

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2010年7月 4日 (日)

「不良詩人」を生きるーその2- 「優柔不断でいく」など

Dscf9930 (退歩しながら、至福の価値を見つける条件として、「無理をしないこと」「なんにもしない生活」など、33項目を挙げている『退歩的文化人のススメ』嵐山光三郎・新講社・2004年9月・第1刷。これも「不良詩人」の指針のひとつか?)

 「『不良詩人』を生きるーその1-ナンセンスのセンス」に続いて、「その2-優柔不断でいくー」をアップする。不良詩人の原則として100項目が必要だ(?)として、初回に40項目を挙げた。今回は残る60項目のうちの30項目を挙げたい(名古屋コーチンのコウチャンとタカちゃんたちの世話をしながら、きょうの昼間、日光霧降高原の寓居ベランダでメモ帳に書き連ねたもの。途中、用事がてら、寓居に寄ってもらった、お友達ブログの『日光を漂ふ』にも知恵を(?)出してもらった。

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2010年7月 3日 (土)

「不良詩人」を生きるーその1ー  「ナンセンスのセンス」など

Dscf9919 (嵐山光三郎の『不良定年』・新講社、2005年3月・第19刷)

 不良定年は、自分の内に眠っていたオスの野生を取り戻すことである。自然児に戻れば、それで不良定年になる。「ジジイズ・ビー・バッドマン」(老人よ不良精神を抱け)と申しあげたい。不良は生きる活力源である。不良定年は自分のルールを持たなくてはいけない。世間の良識である「期待される老人像」になる必要はないーー(嵐山光三郎『不良定年』・「序章・・・不良定年として生きる」)ーー

 嵐山光三郎の提案をそのまま受け取れば、「詩的生活」を実践するにあたり、自分なりの原則を考える必要がある。摸索する詩的生活をさらにぐっと「詩人」にひきつけると、「不良詩人」になろうか(どうしてそうなるのか、ごく少数の訪問者よ、問うなかれ)。この道の先輩(?)の代表は、まず嵐山光三郎だ。彼にはさらに、『「不良中年」は楽しい』、『不良中年は色っぽい』、『断固、不良中年で行こう!』、『「退歩的文化人」のススメ』、『「下り坂」繁盛記』などがある(いずれも、とても愉快。というか、「感染」しないように読めば、有益だ)。

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2010年7月 2日 (金)

「連れ去り犯」は野良猫と判明  コウチャン、再襲撃に九死に一生

Dscf9845(犯人の野良猫に連れ去られる際に、飛び散ったコウチャンの羽根=1日昼、寓居ベランダ)

(九死に一生で助かったが、放心状態のコウチャン 顔周辺に血のりが付着している=29日夕、寓居居間)Dscf9774

 警戒していたつもりだったが、事件は再び起きた。我が家で育ててきた名古屋のコウチャンたち3羽のうち、1羽はつい先月10日に、連れ去られたばかりだったが、また再襲撃された。起きたのは小雨が降り続いていた29日午後5時ごろ。ベランダ周辺で遊んでいたコウチャンたちから何か異様な叫び声が上がった。そのとき、「砂時計」は居間でパソコンに向かっていた。<あっ、再襲撃か!>。すぐにベランダに出ると、黒と白のまだら模様の野良猫が一羽のコウチャンをくわえながら、今、まさに逃走中。

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2010年7月 1日 (木)

「愛は常に孤独なのです」(?)  「詩的生活」にはユーモア

Dscf9818_2(『序説』に連載されているユーモアに満ちた安齋博の連載エッセー「切れ切れな日常」)

「切れ切れな日常」からーその2ー

 (1)

 朝起きて、奥さんの顔を見つめます

 「愛を確かめて、さあ、仕事に出かけるかぁ」

 「黙って出てけ!」

   愛は常に孤独なのです。

(2)

 「愛だけでは、生きてはいけないのよ」

 「そんなこと、結婚した時から分かっているわよ」

   あなたは素敵です。

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