「千三忌」 ひとりの兵士と母の墓に平和を祈る
「千三忌」(せんぞうき)については、日刊ブログ新聞「ぶらっと」の「平和の祈り『千三忌』)に詳しい。ほんの概要だけ紹介すると、背景はこうだ。
亡くなった兵士は高橋千三(せんぞう)さん。母はセキさん。千三さんは、岩手県北上市和賀町長沼から太平洋戦争に出征した。1944年、25歳?(23歳?)のときに、ニューギニアで戦死した。母一人子一人だった。母セキさんは極貧の中から、少しずつお金をため、10年かかって、路傍に墓を建てた。
セキさんが建てた墓に平和への思いを感じ取った人たちが、セキさん死後の1985年から「千三忌(せんぞうき」をスタートさせた。始めたのは墓の近くに住む詩人の小原麗子さん(「砂時計」の詩の先生です)。小原さんが主宰する読書会「麗ら舎(うららしゃ)読書会」が中心になり、年に一度、千三さんの命日に集まっている。
当日・11月4日は「南無阿弥陀仏」とだけ彫られた千三さんの墓を訪れ、千三さんとセキさんを偲ぶ。さらに二度とあのような戦争を繰りかえすことが、ないように。その思いを(いわば、反戦を)誓い合い、参加者ひとりひとりが「千三忌」を季語?に創作した俳句を発表しあっている。 (セキさんが路傍に建てた「千三」の墓。「南無阿弥陀仏」とだけ、彫ってある=岩手県北上市和賀町長沼 平和の祈り「千三忌」から転写)
「麗ら者読書会」は、この「千三忌」をキイワードに、戦争の悲惨さを伝えたり、体験談を聞き書きしたり、反戦詩などを中心にまとめた冊子を年に一度、発行している。「別冊 おなご」で、昨年まで28号を数えている。「砂時計」も岩手県に暮らしていた当時、「千三忌」に参加させてもらった。それをきっかけに、「別冊 おなご」に詩のエッセー「詩人の力」を連載するようになった(昨年は霧降高原への引っ越しなどもあり、初めて連載を休載)。
「詩 千三忌」は、最初、季刊詩誌「新・現代詩」(11号 2003年12月)に寄稿。それを「砂時計」の詩論集「怒りの苦さまた青さ 詩・論『反戦詩』とその世界」(2004年9月)に掲載した(というより、この詩論集の最も伝えたい詩だった)。さらに冊子「岩手の詩」(2005年春)にも寄稿している
大義もなにもあったものではなく(そんなこと最初から、そうなのだが~)、日本も尻馬に乗ったアメリカが始めたイラク戦争に「怒りの苦さまた青さ」。当時の「砂時計」は、怒り狂っておったので、ございます。そこで発行させていただいた最初の詩・論集です。だが~(今も宇都宮市の随想舎から発売中~筆者が言うのもなんですが、自慢じゃないが?あまり売れてません~)。
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コメント
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いつの世も子を思う母の気持ちは・・・
夕べ倉本さんの作品を見ながら改めて逝ってしまった人々のの想い踏襲しなければと・・・
投稿: ippoおかあ | 2010年8月15日 (日) 15時47分
おかあさま
千三忌の場合、夫に死なれて実家に戻り、母一人子一人
のつつましやかな母子家庭を守ってきたその結果・・・。
その墓を建てるために、10年間、お金を貯めた母のけなげさ、いじらしさ、子を思う母の思いの強さのなんという・・・・。やはり「反戦」ですね~。
(「砂時計」は空想社会主義的浄土真宗的ほぼ健康優良天然派不良詩人ですから~)。
投稿: 砂時計 | 2010年8月15日 (日) 16時16分