無料ブログはココログ

ブログランキング

  • ブログランキング
    人気ブログランキングへ

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月30日 (木)

詩 蜆(しじみ)  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(5)-

Dscf3083 (詩「蜆」を朗読する盛岡市の詩人 かしわばらくみこさん=北上市の日本現代詩歌文学館)

 「日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」では、地元・岩手の詩人たちも朗読した。なかでも「台所の詩人」という盛岡市のかしわばらくみこさんの詩「蜆(しじみ)」が、なんとなくシュールで面白かった。

 「砂時計」とは、岩手県詩人クラブの会員同士で、詩誌「堅香子(かたかご)」の同人でもある。かしわばらさんは、昨年11月に詩集「夜のバス」を発刊。それを日光の黒川に贈ってもらったことで覚えていた。

 だだし、直に知り合うのは、この日が初めて。夜の懇親会で「黒川さんですか。いつも書く詩から1940年代か1950年代の人かと思っていたのですが~」と言われてしまった?。半可通だが、「砂時計」の詩は硬いものが多かったため、かなり年配の人かと、思われていたのだろう。 

Dscf3819 (詩「蜆」などが収められている、かしわばらさんの詩集「夜のバス」・09年11月・厨書房)

 かしわばらさんの場合、御自身が「台所詩人」と、会場でだったか、言っていた。確かに、柔らかな家庭的な人柄だが、一方で芯もかなりありそうな女性だという印象がある。そうした人柄と詩がほとんど一体化しているような詩だ。

 詩集「夜のバス」では実際、「風呂」「落ち葉」、あるいは「爪」「果実酒」とか、「蛇口の水音」「かぼちゃ」など、確かに台所や家の周辺から着想した詩が目立つ。 

 だが、「広すぎる家で川をおもっている/岸をへだてる深い川/さあ、舟を出そう/漕いでみようか/過ぎた日々の勢いで」といった「天の川」」などの抒情的な詩もある。ただの台所詩人ではないところが、やはり「詩人」なのだと思う。

Dscf3097 (日本現代詩歌文学館の会場では岩手県の俳人たちの「古町界隈吟行会」もあった)

 詩 蜆

           かしわばらくみこ

ステンレスのお盆を

汽水湖に見立て

津軽から来た蜆を並べる

静かにはなれると

やがて、うっすら口を開け

砂とも泥ともつかぬ粘着物質を吐く

心なし移動しながら

   夜、流水で転がし

   赤ん坊をあやす手つきで

   寝床に戻す

     おいしくなってね。

     おやすみなさい。

   と、キッチンの灯りを消す

続きを読む "詩 蜆(しじみ)  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(5)-" »

2010年9月29日 (水)

南京玉すだれ  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(4)-

Dscf3203(懇親会会場で披露された詩人や「北上ピエロの会」の「南京玉すだれ」=18日、岩手県北上市)

アさて アさて アさて さて さて さて
さては南京玉すだれ
チョイと伸ばせば

浦島太郎さんの 魚釣り竿にチョイと似たり
浦島太郎さんの 魚釣り竿がお目にとまればおなぐさみ
お目にとまれば元へと返す 元へと返す

 大道芸でおなじみの「南京玉すだれ」が、にぎやかに演じられる。会場は現代詩人会東日本ゼミナールin岩手の懇親会(岩手県北上市のホテル)。いや~まぁ。明るく演じているのは、よく知っている北上市の喫茶店経営者であったり、女流詩人であったり。

 まとった半纏に「北上ピエロの会」とある。そうか、そういう会で練習を重ね、この日の懇親会を盛り上げようとしてきたのか。それにしても、芸はほどほどだが、詩人の集まりにはぴったりの伝統芸能だと思ったことだった。

Dscf3187 (現代詩人会東日本ゼミナールin岩手の懇親会の模様)

 懇親会では、遠方からの参加者がひとこと、マイクで述べることに。「砂時計」も日光から参加したということで、司会の岩手県詩人クラブ事務局長(9年ぐらい前からの友人)から「日光の黒川さんも」と、促される。

 いったんは断ったが、再度の注文があり、マイクを手に。「日光から来ましたが、岩手県詩人クラブの会員です、実行委員長の斎藤彰吾さんらの義理と人情でやってきました。いずれ、日光でも詩人クラブをと思っています」などと、自己紹介させてもらった。

 懇親会場では名前は知っていても、面識がない各地の詩人のテーブルを回り、ひとことあいさつ。逆に「あなたが、黒川さんですか」と、声を掛けられる場面も。さらに名刺の交換をしながら、数人からそれぞれの詩誌もいただいた。私が用意した5冊の同人誌「序説」(「砂時計」が事務局)も、すぐに手をはなれた。

Dscf3236 (懇親会の閉会で紅白もちをにこやかに配る斎藤彰吾・実行委員長)

 最後は岩手県詩人クラブの面々による縁起のよい「もちつき踊り」。終わると、各演者が紅白のもちをまいたり、くばったり。いやまぁ、岩手の実行委員会の気配りが、わかろうというものだ。

 「二次会は?」。といわれたが、私はすでに市内の居酒屋「風土」(かってのなじみの店)に予約済み。そこで斎藤さんら数人で飲もうと考えていた。「黒川さんが予約しているなら、その店へ」ということになった。

 ということで、現代詩人会員や岩手県詩人クラブの面々、およそ20人が、その「風土」へ。お店は多少面食らったようなので、元常連の私は恐縮しつつ、幹事長補佐役として、働いたのであった?。

 「もう少し、やりますか」。そんなわけで、さらに斎藤彰吾さんと詩誌「コールサック」や詩論集などを発刊しているコールサック社代表の詩人鈴木比佐雄さん(優れた詩論集などがある)と3人で、もう一軒歩いたのであった~(よく、まぁ、飲んだこと~)

(「東日本ゼミナールin岩手ー(5)-」に続く)

続きを読む "南京玉すだれ  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(4)-" »

2010年9月28日 (火)

詩 風のかたまりの夜  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(3)-

Dscf3099 (「北上詩の会」の群読「長沢剣舞」=18日、岩手県北上市の「日本現代詩歌文学館」)

 「ざふざふと樹木をゆすり」。このフレーズが何回かでてくる。「現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」。会場で朗読された詩人たちの詩の中で、いくつか、印象的な詩句があったが、福島県の詩人 若松丈太郎さんの「風のかたまりの夜」は、その典型だった。

 若松さんと会うのは初めてだったか、初めてという気がしない。というのも、以前、季刊詩誌「新現代詩」で一緒の同人だったことや、若松さんの詩集「峠のむこうと峠のこちら」などを贈っていただいたことがあるからだ。

 詩集「夜の森」で福島県文学賞などを受賞したとある。硬派と思えるふだんの詩そのものの印象から、<若松さんはいかつい長老?のような人だろう>。そう思っていた。ところが、実際の若松さんは、やや細身で、優しい表情が似会う人だった。

Dscf3060 (「風のかたまりの夜」を朗読した福島県の詩人 若松丈太郎さん)

 その18日夜の懇親会で、若松さんのテーブルを探し、「詩集の御礼も差し上げなくて、失礼しました」と、恐縮しつつ「砂時計」の名刺を差し出した。若松さんは「黒川さん あなたでしたか」。

 「若松さんは、詩の印象と人柄の雰囲気がかなり違うように思えますね」。私がこう話すと、若松さんは「会ってみないと、人はわからないものですよ」と、にこやかに応じた。

 紹介する「風のかたまりの夜」は、「遠野物語」に出てくる説話「サムトの婆」を下敷きにしたものだ。詩の最終部に「人はどうして どこに姿を隠すのか」というフレーズがある。この前後にこの詩のなんともいえない考え?が、浮かび上がる。そのように感じられる余韻が残る詩だと思う。

Dscf3176 (会場となった岩手県北上市の「日本現代詩歌文学館」の正面玄関壁面)

詩 風のかたまりの夜

                  若松丈太郎

ざふざふと樹木をゆすり

夜空を風のかたまりがはねてゆく

家いえでは身内がいろりに集まり

風のはねる音に耳をすましている

ほた火のはねる音にびくっとする

   こんな夜を

   サムトのばばあが帰って来そうな夜と

   遠野在の者は言う

   梨の木の下に草履を脱ぎ

   消えて三十年

   忘れられかけたころ

   ざふざふと樹木をゆすり

   闇のなかを風のかたまりがはねてゆく

   今夜のようにみんないろりに集まり

   黙りこくってほた火を見つめていた夜

続きを読む "詩 風のかたまりの夜  現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(3)-" »

2010年9月27日 (月)

薪ストーブ、今季初点火  霧降高原はもう晩秋模様 

Dscf3790 (今季の薪ストーブ使い始め=27日、日光霧降高原の「砂時計」宅)

 まだ9月だというのに、全国的に冷え込んだ26日、さらに27日と、日光霧降高原の「砂時計」は、今季の薪ストーブ生活を始めた。

 もう少し先になってからと思っていたが、26日夕の我が家は気温16度に。それならと、昨冬に次いで二度目の「薪ストーブさま」におでましねがった?

 ただし、さすが9月なのか、少し暖めていると室内温度はぐんぐん上昇。寒暖計を見たら、もう気温27度。これでは暑いはず。いったん薪をくべるのをやめ、ころあいをみて、再び燃やした。

 夏の間中、冷酒で通していたが、炎を見ているうちに、そう。<これは熱燗だわな~>。ということで、今季初の熱燗を薪ストーブのやかんで。これがまた、美味いんだな。銘柄はもう吉田屋経由の「特醸 燦爛」(さんらん 益子町・外池酒造)が、今のところお気に入り(冷酒は「日光囃子」・塩谷町・松井酒造を気に入っている)

Dscf3800 (居間の一部はもうすっかり薪ストーブ生活になった「砂時計」宅)

 薪は昨冬の残り、さらに初夏に入れたもの、晩夏に切断したものと、準備は万全。ただし、はじめに火をつける枯れた小枝は昨冬のものが少しあるだけだ。<そうだ、幾何楽堂(近くの霧降高原の友人)が寄贈してくれた建築工事の余りものがあるのだ~>。

 それを思い出し、26日夕はその建築木材をノコギリやオノ、ナタで何本も切断。小枝に近いものにして、1週間ほどの貯蔵に成功?。さらにベランダで乾燥していた薪を20~30本抱えて、居間へ。

 <そうだ、七つ道具をチェックしないと>。え~、使い終えた牛乳パック、ファイヤースターター、軍手、耐熱手袋、火ばさみ、ストーブの送風調整道具、じゅうのう・・・。

Dscf3768 (薪ストーブ生活に欠かせない、耐熱手袋や軍手、じゅうのう、火ばさみなどの「七つ道具」)

 七つ道具がそろったところで、ファイヤーON。いや、建築廃材がよく燃えること。ころあいをみて、真打ち?の薪もくべる。この方はまだ夏の乾燥が少し足らないのか、燃えはそれほどでもない。

 気がつくと、Tシャツ一枚になっていた。<やはり、まだ薪ストーブ本番の季節にはまだ早いのかな>。そう思いながらも、燃え盛る炎を横目に冷奴に熱燗を手にしていた。

 27日も朝から冷え込んいる(ラジオの天気概況を聞いていると、各地で11月上旬の気温とか)。これでは冷え込むはず。<今晩は肉豆腐で熱燗にするか、それとも冷酒がいいか>。世界の情勢と関係ないところで、悩んでいる(そんなことで悩むな~の声あり~)「砂時計」です。

続きを読む "薪ストーブ、今季初点火  霧降高原はもう晩秋模様 " »

2010年9月26日 (日)

祝!!初めて卵を産む 苦難乗り越えて名古屋のコーチャン

Dscf3664 (名古屋のコーチャンが産んだ初めてのタマゴ=26日、日光霧降高原)

 えっ!! なんと!!。<よく、やったね~>。我が家の名古屋のコーチャンが初めてのタマゴを産んだ。野良猫の襲撃に遭い、生きるか死ぬかの連れ去られ事件を乗り越えての快挙だ(?)。

 26日午前、コーチャンのねぐらに敷いてある干し草を取り変えようとした。そのうち何か、丸いものが干し草の間にころがっている。(表現としては)目をこすりながら、よく見ると、コーチャンのタマゴが、なにげなくそこにあった。

 4月19日に生まれ、4月23日に「砂時計」宅へ。名古屋コーチンは誕生から160日でタマゴを産むと、ものの本に書いてあった。春先の当時、<そうか、秋まで待つのか>。そんな思いでいた。結果は。ぴったり、160日での初出卵だ。

Dscf3689 (黄身が濃い名古屋のコーチャンのタマゴ)

 「砂時計」が飼ったのは3羽。そのうち、一羽はたぶん、野良猫にやられた。さらに1羽は野生の獣にやられたとみられる。結局、残ったのはコーチャン1羽のみ。そのコーチャンにしても、6月29日に野良猫に襲われた。一時、仮死状態になり、獣医の診察を受けに行ったほどだ。

 災難を乗り越えたことで、逆に命強いのか、コーチャンは、すくすく。この1週間ほどは以前より食欲が増えていた。<産むのも近いかな>。そう思っていたが、<災難のショックで、産まない可能性も>。そんな心配もしていたところだった。

 そうそう、大事な報告を。タマゴはやや桃色がかっており、(巻尺で測ると)直径約12センチ。縦約5センチ、横約4センチ。それほど大きくない。というか、中の下ぐらいの大きさだ。

Dscf3668 (初めてタマゴを産んだ名古屋のコーチャン=26日、日光霧降高原)

  <そうだ、生タマゴごはんにしょう>。さっそく、生タマゴごはんを中心に焼きそば(エルネストカフェが砂時計の「詩的生活」に?、共感し?、同情し?、あるいは尊敬し?、25日夕に差し入れてくれたもの)、納豆、海苔、浅漬に味噌汁の献立を用意した。

 タマゴをそぉ~と、割り、器に落とす。いつもやっていることだが、かなり、慎重に。白いごはんにかけて、「いただきます!」。味の方は、ふだん、スーパーで買っているタマゴより、黄身がかなり濃いように感じた。美味しかったのは、言うまでもない。

 名古屋のコーチャンは27日から毎日、ひとつのタマゴを約2年間、産むことになっている。さて、実際、その通りになるのか、どうか。生タマゴにタマゴ焼き、目玉焼き、ゆでタマゴを味わいつつ、そのうち、報告させていただきます~(本日は、にこにこ顔の「砂時計」、みなさまに幸あれ~と思わず言ってしまいそう)

続きを読む "祝!!初めて卵を産む 苦難乗り越えて名古屋のコーチャン" »

2010年9月25日 (土)

霧降高原の森づくり5年目 企業の「森林サポーター」と地元ボランティア

Dscf3560 (はたけしめじの菌床を運ぶ子どもたち=25日、日光霧降高原)

 日光霧降高原で25日、雑木林の保全や下草刈り、はたけしめじの植え付けなど、「霧降協働の森づくり」が、大人たちはもちろん、幼児や小学生らも加わって、なごやかに、にぎやかに行われた。

 情報通信事業などで知られる日本コムシス(本社・東京)の社会貢献事業の一環。地元のボランティアグループ「霧降を元気にする会」と「日光森と水の会」が協力し、同社の「森林サポーター」ら総勢約200人近くが熱心に作業した。

 県の「企業の森づくり サポート制度」などによると、06年に「霧降協働の森づくり」協定を、同社と日光市や霧降を元気にする会が結び、今年で5年目。これまでブナやミズナラなども植樹しているという。「砂時計」」は「霧降高原『森の図書館』館長」なので、森と水の会から御座敷がかかり?、今回、初めて参加した。

 はたけしめじ植え付けじグループの「砂時計」は、上州の利根川育ちの都会っ子(矛盾する?笑い)なので、はたけしめじの植え付けは初めて。むしろ、森林サポーターたちの方がよく作業工程を知っていて、てきぱきとグループを指導。土掘りで掘りだされた根っ子の処理や菌床の土かけなどに手をだしているだけで済んだ。

Dscf3574 (森林サポーターの手で整然と並べられたはたけしめじの菌床)

 用意された菌床は500個。ブロックの半分強ほどの大きさだが、見た目以上に軽い。お父さんやお母さんが土を掘ったあとは子どもたちの出番。次々とブロック、ではない、菌床を運び入れ、さらに自分たちで順序よく並べる。

 「あっ、それは裏返しだよ。表を上に」「袋をきちんと取ってから並べて」。大人たちが子どもたちに声をかける。それが終わると、掘り返した土を約1センチほど菌床の群れに盛っていく。

 土を盛りかけられた菌床のうえに落ち葉たい肥を重ねる。最後に昨年、集めたという落ち葉をばっさり、均等にふりかける。キノコの生育には気温十数度のこの時期の天候がよく、約40日で成長、ひとつの菌床から約500グラムのはたけしめじがとれるという。

Dscf3594 (最後は落ち葉をかけて、作業終了、あとは成長を待つばかり)

 作業を始めたときは、今にも雨が降りそうな曇り空。それが作業が終わる昼前後には、見渡す限りの青空。というか、見事な快晴。「さぁ、お昼」。森の中の広場で用意されていたのが、バーベキュー。

 各グループごとに鉄板が用意され、食べきれないほどの野菜に牛肉、さらに焼きそば(「砂時計」の得意調理~)。筑波山が遠望できる広場でのバーベキューは格別だ。たまたま、一緒になった会場警備の人たちもにこにこ。「警備の仕事をやっていて、一緒にバーベキューをやるのは初めて」とか。

 環境保全活動といえば、足尾銅山の緑化活動(NPO法人・足尾に緑を育てる会)がよく知られるが(「砂時計」も参加している~)、地元・霧降高原でも、こうした森づくりが進められることはいいことだ。サポート側の地元グループは10人ほどだったが、<〈もっと、霧降高原の人たちが加わってもいいかな~>。そう思った「霧降協働の森づくり」だった。

続きを読む "霧降高原の森づくり5年目 企業の「森林サポーター」と地元ボランティア" »

2010年9月24日 (金)

鬼剣舞  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(2)-

Dscf3158 (白い面をつけた鬼剣舞のリーダー=18日、岩手県北上市の日本詩歌文学館)

 岩手県北上市の日本現代詩歌文学館であった「現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」では、アトラクションとして鬼剣舞があった。鬼剣舞は、この地方のいくつもの集落ごとにあり、この日は「二子鬼剣舞」が出演した。

 ゼミナールや各地の詩人との交流も目的だったが、「砂時計」は勇壮な鬼剣舞のアトラクションも大いに楽しみにしていた。民俗芸能の宝庫である北上市にはかって3年間、暮らしていたが、この地の民俗芸能の筆頭はなんといっても、鬼剣舞とみていいだろう。

鬼剣舞の由来 (北上市のホームページから)

 北上市の周辺に伝わる「鬼剣舞」は正式に
は「念仏剣舞」の一つですが、威嚇的な鬼
のような面(仏の化身)をつけ勇壮に踊る
ところから「鬼剣舞」と呼ばれ、親しまれ
ています。大宝年間(701~704年)に修験
の祖・役の行者小角が念仏を広めるために、
念仏を唱えながら踊ったのが始まりという

説や、大同年間(806~810年)に羽黒山の法印

・善行院荒沢鬼渡大明神で悪霊退散・衆生済度の

念仏踊りとして伝えられたのが始まりともいわれています。

Dscf3118(「二子鬼剣舞」 8人編成でさぁ、これから舞の始まり~始まり)
 鬼剣舞について、それなりの説があるが、「砂時計」としては「悪霊退散」がいかにもふさわしい。見ていてわかるのは、鬼たちが(仏だから、角がない鬼という)いずれも、大地を蹴るようにというか、踏みしめて舞う。

 さらに大地を踏みしめたとき、鬼の面を揺らせながら、しっかりと次の場面に向けて、一瞬、立ち止まるかのような姿になる。一瞬でも、その動きに無駄がなく、鮮やかさな身のこなしが、大地と対話しているようで、なんとも力強い。

 そのうえで、扇や剣を手にした集団が入り乱れながら?、一糸乱れず、舞う。舞いの輪はひとつの幾何学を思い浮かべさせる。何度見ても、飽きないところが、すごいところだ(北上市で暮らしていたとき、何度見たことか。かなうことなら、「砂時計」も鬼剣舞を覚えたいほどだ)。

Dscf3113 (鬼剣舞について会場の詩人たちに説明する二子鬼剣舞の世話役?)

  、「この鬼剣舞が一番良かった」。鬼剣舞が終わり、会場を出たところで、本気とも冗談ともつかぬ語り口で、ゼミナールに参加した詩人のひとりがつぶやいた。東北の岩手らしい舞いに、初めて見た人は感激する。その典型的な感想だろう。

 そういえば、二子鬼剣舞の世話人?は「北上・みちのく芸能まつりでは、200人もの踊り手が鬼剣舞を舞います。ぜひ、北上市を訪ねてください」、そう呼びかけていた。(今年はすでに終わったが、そう遠くない時期に北上の鬼剣舞を見るためにでかけてみよう、そう思ったことだった)。

 それにしても、東日本ゼミナールの実行委員会の企画だと思うが、いいアトラクションを日程に組み込んでくれた。神仏混合だという力強い舞いは、いかにも「詩的」だ。詩人たちの集まりにふさわしい公演だったと思う。「二子鬼剣舞」のみなさんに、このブログで感謝しよう。

続きを読む "鬼剣舞  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(2)-" »

2010年9月23日 (木)

詩 鎌のゆくえ  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(1)-

Dscf3110_2 (「日本現代詩人会 東日本ゼミナールin岩手」で詩歌を朗読した詩人たち=18日、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館)

 日本現代詩人会の東日本ゼミナールin岩手が18日、北上市であり、「砂時計」も参加した。実行委員長は私の詩の「水先案内人」である詩人 斎藤彰吾さん(元岩手県詩人クラブ会長)。その斎藤さんや地元の詩人で「千三忌」の墓守、小原麗子さんや「北上詩の会」の詩人たちの「義理と人情」もあった?。

 さらに詩集を寄贈していただいたり、手紙やメールをやりとりしたりしているが、顔を合わせたことがない各地の詩人たちに会う、いい機会だと思ったからだ(岩手県詩人クラブ会長の吉野重雄さんやブログの「お友達リスト」の関西の詩人 永井ますみさんなど。永井さんは緊急な用事があり、欠席だったが~)。

 日光から宇都宮の東北自動車道へ。郡山、仙台、一関などを経て北上へ。行程約400㌔。5時間かけて、ようやく北上市に着いたのはもう午後3時。すでに講演「井上靖と平泉」(北川れい)、「啄木と賢治について」(八木幹夫)は終わり、途中の休憩に入ったところだった。 。

Dscf3064 (詩 「鎌のゆくえ」を朗読した山形県の詩人 木村迪夫さん)

 それでも「詩歌の朗読」には会場に入ることができた。詩の案内は「砂時計」も会員になっている岩手県詩人クラブの事務局次長の森三紗さんとある(夜の懇親会で初めて知り合った)。千葉県の朝倉宏哉さん(朝倉さんも岩手県詩人クラブの会員だが、懇親会で初顔合わせ)の「深夜の酒宴」を一番手に、次々と登壇する。

 その一人、山形県の木村迪夫(きむら・みちお)さんは「鎌のゆくえ」を朗読した。ふつうに語りかける朗読だが、その言葉の重みや切れ味が独特だ。いわゆる「詩壇」の詩とは異質な世界が広がる。

 聞いていてそう感じたが、配られた冊子のプロフィールを読むと、「詩信・村の幻へ」で日本農民文学賞を受賞。さらに晩翠賞、丸山薫賞、現代詩人賞などを受賞している。「やはりそうか」。そう思いながら、聞き耳をたてた。

 朗読を始める前に木村さんは「恋愛詩も書いたらどうかと言われているし、恋愛はたくさんしている。だが、わたしは農民の詩しか書けない」といったようなことを真顔で語り、会場をわかせた。「もう定年の年だが、死ぬまで農業をやっていくことになる」とも。

詩 鎌のゆくえ

おれたちは鎌をもっていた

一人ひとり村のだれもが

翔ぶがごとく鋭利な細身の鎌を

おれも女房も

おふくろも

累代うけ継がれ傷ついた栄光の鎌を

鎌は刈りの季節をすぎると

納屋の板戸の隙間にさしこまれ

冬をむかえた

ふたたびの季節のために

刻まれた刃の深みに土肌をのこしたまま

沈黙こそ祈りの象徴とばかりに

気概の刃先をしのばせ

Dscf3172 (「日本現代詩人会 東日本ゼミナール」の会場となった岩手県北上市の現代詩歌文学館)

続きを読む "詩 鎌のゆくえ  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(1)-" »

2010年9月22日 (水)

記憶を呼び覚ます舞踏  霧降高原で雪雄子「月光月下」

Dscf3369  (雪雄子の舞踏公演「月光月下」第1部=20日、日光霧降高原 幾何楽堂)

 神秘的でシャーマニックな舞いー。プロフィールのそんな紹介の通りの舞踏公演が20日、日光霧降高原の幾何楽堂であった。津軽の舞踏家・雪雄子さんの「月光月下」。周囲が深い緑におおわれた幾何楽堂の前庭斜面で始まり、広いログハウスの屋内舞踏に移った。

 幾何楽堂ではつい先日、飼っているニワトリ3羽のうちの1羽が野良犬の犠牲になるという事件が起きた(「砂時計」では3羽のうち2羽が野良猫と野生動物の犠牲になっているが~)。このため、第1部、第2部を終えた雪さんが、ニワトリの「追悼公演」も加えた。

 「追悼公演」は、幾何楽堂の前庭斜面にかがり火をたいた草地の「舞台」で。暗闇の中で光にゆらめく雪さんが厳粛に舞い、ログハウスへ。赤い帽子をかぶった雪さんがニワトリよろしく、観客たちと無言の対話をしながら、公演を終えた。

Dscf3374 (「月光月下」第2部の始まりのシーン) 

 演奏は邦楽家(音象家)の木村俊介さん。第1部では公演のために急きょ、幾何楽堂が「清水演奏舞台」(谷側に突き出した屋台)を森側の前庭に制作、その舞台で笛を中心に森の中の雪さんの舞踏に寄り添った。

 屋内では笛、津軽三味線に加え、太鼓や大小さまざまな鉦なども用意。ときに幻想的に、ときに静寂に、ときに激烈な演奏を展開。いわゆる「現代音楽」を雪さんの舞踏に重ねた(木村さんによると、2人はイメージの打ち合わせだけで、リハーサルはなしの本番だったという)。

 観客たちは幼女から老婆まで演じる雪さんのなんともいえない表現にある種の感嘆を覚えたようだった。「砂時計」もその一人だが、もっと感じたのは、雪さんの舞踏が人の「記憶」を思い出させるようなものであったことだ。

 緊張のうちに厳粛に、時に激しく舞い、祈り、ぬかずき、崩れ落ち、さまよう、その移り変わる舞踏の情景(印象としては、卑弥呼であったり、楊貴妃であったり、恐山の老婆であったり)を注視していくと、心がいつか、過去へ過去へと遡っていくようだった。

Dscf3396(「月光月下」終了後のニワトリ追悼舞踏) 

 それが分かったのは、公演が終わり、雪さんも交えた「懇親会」で(と称する打ち上げの飲み会)。飲みあううちに過去にこの先の進むべき道を摸索していた若者時代を語ろうとする自分がいたからだ。それは語り合っていた友人たちも同じようで、過去の記憶をお互いに、たどろうとしていた。

 舞踏の持つ力みたいなものは、頭ではわかっていても、なかなか理解できそうにない(大衆演劇が好きな「砂時計」もそうなのだが~)。この日の雪さんの舞踏は、記憶の、つまり、過去の時間へ、無意識のうちに飛ぼうとさせる力が宿っていた。そうしたエネルギーは、やはり「暗黒舞踏」の血筋なのかもしれない。

 雪さん自身は公演が終わると、舞踏での能面のような表情が一変。大きな飲み皿で「一気飲み」に付き合い、観客に気軽に声をかけるなど、気さくな一面を見せた。舞いが厳粛だったのに比べ、その声の可憐なことにも驚いた「砂時計」でした。 

雄子プロフィール(宇都宮「悠日」ブログから)

舞踏家。東京都目黒生まれ。1970, 暗黒舞踏の創始者土方巽に出合う。1972, 大駱駝艦創成に紅一点として参加。1975, 北方舞踏派(山田一平主宰)と共に山形県出羽三山麓へ移住。1984, 土方巽演出、振付の「鷹ざしき」で女鷹を舞う。1988~1992, 独舞踏「蝦夷面」(山田一平演出)をサンフランシスコなどで上演 , 北国の生命力を現出する舞踏家として高い評価を受ける。1993, 秋、津軽へ移住。偶然のようにして出会う縄文をはじめ、津軽に息づく原初そのものの命との出会いを創作の原点としている。1995, 風の誕生」(青森公立大学)、縄文映画「一万年王国」、「縄文頌」(京都市・国際日本文化研究センター)、1998, 「カリヨンの庭」(仙台市・宮城県美術館)2005ウィーン、パリ、ワルシャワで公演。2007, サンクトペテルブルのDANCEグループDELEBO と京都大学西部講堂にて共演 , LIB サンクトペテルブルグ・モスクワ公演プロジェクト「舞踏の源流から身体の未来へ」にて舞踏ソロ、(共演 津軽三味線・新田昌弘) 2008, 作家・田口ランディ、画家・香川大介とのコラボレーション(宇都宮 ギャラリー悠日) 
ロシア・サンクトペテルブルグバレエホール では神秘的でシャーマニックな舞い姿に1700人の観客が魅了された。少女から老婆まで、0歳から100歳までの身体感覚の中で舞う。

(少数の訪問者のための注 「砂時計」は18日から3日間、岩手県北上市で開催された現代詩人会東日本ゼミナールなどに参加。ブログは3日間、開店休業?でした)

続きを読む "記憶を呼び覚ます舞踏  霧降高原で雪雄子「月光月下」" »

2010年9月18日 (土)

がんばれ!日光アイスバックス 18日からアジアリーグアイスホッケー開幕

Dscf3039_2  (アイスバックスが発行した公式マガジン「ICE BUCKS PRESS」から アイスバックスさま 写真転載不許可でしたら、消去いたします)

 2010-2011シーズンの「アジアリーグアイスホッケー」が18日、開幕する。地元・日光のプロチーム、日光アイスバックスは霧降高原のアイスアリーナが本拠地。霧降高原に暮らす「砂時計」としては、いやがうえにも応援しないといけない(実際、「砂時計」もファンクラブ会員なので)。

 バックスの開幕戦の18日、第2戦の19日は、北海道・釧路で地元の強豪・日本製紙クレインズと。地元・日光の初戦は25日(土曜日 午後1時から)、王子イーグルスと。

 地元初戦だけは、なんとか応援に行きたいなと思う。なにしろ、相手チームがあきれるほどの熱い声援が飛ぶのが、日光霧降アイスアリーナだ。

 昨シーズンは、廃部になった西武から全日本の主将を務めたFW鈴木貴人らが一挙にバックスに移籍。ミスターバックスのFW村井忠寛がチームの指揮をとることになるなど、活躍が期待された。が、結果は6位。プレーオフにも進出できず、「砂時計」など、ファンをがっかりさせた。Dscf3036_3 (アイスホッケーのアジアリーグ開幕を告げる16日付朝日新聞栃木版)

 バックスの運営母体の経営は厳しく、それが選手たちの待遇に影響している。マスコミなどがそう伝えている。バックスを支えるファンの会員も多いとはいえない(いや、会員をもっと劇的に増やすべきだろう)。

 それでも、多くの日光市民は唯一の「市民クラブ」として存続しているプロのチーム・アイスバックスのことを気にかけている(見守っている? 心配している? 注目している?)

 (もちろん、ファンでも、いろいろと、ごちゃごちゃ言う人がいるのは事実だが、愛情の裏返しみたいな性格がある~)。 

 全国でも数少ない伝統技法で天然氷を製造している氷都・日光。大きくはないその街に、プロのチームがあり、熱い戦いを続けている(氷上の格闘技ともいわれる~実際、そうなのだが)。間違いなく、もうひとつの日光の顔だ。それも技術、戦術、スピード、気力、迫力、駆け引きなどがあってのものだ。  

 「日光の小さなアイスホッケーチームには、不思議な魅力があります。たぶんそれはものすごく人間的なものでしょう。明日はどんなドラマが待っているんでしょうね」(アイスバックス公式マガジンの「アイスバックス耳袋 09-10」)。

 文筆家でバックスディレクター、えのきどいちろうさんの言葉だ。その通り、「不思議な魅力」(「過激な詩的」というかも~)があるのが、日光アイスバックスだ。 

 

続きを読む "がんばれ!日光アイスバックス 18日からアジアリーグアイスホッケー開幕" »

2010年9月17日 (金)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(11)-

Dscf2934_3 (『阿久悠 命の詩』・2007年12月・講談社から 映画ポスター)

 阿久悠を語るには阿久悠原作の映画「瀬戸内少年野球団」(1984年 篠田正浩監督)は欠かせない。この映画で女教師を演じた故・夏目雅子のすがすがしい美しさも印象に残るが(1983年の「魚影の群れ」もよかった~)、なんといっても印象的なのが、映画主題歌の「イン・ザ・ムード」だ。

 ご存じ、グレン・ミラー楽団のあっけらかんとした吹奏楽だ。これこそ異国のアメリカというイメージがわきおこる陽気な音楽(意味もないイラク戦争を仕掛けた今のアメリカのイメージには似合わないが~)。聞いているだけで、勝手に身体が踊りだしてしまう?麻薬のようなメロディだ。

 戦後生まれの「砂時計」でさえ、そうなのだから、戦後その当時にグレン・ミラー楽団などアメリカのジャズを聴いた人たちの驚きはいかばかりか。

 以前にも紹介したが、詩人・茨木のり子の有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」(1957年2月、つまり昭和32年)で、そうした空気がくっきりと示されている。この詩の中でも私が好きな一節だ。この詩から「イン・ザ・ムード」を思い浮かべるのは、私だけではないだろう。

 わたしが一番きれいだったとき

 ラジオからはジャズが溢れた 

 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった 

 

</

 篠田正浩監督は『阿久悠のいた時代』のあとがきで、こんな舞台裏も明かしてくれている。「映画をつくる話の初めはなんといっても、音楽である。主題曲はグレン・ミラー楽団の『イン・ザ・ムード』にしようと、異口同音に阿久悠さんと笑った日のことが昨日のようである」と。

 さらに「今も、時折、テレビやラジオで聞こえてくると、『不在』の人々の顔が次々と瞼に現れる」とも。夏目雅子は作品の完成から1年後に白血病で亡くなり、この映画が遺作。篠田監督はそのことにも触れており、いやがうえにも「不在」の人々の顔が浮かんでくるんだろう。

 映画評論家・佐藤忠男に物語の骨格を紹介してもらうと、こうだ(「砂時計」もリアルタイムで観てはいるが、場面場面しか今は浮かばないので~)。

 「アメリカに敵愾心を燃やしながら、結局アメリカを受け入れ、アメリカ的なものを自分の重要な一部にしてしまったのが、われわれである。早い話、『瀬戸内少年野球団』の発想それ自体がそうである」

 「男の子たちが、好きな女の子のために男気を発揮してがんばるというこの物語の基本は、レディ・ファーストというアメリカゆずりの観念をアメリカ映画などで学ばなかったら、生まれてこなかったのではないか」

 ただし、これは「敗戦」の昭和20年に小学校の高学年だった人たちの思いだろう。「70年安保」世代の「砂時計」の時代には、もうこうしたアメリカはない。ウッドストックやヒッピー文化、ベトナム反戦といった代物であり、アメリカを受け入れ、自分の重要な一部にしてしまう、といった身体からは遠い。

Dscf2917(映画「瀬戸内少年野球団」に出演中のスナップ。『星花火 夏目雅子』・新潮社・1996年12刷から)

続きを読む "花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(11)-" »

2010年9月16日 (木)

花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(10)-

Dscf2908 (「縁あってひばりと対面すると、一気に40年近くも逆戻りして、少年になってしまうのである」。ネコに語らせる阿久悠の『どうせこの世は猫またぎ』・1988年10月・毎日新聞社) 

  「トラウマといってもいい」。阿久悠にとって美空ひばりに対する意識は,かなり複雑だ。

  『生きっぱなしの記』(阿久悠)によると、同い年であることによる、尊敬、羨望、畏怖、劣等意識、見栄、意地、野心、誇りなどが何十年もつきまとい、とうとう作詞家に立つ時のテーマになってしまった、というのだ。

 それほど、阿久悠にとって、ひばりは特別な存在だった。その複雑な胸のうちをかなりわかりやすく伝えている文章に『愛すべき名歌たちー私的戦後歌謡曲史』(岩波新書 1999年)の「悲しき口笛」(美空ひばり)がある。

 ひばりに対し、「かなわないや」という意識を宿命的に持ってしまった。その後でこう語る

 「いくらか自分を正当化するつもりもあるかもしれないが、ぼくは、美空ひばりは、天才少女歌手といった生やさしい存在ではない、と思っている。ファンタジーである。敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、しかも、人を救う使命を帯びていた、ということである」。Dscf2916 (書・阿久悠、絵・長尾みのるの『どうせこの世は猫またぎ』の表紙)

 阿久悠は「悲しき口笛」について、こう語る。

 「12歳の少女がうたう歌が、丘のホテル、で始まるのも驚くが、彼女の唇によって、それが語られると、何の不思議もなく、大人とも子供とも区分けすることが、愚かしいほど、自然に聞えていたことも事実である。この歌でぼくは、同年を誇り、そして、怯んだ」

 ひばりに対する阿久悠の「尊敬、羨望、誇り」や、それの反動でもあろう、「意地、見栄、野心、劣等意識」までは、なんとなくわかる気がする。

だが、「畏怖」「怯み」というのは、少し異質だ。そのものに遭ったとき、あとずさりしてしまう状態だ。してみると、蛇ににらまれた蛙とでもいうのか?。

 ああ、そうか。そんな心理を反映したような場面を思い出した。『どうせこの世は猫またぎ』の「玄関は儀式の場所」にある。

 (ネコの独白で)「この日の仕事は、何でもダンナが詞を書き、吉田正という人が曲を付け、美空ひばりという人が歌うレコーディングであった。他の巨匠や大物に対しては、ダンナはめったにたじろぐことはないが、どうやら、この2人は特別であるらしい」

 (ネコの独白で)「少年であったダンナにとってみれば、あの美空ひばりであり、あの吉田正で、どこか、神格化しておった」

 結局、仕事から帰り、

 「どうでした?」。

 カミさんが軽くいうと、

 「感無量」

 と答えて寝てしまった。

 つまり、阿久悠は、ひばりに、少年時代の強烈な印象に「たじろぎ」、さらに「神格化」」してしまう心理状態にまでなっていたということか。

  「感無量」。その思いはどんな気持だったのだろう。だが、その彼自身が作詞の世界で今や「神格化」されるほどの場所にいる。

 現役の阿久悠は、時代のいわゆる寵児として、そのオーラを発光させていた。だからそのように思ってしまう不思議さが残る。彼にしてなぜ、そこまで。

 美空ひばりと同い年であるから。さまざまな理由を挙げて、そう繰り返す阿久悠の説明を何度も聞いても、どうも全部はわからない(阿久悠にもわからない複雑な心理なのだったのではないか?でも、それが結果的に阿久悠を大成させたのだから、人生は面白い)

 その阿久悠が美空ひばりのことで後悔している文章に出会った。自身に正直な彼の誠実な人柄がこれでわかる。これも阿久悠のひばりに対する「トラウマ」が遠因なのか?

続きを読む "花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(10)-" »

2010年9月15日 (水)

雪雄子舞踏公演「月下月光」 霧降高原・幾何楽堂で20日

Dscf2875 (20日午後4時から霧降高原・幾何楽堂である雪雄子舞踏公演「月下月光」)

 霧降高原の幾何楽堂で20日、雪雄子舞踏公演「月下月光」(入場料3000円)がある。公演前日の19日には舞踏家、雪雄子の舞踏ワークショップ『身体に還る日』(参加料2500円)もある(「日光を漂ふ」)(ふぃふぁ山荘」も告知してます)

 雪雄子さんのプロフィールをみると、なんと!。1970年、暗黒舞踏の創始者土方巽に出会い、1972年、大駱駝艦創成に紅一点で参加したいう。1975年、「北方舞踏派」と山形県に移住。そして、1993年に津軽に移住したとある。

 「北国の生命力を現出する舞踏家として、高い評価を受ける」「創作の原点は、偶然のようにして出会う縄文をはじめ、津軽に息づく原初そのものの命との出会い」などと、紹介されている。

 1970年代の「騒然」?たるカルチャーを身につけ、さらにこれまで海外各地で公演してきたという。最近は宇都宮の「悠日」でも公演している。そのことは幾何楽堂から聞いてはいたが~。

 それが日光霧降高原で。これはぜひとも、ゆかねばならぬ!(とめてくれるな、みょうしんどの!平手は男でござる~。とめてくれるな、おっかさん、背中のいちょうが泣いている、というパターンもありましたが~)。Dscf2871 (舞踏公演「月下月光」 舞踏は雪雄子 笛は木村俊介)

 雪雄子さんの舞踏も楽しみだが、笛が木村俊介さんだというから、この方も楽しみだ。

 「砂時計」は幾何楽堂で2回ほど、木村俊介さんの笛や津軽三味線などを聴いているが、その音色や構成の素晴らしいこと((「砂時計」みたいな素人でも感じます~)。

 木村さんは、2009年に「第3回邦楽グループコンテスト最優秀賞」を得ているほか、今年度は国際交流基金主催のスロベニア、セルビア、モンテネグロで公演。さらに「トルコにおける日本年」でイスタンブールでも演奏しているとか。Dscf2880 (舞踏公演前日の19日午前11時からワークショップ「身体に還る日」もある)

 19日にあるワークショップは午前11時から午後3時まで4時間。「動きやすい服装」で。お昼をはさむので、「昼食持参を」と呼びかけている。19日のワークショップと20日の公演の両方参加は計4500円の割引料金が設定されている。

 ということで、ブログのアップを終えたら、「砂時計」も20日の公演の予約へ。公演終了後は恒例の「出演者を交えた懇親会」(という飲み会)もある。もちろん、これも参加へ(「砂時計」は忙しい?ひまがある遊び人だから~)。

続きを読む "雪雄子舞踏公演「月下月光」 霧降高原・幾何楽堂で20日" »

2010年9月14日 (火)

そうだ!泳ぎにゆこう 久しぶりクロールに利根川泳ぎも

Dscf2810 (「砂時計」が久しぶりに泳いだ「スポーツコミュニティ日光」の温水プール)

 そうだ!泳ぎにゆこう(なんともワンパターンだね~)。ということで、13日は日光市の清滝にある「スポーツコミュニティ日光」へ。「砂時計」は、このスポーツクラブの会員だが、「詩的生活」で毎日が忙しく(?)いくひまがなかった(ゆく気力がなったの方が正確かも~)。

 つい最近、チェンソーで原木を切る作業をしたところ、かなり疲れを覚えた。年のせいとは思うが、予想以上だ。<こりゃ~少し鍛えないとだめだわな>。そう思ったことだった。実際には鍛えるというより、体力温存ぐらいでいいのだが。

 それ~ということで、温水プールに行くと、子どもたちのスイミング教室があり、元気な声がいっぱい。その時間、大人は「砂時計」を含め3人だけ。一人は黙々とクロールで泳ぎ続ける。一人はプールウォーキング。「砂時計」も、まずはウォーキング。そしてクロールへ。

Dscf2818 (「砂時計」のゴーグル)

 ところが、一回往復するだけで、もうアップアップ。呼吸を整えてから平泳ぎへ。これも一往復すると、「ハァハァ~」。再び呼吸を整えて、「利根川泳ぎ」と私が呼んでいる抜き手へ。小学生のときに故郷を流れる利根川で覚えた泳ぎ方(何度も流されそうになったことがあるが、親は知らない~)。顔を水面に上げて、水を抜くように泳ぐ。

 海なら、この抜き手で何キロでも泳ぐことができる。でも、プールでは水の抵抗があり、それほど長くは泳げない。結局、4往復だけで終了した。そんなに無理をして泳ぐ必要もない。それなりに泳げることが確認できればOKなのだ。

 施設内のお風呂に入り、汗を流してさっぱり。霧降高原に向かおうとしたところ、携帯電話に着信があった。「一杯の方はどうですか」。そうそう、昨日から居酒屋にゆこうと誘われていたのだ。泳いで風呂に入ったばかりなので(?)、「いいとも!」(タモリ的に。なんとも誘いに弱い、その場の雰囲気で決める「砂時計」なのです~)

Dscf2828 (「スポーツコミュニティ日光」のパンフに記載された温水プール)

続きを読む "そうだ!泳ぎにゆこう 久しぶりクロールに利根川泳ぎも" »

2010年9月13日 (月)

フォークギターをもう一度 再び調律からスタートなのだ~

Dscf2778 (物置から引っ張り出し、12日に弦を張り替えた「砂時計」の古い~古い~フォークギター)

 フォークギターに再び、親しむことにした(?、さてどうかな~)。「詩的生活」には確かに音楽が、それも自分で弾くようでなければ。それはわかってはいたが、なかなかそんなきっかけがなかったのもある。

 つい最近、ギターが必要な場面でギターが壊れていて、弾こうとしていた人が残念そうだった飲み会(交流会?、懇親会?)の場面があった(霧降高原の幾何楽堂での「国際的飲み会」?での宮崎アニメ命の英国人のことです)。

 <それなら、「砂時計」のフォークギターを持ってくればよかった~>。会場でそう思ったことだった。そんなこともあり、本日、ふだん手をつけない物置をガサガサ。引っ張りだしたのが古い~古い~フォークギター。

 ケースから取り出すと、カビにやられているうえ、弦はさびている。というか、弦の数本は切れているありさま。中古品以下の状態だ。これでは使うにも使えない。さっそく磨きあげたうえ、ぴゅ~~と、今市へ。あそこならあるだろうと、にらんだ「NOW」(ふぃふぁ山荘ブログから)へ。 

Dscf2749 (何年もそのままだったので、弦は使い物にならない=12日、日光霧降高原)

 フォークギターを弾くなら、七つ道具(?)がいる。弦(数セット、すぐ切れてしまうから)はもちろん、調律のための音叉、カポ、ピック(各種)、ギターを抱える肩ひも(なんていったか?)、できればハーモニカも(ブルースハーモニカだったか)。

 「NOW」では、すぐに弦2セットとカポを調達できた(ついでに「リリー・マルレーン」などが入っている『ビリー・ヴォーン・オーケストラ直輸入盤』CDも。「美空ひばり」と「都はるみ」「八代亜紀」も欲しかったのだが~。「どういう趣味の人なのか」といわれそうだ~)

 とりあえず、弾くにはこれでいいのだ((「天才バカボン」のパパのように)~。ということで、セットにかかる。弦を張るのはいいが、問題は調律。5弦のA音を基本に6本の音を合わせていくのだが、なにしろ、本格的にさわるのは数十年ぶり。

 <そうだ、ネットで>。検索していくと、A音を響かせてくれる案内があり(いや~、便利になりましたね)、それでGO。だが、何度やってもチューニングできない。弦が悪いのか、あるいは「砂時計」の耳が悪いのか。悪戦苦闘約30分。この日の調律はあきらめた。

Dscf2756 (とりあえず、弦を2セットとカポを買い求めた)

 あす以降、再び、調律に挑戦へ(そんな大げさなことではないのだが~笑)。それも時間の問題だ。問題はむしろ、ギターを弾くこと。CやE、Gのコードはいいとして、Fが(ギターコードをやる人はFコードが難しく、先を断念してしまうのだという。最近もそんな新聞記事がありましたね)。

 それらをとことこと、やりながら、少しは弾けるようにしたいもの(「砂時計」はPPMやブラフォー、ディラン、あるいは岡林信康、フォーククルセイダース、シューベルツ世代なので、一瞬だが、フォークにはどっぷりではある~)。

 そんなことを考えていたら、バンジョーも弾きたくなった(「NOW」では「バンジョーなら、いつでも用意できますよ~」)。フォークギターも上達しないのに。どうも先へ先へ。そんな脱線的性格(?)が、何をやっても大成功できない結果に結びついている~(笑)。

 いやはや、「詩的生活」って、忙しいですね(幾つかの同人詩誌などの締め切りにいつも遅れているのに。さて、本当にフォークギターに再び取り組むことができるのか?。ほんとうは腕を組んでいる「砂時計」なのです~)

続きを読む "フォークギターをもう一度 再び調律からスタートなのだ~" »

2010年9月12日 (日)

さぁ!チェンソーで薪づくり 冬本番に向け汗だくだくで 

Dscf2717  (チェンソーでほぼ切り終えた薪ストーブ用の原木=11日、日光霧降高原)

 冬に向けて懸案だった薪づくり。11日、ようやく取り組むことができた。県から無償で払い下げを受けた原木は、庭先に放り投げたままだった。<きょうやろう、あすやろう>。そんなことで春から初夏、盛夏から初秋へ。

 、「え、今から?。今冬ではなく、来年の冬の薪づくりですか~~」。砂時計の薪ストーブを新設し、薪を調達してくれている「マウンテン・ストーブ日光」(日光霧降高原 tel0288・53・2306 fax0288・53・3933)に、冷やかされている。本来なら春先には、今冬の薪づくりを終え、乾燥に回さないといけないのだという。

Dscf2727 (チェンソー作業で必要な上から「チェンオイル」、50対1の混合ガソリンをつくる「混合計量タンク」と「2サイクル専用オイル」、「ガソリンタンク」)

 チェンソーは冬に一度、「講習」を受け、春先に数回、使っただけ。かなり時間がたっている。取扱説明書をもう一度確認し、ゴー。オイルや混合ガソリンが少なくなっており、まずはその注入から。さぁ。と、スタータグリップを何度も弾くが、エンジンがかからない。

 首をひねっていたら、<なんて馬鹿なことを>。スイッチをオンにしていなかった(笑)。これではかからないはず。苦笑しながら、スイッチ、チョークノブを引き、ブレーキレバーを前に倒し、スタータグリップ。爆発音が響く。ブレーキを解除、<さぁ 作業だ>

Dscf2700 (「砂時計」が今春から使い始めた共立チェンソー)

 作業は中腰のため、腰が疲れること。外気温は27度だが、汗はだらだら。目の前が見えないほど顔や背中に汗。次々と切断し、約10分。<休憩>。そう言って、ベランダへ。タオルで汗をぬぐい、水分を補給し、一服。再び、同じ作業へ。

 <あれ、エンジンは始動しているのに、加速しない>。取扱説明書をひもとくと、フィルタや燃料通路、あるいは排気口の詰まり。つまり(しゃれではありません)、清掃が必要とのこと。その通りやってみると、OK。作業ー休憩ー作業ー休憩を数度。2時間強で(慣れていれば1時間で終わるだろうが~)、チェンソー作業を終えた。

 それにしても、それほど重くないチェンソーなのに、作業を終えると、左手がやけに力がなくなってきていた(長時間抱えていたためか)。腰にも優しくしようと、この夜はそれっ~と、市営温泉「やしおの湯」へ(露天風呂でふ~ん。<疲れたときは、やはり温泉だね~>。と思ったことだった)(少したって、丸太をオノなどで割る作業が残っているのに気づいた・・・・。「詩的生活」っていうのは、「汗だくだく」なのか?)

続きを読む "さぁ!チェンソーで薪づくり 冬本番に向け汗だくだくで " »

2010年9月11日 (土)

潔く凛とした詩人の死生観  訪れたい「茨木のり子初回顧展」 

Dscf2574 (初版は1977年3月。茨木のり子の詩集『自分の感受性くらい』・2007年12月第8刷・花神社)

 連想ゲームのように詩人・茨木のり子さんを思い出した9日付の朝日新聞夕刊の「人生の贈り物」(ノンフィクション作家・後藤正治さん)からだ。それによると、後藤さんは8月から大学学長を務める一方、「作家稼業」では、茨木のり子さんの評伝『清冽』の出版を進めているという。

 詩「わたしが一番きれいだったとき」で知られる茨木さんだが、その生き方は垣間見るほどしか知らない。<評伝ならぜひ読みたい>。そう思っていたら、確か、回顧展をやっているのではないか。それを思い出し、スクラップ資料をとりだした。

 「生死のあわいへの視線貫く 茨木のり子 初の回顧展」。すぐにこんな見出しの8月20日付朝日新聞夕刊3版「文化面」が見つかった(気になる新聞記事などは、スクラップしておくのは役に立つ 「砂時計」はたまにするだけだが~)。

 白石明彦記者の記事によると、「現代詩の長女」とよばれる茨木のり子(1926~2006)の初の回顧展が群馬県高崎市の「県立土屋文明記念文学館で開かれている。それも9月20日まで。あと10日間だ。

  「潔く凛とした死生観は心に残る」。こう書き始める記事は伝える。茨木の死から4カ月。自宅の書斎で、夫への挽歌が収められていた「Yの箱」が見つかる。挽歌40編の詩稿と目次、草稿ノート。詩稿には「自分の感受性くらい」という詩句に代表されるような、読者を鼓舞する作品世界とは隔絶した、夫と二人だけの濃密な空間が秘められているという。

Dscf2578 (茨木のり子の初の回顧展開催を伝える朝日新聞8月20日付夕刊3版「文化面)

  今回、同館学芸係長と茨木さんのおいが発掘した貴重な資料も多いという。1953年に詩誌「櫂」を一緒に創刊したことで知られる詩人・川崎洋への手紙で自らの詩作の姿勢をこう語っていた。

 「現代詩をみた場合、あまりにも日本語の扱ひが粗雑で詩語に昇華されておらず、且つチンプンカンなものが多いのでそれへのアンチとして私なりの努力を続けてきました」

 砂時計の「詩人」黒川純にしても、現代詩は難解な用語を使い、何を言いたいのか、何を感じているのか、チンプンカンなものが目立つ。そう思ってきた。それだけに茨木の云い方にうなづくものがある。

 同時に茨木には「読者を鼓舞す作品世界」だけでなく、もっと、しなやかな、あるいはたおやかな詩や死生観などを示した、いわば哲学的な詩があるのだろうと思っていた。詩からくる人柄のイメージがそうだからだ。

 そんな魅力ある茨木のり子さんの回顧展。なんとか、終わる20日までに同館を訪れてみたい。もう秋の足音が聞える霧降高原のベランダで、そう思ったことだった(高崎周辺には「砂時計」も加わる同人誌『序説』の仲間が何人かいるから、「飲み会」になってしまうかも~)。

 

続きを読む "潔く凛とした詩人の死生観  訪れたい「茨木のり子初回顧展」 " »

2010年9月10日 (金)

人気の食事処「けやき」が再開  歓迎・値段「630円」そのまま

Dscf2559 (再開した食事処「けやき」入り口のお知らせ=9日) 

 「食事処 けやき」(日光市七里)が再オープンした。どの定食も「630円」で、客足が絶えず、人気があったが、8月30日で「閉店」していた。再開したのは、5日からという。結局、6日間だけの「「閉店」だった。

 ただし、夜の部はしばらく休業するとのこと。昼の部は品目がやや少なくなったが、値段は以前の「630円」のまま。毎週水曜日が定休日になることが変わったことか。それでも、手ごろな値段が続くことで、清貧な(?)「詩的生活」の「砂時計」としては、ホッとしたところだ。

 「えっ! 食事処『けやき』が本日閉店」をアップしたのは、「閉店」翌日の8月31日。その後、事情通に聞いてみると、「いろいろ」あったらしい。それがどういう形で再オープンするのか、気になっていた(この「砂時計」にも、「けやき閉店」の検索での訪問者が絶えなかった)。

Dscf2550 (午後2時過ぎの「けやき」 この時間でもお客さんはそれなりに=9日)

  「半常連としては、どうなることかと」。9日オーナーにそう話すと、「湯元など各地からも電話があり、いろいろ心配をかけた」と応じた。オーナーによると、630円は経営的に厳しいが、そのままの値段で再オープン。昼の部は時間も今までと同じ、午後3時まで。

 夜の部については、「板前さん」が調理場に立つことになっているという。夜の部はしばらく休業するが、いずれ(10月からか?)夜の部も再開、夜のメニューは日本料理中心になるだろうと話していた。また「夜の営業といっても、居酒屋のように深夜までやるのではなく、そんなに遅くない時間までにしたい」とも。

 再開した「けやき」は基本的に以前と同じ薄利多売だ。「牛丼の吉野家」ほどの格安値段ではないが、基本的に一律「630円」という値段は国際観光都市・日光では、あまり聞かない。ぜひ、その路線でやっていって欲しいというのが、「砂時計」の勝手な思いだ。 

Dscf2542 (メニューの品目数は少し減ったが、お値段は630円で変わらず)

続きを読む "人気の食事処「けやき」が再開  歓迎・値段「630円」そのまま" »

2010年9月 9日 (木)

ホルモン、そしてホルモン  霧降高原から足尾の「ホルモン 末広」へ

Dscf2460_3  (いかにもホルモン屋さんらしい入り口の提灯=7日、日光市足尾町

 「足尾のホルモン屋へ、行かないか」。「徳さん」(氷屋徳次郎)から電話があったのは7日午後4時過ぎ。夕方までに日光市立図書館に行って図書館カードをつくる用事があるが、そのあとは予定なし(基本的に予定はないのだが~自分で笑う)。

 ということで、霧降高原のブログ仲間でもある「ふぃふぁ山荘」「氷屋徳次郎」「薪ストーブ屋」、それに「砂時計」の4人で足尾へ。同じ日光だが、霧降高原から足尾までは約25キロ。それでも、行くのがこの「四人組」(昔、中国でそんな政変があったなぁ~)。

 「ふぃふぁ山荘がブログ100万アクセス達成!」。名目はこれ。さらに「砂時計がブログ開設3カ月連日更新達成!」も(この理由は砂時計が3人に押し売りしたのだが、相手にされなかった~)。

 実際は足尾の知る人ぞ知るお店ホルモン焼きの「ホルモン末広」の美味しいホルモンを味わい、お店を半世紀以上も(今年で51年目だという。つまり「60年安保」のときには開店していたのだ)切り盛りししている元気なお母さんを訪ねようというのが、目的だ。Dscf2465 (まずはホルモンの中のホルモンを)

 まずはビールで乾杯。そして乾杯、乾杯~。徳さんがすぐに二杯目、さらに三杯目。

 砂時計 「徳さん、、ピッチが早すぎない?」

 徳さん 「いや、草刈りで汗を流したばかりだから」(「待てないほどだった」とも)。

 砂時計 「100万アクセス おめでとうございます。きょうはご馳走になります」

 ふぃふぁ山荘 「えっ、そんな!」(ふぃふぁ山荘の顔が青くなる~)

 砂時計 「薪ストーブ屋さんは、きょうで3日連続だね」

 薪ストーブ屋 「いや、初日のバーべキュー大会では飲んでいない!!」(なぜか強調する)

 砂時計 「ふ~ん」(<本当かな?〉」と疑わしい目つきで)Dscf2482(ほとんど宴会状態のホルモン「末広」の飲み会)

 なんて云いながら、ビール、そしてビール。さらに「ふぃふぁ山荘」が持参した日光の天然氷(氷屋徳次郎製造)で割った梅入り焼酎を一杯、二杯。次にお店の上州・大間々の冷酒一本。再びビール。

 その間にホルモン、餃子、お任せホルモン、追加ホルモン、トンソク、追加の追加ホルモンなど(「ホルモン奉行」は、グルメのふぃふぁ山荘)。

 「いや~、とにかく美味しいね」。あうだこうだと言いあっていたが、味について、四人組の意見は全員一致(冷酒、トンソクなど、「砂時計」は、もう写真を撮る余裕はなし)。

 お母さんは昨年、開店50年だったこと、戦前は砂時計の故郷、上州・太田の中島飛行機工場正門そばの街に暮らし、新潟に疎開したことがある、何度もやってくる日光の来客が実は四人組の共通の友人だったこと、などなど。食べ、飲み、語り・・・。

 モルモン屋らしい、ホルモン屋であり、お母さんは元気。料金はこれほど宴会をしながら、驚くほど安い。これはやはり「遠征」しても、訪ねる価値がある。「また来ないといけないな~」。ヨッパライ四人組はそれぞれに思うのであった。

続きを読む "ホルモン、そしてホルモン  霧降高原から足尾の「ホルモン 末広」へ" »

2010年9月 8日 (水)

「図書館」は大いにゆかいに  「日光市立図書館利用カード」」初めて申し込み 

Dscf2500 (日光市立図書館からいただいた「図書館利用案内」

 「そうだ、図書館にゆこう!」。 ということで(?)、7日は日光市立図書館へ。「砂時計」は自分の部屋に積んである本をどう読んでいくか(もう置き場所がない~)。それに頭を悩ましている。が、このブログで詩論「花のように鳥のように 阿久悠小論」を書き連ねている(すでに9回。あちこち寄り道しながらだが~)。

 もう最終章に入るところだが、「もう少し、阿久悠がコンプレックスを抱いていたという美空ひばりとのあれこれを付け加えたいな」。そう思っていた。それで、たぶん手持ちにはない、そうした資料があるだろう図書館へ。

 考えたら、日光にはもう3年も暮らしているが、市立図書館の門をくぐったことはない。清貧な(豊かではない?、資金不足の?、下級生活の?)「詩的生活」をするには、「まず図書館へ」。そう思ってはいたが、果たせないでいた。なので、「きょうはぜひとも」。

 その決意(?)で、霧降高原から車で約7分の日光市立図書館へ。図書館利用カードを初めてつくる手続きの一方、「阿久悠の本を探しています」。それを伝えたら、図書館員が、すぐにエッセーコーナーや小説コーナーに案内してくれた(この辺りのサービスはすごいと思う)。Dscf2447日光市立図書館全景=7日、日光市御幸町)

  ネットで検索すると、阿久悠関係本は図書館に四十数冊もあるが、日光には今市、藤原、日光の3館あり、その合計。日光図書館には小説が何冊もあったが、めざすエッセーは少ない。

 ちょっと残念がっていたら、「書庫に何冊か」。図書館員がそう話したので、「ぜひ」。それで借りてきたのが、『どうせこの世は猫またぎ』(1988年10月、毎日新聞社)と『凛とした女の子におなりなさい』(2008年9月、暮らしの手帖社)の二冊だった。

 それを2社1寺近くの珈琲店に持ち込み、『どうせこの世は~』をパラパラと。すると、阿久悠が美空ひばりと吉田正をどこか「神格化」していたことが書いてある。「美空ひばりはわかるが、吉田正もか~」。

 台風の進路を伝える珈琲店のテレビのニュースを耳に、思いをめぐらしていた。時計を見ると、もう夕方。この夜は霧降高原のおやじたちで、足尾町のホルモン屋さんへ。そう約束していたのを思い出した。それで「ぴゅう~」と、霧降高原の寓居へ(ホルモン屋さんのおやじたちの歓談は、後ほどブログで~)。

続きを読む "「図書館」は大いにゆかいに  「日光市立図書館利用カード」」初めて申し込み " »

2010年9月 7日 (火)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(9)-

Dscf2436 (「彼女(美空ひばり)の存在をみないふりをしてきたんです」と阿久悠が語っている小林亜星との対談=『阿久悠 命の詩』・講談社)

 阿久悠ファンなら、彼が大歌手・美空ひばりコンプレックスをずっと抱えていたことを知っていよう。「砂時計」は、阿久悠死後に彼の著作を読むことで、そのことを知った。どうして、美空ひばりコンプレックスだったのか。阿久悠の中学1年生にまでさかのぼることになる。阿久悠と小林亜星の対談に少し付き合っていただこう。阿久悠を知るうえで、とても大事なことが話されている。

 阿久 実は私にとって、ひばりさんはずっと敬して遠ざける存在でした。彼女とは同い年なんですが、私が淡路島の中学生の頃、彼女はすでに大スターでした。中学1年の遠泳大会の時、途中でこむら返りをおこして溺れそうになったことがあるんですが、その時なぜか唐突に思ったものでした。僕がこのまま溺れ死んでも、新聞では「少年水死」の四文字で終わってしまう。でも、もし今ひばりが死んだら一面トップにきて、マッカーサー元帥がコメントし、吉田首相が弔辞を述べるかもしれないなあ、って」

 小林 溺れている最中にそう思ったわけ(笑)

 阿久 そうなんです。それで、同い年だけれど、とてもかなわん、というコンプレックスがずっと働いてきた。私同年齢の少年たちには、そういう思いを抱いた人が多かったはずです。しかも私は幸か不幸か、大人になってから作詞家という広い意味で同じフィールドの職業に就いてしまった。だから、それ以降は彼女の存在を見ないふりをしてきたんです

 小林 見ないふりと、というのはどういうこと?

 阿久 「美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか」という意識を頭に置きながら、歌作りをしてきたということです。私家版の「作詞家憲法」なるものがあるんですが、その第一条がこれなんです。彼女に対するコンプレックスを抱えたまま作詞の世界に入った私にとって、方法はそれしかなかった。でも、その「美空ひばりが歌いそうにない歌」を書いてきたことで、どうにかこうにかこれまで作詞家としてやってこられたわけですから、彼女の存在が私の書くものの方向を決した、ということも言えるのかもしれない

 

 阿久悠は「コンプレックス」という言葉を使っているが、もう少し阿久悠の発言を追っていくと、それだけではない。というのも、日光の隣、塩谷町が生んだ歌謡界の大御所、船村徹と阿久悠が組んだ歌「傘ん中」(五木ひろし 2002年 日本作詞大賞)に触れて、こう語っている。

 「(船村徹が作曲した「別れの一本杉」が妙に耳に残った時代から)約15年後、ぼくは本格的に作詞家の活動を始めたのだが、その時テーマに置いたのは、美空ひばり、船村徹で確立している歌謡曲は書かないということであった。歌の方向性の問題なのであるが、権威への抵抗もあったかもしれない。いわば勝手に決め込んだ仮想敵であったのである」

続きを読む "花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(9)-" »

2010年9月 6日 (月)

美味しい歓声と「ワインに米袋」  霧降自治会バーベキュー大会

Dscf2351_3 (好天の5日開かれた霧降自治会バーベキュー大会=「ホテルジャパン日光」敷地)

 「砂時計」が加入している霧降自治会のバーベキュー大会が5日、霧降高原の「ホテルジャパン日光」敷地内大テント((多目的テントというのか?)で開かれた。「焼きそば」「焼肉」「マスの塩焼き」「ご飯物」「豚汁」「ビール」。合わせて1000円(自治会の予算補助があるので~)。

 「砂時計」は今春、自治会に入ったばかり。なので、初参加だ。「とにかく焼肉を!」。そういう根性(?)で、出掛けたのでございました。

 お皿におわん、はしは持参。真昼間に酒類を飲む習慣がないので、「砂時計」は、さらにリンゴジュース8本を持参。着くやいなや、「焼き肉」に一番近い席を確保した(これは無意識です。無意識は怖いですね~)。順番に模擬店舗(というのか)を往復し、次々と「ごちそうさん」(なにしろ、この日は計画的な朝飯抜きなもんで)。 

Dscf2356  (1000円で六品目を食べ・飲みできる大サービスの引換券

 お腹が満足したところで、一服。「焼き肉のところで吸えますよ」。再び焼き肉コーナーの世話になり、世間話を一つ二つ。そうこうするうちにビンゴゲームが始まった。「そうか、それもあったのか」。とつぶきながら、夢中に(ビンゴゲームってそういうものなのね)。「ビンゴ!」。ようやく出番となり、賞品を受け取るとワインのボトルだ(笑顔)。

 さらにワインを引き当てた番号で、今度は「特賞」という。何かというと、コシヒカリ5㌔。ひそかに期待していたので(?)(さらに笑顔。宝くじは当たったためしがないのに、この日はどうしたことか?)。

 バーべキュー大会でたらふくになったうえ、「酒と米」もゲット。なんだか申しわけない感じもした。が、上には上が。すぐにコシヒカリ10㌔(!)をゲットしたお母さんもいた。

Dscf2393(ビンゴの賞品のワインボトル。さらにその賞品番号で「特賞」のコシヒカリ5㌔もゲット

 ということで、初めて参加した霧降自治会のバーベキュー大会。約2時間半はあっという間に過ぎた。多くの子どもたち参加し、元気な歓声も聞けた。さらに「酒と米」という大きなおまけもつき(ビンゴゲームがあることを知らなかったので、よけいに)、満足させてもらった。

 ただ、思えるのは、霧降高原のご近所がバーベキューを手段に参加するのだから、もうひとつ工夫が欲しいかも。とくに「「砂時計」は引っ越し1年目(正確にはまだ約8ケ月。会場の大半の人たちは初めて会う人ばかりだからだ(「もう何度もこれに参加している」と言っていた方もいたが~)

 「砂時計」だったら、①途中で自治会の各班ごとに会場にあいさつする②ビンゴでゲットしたうれしい顔はどの班のだれさんか会場に紹介してみせる③ボランティアで手伝っている人たちを会場に紹介する④全員の記念写真を撮る⑤少しの時間、オカリナなど、音楽の演奏会をはさむ⑥懇親できるゲームか、歌か、何かひとつ全員でやってみる

 さらに⑦厳しい冬に向けたメッセージをお互いに確認しあう~(手間ひまをかけて自治会役員らのみなさんが準備したせっかくの場。もっと「ご近所」同士が知りあえるようになるのに、もったいないな~と思ったことだった。まぁ、「砂時計」が知らないだけかも~)

続きを読む "美味しい歓声と「ワインに米袋」  霧降自治会バーベキュー大会" »

2010年9月 5日 (日)

湿気作戦で、ついに「窓」開放なる!  霧降高原・砂時計の「図書室」 

Dscf2321 (「使用後」? 窓が「開放」された砂時計の「図書室」=4日、日光霧降高原) 

Dscf1984_2 (「使用前」? 窓が本棚におおわれた状態だった砂時計の「図書室」)

 湿気がむんむん、本棚にはカビが~。という霧降高原の砂時計家。とくにカビくさかったのが、窓も本棚で埋めてしまっていた「図書室」。二つの窓があるが、ひとつは本棚におおわれてしまい、ひとつも半分は本棚の背中。通気が悪かったうえ、カーテンも洗濯を怠っていた。

 日光市内から引っ越したのが、昨年12月。入居からすでに約8カ月が過ぎる。約240日間もこのままの状態だったので、湿気・カビ対策作戦は、当面の最大課題(?)だった。

 ということで、4日夕から3時間、窓の下に収まるミニ本棚の組み立てに汗をかいた(だいたいひとつの本棚を組み立てるのに約40分ていど)。始めたときは、まだ明るかった霧降高原だったが、次第に暗く。最後は懐中電灯を使っての作業に。終わったときはもう、夜も8時だった。Dscf2304(組み立て式本棚の「組み立て方」図面)

 「図書室」は、部屋の真ん中に背中合わせに高い本棚を三つ(「背中合わせにすると、いいですよ」は、ご近所の「知恵」)。さらに窓の下に短い本棚を三つ。これに以前から置いていた本棚六つが加わる。この「図書室」だけで、本棚は大小12個(床が抜けるのが心配だ~大丈夫かな?)。

 この結果、窓のひとつは全面開放された。もうひとつの窓も半分は開けられる。高原の涼風が図書室を抜け、薪ストーブがある居間からベランダに抜けていくのが、わかる。

 この「図書室」に加え、「ゲストルーム」、「居間」の三つの部屋のカーテンはすべて洗濯を終えた(計20枚!)。さらに、大半のカーテンは新調もした(財布と相談しながらだが~)。

Dscf2298 (組み立てた一つめの本棚と組み立て途中の二つめ)

 「図書室」の湿気対応は一応(本当はまだ押し入れがあるのだ!)、それなりにできた。が、砂時計家の本の収容能力は変わらず。ベランダに段ボールごと、積んである本類はそのままだ。再び、本の収容問題が課題に(ホントに困ったなぁ~)。

 嘆く前にやるべきことがある。冬に備えた薪ストーブの薪の準備の加速へ(?)。さらに並行して、取りかかっただけの名古屋コーチャンの住み家づくりも急がねば(タマゴを生むのは予定では10月からなのだから~)。いや~、「詩的生活」っていうのは、思っていたように(?)、忙しい。

 

続きを読む "湿気作戦で、ついに「窓」開放なる!  霧降高原・砂時計の「図書室」 " »

2010年9月 4日 (土)

「『砂時計』は昔の名前で、出ています」  「公私区別し『変身』」のビジネスネーム

Dscf2262 (9月2日付「朝日新聞」夕刊3版の社会面トップ記事 「この名前 仕事用です」)(クリックすると、拡大します)

 おっと、これは面白い記事だ~。そう思ったのが「この名前 仕事用です 『ビジネスネーム』利用増える」。9月2日付「朝日新聞」の夕刊3版社会面のトップ。ほかの見出しに「公私区別し『変身』」とか、「本名『違和感』」「名刺交換で説明」「20年超す歴史」も。自身もペンネームを使っている精神科医の香山リカさんの顔写真入りの長いコメントもある。

 記事のリードはこうだ。

 「仕事で本名と違う名前を名乗る『ビジネスネーム』が増えている。近年目立つのは、女性の起業家らがインターネット上などで本名が出回ることを避けるために使うケース。理想とするビジネスパーソンに『変身』できる、との思いもあるようだ。社員全員が会社の業種にまつわるビジネスネームを持っている会社もある」

 詳しくは(アサヒコムなどで)この記事を読んで欲しいが、なんとなくわかりやすかったのが、マーケットリサーチ会社の女性社長が「福井遥子」というビジネスネームを使い始めた理由。「ネット上に本名が出るのは、面識のない人まで名前がさらされて独り歩きする感じで、違和感があります。それに、母親としての自分と仕事の自分を区別したいという思いもありました」Dscf2268_2  (「この名前 仕事用です」の記事で、コメントする売れっ子精神科医香山リカさん)

 「ペンネーム」」という言葉は知られるが、「ビジネスネーム」というのは、砂時計にとっては初めて。「そうか、仕事にね~」。と思ったが、砂時計にしても、ブログでは「砂時計」で通しているし、ブログのプロフィールでは「黒川純」を使っている。名刺も自分のパソコンで手づくりしている(A4版名刺紙1枚で10枚)。となると、「砂時計」も「黒川純」も「ブログネーム」ということになるのか?。

 だが、砂時計にとって、「黒川純」はブログを始めたから、この名前を使っているわけではない。はるかかなたの学生当時から使っている。大学自治会誌やガリ版詩集などでは、もう「黒川純」だった。その後もいくつかの詩誌で詩を発表する際も「黒川純」で。仕事とわけるためにも、その方が都合が良かったこともある。この場合は「ペンネーム」ということだった。

 しかし、過去の経緯や現在の使い方を考えると、「ペンネーム」でも「ブログネーム」でも、もちろん「ビジネスネーム」でも、しっくりこない。もうひとつの人格というのか。香山リカさんは「かなりキャラクターが変わる」と、コメントしているが、私の場合は、「黒川純」を名乗っていても、人格がそう変わるわけではない。

 「黒川純」は私が若者のときに自身に命名した名前だ。一方、本名は親につけてもらった名前。たぶん、黒川純を名乗ることで、自分を確立しようと、摸索していた一直線型の若者に、いやおうにも向き合い(思い起こし?、振り返り?、立ち止まり?)、それに付き合うといった意味合いがあるのかなと思っている。「詩人」を名乗るには「黒川純」を使う方が都合がいいということもあった(この「ビジネスネーム」については、もう少し思いをめぐらす必要がありそうだ)。

Dscf2291 (「砂時計」・黒川純が、ふだん使っている「詩人」のブログの名刺と「森の図書館」の名刺 表・裏の一枚)

2010年9月 3日 (金)

花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(8)-

Dscf2260 (阿久悠と小林亜星が選んだ「戦後歌謡曲ベスト100」には、やはり「舟唄」が入っていることがわかる『阿久悠 命の詩』 2007年12月・講談社

 「僕が司会をしていて『やられたな』と思ったのは、八代の『舟唄』だった。圧倒的な歌のよさと、いかにも年がくれていくという感じがたまらなったな」

 NHK紅白歌合戦の司会者だった山川静夫が、こう語る。「これが史上最強の『紅白歌合戦』!」と題して、阿久悠と近田春夫、それに山川が加わった座談会での発言だ(『阿久悠 命の詩』)。

 阿久悠が美空ひばり、都はるみ、八代亜紀、石川さゆり、和田アキ子を挙げ、「和田には『あの鐘を鳴らすのはあなた』を歌って欲しい」という。「その辺は文句なしに決まりですね」。そう同意した近田を受けて、山川が「舟歌」を絶賛する。

 まぁ、別に紅白の司会者の言葉でなくとも、いいのだが~。それでも、そばで聞いていて、「やられたな」というくらい、いい歌なのだと思う。浜圭介(「石狩挽歌」なども)作曲で昭和54(1979)年の第21回日本レコード大賞金賞曲。

 この79年というと、「砂時計」は、東京暮らしを続けていたとき。だが、実際にしみじみと胸に迫る名歌だと、改めて感じたのは、それから10年後、北海道は札幌の居酒屋でこの唄を聴いたときだ。

 阿久悠自身はこの「舟歌」について、こう言っている。

 「『舟唄』を書いた頃は、まだ酒を飲んでいた。お酒はぬるめの燗がいい/肴はあぶったイカでいい ・・・という気分も実感に近い。大体が騒がない酒で、はしゃぐことも、荒れることもなかった。そして、洋酒であれ日本酒であれ、酒と会話をしているような飲み方が好きだった。若い頃から、憧れていたようである」(『歌謡曲の時代』)

 歌の中ほどに挿入される詞がまたいい~。

沖の鴎に深酒させてヨ

いとしあの娘とョ 朝寝する

ダンチョネ

 この詞を聞いていると、長州藩の高杉晋作の名言として、伝わっているあの詞が浮かんでくる。痛快映画「幕末太陽傳」(1957年 川島雄三監督 フランキー堺主演)で、高杉晋作役の石原裕次郎が三味線をつまびきながら、のどかに唄う。

 幕府の役人たち(岡っ引きだったかな?)が高杉が居残りさせられている遊郭旅籠「相模屋」の部屋を調べるため、踏み込もうかという場面だ(格子の外には伊藤や井上らの志士が逃げ隠れている)。

 映画は落語的世界を幕末の志士たちが駆け抜ける「特異な世界」と評されている。確かに歴史的事実も背景に、意表を突いた底抜けに面白い映画というか、名画だ。主人公「居残り佐平次」のフランキー堺が高杉晋作と一緒になった風呂の中で唄う場面もある。

三千世界の烏を殺し

ぬしと朝寝をしてみたい

 「舟唄」のよさを、もう一度確認することを含めて、書こうとした。だが、どうも、わき道に入ってしまったよう。つまりは阿久悠は、たくさんの名歌を残しているが、なかでも、「舟唄」は別格だということを言いたかった(ここまで書いてみてそう思ったことだった~。それとも詩的生活の「朝寝」がしたいということか?)。

(「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(9)-」に続く)

 

続きを読む "花のように鳥のように  阿久悠小論ーその(8)-" »

2010年9月 2日 (木)

夏は「戦争映画」でしょう  「人間の條件」「血と砂」「赤い天使」・・・・

Dscf21208月最終週に見た「人間の条件」、「血と砂」、「兵隊やくざ」、「独立愚連隊 西へ」などの戦争ものDVD映画。別に江戸末期の品川宿を舞台にした痛快な「幕末太陽伝」も)

 8月は6日、9日、15日を、どうしても意識してしまう。詩でも「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子)などが頭に浮かんでしまう。「砂時計」は「戦後の鬼っ子」である団塊世代。両親の空襲体験はもちろん、ビルマ戦線をいかに生き延びたかという中学校の理科教師の従軍体験など、さまざまな戦争体験を聞いてきた。

 同時に70年安保、72年沖縄返還協定締結の当時、怒れる若者真っ最中だったので、当然、「ベトナム反戦」世代だ。それくらいだから、「戦争」へのこだわりは強い(だからこそ、イラク戦争も「なんて、ばかな戦争を」と批判してきたのだが~)。すでに戦後65年とはいえ、暑い8月になると、「戦争」がせりあがってくる。

 ということで、「詩的生活」1年生になったことも含め(時間に余裕ができたので~)、今夏は「戦争映画」をじっくり見てやろうと決めた。もともと大谷直子が印象的だった「肉弾」(1968年)が好きだったので、岡本喜八監督の作品を。そのうち、戦争のばかばかしさをテンポよく,,というか、西部劇の雰囲気がある佐藤充主演の「独立愚連隊」(1959年)、「独立愚連隊 西へ」(1960年)、三船敏郎主演の「血と砂」(1965年、若き軍楽隊の悲劇など、これは予想以上によかった)を。

 岡本喜八監督作品は「吶喊」(1975年)など、意識的に見てきたつもりだが、「日本の一番ながい日」(1967年)や「青葉繁れる」(井上やすし原作 1974年)もそうだったのに気づいた。「ジャズ大名」(1986年)、「助太刀屋助六」(2001年)を監督したのは知っていた。が、これまでは時間がなかった(これから見るのだ~)。

 さらに勝新太郎の「兵隊やくざ」(初回 1965年)、「兵隊やくざ 殴り込み」(第7作 1967年)や若尾文子主演の「赤い天使」(1966年)もと、次々に。映画を見てからわかったのだが、両作品とも、原作はいずれも有馬頼義。監督も増村保造だった((兵隊やくざ」は初回と9回は増村監督が手掛けたが、それ以外は田中徳三監督だという)。

 それに霧降高原の寓居を訪れた東京の友人も推薦していた「人間の條件」(原作・五味川純平 監督・小林正樹 主演・仲代達也)も。この映画は、第1部から第6部まで9時間半以上もあるという(1部、2部がヴェネチア国際映画祭銀賞、映画批評家賞作品であるのを知ったのは今回だった)

 砂時計が見たのは、まだ1部「純愛篇」と2部「激務篇」のみ。若いときに一度、見たことがあるはず。それでも見始めると、途中でやめられなくなる大変な力作だ(たぶん、若いときとは違った感想を覚えると思うが、それもが楽しみだ。主人公「梶」の妻、新珠三千代の魅力だけは変わらない)。

 第3部「望郷篇」、第4部「戦雲篇」は1日に、借りてきたので(「隠し砦の三悪人」などもだが~7泊8日)、今週は「人間の条件」の中盤戦(?)に挑むことになりそうだ(そのくらいテーマが重いのだ~)。さらに第5部「死の脱出」、第6部「曠野の彷徨篇」とある(「戦争の八月」は終わったが、砂時計は、しばらく「九月の戦争」へか?)

2010年9月 1日 (水)

荻原忠義さんお通夜ライブ 異才「AKIRA」が会場で熱唱

Dscf2208 (荻原忠義さんのお通夜で焼香する参列者=30日、日光市の「やすらぎホール」)

Dscf2179 (荻原さんの遺影を前に「水の惑星 癒しの森」を熱唱するAKIRA=30日、通夜会場)

 「日光森と水の会」の主要なメンバーだった荻原忠義さんが8月29日朝、亡くなり、30日、通夜、31日に告別式が行われた。夏の間、仕事に追われ、29、30日とようやく休もうとしていた。久しぶりのその休み初日朝、突然、亡くなっていた。

 心臓に持病を抱えての病死だった。66歳。日光霧降高原のペンション「ロヂテ サンボア」(聖なる森)を経営していた。霧降高原森の図書館づくりはもちろん、最近では霧降高原のツリーハウスづくり、キスゲ平のオカリナコンサート、日光の天然氷つくりなどで一緒になる機会があった。

 関西出身で、日光霧降高原はもう15年という。独特の関西弁で明るく豪快な人柄はだれにも好かれていた。「砂時計」が思い出深いのは、この7月中旬、ニッコウキスゲ満開のときに、霧降高原リフトの高原ロッジで「日光森と水の会」などが主催したオカリナコンサート。会場入り口でコンサートが始まることをハイカーたちに伝える荻原さんが印象的だった。

 「あの詩は最後はどうなるかと、思って読んでいたら、最後に『ただ、いまだに表札がない』。とんでん返しみたいで、おもろいな~」「いやー、おもろいな、なんて言ってくれるのは荻原さんぐらいですよ」。

詩というのは、『序説17号』に掲載した「寓居」(黒川純)。ちゃんと読んでもらっていたのがわかった。高原ロッジ入り口で、その詩を語ってくれたことが、うれしかった。その場のやりとりを、よく覚えている。

Dscf0312霧降高原リフトの高原ロッジ入り口で、これからオカリナコンサートが始まることをハイカーらに伝えている荻原忠義さん(右下)=7月11日、日光霧降高原

 その日は盛況だった演奏会も終わり、演奏機材などの荷物を奏者たちと荻原さん、チロリン村長、それに砂時計の5人がそれぞれに抱えて、リフトを下った。が、その霧降高原リフトも31日で、事業が打ち切られた。

 そのリフトに「感謝と哀惜の念を込め」、「キスゲ平リフトさようなら、そして新しいキスゲ平に期待する催し」を、その最終日に『霧降の勝手連』が企画。呼び掛けの案内文をしたためたのが、荻原さんだったという。

 その催しは31日午前10時から。荻原さんは当日、司会者が語って欲しい内容を自ら書き、下書きと清書も終えていた。それがパソコンのそばにあったという。その催しが行われたその時間、午前10時、荻原さんの告別式が同じ日光市内で始まった。

 この日は、なんともいえない不思議な時間が過ぎたことになる。また、30日の通夜には「日光森と水の会」がAKIRAに依頼した歌「水の惑星 癒しの森」がAKIRA本人によって、歌われた。棺を前に熱唱したAKIRAの声が会場にしみじみと広がった。

(「水の惑星 癒しの森」が出来上がった経過などは「New 天の邪鬼日記」が詳しい)

「水の惑星(ほし) 癒しの森」

美しい夢だった
あわくはかない恋だった
人はなぜ失って
初めて気づくその愛に
水の惑星よ 癒しの森よ
夢のつづきを見させておくれ
子供たちの明日を
どうかうばわないでくれ
ホホホウ ホホホウ ホウルルルル

母の胸いだかれて
すこやかに眠ってた
ひとり立つ荒野には
枯れはてた愛の花
水の惑星よ 癒しの森よ
われらの罪を洗っておくれ
子供たちの笑顔を
どうかけがさないでくれ
ホホホウ ホホホウ ホウルルルル

ぼくたちが何者か
思い出させてくれないか
こごえるきみの手をにぎり
もう一度帰っていこう

続きを読む "荻原忠義さんお通夜ライブ 異才「AKIRA」が会場で熱唱" »

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31