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2010年8月25日 (水)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(4)-

Dscf2001_2 (「ぼくは時代を見ることを何よりも重要視した作詞家であり、作家である」などが書かれている阿久悠の『清らかな厭世』・2007年12月4刷 新潮社) 

  「なんだかいい詩だな」。カラオケで人が歌うのを聴いていて、そう思った。だれが作詞しているのかな?。確かめてみたら、阿久悠だった。何度か聴いてはいたが、気づかないでいた。それが「花のように鳥のように」。歌謡曲だが、ひとつの詩だと思う。いや、歌謡曲という形式による幸福の哲学になっている。そう思える(「詩的」だもの)。調べてみたら、1994年のレコード大賞作詞賞受賞曲だった。

花のように鳥のように

  歌・桂銀淑(作詞・阿久悠 作曲・杉本眞人 編曲・宮崎慎二)

そこにあるから 追いかけて

行けば はかない 逃げ水の

それが しあわせ あるよでなくて

だけど 夢見る 願かける

花のように 鳥のように

世の中に 生まれたら いちずに

あるがままの生き方が しあわせに近い

 

指の間を さらさらと

いつの間にやら こぼれ落ち

拾い集めた 欠片を見つめ

恋の終わりを 知らされる

花のように 鳥のように

晴れの日も 風の日も 人生

そんな風に思えたら しあわせに近い

誰が わたしを 捨てるでしょう

いつも こんなに 一筋に

こころ捧げて なさけをかけて

愛をいっぱい あげたのに

花のように 鳥のように

限りある一生を 信じて

生きることが 何よりも しあわせに近い

   ラララ・・・ラララ・・・ラララララ・・・

   あるがままの生き方が しあわせに近い

 阿久悠は、恋や愛の歌を書いていてもー「ピンポンパン体操」も「宇宙戦艦ヤマト」も「青春時代」なども書いているがー、ずっと、時代と並走していた。時代を背負っていた。というか、時代より半歩前を行ったり、時代が忘れたものを思い出させていた。

 阿久悠もそのことを意識的にやろうとしていた。阿久悠が亡くなってから約4カ月後に発売された『清らかな厭世 言葉を失くした日本人へー』を読んで、そのことがよくわかった。本人の言葉をこの本から引用してみる。

 「人々は時代のために疲れきる。痩せる。それなのに、時代を縁切りに出来ない。無駄と知っても並走しようと頑張る。宿命だとも思っている。時代を見ることが進歩だと思う。歩を急がせる。すると、時代を見て、人を見なくなる。だから、時代が過ぎたあと、追い切れなかった無念さと虚無だけが残り、敗北する。時代を恨む。時代を恨んでしまうと、もう老いである」

 「ぼくは、時代を見ることを何よりも重要視した作詞家であり、作家である。背景に時代の匂いを感じさせない詞は、一篇も書いていない。一篇もというのは、大仰にしても、心掛けとしてはそうである。男と女が愛を語らっていても、背景としては時代を想像させる。時には愛情の極致の瞬間を、時代のニュースが引き裂くことがあるという書き方もした」

(「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(5)」に続く)

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