花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(11)-
(『阿久悠 命の詩』・2007年12月・講談社から 映画ポスター)
阿久悠を語るには阿久悠原作の映画「瀬戸内少年野球団」(1984年 篠田正浩監督)は欠かせない。この映画で女教師を演じた故・夏目雅子のすがすがしい美しさも印象に残るが(1983年の「魚影の群れ」もよかった~)、なんといっても印象的なのが、映画主題歌の「イン・ザ・ムード」だ。
ご存じ、グレン・ミラー楽団のあっけらかんとした吹奏楽だ。これこそ異国のアメリカというイメージがわきおこる陽気な音楽(意味もないイラク戦争を仕掛けた今のアメリカのイメージには似合わないが~)。聞いているだけで、勝手に身体が踊りだしてしまう?麻薬のようなメロディだ。
戦後生まれの「砂時計」でさえ、そうなのだから、戦後その当時にグレン・ミラー楽団などアメリカのジャズを聴いた人たちの驚きはいかばかりか。
以前にも紹介したが、詩人・茨木のり子の有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」(1957年2月、つまり昭和32年)で、そうした空気がくっきりと示されている。この詩の中でも私が好きな一節だ。この詩から「イン・ザ・ムード」を思い浮かべるのは、私だけではないだろう。
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
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篠田正浩監督は『阿久悠のいた時代』のあとがきで、こんな舞台裏も明かしてくれている。「映画をつくる話の初めはなんといっても、音楽である。主題曲はグレン・ミラー楽団の『イン・ザ・ムード』にしようと、異口同音に阿久悠さんと笑った日のことが昨日のようである」と。
さらに「今も、時折、テレビやラジオで聞こえてくると、『不在』の人々の顔が次々と瞼に現れる」とも。夏目雅子は作品の完成から1年後に白血病で亡くなり、この映画が遺作。篠田監督はそのことにも触れており、いやがうえにも「不在」の人々の顔が浮かんでくるんだろう。
映画評論家・佐藤忠男に物語の骨格を紹介してもらうと、こうだ(「砂時計」もリアルタイムで観てはいるが、場面場面しか今は浮かばないので~)。
「アメリカに敵愾心を燃やしながら、結局アメリカを受け入れ、アメリカ的なものを自分の重要な一部にしてしまったのが、われわれである。早い話、『瀬戸内少年野球団』の発想それ自体がそうである」
「男の子たちが、好きな女の子のために男気を発揮してがんばるというこの物語の基本は、レディ・ファーストというアメリカゆずりの観念をアメリカ映画などで学ばなかったら、生まれてこなかったのではないか」
ただし、これは「敗戦」の昭和20年に小学校の高学年だった人たちの思いだろう。「70年安保」世代の「砂時計」の時代には、もうこうしたアメリカはない。ウッドストックやヒッピー文化、ベトナム反戦といった代物であり、アメリカを受け入れ、自分の重要な一部にしてしまう、といった身体からは遠い。
(映画「瀬戸内少年野球団」に出演中のスナップ。『星花火 夏目雅子』・新潮社・1996年12刷から)
阿久悠は、1937(昭和12)年生まれ。篠田監督と異口同音に主題歌は「イン・ザ・ムード」にと、決めたとある。私や私たちなら、何なのか思いめぐらした。アメリカといえば、コルトレーンやミンガス、パーカー、ガレスピー、ガーランドなど、50年代のジャズメンの方が近しい。
阿久悠と瀬戸内少年野球団、イン・ザ・ムードについて語ろうとしたが、どうも舌足らずなのは否めない。ただ、この回の最後に紹介したいエピソードをがある。阿久悠を追悼した『阿久悠のいた時代』を編集した斎藤愼爾が、あとがきで書いているものだ。
忘年会のカラオケ店で、各自一曲を歌わなければならないという取り決めに、あの「共同幻想論」(あるいは「言語にとって美とは何か」「親鸞」「高村光太郎論」「宮沢賢治論」など著書は膨大)の吉本隆明が、阿久悠の「五番街のマリー」を歌ったり、「ジョニィへの伝言」を熱唱した年もあったという。
斎藤は記す。「戦後思想の巨人と阿久悠氏との予期せぬコラボレーションに私(たち)が、ある種の衝撃を受けなかったといえば、嘘になる」。
このエピソードは最近知ったばかりだが、私がその場にいても、そう思うだろう。「うそ~」「まさか」、そう思う半面、「そうかも」「それもありか」とも。よくよく考えると、いつの時代にも、残っていく歌は世代や立場、思想などを超えて、愛される。そういう典型的なエピソードなのかもしれない。
(「花のように鳥のように 阿久悠小論ーその(12)-に続く)
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