「愛は常に孤独なのです」(?) 「詩的生活」にはユーモア
(『序説』に連載されているユーモアに満ちた安齋博の連載エッセー「切れ切れな日常」)
「切れ切れな日常」からーその2ー
(1)
朝起きて、奥さんの顔を見つめます
「愛を確かめて、さあ、仕事に出かけるかぁ」
「黙って出てけ!」
愛は常に孤独なのです。
(2)
「愛だけでは、生きてはいけないのよ」
「そんなこと、結婚した時から分かっているわよ」
あなたは素敵です。
挙げたのは、日光霧降高原の「砂時計」が編集委員会事務局となっている同人誌『序説』の人気連載エッセー「切れ切れな日常」(安齋博)から。筆者は真面目そうに書いているが(虚実も含めて)、私にとっては、ほとんどユーモアだ。「砂時計」が摸索している「詩的生活」には、こうした潤滑油が(?)必要だ。
つまり、ハンドルの遊び、いや、障子の糊しろ、長いマフラー。あるいは、食後の一服(?)、梅雨の合間の快晴(?)、・・・・・・・・。いずれにしても(逃げてるな~)、というわけで、初回の「切れ切れな日常」からーその1-に続いて、そこにある短章を紹介したい。登場するこの夫婦は、ふだんの会話(?)を交わしているだけなのだが、思わず微笑んでしまう。
(3)
奥さんと二人でコタツに入っていました。暖かいのは暖かいのですが、眠気を誘うほどではありません。
「ねぇ、あんまり暖かくないねぇ、このコタツ」
「熱いから、スイッチを切ってあるの」
「ああ、そうか。じゃぁ、ふたりの愛が温めてるんだね」
「出てけ!」
奥さんが叫びます
(4)
「桜、満開だ」
「花見に連れてってくれるわけでもないでしょう」
夫婦といえども、余計なことを言ってはいけません。突っ込んできますからね。
これだけだと、どうも、奥さんは、いつも突っ込んでいるように思えてしまうが、もちろん、そればかりではない。そんな面も示さないと、いけないので、以下(5)に。
(5)
奥さんから握手を求められました。
「今後もよろしく」
「どうしたんです?」
ああ、結婚記念日なんですね。25年。
(「切れ切れな日常」からーその3-に続く)
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