花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(7)-
(阿久悠の『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金時代の70年代』・2007年12月・文春文庫)
阿久悠といえば人気テレビ番組「スター誕生」(阿久悠が番組の企画者、構成者だった)。「スター誕生」といえば、「中3トリオ」「高3トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵。なかでも宇都宮市生まれで、「スター誕生」からのデビュー第1号で知られる森昌子さんだ(今では昌子さんと呼びたいお母さん顔だが、少女時代よりも、よほどいい雰囲気の女性になったと思う)。
1971年から12年間続いた「スター誕生」で、13歳の森昌子が高得点で合格したのは、第7回大会。「普通の少女」の森昌子は審査員には期待されていなかったという。『夢を食った男たち』で阿久悠は当時を振り返っている。だが、ふたを開けると、それを裏切る見事な歌唱ぶりに驚きが広がる。少し長いが、その様子がよくわかるので、紹介を。
「歌を一度も聴いたことのない審査員の中に、番組の救世主になる少女だと予感した者はいなかったと思う。(略)その審査員が思わず腰を浮かし、一瞬表情を緊張したものに変え、やがて、深い深い溜息をついて微笑で顔を覗き合う状態になるまでいくらも時間がかからなかった。13歳の少女、森田昌子は、都はるみの『涙の連絡船』を歌ったのだが、それは全く見事な演歌で、あるひとは背中に寒さが走ったと言い、会場のざわめきを鎮めてしまうだけの力があった。彼女は若さと下手さではなく、若さと上手さで合格したのであるが、歌い方ではなく、歌が上手なのであった」
森昌子の記念すべきデビュー曲は(「砂時計」など、中高年以上だけが知っている~かな?)、ご存じ「せんせい」。阿久悠が作詞した。でも、なぜ、あんな「慕いつづけた人の名は、せんせい」なんていう、歌を書いたのか?(「それはないだろう」という感じで聴いていたので)。
「いくらか反社会的な作風でスタートした」という阿久悠。それが優等生そのもの、まるで絵空事のような、なんだか照れてしまう歌を。今までそう思っていたが、『夢を食った男たち』で、そのわけが、それなりに(それなりにだけれども~)わかった.。阿久悠が作詞者として当時、どんな思いで、「せんせい」を書いたか。
「少女が女の情念を歌うと絵空事になる。どうせ十三歳の少女だから、何を歌おうと絵空事だろうが、もう少し歌と歌手の年齢が接近したものをと、抒情を考えた。そして、時代の中で、今一番欠落し、渇望しているものは何だろうかと考え、それは、縦位置の人間関係の愛情だろうと思い、『せんせい』を書いた」
(「スター誕生」第1回チャンピオンの沼尾健司さんが作詞・作曲した「25」)
おっと!。「スター誕生」で忘れていけない人が日光にいる。、今市観光協会事務局長の沼尾健司さんだ。沼尾さんは「スター誕生」の第1回チャンピオンという輝かしい経歴がある。内山田洋とクールファイブの付け人を勤め、都内のクラブでギターの弾き語りをしたこともある異色の人だ。
その沼尾さんが2009年春に自身が作詞・作曲したソフトロックの軽快な歌「25(NIKKO)」をCD化。イベントなどで元チャンピオンの声を披露している。「歌で明るいイメージのニッコウをたくさんの人の耳に残せないか」。沼尾さんの思い通りのリズム感のある明るい歌だ。日光観光に訪れたら、ぜひ聴いて欲しい歌だと思う。
25
沼尾健司(作詞・沼尾健司 作曲・沼尾健司)
思い出してみないか 君と出逢ったあのまち
君と歩いたあのまち 君が好きなあのまち
夢に出てきたあのまち 思い出多いあのまち
POWER to NIKKO POWER to NIKKO
・・・・・ ・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ・・ ・・・・・
(「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(8)-」に続く)
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