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2010年8月18日 (水)

夏の夜、「桟敷席」で小さな同窓会  上州「尾島ねぷたまつり」-(下)-

Dscf1779 (子どもたちでにぎやかな縁日の代表格、「金魚すくい」=15日夜、上州太田市尾島)

 人波でごったがえした「尾島ねぷたまつり」のもうひとつの顔は縁日。国道の両側は延々とさまざまな屋台が軒を連ねた。あちこちに「かき氷」。それに「焼きそば」。さらにというか、代表格の「金魚すくい」。昔ながらの本格的な(?)金魚すくいで、子どもたちらでにぎわっていた。Dscf1786 (子どもたちの元気な声が飛び交っていた「射的」の屋台)

 久しぶりに見たのが、「射的」。温泉街などで見かけたことはあるが、縁日で見るのは、もうどのくらい年数が過ぎたのか。ここも子どもたちでにぎわっていた。浴衣の幼児たちが髪にさして(かけてか?、まいてか?、はめてか?)歩いていたのを見かけ、「へぇ~」と思った。「あぁ、これか」。そうわかったのが、光ものを売っていた屋台。「お面」もそうだが、これも縁日ならではの商品なのだろう。

Dscf1775 (道路両側に連なる屋台には光るおもちゃを売っていた屋台も)

 「尾島ねぷた」をそれなりに写真を撮ったところで、実家へ。我が家は大通りにあるため、2階は絶好の桟敷席(?)。小、中、高と一緒だった地元の友人、A君とO君と「砂時計」の3人で酒盛り。「尾島ねぷた」の歓声を聴きながら、冷えたビールや日光から持ち込んだ純米酒「日光囃子」などで。

 「どうして、その進路へ」「それからどうした」」「定年後は何を」「こんなこともあった」「あいつはどうした」。あうだこうだと話し、「今度はもう少し人数を増やして忘年会も」。これまでも五年に一度の同窓会で会ってはいた。が、膝を突き合わせ、3人でじっくり飲むのは初めて。

 こんな形で旧交を温めることができるようになったのも、砂時計が「詩的生活」に入り、ヒマ人(遊民、遊び人、御隠居)になったから.。A君はボランティア的な仕事、O君は長年の仕事の延長線にある仕事をやっているが、以前より余裕がありそうだ。(何しろ、尾島小から尾島中、さらに高校まで、ずっと同じ学校に通い、学び、遊んでいたから、次々と話題が)。

Dscf1768(暑いうえに人、人、人・・・・。むんむんしていた「尾島ねぷた」)

Dscf1822_2 (「砂時計」の実家から眺めた「尾島ねぷた」)

Dscf1803 (ねぷたには子どもたちが考えたらしいねぷたも登場していた)

Dscf1782 (結局、「砂時計」が行きつくところは津軽物産市のお酒のコーナー。大吟醸「白神」と特別純米「白神」を買い求め、日光の寓居で快飲することに)

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コメント

今年もこの時期でしたか。
今まで身近すぎて、まじまじと見る事がなかったけど、
こう見ると、尾島ねぷたも立派な催し物だね。

尾島といえば思い浮かぶのが「世良田東照宮」。
1617年に秀忠公によって建立された初代日光東照宮の奥宮拝殿が移築されてますね。見に行ったことがあります。
突然の雷雨のために「長楽寺」のほうは、拝観出来ませんでしたが~(笑)。
日光には縁のあるところですね

漂ふさま
やはり、そうでしたか。「漂ふ」さまなら、たぶん世良田
東照宮と徳川家の関係などを承知だと思いました。
世良田は私の小学生時代は尾島町の隣の世良田村でし
た(当時はずいぶん遠い村だと思っていましたが)~。

ハルさま
その通り。「灯台下暗し」。身近すぎて、なかなか
その事情や規模、影響などは知らないもの。「砂時計」も、そんな
ところですかね~。故郷を軽視していたかもしれない。

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