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2010年7月28日 (水)

「宇宙」が庭先に広がる朝  詩 「ていねいな葉っぱ」

Dscf0993_2 (日光霧降高原の寓居の庭先で太陽をいっぱいに浴びる葉っぱたち=27日)

 日光霧降高原では、長い冬から春を迎えようとするとき、一日一日、木々がまばゆい緑に色づく。ほんの小さな芽のようなものが、次第に背伸びするかのようにして、葉っぱの姿になっていく。その「観察日誌」(?)を、詩にしてみた。

 葉っぱが少しずつ開いていく様子を「観察日誌」にまとめる作業は(?)、とにかく、ひま人、遊び人、夏休みの宿題に取り組む小学生「詩人」でないと、できない。詩誌「ベン・ベ・ロコ」(岩手弁で「ネコヤナギ」のこと 岩手県北上市)の次回159号(8月下旬発行)に寄せたばかりだ。

詩 ていねいな葉っぱ

              黒川 純(「砂時計」)

一日一日とふくらんでいく

ほんの少しずつ少しずつ

スローモーションのように

ミクロの世界が展開されるように

  (電子顕微鏡で聴くかのように)

ある朝

初めて見ることになった

身体全体を薄緑色に染め

一枚の葉っぱになる姿を

    (赤ん坊が自力で世に出るように)  

Dscf0983_2

晩秋に紅い衣を脱ぎ捨て

氷柱が1㍍にも達する厳冬期

降雪や強風を黙って視つめ

じっとその庭先に立っていた

 (押し黙るお地蔵さんを思わせた)

極寒期のけなげな立ち姿を知るだけに

水しぶきがうれしい夏に向かって

あくまでゆっくりとのびのびと

背伸びする姿のすがすがしいことか

  (もう春が始まったと告げるかのように)

恐竜時代からあったことが在り

今までずっと視えなかった宇宙が

我が家の庭先で広がるまぶしい朝

その不思議さを知る

ていねいな一日

 (天空の合鍵を教えてもらったかもしれない)

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歌・唄・詩」カテゴリの記事

コメント

ていねいに、ほんの少しずつ少しずつ、
田舎のおばあちゃんを思い出しました。

丁寧とていねい、字面だけ見るとだいぶ印象が違うな。

ハルさんへ
「丁寧」では、ていねいな、つまり、ゆったりした雰囲気
がでない。ということでもないが、ひとつひとつということで。
いわば「ていねいに」生活を味わう大切さが詩のテーマ
です(見抜いてくれたかな)

華宵は私も今回、初めて知りました(たぶん、作品は目にし
ていたのだろうが)。それにしても昭和初期にこんな作品が
世にでていたなんて。そんな驚きがあります(私も浅学だね)。

増子さんは、やはり増子さん、という感じ。老いてますます
盛んという言葉がぴったりの人。私も元気をもらった感じです。

詩と写真がマッチしていて素晴らしいですね!

ふぃふぁさま
ありがとうございます。ただし、いくらおほめの
言葉を「いただいても」、名古屋のコウチャンは
「いただけません」よ。

乙女(28)です。
リンクをありがとうございます
ていねいに過ごさねば・・と思いました。
雑に庭先から上がりこんでおいてなんですが・・笑。

つるこさま
乙女のブログはまだ見始めたばかりですが、あれも
これもそれもといった異次元の世界のようです~。
なお、霧降高原の寓居は、ほとんどキャンプ生活同様
なので、いつでも、ドシドシと。

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