花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(5)ー
(上村一夫の代表作のひとつ『同棲時代』(上)の表紙・2005年復刊版・ブッキング)
阿久悠といえば、劇画家というか、現代の浮世絵師(「昭和の絵師」とも)とも思える上村一夫との交友が有名だ。上村一夫といえば、『同棲時代』や『関東平野』、『修羅雪姫』などの題名が思い浮かぶ。が、1986年1月、わずか45歳で病死した(もう、それから四半世紀も過ぎているのか、と、これを書いていて感慨にふける「砂時計」)。葬儀で弔辞を読んだのが、阿久悠だった。 (上村一夫との出会いなども書かれている阿久悠の『生きっぱなしの記』・2004年5月・日本経済新聞社)
阿久悠によると、広告代理店に勤めていたとき、武蔵野美大在学中だった上村一夫がアルバイト社員としてやってきた。上村21歳、阿久悠24歳。わずか半年間だけだったが、無名の天才同士が仕事でも遊びでも一緒に過ごし、そのときが後の2人をつくっていく濃密な時間となったようだ。
「ぼくは才人という人が本当に存在するのだと思ったし、彼は彼で、もの想う人というものを感じてくれた筈である」。こう書いたうえで、こんな言い方をしている。
「この時の出会いがなかったら、上村一夫は優秀なグラフィックデザイナーになっていただろうが、劇画家にはなっていなかっただろうし、ぼくは仮に阿久悠を名乗っても、作詞家にはなっていなかった気がするのである」
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(上村一夫『関東平野』(上)表紙・2005年8月・小池書院)
上村一夫の画風は大正ロマンの夢二や華宵に似通ってはいるが、また別の上村流のタッチだ。というか、現代風の匂いがあり、美人を描いても、どこか乾いている。劇画家なのだが、挿絵画家とでもいうのか、一枚一枚の絵に魅せられる(小杉放菴記念日光美術館で上村一夫の企画展でもやってくれるといいのだが~)。
(上村一夫『しなの川』(第3巻)表紙・2005年6月・k&Bパブリッシャーズ)
「さて、上村一夫が死んで、ぼくの気持は急変する。天下を取る気でいたのが、虚しくなり、いい作家であればいいと思うようになった」
上村一夫が亡くなった1986年。阿久悠はこの年、小林旭の『熱き心に』(日本レコード大賞作詞賞)を送り出す。日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し、夏目雅子が死んだ年だ。この詩について、阿久悠は『歌謡曲の時代』で、こう解説している。
そういう時代の空気の中で、何となく男の影が薄くなる哀しみを感じ、ぼくは、小林旭を男の最後の切り札のように思い、「熱き心に」という大スケールの詞を書いた。熱さの確認が必要な点で、現在と共通している。
熱き心に
小林旭(作詞・阿久悠 作曲・大瀧詠一 編曲・大瀧詠一、前田憲男)
北国の旅の空
流れる雲 はるか
時に 人恋しく
くちびるに ふれもせず
別れた女 いずこ
胸は 焦がれるまま
熱き心に 時よもどれ
懐かしい想い つれてもどれよ
あゝ 春には 花咲く日が
あゝ 夏には 星降る日が
夢を誘う
愛を語る
(「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(6)-」に続く)
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コメント
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オオシダレイコは素敵でしたね、、、
花粉症という名前を始めて耳にしたのも同棲時代、、、笑い
投稿: エルネスト | 2010年8月26日 (木) 16時14分
エルさま
私は「映画」は看板だけったかも。
むしろ「スローなブギにしてくれ」の
新人・浅野温子に強烈な印象が。
(9月に日光で「講話」があるとか)
投稿: 砂時計 | 2010年8月26日 (木) 18時52分