花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(6)ー
(「ニュース詩100篇と語り下ろしによる現代日本社会論」の阿久悠『ただ時の過ぎぬように』・2003年1月・岩波書店)
日光霧降高原の大笹牧場でこの季節、天然氷のかき氷、焼きそば、珈琲などの販売に大忙しのエルネストカフェ(晩秋、、冬、初春は、日光を中心に移動式珈琲店)。そのエスネストがブログで、いかにかき氷などで汗(?)をかいたか。それをアップしていたので、コメントを送った。
イソップ寓話にある「アリとキリギリス」を思い浮かべながらだ。今春だったか、エルネストは自身のことを「キリギリス」のように言っていた。なので、「むしろ、アリになったのではないか」(労働に頑張っているね)と、エール(?)を送ったつもりだ。その返信のコメントのなんと、ユーモアのあること。
● 砂時計 . 20:01 / Mon.08.23 エルさんも往年の「キリギリス」から「アリ」への華麗な変身を
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● 砂時計 22:52 / Tue.08.24
「ぎりぎりっす」に座布団一枚!。
阿久悠はユーモアを大切にしていた。「ユーモアが欲しい。ユーモアの笑いは余裕である。過剰な競争心と、それによる被害妄想をやさしくほぐす」。『清らかな厭世』(阿久悠・新潮社)でこう話す。「学校教育の必須にしたいと思っている」とまで語っている。
「ぼくは、学校教育の中にユーモアを取り入れたいくらいの気持ちを持っている。人と人はザラザラこすり合うのではなく、いい心持ちの潤滑油の役目を果たす言葉を持たなければならない。それがユーモアである」
「砂時計」としては「我が意を得たり」。そんな感じだ。それを阿久悠のニュース詩100篇からざっと探してみたら、ユーモアというより、ブラックユーモアのような詩が目にとまった。
愛煙家である「砂時計」や「エルネスト」(なかなか禁煙できない「ふぃふぁ山荘」、あるいは「氷屋徳次郎」や「日光の親爺の徒然」も。さらに禁煙宣言を行っているはずの?「日光を漂ふ」も)の心を代弁(そうかな?)したかのような「たばこエレジー」だ。もう10年以上前の詩だが、詩が予言したことは、悲しいかな、今や現実となっている。
たばこエレジー(1999年12月)
阿久悠
(前半略 後半部)
そのうち
愛煙家は違う道を歩かされ
違う入り口を指定され
囲いの中に入れられるかも知れない
そうなってはもう
粋なポーズなんてものじゃなく
生きていること自体が間違いだと
けわしい視線に突き刺され小さくなる
哀しいね 哀しいね
だったらやめりゃいいのだが
やめて恭順を示すほど
いい世の中じゃないってことかな
もはや 愛煙家は
踏んづけても 叩いても
反発しない人種だと思われているから
税金が必要になると
だばこ税をとすぐに云う
いっそ税金じゃない
罰金だとはっきり云ってくれ
(ここで「砂時計」は一服~。「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(7)ー」に続く)
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コメント
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タバコなんて何時でもやめられますヨ。私は何回もやめたことがあるから。
そんでもって、タバコ税が上がれば愛煙家のおかげで国が回るかもね?
投稿: 徳次郎 | 2010年8月27日 (金) 20時33分
徳次郎さま
愛煙家はそのうち100万人に一人となり、
国の特別天然記念物か、あるいは人間国宝に。
それとも無期懲役か。どっちにもなりたくないです。
(たばこ税値上げの10月が勝負ですね?)
投稿: 砂時計 | 2010年8月27日 (金) 22時12分