「ツリーハウス」、ついに完成! 霧降高原の森に「遊び場拠点」
(木の匠の職人や「ネバーランド」の少年少女、先生たちに加え、県内外のさまざまな職種のボランティア、外国人観光客らがよってたかって、助っ人となり、8月1日、ついに完成した霧降高原の「ツリーハウス」=1日)
(「ネバーランド」の少女たちが懸命にネアリカを施したツリーハウスの入り口ドア=1日)
霧降高原の森の中で完成に向けて作業中だった「ツリーハウス」づくりは、8月1日、ついに完成した。柱立てや骨組みなど数日間の基礎作業のうえ、ベランダに板を打つ作業が始まったのが7月25日。それから1週間のうちに、屋根ふき、内と外の白壁づくり、窓、ドア、ベンチと進み、詰めの1日に、はしごをかけた。これで工程のすべてが終わり、ついに完成をみた(さらに、縄ばしごをとうするか、ということも検討しているようだ)
(印象的な極彩色の模様がネアリカで施されたツリーハウスのドアの中央部分)
栗の大木を活かしたツリーハウスは、ベランダと一体化した部屋のすみを幹が貫くように造られている。ドアの裏側には色鮮やかなネアリカの印象的な図柄があり、漆喰が塗られた内外の白壁によく映える。見上げると、丸太に板材を組み合わせた天井。4畳ほどの広さだが、子供たちの(いや、大人たちも~)「遊び場拠点」(ツリーハウスで宴会を開くにも遊び場になるかどうかと、う~む と気をもむ「砂時計」~)としては、すごく立派なものができあがった。
(ツリーハウスに取りつけられた木製ベンチと柱最上部をおおう木板装飾=1日)
(丸太と板材を組み合わしたツリーハウス内部の天井=7月31日)
(突然の大雨で作業の手を休め、ツリーハウス内部で談笑する木の匠たちとボランティアたち=7月31日、ツリーハウス内)
この中には米国・ワシントンから訪日、大きな戦力になった「旅人」(本人弁)も。一人もくもくと草刈りや材木整理、土袋運びや漆喰塗りなどに精を出し、手を抜かない仕事ぶりは印象的だった。黒澤明の作品「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」を挙げ、「生きる」を評価。「(「生きる」の主演は)シムラ・タカシ(志村喬)デシタネ」と語る世界のクロサワ通だ。20歳の米国青年にして「居合抜きの達人」だというから驚きだ。これから富士山に行き、3ケ月の旅人生活が終わる8月中旬にはいったん、ワシントンに帰るという。
(階段の反対側から見た空中に浮かぶツリーハウス。栗の大木をうまく生かして造られた様子がよくわかる=1日)
ツリーハウス完成については、友達ブロガーの「日光を漂ふ」と「日光『ふぃふぁ山荘』元単身赴任日記」も詳しくアップしています。
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コメント
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私も良く作りました
昔は何故か「ざんご」と呼んでいましたが?
砂時計さま、今日はお世話になりました
ありがとうございます
投稿: oyazi | 2010年8月 1日 (日) 22時07分
oyaziさま
「ざんご」ですか?。私の少年時代は森よりも
川。川をせきとめて魚を一網打尽にする「かいどり」
はドキドキもの(これは仲間がいないとできない遊
び。ので、自然と遊びグループが)。その後、
Fさんも加わり、寓居で歓談、さらに幾何楽堂へ。
投稿: 砂時計 | 2010年8月 1日 (日) 22時15分