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2010年8月

2010年8月30日 (月)

各地から絵本などの寄贈続く 霧降高原の小さな「森の図書館」

Dscf2098 (各地からも「大切な一冊」が届いている日光霧降高原「森の図書館」=29日)

 「だれかに読ませたい大切な一冊を」。日光霧降高原の広大な森の中の小さな図書館・「森の図書館」(日光市霧降高原チロリン村内 「日光森と水の会」など運営)のこんな寄贈の呼びかけに、地元・日光ばかりか、全国各地からも善意が届いている。

 森の図書館は、もともと何万冊の蔵書数を誇ろうという発想はない。一人ひとりが「大切な一冊」だけを森の図書館に.。それが1千人の1千冊になり、訪れるたくさんの人がそれを手にとり、頁を開いたときー。そのとき、また新しい何かが、霧降高原に生まれてくるのではないか。それが森の図書館長でもある「砂時計」の思いだ。 Dscf2077 (日光市や東京都、長野県からも送られてきた寄贈本たち

 寄贈を受けた絵本の「大ちゃんとさっちゃんの夏休み」(作・やまもと まな 絵・塚本やすし 2009年2月 文芸社)は、長野県の宮下さんから。ビジュアルな「百人一首」(1978年 世界文化社)と「奥の細道」(1979年 同)は、東京都の近藤さんから。平安時代を背景にした「えんの松原」(伊藤遊 福音館書店 2002年10月)は、地元・日光市の柴田さんから。みなさん、どうもありがとうございました。

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2010年8月29日 (日)

本格的(?)「肉野菜炒め」」づくり 日光の専門店長の「指導」(?)で

Dscf2032

  本格的な(?)「肉野菜炒め」を霧降高原の自宅で食べたくて、腕をまくってみた。「砂時計」は、定年1年生で、料理も1年生。基本的な料理である「生姜焼き」も、「肉じゃが」も、「肉豆腐」も、今春、覚えたばかりだ。

 自慢じゃないが(自慢できないが~)、いずれも、料理本『きほんの料理』、『基本のおかず』、『料理の常識 1』、『料理の常識 2』、『はじめての台所』などを台所に持ちこみ、それを片手にして(ほかに『おつまみ横町』、『山小屋ごはん』、『深夜食堂』①~⑤なども)。

 それでも、肉野菜炒めぐらいは、仕事が忙しくとも、これまでも、それなりに料理してきた。が、日光市内のラーメン「梵天」(元「馬力」)、そこの美味い肉野菜炒めのような味ができない。

  なんとか、その美味い調理法を知りたいと、よもやま話のついでに、梵天の店長(料理長?)から作り方のコツを聞きかじった。

 料理長いわく、「うちの味のようにはできないが、醤油味のラーメンスープを使えば、それに近いものならできますよ」。さらに「椎茸は干し椎茸でOK。キャベツは硬いから早めに炒めること、スープにお酒と砂糖を少々。でも、家庭調理では火加減が難しいかも」なども。

 ということで、スーパーのラーメンやうどんコーナーにあった醤油味ラーメンスープに日本酒、ニンニク、少しの砂糖で「味の素」を作成。キャベツにニンジン、ニラ、干し椎茸、ピーマン、モヤシ、豚小間を材料に始めた。

Dscf2023

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2010年8月28日 (土)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(7)-

Dscf2051 (阿久悠の『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金時代の70年代』・2007年12月・文春文庫)

 阿久悠といえば人気テレビ番組「スター誕生」(阿久悠が番組の企画者、構成者だった)。「スター誕生」といえば、「中3トリオ」「高3トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵。なかでも宇都宮市生まれで、「スター誕生」からのデビュー第1号で知られる森昌子さんだ(今では昌子さんと呼びたいお母さん顔だが、少女時代よりも、よほどいい雰囲気の女性になったと思う)。

 1971年から12年間続いた「スター誕生」で、13歳の森昌子が高得点で合格したのは、第7回大会。「普通の少女」の森昌子は審査員には期待されていなかったという。『夢を食った男たち』で阿久悠は当時を振り返っている。だが、ふたを開けると、それを裏切る見事な歌唱ぶりに驚きが広がる。少し長いが、その様子がよくわかるので、紹介を。

 「歌を一度も聴いたことのない審査員の中に、番組の救世主になる少女だと予感した者はいなかったと思う。(略)その審査員が思わず腰を浮かし、一瞬表情を緊張したものに変え、やがて、深い深い溜息をついて微笑で顔を覗き合う状態になるまでいくらも時間がかからなかった。13歳の少女、森田昌子は、都はるみの『涙の連絡船』を歌ったのだが、それは全く見事な演歌で、あるひとは背中に寒さが走ったと言い、会場のざわめきを鎮めてしまうだけの力があった。彼女は若さと下手さではなく、若さと上手さで合格したのであるが、歌い方ではなく、歌が上手なのであった」

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2010年8月27日 (金)

花のように鳥のように   阿久悠小論ーその(6)ー

(「ニュース詩100篇と語り下ろしによる現代日本社会論」の阿久悠『ただ時の過ぎぬように』・2003年1月・岩波書店)Dscf2021

 日光霧降高原の大笹牧場でこの季節、天然氷のかき氷、焼きそば、珈琲などの販売に大忙しのエルネストカフェ(晩秋、、冬、初春は、日光を中心に移動式珈琲店)。そのエスネストがブログで、いかにかき氷などで汗(?)をかいたか。それをアップしていたので、コメントを送った。

 イソップ寓話にある「アリとキリギリス」を思い浮かべながらだ。今春だったか、エルネストは自身のことを「キリギリス」のように言っていた。なので、「むしろ、アリになったのではないか」(労働に頑張っているね)と、エール(?)を送ったつもりだ。その返信のコメントのなんと、ユーモアのあること。

砂時計 . 20:01 / Mon.08.23

エルさんも往年の「キリギリス」から「アリ」への華麗な変身を
果たすときですかね。ただ、正調では哀れなキリギリスですが
(以前にお話ししたように)、冬はキリギリスがコンサートを開き、
アリから投げ銭をもらい、ともにハッピーエンド(意味深)。

エル  23:29 / Mon.08.23

<きりぎりす>ではなくて、、、
私の場合は<ぎりぎりっす>という感じ。自爆

   ● 砂時計 22:52 / Tue.08.24

   「ぎりぎりっす」に座布団一枚!。

 
 いや、「キリギリス」」に対して「ギリギリッス」と返すのは、並みのセンスではない。かなり高度なユーモリストだ。心に余裕がないと(財布にも)、こうした返信はできない(エルネストはむしろ、コガネムシになりつつあるかも?)。
 「阿久悠小論」がなぜ、ユーモアが?。それにはそれなりのわけが。

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2010年8月26日 (木)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(5)ー

Dscf2003 (上村一夫の代表作のひとつ『同棲時代』(上)の表紙・2005年復刊版・ブッキング)

 阿久悠といえば、劇画家というか、現代の浮世絵師(「昭和の絵師」とも)とも思える上村一夫との交友が有名だ。上村一夫といえば、『同棲時代』や『関東平野』、『修羅雪姫』などの題名が思い浮かぶ。が、1986年1月、わずか45歳で病死した(もう、それから四半世紀も過ぎているのか、と、これを書いていて感慨にふける「砂時計」)。葬儀で弔辞を読んだのが、阿久悠だった。Dscf2012_2 (上村一夫との出会いなども書かれている阿久悠の『生きっぱなしの記』・2004年5月・日本経済新聞社)

 阿久悠によると、広告代理店に勤めていたとき、武蔵野美大在学中だった上村一夫がアルバイト社員としてやってきた。上村21歳、阿久悠24歳。わずか半年間だけだったが、無名の天才同士が仕事でも遊びでも一緒に過ごし、そのときが後の2人をつくっていく濃密な時間となったようだ。

 「ぼくは才人という人が本当に存在するのだと思ったし、彼は彼で、もの想う人というものを感じてくれた筈である」。こう書いたうえで、こんな言い方をしている。

 「この時の出会いがなかったら、上村一夫は優秀なグラフィックデザイナーになっていただろうが、劇画家にはなっていなかっただろうし、ぼくは仮に阿久悠を名乗っても、作詞家にはなっていなかった気がするのである」

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2010年8月25日 (水)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(4)-

Dscf2001_2 (「ぼくは時代を見ることを何よりも重要視した作詞家であり、作家である」などが書かれている阿久悠の『清らかな厭世』・2007年12月4刷 新潮社) 

  「なんだかいい詩だな」。カラオケで人が歌うのを聴いていて、そう思った。だれが作詞しているのかな?。確かめてみたら、阿久悠だった。何度か聴いてはいたが、気づかないでいた。それが「花のように鳥のように」。歌謡曲だが、ひとつの詩だと思う。いや、歌謡曲という形式による幸福の哲学になっている。そう思える(「詩的」だもの)。調べてみたら、1994年のレコード大賞作詞賞受賞曲だった。

花のように鳥のように

  歌・桂銀淑(作詞・阿久悠 作曲・杉本眞人 編曲・宮崎慎二)

そこにあるから 追いかけて

行けば はかない 逃げ水の

それが しあわせ あるよでなくて

だけど 夢見る 願かける

花のように 鳥のように

世の中に 生まれたら いちずに

あるがままの生き方が しあわせに近い

 

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2010年8月24日 (火)

霧降高原はとにかく湿気対策  「上州姉妹軍団」余波(?)その1

Dscf1993 (古いものと交換した「湿気とり」=日光霧降高原寓居和室押し入れ=23日、日光霧降高原)

 あけてびっくり玉手箱!。ではなかった湿気とり!。寓居を訪ねた母、姉、妹の「上州姉妹軍団」が「砂時計」の大掃除にやってきたことは伝えた(こちら 日光見物できずに~)。その際、昨冬の引っ越しのときに押し入れに置いておいた「湿気とり」も交換した。置いてから、まだ約8カ月だが、満々と水をたたえていた(?)。

 「本当にそんなに湿度があり、水がたまるの?」。そう思っていた。ところが、あにはからんや、実際に成分は塩化カルシュームだという「湿気とり」をひきあげると、水でいっぱい。その効果もわかったので、23日は「軍団」がやり残した和室押し入れの「湿気とり」を交換した。

Dscf1976 (約8カ月前に置いた「湿気とり」は水がいっぱい。「標準除湿量は温度25度、湿度80%で420ミリ㍑」とある)

 湿気とりを置いているにのは、ほかに寓居「図書室」の(ガラクタなどでいっぱいの)押し入れ。ここも24日以降、早めに交換しないといけない。砂時計は仕事で各地を転々と異動し、貸家、マンション、社宅、会社施設など、さまざまな場所や住宅で暮らしてきたが、ここまで湿気に気を回すのは、日光霧降高原が初めて。

 霧降高原の夏は涼しく、風もさわやかで、快適な暮らしだ。避暑地というのも、うなづける気候だ。だが、一方で夏は湿気対策も万全に。引っ越しの際にそう言われたことを思い出した(馬耳東風、馬の耳に念仏、猫に小判だったんだね~)。「詩的生活」を味わうためには、それなりの態勢づくりも。それを教えてもらった「上州姉妹軍団」だった。

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2010年8月23日 (月)

「ゆば会席弁当」をどうぞですが・・・  「上州姉妹軍団」の労働に感謝

Dscf1927 (きました、きました 小料理「新松」のゆば会席弁当) 

 日光霧降高原に寓居を構えて約8ケ月。21、22の両日、故郷の上州から初訪問の母親と引っ越し手伝い以来の姉、妹の総勢(?)3人が霧降高原の我が家へ。初日の夕食は「町内会」のペンション「ポコ・ア・ポコ」にお願いして料理してもらった黒毛和牛のサーロインステーキなどを寓居のウッドデッキで(「こんな美味しいお肉は初めて!」。そんな声があがるほどの美味しさだ。もちろん純米酒「日光囃子」に日光の天然氷も)。

 「長生きの秘訣はカリカリしないこと」という母親は「ゆば料理は初めて」。それならばと、2日目の昼食は、なじみの小料理「新松」へ(といっても、「砂時計」は夜は居酒屋になる方の「新松」をよく知っているのだが~)。ゆば入り吸い物、さらに生ゆば刺身、揚げ巻きゆば、ぜんまい巻ゆば、ゆばのつくだ煮、これに各種の山菜の天ぷら(みょうがが印象的)、しそ入り(だったか?)御飯など。デザートにゆば入りようかんも味わった

Dscf1913(日光市日光総合支所のすぐそばにある小料理「新松」入り口)

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2010年8月22日 (日)

「二人とも死んじゃうよ」  「切れ切れな日常」からーその6ー

Dscf1893 (「二人とも死んじゃうよ」などが掲載されている「切れ切れな日常(4)」(安齋博)・『序説』16号・2009年5月)

(1)

 奥さんが新聞チラシを見ながら、マンションを買うと言いだしました。

 もう、この家が嫌になったと言うのです。もっと、小さい、掃除のしやすい家がいいと言うのです。

 「月額5万円で買えるのよ。買っといて、誰かに貸そうよ。そうすれば、お金出さなくとも、いつか自分のものになるじゃん」

 「何年払うのよ?」

 「25年」

 「二人とも死んじゃうよ」

(2)

 奥さんがコーヒーを炒れてくれました。

 「どんな具合?」

 うす目をあけながら顔を突き出します。

 そうか、と思って、突き出された鼻を指で摘みます。

 「何すんのよ。こっちよ、こっち」

 奥さんは眼を指差しながら笑い転げます。

 ああ、うすめのコーヒーなのね。

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2010年8月21日 (土)

「本の海で溺れたい」がマジに  「さぁ、どうする」と知恵求める砂時計 

Dscf18621_2  (ついに玄関左の下駄箱の上にも積むことになった蔵書=19日、日光霧降高原の寓居)

 「本の海で溺れたい」ー。これが「砂時計」の夢のひとつだ(冗談半分だが、本気の部分も~)。それがだんだん、リアルなものになりつつある(本当はそれでは困るのだが)。というのも、お盆で故郷に帰り、長いこと姉宅の納屋に預かってもらっていた自分の本をマイカーに積んで持ち帰った。それを空いたところに置こうとしたところ、もう置く場所がないことがわかった(ガーン!!)。

 故郷から本を持ち帰ったのは新春から。、今回で3回目。段ボール箱で合わせて約70箱ぐらいか。最初は部屋のひとつを「図書室」にしているため、最近まで大船に乗った気分(?)でいた。だが、少しづつ積んでいくにつれ、これ以上だと、床が傾く恐れがある(図書室をのぞいた友人はだいたいそう忠告する)。

 ということで、19日まで3日間のうちに手をつけたのは、①玄関の下駄箱の上に積む②洗面所の入り口にじかに積む③トイレ入り口前にじかに積む④トイレ入り口前の本棚にさらに積む⑤「図書室」に少しだけ積む増す⑥居間に少しだけ積み増す⑦不要だと思われる本はごみステーションへ。こんなやりかたで3回目の約20箱を「処分」(?)することができた。

Dscf1854 (「図書室」と称している部屋は、これいじょう積むと床が傾く恐れがある)

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2010年8月20日 (金)

ようやく「米イラク戦闘部隊撤退」  さぁ、「月の砂漠へ」

Dscf1879_3   (「米戦闘部隊のイラク撤退」を報じる朝日新聞19日付夕刊3版)

 その記事はなんとなく静かに報じられた。朝日新聞19日付夕刊3版の12面、「米戦闘部隊 イラク撤退」。思わず見逃すところだった。20日付朝刊13版も6面。国際面のトップだが、新聞を開いていかないと、わからない。「戦闘部隊イラク撤退 全米中継」「オバマ政権 『順調』演出」。03年から足掛け8年。大義もあったものではない戦争に突っ込んでいった米国とそれに追随した日本政府。「砂時計」は、その見識のなさにあきれかえっていた。

 開戦時にあれだけ大騒ぎしたのだから、こうした記事はもっとデカデカと扱うべきだ。そう思いながら、読んでいた。イラクでの米軍の死者は(米軍でさえ!)「開戦以来約4400人」という。それでも、ようやく「戦闘部隊」は引き揚げた。「砂時計」はイラク戦争開戦に怒り、詩論集『怒りの苦さまた青さ 詩・論「反戦詩とその世界」』(随想舎新書)を書いた。その新書の出版からでさえ、6年近くにもなる。いかに長い戦争だったか。

 ということで(~)、当時、「国民の精神が試されている」(戦前ではなく、ついこの間のこと!)。そんなシーラカンスのようなことを叫んでいたライオン頭の人がいたが、改めてこうした発想を空中分解(?)させる自由な空気の中を泳いでいかないと。そうした思いでいることも、日光霧降高原の「詩的生活」の道具のひとつです。で、『怒りの苦さ~』に収めた「月の砂漠へ」(一部改稿)をアップすることに。

詩 月の砂漠へ

            黒川 純

不安の街に嘘をついてはいけない

腕力だけが自慢の恐竜に従い

迷彩服で善意を押し売りすれば

猫なで声の猟犬だと見破られ

砂をかけられるのは当然だ

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2010年8月19日 (木)

流れ着いた海岸の向こうへ -清水昶小論ー(その3)

Dscf1831 (「美しい観念の髭をはやしてわたしは~」など、清水昶独特の言葉が連なる詩「男爵」=現代詩文庫・清水昶詩集)

 清水昶の初期の詩は言葉が次の言葉を呼ぶのではなく、言葉が別の次元に飛んでいく印象を与える。まっったく予期しない言葉が連なり、めまいにも似た比喩がこれでもか、これでもかというくらいに放たれる。言葉を追いかけていくと、一瞬、映画の一シーンに立ち会っているかのような錯覚を覚える。

 そして、いつか、くらくらと幻覚に陥るように気持になる。手品かと思わせる言葉の連弾を浴び、言葉の海に漂い、不安感を覚えるようになる。だが、それでいて、読後感は必ず、ずしりとくる重い高揚感が伴う。さらに、ほとんどの詩に不思議と清潔な気分を味わうことになる。

 「砂時計」のそんな感覚に近い詩論に中嶋夏の「喪失の青春」(『清水昶詩集』・現代詩文庫・93年9月・第11刷)がある。中嶋は詩「男爵」や「Happy Birthday」を例に挙げて、こう記す。

 なにか絵画に於けるシュール・レアリズムの技法をこの詩人が先天的に有しており、その技法の故か、この人の作品のあるものは言葉を読むという以上に見事な絵画を目の当たりにしたときの驚きに近い。この技法を詩的韜晦術と名付けてよいものやら私には定かではが、比較的どの作品をとりあげてみても現れてくる特徴のひとつである。ただ、わたしはこの詩的韜晦術とも呼ぶべきものが微妙にバランスを保ちながら見事な<虚構性>を成している作品よりも、なにか未明のものをまさぐりながら、言葉と言葉が烈しくぶつかり合っている作品のほうにより多く心を揺さぶられていた

 中嶋にこうした作品論を書かせた詩集『少年』のなかの「男爵」を示したい。 

詩 男爵

荒れ草だらけの口をひらき

歯なみだけが妙に清潔な1967年初夏

こわれやすい陶器で熱い沈黙をまえに

怒りにしまる腰を裂きえぬあなたに

なにをあげよう

地下室に落ちている蝶

薄暗い納屋でひえている水のような愛

   ここは純喫茶男爵だから

   美しい観念の鬚をはやしてわたしは

   のど首をつたう欲望をねくたいでしめ

   にがい精神をまっすぐ胸中に垂らしている

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2010年8月18日 (水)

夏の夜、「桟敷席」で小さな同窓会  上州「尾島ねぷたまつり」-(下)-

Dscf1779 (子どもたちでにぎやかな縁日の代表格、「金魚すくい」=15日夜、上州太田市尾島)

 人波でごったがえした「尾島ねぷたまつり」のもうひとつの顔は縁日。国道の両側は延々とさまざまな屋台が軒を連ねた。あちこちに「かき氷」。それに「焼きそば」。さらにというか、代表格の「金魚すくい」。昔ながらの本格的な(?)金魚すくいで、子どもたちらでにぎわっていた。Dscf1786 (子どもたちの元気な声が飛び交っていた「射的」の屋台)

 久しぶりに見たのが、「射的」。温泉街などで見かけたことはあるが、縁日で見るのは、もうどのくらい年数が過ぎたのか。ここも子どもたちでにぎわっていた。浴衣の幼児たちが髪にさして(かけてか?、まいてか?、はめてか?)歩いていたのを見かけ、「へぇ~」と思った。「あぁ、これか」。そうわかったのが、光ものを売っていた屋台。「お面」もそうだが、これも縁日ならではの商品なのだろう。

Dscf1775 (道路両側に連なる屋台には光るおもちゃを売っていた屋台も)

 「尾島ねぷた」をそれなりに写真を撮ったところで、実家へ。我が家は大通りにあるため、2階は絶好の桟敷席(?)。小、中、高と一緒だった地元の友人、A君とO君と「砂時計」の3人で酒盛り。「尾島ねぷた」の歓声を聴きながら、冷えたビールや日光から持ち込んだ純米酒「日光囃子」などで。

 「どうして、その進路へ」「それからどうした」」「定年後は何を」「こんなこともあった」「あいつはどうした」。あうだこうだと話し、「今度はもう少し人数を増やして忘年会も」。これまでも五年に一度の同窓会で会ってはいた。が、膝を突き合わせ、3人でじっくり飲むのは初めて。

 こんな形で旧交を温めることができるようになったのも、砂時計が「詩的生活」に入り、ヒマ人(遊民、遊び人、御隠居)になったから.。A君はボランティア的な仕事、O君は長年の仕事の延長線にある仕事をやっているが、以前より余裕がありそうだ。(何しろ、尾島小から尾島中、さらに高校まで、ずっと同じ学校に通い、学び、遊んでいたから、次々と話題が)。

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2010年8月17日 (火)

暑い夏の夜に「武者絵」 上州「尾島ねぷたまつり」ー(上)-

Dscf1751 (夜空に武者絵がくっきり。「尾島ねぷた」=15日夜、群馬県太田市尾島の大通り)

  「砂時計」の故郷、上州新田郡三日月村、埼玉県境の利根川がすぐそばを流れる町、群馬県太田市尾島で14、15の両日、「尾島ねぷたまつり」があった。十数台の勇壮なねぷたが練り歩き、小さな町が膨れ上がるほどの人が訪れる。

 「砂時計」は、これまでは北海道や新潟、静岡、岩手など、全国各地で仕事をしていたので、聞いてはいたが、見る機会がなかなかなかった。昨年初めて見て、思った以上に大きな祭りになっていることにびっくり。今夏は親父の盆送りも兼ねて出かけてきた。 

Dscf1805 (ひときわ大きな「尾島ねぷた」実行委員会のねぷた)

 いやいや、尾島の商店街を貫く国道354号は人、人、人。暑い夜、太鼓に笛、鳴りもの、掛け声、歓声。大通りの両側は延々と模擬店が連なり、それに津軽物産市も。日光東照宮の「千人武者行列」の人波もすごいが、その何倍もの人であふれかえっていた(歩くのも人をかきわけていかないと、前に進めない)。

 江戸時代、尾島が青森県の津軽藩の飛び地。だったこと、第二代藩主が側室の辰姫(石田三成の第3女)を尾島に住まわせ、「大舘御前」と呼ばれたこと、その辰姫が尾島で生んだ子が第三代藩主となったことなどなど・・・。

Dscf1764 (「尾島ねぷた」では、若い女性がたたく5台連結の大太鼓も登場)

そんな史実が明らかになり、「四百年」の時を超えて、弘前市と旧尾島町(新田郡尾島町は平成の合併で太田市に)の交流が、始まったという。そして、昭和61(1986)年から「上州のねぷた祭り」が、始まったという。

 さらに弘前市と旧尾島町は平成3(1991)年には、姉妹都市も結んでいるという(「砂時計は」、尾島の街の中の生まれ育ちだが、いったん故郷を離れというか、故郷を捨て、その後も帰省するのは年に数回あるかどうか)

  世良田東照宮があり、新田義貞が鎌倉攻めの出陣式をした神社が近くにあることなど、日光と関係が深く、豊かな歴史がある町や地域であるのは承知しているが、それにしても、地元を知らないな~。そう思ったことだった。(もう少し知りたい方は「尾島ねぷたの由来」や太田市案内で)。

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2010年8月16日 (月)

わたしが一番きれいだったとき  イン・ザ・ムードと「8月15日」

Dscf1743 (いかにもアメリカらしい「イン・ザ・ムード」などがあるオールディーズスイングのジャケット)

Dscf1735 (「わたしが一番きれいだったとき」。「茨木のり子集 言の葉 Ⅰ」から)

わたしが一番きれいだったとき 

                茨木 のり子



わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった             

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2010年8月15日 (日)

「千三忌」  ひとりの兵士と母の墓に平和を祈る

65年目の夏、8月15日に

詩 千三忌     黒川 純(「砂時計」)

Dscf1692

Dscf1694

Dscf1697 

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2010年8月14日 (土)

「風の音にぞおどろかれぬる」  霧降高原は色づき始めた葉っぱも

Dscf1664 (もう秋色をした葉っぱたちがベランダに=13日、霧降高原の寓居)

 夏のど真ん中。だが、秋が始まる立秋(8月7日)を過ぎたこともあり、暑さも峠を越えたよう。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)。そんな和歌が自然に思い浮かべられる季節に。実際、霧降高原の寓居の庭では風はもちろんだが、緑の木々にも秋の気配が近づいている。、Dscf1659 (ほんの少しだが、色づき始めたヤマザクラ=13日、霧降高原の寓居周辺)

 本日・13日午後2時現在の外気温は24度、室内は26度。午後9時現在の室内は(と、書いて、台所入り口にある温度計を見に行くと~)25度だった。8月上旬まで飛び回っていた蚊の姿もほとんど見当たらない。蝉の鳴き声も静かになり、(体力を使い果たしたか)へばったツクツク法師?が部屋を飛び回って、「砂時計」の腕に着地するといったことも。いやいや、気候の変化が微妙に自然の営みを少しずつ変えている様子がわかるようだ。Dscf1672 (トンボたちが、あちこちと飛び回り、ベランダで羽根を休めている=13日、霧降高原の寓居)

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2010年8月13日 (金)

清楚な美人に会いにゆこう(4)ー完ー 小杉日光美術館で「高畠華宵の大正イマジュリィ」

Dscf1150 (帽子作家 永井由絵さんが製作した「青葉かげ」=小杉放菴記念日光美術館)Dscf1156

 企画展「挿絵≒日本画 高畠華宵の大正イマジュリィ」では、華宵が描いた女性がかぶっている帽子も展示している。いわば「大正ロマン」を現代によみがえらせる作品だ。制作、展示したのは、日光市に暮らすパリ帰りの帽子作家、永井由絵さん。いかにも高原の令嬢といった雰囲気の「青葉かげ」、その彼女がかぶっている帽子をそのまま再現。それが最初にアップした帽子だ。

  ワークショップ「華宵好みの帽子作り」は7月31日と8月1日の両日、同美術館であった。「美人たちが帽子作りをしているようだ」。という情報を共有した美人が 美人画が好きな日光のブロガー3人(「ふぃふぁ山荘」 「日光を漂ふ」 「砂時計」)が、どこからともなく集まり(談合して?、以心伝心で?、付和雷同で?)、美術館へ。迷惑そうな永井さんらのワークショップを、お訪ねた(押しかけた?、割り込んだ?、なだれ込んだ)。

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2010年8月12日 (木)

無理やり広げられ、変形していた格子  名古屋コーチン襲撃事件

Dscf1597_2  (力まかせに無理やりこじあけられ、変形されたことがわかる金属製の格子。指の先の空間=9日、日光霧降高原)

 「惨事 泣いてもいいですか!」で、「砂時計」宅の名古屋コーチンたちのねぐらがねぐらごと、襲撃され、タカチャン一羽が連れ去られたことを伝えた。その際、不思議に思ったのは、どうして南京錠がかかり、小屋自身は開けられなかったのに、タカチャンを連れ去ることができたのか。「まるで手品みたいだ」。そう思っていたのだが、ねぐらをよくよく調べてみたら、その種が明かされた。

 というのは、ねぐらは金属製の格子に金網をかけていたが、何者かはこの金網をひきちぎるようにしたうえ、格子そのものを無理やり広げ、変形させた可能性が高い。ねぐらの格子の間隔はいずれも約4センチ。それがねぐら背面の一部は1センチ広い約5センチになっていた。

 ここからおびえ、おそれ、いやがるタカチャンを無理やり引きずりだしたのではないか。いや、地獄のようだ(地獄は知らないが、たぶんそうだろう)。事件が起きたのは3日だが、「たぶん、それに違いない」。そう思えるようになったのはつい最近のことだ。

Dscf1607 (ねぐらの背面の左から4本目と5本目の格子だけ変形している名古屋コウチャンたちのネグラ)

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2010年8月11日 (水)

「みんなで和楽踊り」(下)  「浴衣美人コンテスト」はジャンケン

Dscf1562 (「浴衣美人コンテスト」に出場した美人たち=8日夜、日光小第2校庭)

 日光小第2校庭で8日夜あった「みんなで和楽踊り」は、最後に「浴衣美人コンテスト」を開いた。美人浴衣に関心がある「砂時計」はもちろん、その時間まで待機(?)。外国人観光客を交えた浴衣美人が集まると、やはり会場が華やかになった。

 上位3人には浴衣が賞品として贈られることは会場に告知されていたが、「さて、どんな審査に?」。首をかしげていたら、「審査では~-▼□~になるので、ジャンケンで決めます」のアナウンス。なかなかの大岡裁き(?)、一休さんのとんち(?)、変形民主主義(?)と思ったことだった。Dscf1565 (外国人観光客も参加し、国際観光都市・日光らしい「浴衣美人コンテスト」となった)

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2010年8月10日 (火)

「みんなで和楽踊り」(上) 子どもたち主役に地域が盛り上げ

Dscf1545_2 (お囃子は24人の子供たちがつとめた「みんなで和楽踊り」=8日夜、日光小第2校庭)

 日光のもうひとつの文化が盆踊りの「日光和楽踊り」。おじいちゃんやおばあちゃんに語り継がれるのではなく、今、特に子どもたちに楽しんでもらう和楽踊りが、8日夜、好天の(?)日光小第2校庭であった。大宣伝されてもいなかったが(「砂時計」は直前まで知らずにいた)、地域の人たちや赤ん坊や子ども連れの親子や家族、外国人観光客など、かなり大勢の人たちが夏の一夜を楽しんだ。

Dscf1528 (子供たちなど大勢の老若男女が集まった「みんなで和楽踊り)

 主役は子どもたちのお囃子。踊りの輪には若い女性やかって若かった女性やお年寄り、浴衣姿の子どもたちや外国人観光客。かき氷、焼きそば、焼き鳥、ビールなどの模擬店、それに金魚すくい、しゃもじのお菓子すくい、景品をゲットできる輪投げなどの遊びが加わった。

 昔ながらの縁日を楽しむ場でもあったが、黒子はいずれも春の「弥生祭」で各町内が家体を繰り出す際の主力になっている地元の若者らだという。その彼らが(彼女らも)、にわか模擬店主や縁日用チケット販売窓口係、駐車場案内係などになって、汗をかいていた。

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2010年8月 9日 (月)

死なないために学んだ不快な和音  詩 「音楽の時間」

Dscf1481_2 (「Cジャムブルース」が入っているレッドガーランドのCD『GROOVY』)

65年目のナガサキの夏に

詩 音楽の時間

                 黒川純

Tシャツ一枚だけのまぶしい夏

Cジャムブルースにブルートレイン

深夜とジンとプカプカに明け暮れ

ジャズを枕に夢の海を泳いでいた

                                                                                                        

すると、セピア色した光景が広がり

小学校の音楽教室に降り立った

調子がずれたピアノの音が聞える

身震いする不快な金属音だ

                                                     

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2010年8月 8日 (日)

謎の?「大根引き抜きクラブ」  「切れ切れな日常」からーその5-

(1)

近所のあるホテルからディナー・ショーの案内ハガキが届きました。

ホテル・メタボリック・・・・・・ん?」

 「違う。ホテル・メトロポリタンだ。どこから住所を見つけたのかは、今は問いません。全てがそのように見えてしまう、なんとも悲しい歳頃です。

(2)

  山口百恵の秋桜(コスモス)』が、ラジオから流れています。

 聴くともなしに、バックに流れていますピアノに耳を傾けていましたら、調べが、風に揺れて趣で弾かれているのです。何とそれは、野原に咲き乱れていますコスモスが、風に揺れる様子なのでした。

 コスモスの花言葉は、乙女の願い。歌われているのが、嫁ぐ前日の女の人の思い。

「よく出来た歌なんですねぇ」

 作った人も偉いですけれども、ピアニストも偉いです。ディレクターも偉いのです。

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2010年8月 7日 (土)

詩 深い青い海の向こうへ  ヒロシマ・65年の「原爆の日」に 

M_hiroshimaf8c9f (1945年8月6日 広島原爆投下ー「広島 原爆 投下」・グーグル転写ー)

詩 深い青い海の向こうへ

                黒川 純

マンモスたちが真っ赤な夕焼けに

ゆったりと大地を突き進んでいく

声もなく始祖鳥たちも飛翔していく

イルカたちの群れも脇目もふらず

夕焼けにジャンプを繰り返している

                                                              

    お月さまがとってもきれいな夕

   幻ではないかと頬をつねりながら

   走り去るその彼の記憶を視つめていた

   走馬灯のように浮かぶ赤い光景は                          

   背筋を凍らすほどの美しさだった

   

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2010年8月 6日 (金)

ひと・「人生再出発」をかけた男 花巻市議に当選した「元ヤンキー」

Dscf1455_3   (朝日新聞・朝刊5日付2面「ひと」欄に掲載された細川宏幸さん)

 「選挙運動で、頼みはマイク一本。金がないから、事務所に電話も引かず、ホームページもない。名前の連呼は3日でやめ、葉タバコ農家や市街地で街頭演説を1日約30回。最初は聴衆ゼロでも、『働く親の世代が議会にいないのはおかしくありませんか』と訴えると、家や畑から出てきて拍手してくれる人もいた」

 

 アラセブ(70歳)初当選 花巻市議選で高齢者の星にで増子義久さんと共に岩手県花巻市議選で当選を果たした細川宏幸さん。その人が、5日付の朝日新聞・2面「ひと」欄(全国版)に登場した。「えっ」と驚くと共に「やはりな」とも。同時に、70歳で市議選に出た10年先輩の友人、増子さんがなぜ、細川さんを懸命に応援していたかも、わかった。多くの人たちに、そのことを伝えられる、いい記事だと思う。

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2010年8月 5日 (木)

死んでも、思想、意思は伝わっていく  詩 ヒマワリは「星のひかり」と

磯山オサム・小詩篇からーその2-Dscf1434 (「ヒマワリは<星のひかり>と」など磯山オサムの5篇の詩が収められている『序説第16号』・2009年5月)

詩  ヒマワリは<星のひかり>と

                   磯山オサム

夜を惜しんで

手を繋ぎ東方十字路を越え

大川を渡る 大川を越える

   <星のひかり>

   持続する夢 持続させる夢

   中空の太陽

   一九六七年十月九日 ぼりびあ

   居場所を失った者の瞳の合図

生きて死んで越境をして

何度もこころを砕こうとする

「ヘルモンモダモノコノイノチ」

「ステルモノダモノコノイノチ」

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2010年8月 4日 (水)

清楚な美人に会いにゆこう(3)  小杉日光美術館で「高畠華宵の大正イマジュリィ」

Dscf1433 (図録「高畠華宵大正ロマン館」の表紙にもなっている「なぎさ」 「少女画報」口絵 昭和2年8月号 図録から) 

 「大衆文学があるように、大衆絵画があるとすれば、華宵、夢二はその代表格だろう」。

 と、おっしゃるのは「高畠華宵と西洋近代絵画」の主題で、図録『高畠華宵大正ロマン館』に書いている千足伸行さん。ただし、両者の画風にはかなりの隔たりがあるとして、こういう。

 「一言でいうなら、夢二は個性派であり、華宵は正統派である。世にいう夢二調、夢二式美人は、顔にしろ、身体のプロポーションにしろ、彼特有の(例えばトイツ表現主義とは全く異質の)穏健なデフォルメあるいは誇張を見せているが、華宵のデッサンはオーソドックスな、アカデミックとさえいいうる安定感、正確さ、自然らしさを見せている」

Dscf0757_2 (企画展入り口ではさまざまなファッション、姿をした女性像が大画面で迎えてくれる)

 小杉放菴記念日光美術館が企画展を開いている華宵がかって幅広く活躍できた理由に、こうした「個性派」(夢二)、「正統派」(華宵)の例を挙げているのだが、「いく時代かがあって」、大衆に(つまり、「砂時計」など私たちに)より印象的なのは、夢二なのではないか?。確かさ、優雅さ、モダンさ、抒情さ、美人らしい清楚な美人。華宵のそれは素人でもわかる。今回、美術j館にでかけ、それも確かに魅力だと感じた。

 ただ、夢二の絵のはかなさ、しおらしさ、やさしさ、かなしさ、つまりより「詩的」な雰囲気は、また別のような気がする。夢二が絵柄とはおよそ違う激動の世界を生きたこともあるが、その魅力は、どうもそれだけではなさそうだ(夢二の詩「宵待草」や「砂時計」が「不良詩人」を名乗っていることも、関係あるかも~)。

 

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2010年8月 3日 (火)

惨事 泣いてもいいですか!   そして、一羽になった名古屋コーチン

Dscf1372 (ベランダから逆さまに突き落とされた名古屋コウチャンたちの小屋=2日、霧降高原)

 泣いてもいいですか~!。というより、情けないというのが本音だ。2日、起きてみて、コウチャンたちの小屋をみると、そこになく、消えている。タープが倒されるなど、ベランダも荒らされている。「ピヨ~ピヨ~」。近くで小さな声が聞こえる。ベランダに通じる階段下をみると、ニワトリ小屋が逆さまに落とされており、金網ははがされている。コウチャンはいたが、いるはずのタカチャンの姿はない。そばには羽根が飛び散っている。<やられた!!!>。

Dscf1371_2 (逆になった小屋の中でコウチャン一羽だけが生き残っていた)

Dscf1383 (タカチャンのものと思われるベランダに残されていた雨にぬれた羽)

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2010年8月 2日 (月)

「ツリーハウス」、ついに完成! 霧降高原の森に「遊び場拠点」

Dscf1288 (木の匠の職人や「ネバーランド」の少年少女、先生たちに加え、県内外のさまざまな職種のボランティア、外国人観光客らがよってたかって、助っ人となり、8月1日、ついに完成した霧降高原の「ツリーハウス」=1日)

Dscf1305(「ネバーランド」の少女たちが懸命にネアリカを施したツリーハウスの入り口ドア=1日)

 霧降高原の森の中で完成に向けて作業中だった「ツリーハウス」づくりは、8月1日、ついに完成した。柱立てや骨組みなど数日間の基礎作業のうえ、ベランダに板を打つ作業が始まったのが7月25日。それから1週間のうちに、屋根ふき、内と外の白壁づくり、窓、ドア、ベンチと進み、詰めの1日に、はしごをかけた。これで工程のすべてが終わり、ついに完成をみた(さらに、縄ばしごをとうするか、ということも検討しているようだ)

Dscf1279 (下から見上げると、それこそ空中に浮かんでいる様子がわかるツリーハウス=1日)

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2010年8月 1日 (日)

白昼堂々と悠然たるもの 霧降高原の見事なオスジカ

Dscf0551 (白昼公然と霧降高原の道路を歩きながら「砂時計」を振り返る見事なオスジカ=霧降高原)

Dscf0504_3  Dscf0531_4

(「砂時計」の隣家の笹の中を動き回るオスジカ=上)             

(隣家の笹の茂みから出て、次の行動へ=右)

 

 

 そんなにもおかしいとは思わないが、なんとなくおかしいと思うのが、霧降高原の道路を白昼堂々と、歩いていくシカたち。ふだんはご近所の人たちが散歩する道路を、「自分の道だもの~」といった感じでゆく。好天の7月下旬、「砂時計」の寓居前の道路を歩いていった見事なオスジカの姿がそれだった~。こんな光景も「詩的生活」に入るのだろうか(?)。

Dscf0536(「怪しい奴だな~」と、またたきもせずに「砂時計」を見つめる彼=霧降高原)

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