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2010年8月19日 (木)

流れ着いた海岸の向こうへ -清水昶小論ー(その3)

Dscf1831 (「美しい観念の髭をはやしてわたしは~」など、清水昶独特の言葉が連なる詩「男爵」=現代詩文庫・清水昶詩集)

 清水昶の初期の詩は言葉が次の言葉を呼ぶのではなく、言葉が別の次元に飛んでいく印象を与える。まっったく予期しない言葉が連なり、めまいにも似た比喩がこれでもか、これでもかというくらいに放たれる。言葉を追いかけていくと、一瞬、映画の一シーンに立ち会っているかのような錯覚を覚える。

 そして、いつか、くらくらと幻覚に陥るように気持になる。手品かと思わせる言葉の連弾を浴び、言葉の海に漂い、不安感を覚えるようになる。だが、それでいて、読後感は必ず、ずしりとくる重い高揚感が伴う。さらに、ほとんどの詩に不思議と清潔な気分を味わうことになる。

 「砂時計」のそんな感覚に近い詩論に中嶋夏の「喪失の青春」(『清水昶詩集』・現代詩文庫・93年9月・第11刷)がある。中嶋は詩「男爵」や「Happy Birthday」を例に挙げて、こう記す。

 なにか絵画に於けるシュール・レアリズムの技法をこの詩人が先天的に有しており、その技法の故か、この人の作品のあるものは言葉を読むという以上に見事な絵画を目の当たりにしたときの驚きに近い。この技法を詩的韜晦術と名付けてよいものやら私には定かではが、比較的どの作品をとりあげてみても現れてくる特徴のひとつである。ただ、わたしはこの詩的韜晦術とも呼ぶべきものが微妙にバランスを保ちながら見事な<虚構性>を成している作品よりも、なにか未明のものをまさぐりながら、言葉と言葉が烈しくぶつかり合っている作品のほうにより多く心を揺さぶられていた

 中嶋にこうした作品論を書かせた詩集『少年』のなかの「男爵」を示したい。 

詩 男爵

荒れ草だらけの口をひらき

歯なみだけが妙に清潔な1967年初夏

こわれやすい陶器で熱い沈黙をまえに

怒りにしまる腰を裂きえぬあなたに

なにをあげよう

地下室に落ちている蝶

薄暗い納屋でひえている水のような愛

   ここは純喫茶男爵だから

   美しい観念の鬚をはやしてわたしは

   のど首をつたう欲望をねくたいでしめ

   にがい精神をまっすぐ胸中に垂らしている

なにをあげよう

湧きでる唾液にやわらかな言葉は溶け

わずかに裂けるあなたの語り口に透ける夜街ふかく

ゆっくりと醒めるわたしは

夢の中心にまで踏み迷い

まっさおな銃口を朝にひらいた銃座にうずくまり

いっせいに顔をあげる日まわりの花芯を狙っている

なにをあげよう

待ち焦がれるのどをおさえ

かがやく飢餓がたちあがる夜

銃声は遠く臓腑に届き

みだれちる死に花のなか

つめたい汗光る首すじを

男爵のようにたてるわたしは

かかえきれぬ熟れに責めぐあなたの

両の乳房のあいだでするどく割れる悲鳴を

聞く

 ネットで「清水昶」」で検索していたら、この「男爵」を紹介しながら、なんとなくわかる感想に出会った。「清水昶の詩はあの時代にただぽつんと残っている気がしてしまいます」。「男爵」や「死顔ーデスマスクー」「眼と銃口」「恋歌1969」「魂のバリケード」などが収められている詩集『少年』のインパクトが強かっただけに、そうした感想になったのだと思う。私にしても、それに近い。それが、ずっと清水昶を気にかけさせてきたのだろう。

(「清水昶小論ーその4-」に続く)

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