「宇宙」が庭先に広がる朝 詩 「ていねいな葉っぱ」
(日光霧降高原の寓居の庭先で太陽をいっぱいに浴びる葉っぱたち=27日)
日光霧降高原では、長い冬から春を迎えようとするとき、一日一日、木々がまばゆい緑に色づく。ほんの小さな芽のようなものが、次第に背伸びするかのようにして、葉っぱの姿になっていく。その「観察日誌」(?)を、詩にしてみた。
葉っぱが少しずつ開いていく様子を「観察日誌」にまとめる作業は(?)、とにかく、ひま人、遊び人、夏休みの宿題に取り組む小学生「詩人」でないと、できない。詩誌「ベン・ベ・ロコ」(岩手弁で「ネコヤナギ」のこと 岩手県北上市)の次回159号(8月下旬発行)に寄せたばかりだ。
詩 ていねいな葉っぱ
黒川 純(「砂時計」)
一日一日とふくらんでいく
ほんの少しずつ少しずつ
スローモーションのように
ミクロの世界が展開されるように
(電子顕微鏡で聴くかのように)
ある朝
初めて見ることになった
身体全体を薄緑色に染め
一枚の葉っぱになる姿を
(赤ん坊が自力で世に出るように)
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コメント
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ていねいに、ほんの少しずつ少しずつ、
田舎のおばあちゃんを思い出しました。
丁寧とていねい、字面だけ見るとだいぶ印象が違うな。
投稿: ハル | 2010年7月28日 (水) 16時37分
ハルさんへ
「丁寧」では、ていねいな、つまり、ゆったりした雰囲気
がでない。ということでもないが、ひとつひとつということで。
いわば「ていねいに」生活を味わう大切さが詩のテーマ
です(見抜いてくれたかな)
華宵は私も今回、初めて知りました(たぶん、作品は目にし
ていたのだろうが)。それにしても昭和初期にこんな作品が
世にでていたなんて。そんな驚きがあります(私も浅学だね)。
増子さんは、やはり増子さん、という感じ。老いてますます
盛んという言葉がぴったりの人。私も元気をもらった感じです。
投稿: 砂時計 | 2010年7月28日 (水) 21時57分
詩と写真がマッチしていて素晴らしいですね!
投稿: ふぃふぁ | 2010年7月28日 (水) 22時53分
ふぃふぁさま
ありがとうございます。ただし、いくらおほめの
言葉を「いただいても」、名古屋のコウチャンは
「いただけません」よ。
投稿: 砂時計 | 2010年7月28日 (水) 23時04分
乙女(28)です。
リンクをありがとうございます
ていねいに過ごさねば・・と思いました。
雑に庭先から上がりこんでおいてなんですが・・笑。
投稿: つるこ | 2010年7月29日 (木) 23時45分
つるこさま
乙女のブログはまだ見始めたばかりですが、あれも
これもそれもといった異次元の世界のようです~。
なお、霧降高原の寓居は、ほとんどキャンプ生活同様
なので、いつでも、ドシドシと。
投稿: 砂時計 | 2010年7月30日 (金) 01時06分