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2010年10月

2010年10月31日 (日)

南蛮渡来の「はるばる屋」  茨木のり子詩集からー(8)-

Dscf4709_2

「はるばる」であったり、「なつかし」であったり。さらに「去年」や「おいてけぼり」。それらをキイワードにつづった詩「「店の名」。いずれも時とか時代を背景にした名前だ。世間と少しズレたような、あるいは流行には無縁といったこうした名前の店に寄ってみたくなるから、不思議だ。この詩にそんな親しさを感じる。

 寄ってみたくなるのは、たぶん、その店名と自分の過去とが、クロスする、そんな思いがどこかにあるのかもしれない。店の空気が実際、そうだったりすると、すごくうれしくなったり、はればれしたり。それも一度聞いたら忘れない名前。古くからの地名を大事に思っていた茨木のり子は、詩で挙げた店名が気に入っていたのだろう。

 店名といえば、骨董屋さんの「時代屋」、居酒屋さんの「とっくり」などが典型だ。日光霧降高原でいえば、工房兼イベントハウス?「幾何楽堂」もユニークで親しみやすい名前だ.。日光が拠点の移動珈琲店「エルネスト」の店名の由来も面白い(答えられた人は砂時計宅の紅茶一杯を進呈 ヒントは革命 笑い~)。

 時代屋といえば、以前暮らしていた北海道・釧路の喫茶店で、ときにミニシアターでもあった「時代屋」にはよく顔を出したものだ~(夏目雅子が印象的な映画「時代屋の女房」というのも)。

 だいたいが、店名からその店の雰囲気がおよそつかめる(まったく違う印象の店もたまにはあるだろうが)。この詩「店の名」を読んでいたら、やはり釧路の「ジッピー」という美味しいホルモン屋さんを思い出した。その店の名の由来のおかしいこと~。

 ホルモン屋なのにどうしてジッピーという洋風の店名なのか、疑問に思っていた。ある日、<どうしてジッピーなのか>。こう聞くと、ご主人が「うちは実費(じっぴ)といっていいくらい安いので、いつのまにか実費=ジッピーに」。あるいは「うちの払いはつけではなく、実費でだったので、そのままジッピーに」(どちらだったかなぁ~)。

 アップした詩「店の名」は茨木のり子の有名な詩集『倚りかからず』(筑摩書房 1999年10月)に収められた一篇。

 

詩  店の名

           茨木のり子

<はるばる屋>という店がある

インドやネパール チベットやタイの

雑貨や衣類を売っている

むかしは南蛮渡来と呼ばれた品々が

犇めきながら ひそひそと語りあっている

 -はるばる来つるものかな

     <なつかし屋>という店がある

     友人のそのまた友人のやっている古書店

     ほかにもなんだかなつかしいものを

     いろいろ並べてあるらしい

     絶版になった文庫本などありがたいという

     詩集は困ると言われるのは一寸困る

<去年屋>という店がある

去年はやって今年はややすたれの衣類を

安く売っているらしい

まったく去年も今年もあるものか

関西らしい商いである

     何語なのかさっぱりわからぬ看板のなか

     母国語を探し探しして命名した

     屋号のよろしき

     それかあらぬか店はそれぞれに健在である

ある町の

<おいてけぼり>という喫茶店も

気に入っていたのだが

店じしんおいてけぼりをくわなかったか

どうか

2010年10月28日 (木)

本番スタート、薪ストーブ生活  今季初めて昼間から点ける

Dscf4660 (300度を超えたときの薪ストーブの中=28日午後9時 日光霧降高原の「砂時計」宅)

 いや~、27日、28日といよいよ肌寒くなり、日光霧降高原の「砂時計」は、薪ストーブ生活の本番をスタートさせた薪ストーブそのものは、すでに9月下旬から使っているが、あくまで夜間のみ。昼間から薪を燃やすのは今季初めてだ。

Dscf4658 (とってを閉めた上の写真の状態。薪を追加するとき以外はこの状態だ)

 東京地方に「木枯ら一号」が吹いたのが26日夜。やはり27日からぐっと冷え込んできた(全国的だが~)。奥日光では雪がちらついたというし、霧降高原も昼間でも外気は10度ほどだった。<肌寒く感じるハズ>。そう思い、昼間から薪ストーブを点けた。 

Dscf4639 (「木枯らし一号」で吹き飛んできた落ち葉と我が家の名古屋のこうちゃん=27日) 

 28日も昼間でも室内の気温は14度。終日、雨模様でもあり、さらに肌寒さを感じてしまう。ということで、28日も昼間から薪ストーブ。乾き切っていない薪を使うと、なかなか300度に達しない。薪の燃え具合を確認しながら、紅茶を飲むこと約30分といった、時を過ごす(何も考えていない~笑い)。

Dscf4647 (お昼ごろでも外気は10度ほどの日光霧降高原=27日 「砂時計」宅)

 夜間だけと違って、薪を使うこと、使うこと(ただし、薪ストーブ効果で居間は作務衣で動くにはちょうどいい約24度に)。薪ストーブの出番が本番となったが、冬本番はまだ先。なるべく効率よく(節約ではなく~)薪を使わないと。そんな思いを抱いた薪ストーブ本番スタートだった(今夜はチャップリンのDVD映画『独裁者』を見ながら、湯豆腐かな~と)。

Dscf4661 (ブログ読者も暖まるように、がんがん燃えている薪ストーブの写真をアップ=28日夜)

2010年10月27日 (水)

セピア色した「あの時の日光」」 あちこちの店舗などがギャラリー

Dscf4570_2  (いわゆる昔の鉢石宿の様子がわかる日光の街並み)

 セピア色した記憶を思い返す。というのは、こんな写真の数々のことをいうのかもしれない。二社一寺の入り口、神橋そばの日光物産商会(明治38年建築 木造二階建て寄棟造り 国登録有形文化財)の一世紀前のにぎわい。よく見ると、外国人が多いことがわかる。いかに国際都市だったかを強烈に印象づける。

Dscf4573 (神橋のすぐそばにある日光物産商会の明治期のにぎわい)

 NPO法人 日光門前まちづくりが、「日光まちなかギャラリー あのときの日光展」と題して、旧日光市街で写真展を始めている(11月28日まで)。会場はJR日光、東武日光の両駅から神橋に至る、地元では東町と呼んでいる街中を中心に、日光市郷土センターなどの各施設や各店舗など40余りもある。

Dscf4572 (上の写真の部分拡大。いかに日光に外国人が訪れていたのかが、わかる)

 「明治期 日光物産商会のにぎわい」も、展示写真の一枚だ。主要会場は同センターや日光総合支所(旧日光市役所)、JR、東武両駅。これに日光街道沿いを中心に各店もショーウインドーなどに展示。全体では100枚ほどになるという。

Dscf4544 (「あの時の日光展」のチラシ表紙。展示会場は裏面に略図で示されている)

 写真は100年以上前の明治初期から昭和中期(昭和40年代ごろか)まで。日光図書館など日光市所蔵や個人所有のものも。フイルムを写真におこし、さらに拡大コピーするなどしたという。

Dscf4504(日光市役所日光総合支所で展示作業中の日光門前まちづくりのメンバー)

 昔の神橋周辺の様子や大谷川の対岸から見た上鉢石町、いろは坂、戦場ヶ原、旧日光警察署、保存が話題になっているかっての旧日光ユースホステル、路面電車などなど。さらには昭和22年の憲法発布を、日光市民が祝って様子などもある。

Dscf4548_2 (日光奉行所跡にこんな素敵なホテルがあったとは。「砂時計」は初めて知った)

 「砂時計」が新鮮だったのは「明治期 日光物産商会のにぎわい」などのほかに、日光奉行所跡に建てられていたという「日光ホテル」。大正15年に焼失したようだが、見事な建物であるのが、印象深い。

 Dscf4527_2

 このブログにアップした私にしても、見た写真はまだ一部。これから各店の「ギャラリー」をのぞいてみようと思う。市街地の紅葉本番はこれから。観光客も地元の市民も紅葉を愛でる一方、楽しみながら、街中を歩くいい機会だと思う。

2010年10月26日 (火)

ただじっと視ている人は必要だ 茨木のり子詩集からー(7)-

Dscf4602 (茨木のり子の七冊の詩集から編集した『女がひとり 頬杖をついて 茨木のり子』2008年1月・童話屋)

詩 瞳

           茨木のり子

ぼくらの仕事は 視ている

ただ じっと 視ていることでしょう?

     晩年の金子光晴がぽつりと言った

     まだ若かったわたしの胸に それはしっくり落ちなかった

視ている ただ視ているだけ?

なにひとつ動かさないで? ひそかに呟いた

     今頃になって沁みてくる その深い意味が

     視ている人は必要だ ただじっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳が

あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

     でも なんて難しいのだろう 自分の眼で

     ただじっと視ているということでさえ

                                                        

 詩 「瞳」は茨木のり子の死後、彼女と親しかったという田中和雄が茨木の七冊の詩集から編んだ『女がひとり 頬杖をついて 茨木のり子』に収めた一篇。もともとは1992年発刊の詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』(花神社)から。

 人はだれかに見守られていることで、安心できる存在だ(とは、だれかの説~)。例えば、初めて小学校に入学する1年生が傍らにいる母親を繰り返し、振り返ることで、安心して同級生の列に加わるように。そんな例が挙げられていた(実際、そうだろう)。

 あるいは「人間は本能の壊れた動物だから、自分が何をするにも、その理由づけが必要になる」(心理学者で唯幻論の岸田秀 初期の『ものぐさ精神分析』は素晴らしい)。この詩はそんなことも思い起させる。

 これは少し短絡な紹介だった。つまり、行動を起こす人は、その行動を起こす理由があるわけだが、それには視ている人が大事になるときがある。あるいは視えない視ている人を意識することで、まっとうな行為にならざるを得ないということも。

 詩にある「」じっと視ている」ということになれば、お天道様をまっさきに浮べる。子どものころに「悪いことをしても、お天道様が視ているよ」と、親から何度か言われた覚えがある。<そんなことはあるものか>と思ったが、妙に気になる小言だった。

 長じては「どんな情況になっても、お天道様の思し召し」というのが好きな言葉になった。「孫悟空とお釈迦様の手のひら」でもそうだが、自分にはまるで手が届かない、とても大きな意志みたいなものがあるのではないか(山田正紀のSF『神狩り』『弥勒戦争』などが好きなのはこのへんの感覚からか~)。

 「砂時計」は別にどの宗教を信じているわけでもないが(あえて言えば、革命的お天道様フーリェ主義的浄土真宗派か 「悪人正機」説の親鸞がいいので~笑い)、「青い地球」を見せられたとき、霧降高原がある地球が、宇宙船地球号であることを信じないわけにはいかない。

 その宇宙、つまり、お天道様でいえば、「犯罪は夜つくられる」との関連も(「夢は夜ひらく」ということも、これは別か~)。だれも視ていないところで、わからないように悪事を働いても、お天道様はじっと視ている(夜はお天道様ではなく、お月さまだが)。世の中もそうしたキラリ、あるいはそっとでもいいが、「ただじっと視ている人が必要だ」。

 

 

     

2010年10月24日 (日)

霧降高原の紅葉 さぁ本番へ  隠れた名所・六方沢はもうすぐ

Dscf4494 (もうすぐ紅葉本番の霧降高原六方沢=24日午後 日光霧降高原六方沢橋から)

 中禅寺湖が紅葉本番と知って、24日は「それ!」と霧降高原六方沢へでかけた。霧降高原道路で大笹牧場に向かう途中にある六方沢橋。標高1434㍍、谷底からの高さ134㍍に立ち、、眺める紅葉の美しさはたいへんなものだ。

 最盛期の光景は、いわゆる「絶景かな~絶景かな~」と、言いたくなる眺め。「砂時計」の場合は「まるで桃源郷のようだ~(桃源郷の何たるかを知らないくせにだが~)」。ただし、この24日の六方沢はまだ紅葉真っ盛りには少し遠い。 

Dscf4483 (これも六方沢橋からの紅葉=24日)

 それでも、観光客らは橋の上で、「きれいだね~」と言いあっていた。でも、本番ではこれどころではない。もちろん、中禅寺湖など奥日光やいろは坂、東照宮など二社一寺周辺の紅葉は美しい。ただ、六方沢の美しさは別格のように思える。

 というのも、六方沢は、日光といっても、市街地から遠く、人を寄せ付けないような気配がある。ときに霧が立ち込め、視界不良で、のろのろと運転しなければならないときも。そこが好天で視界が良く、本番となると、なんだか、福を得たような気持になるから、不思議だ(たぶんこんなときは、年に何日もないだろう)。

Dscf4469 (視点を移すと、こんな具合。真っ盛りまでにはもう少し)

 この日は、まだ紅葉本番とはいかなかったが、橋から眺めた遠くの山々の美しさが際立っていた。山々が薄青く、何層にも重なっている。<どこかで視た光景だな~>。そう思っていたら、水墨画の世界そのものと気づいた。

 六方沢橋からさらに高原を進むと、観光客でにぎわう・大笹牧場。そこにも、やぼ用があって、でかけたのだが(何のやぼ用かは内緒~笑い)。そこで土・日に営業しているエルネスト・カフェ(平日は日光・宇都宮道路の日光方面に向かう日光口PAで営業)によると、六方沢の紅葉本番は10月の最終週(30、31日)からになるのではないかという。

Dscf4472 (六方沢橋から眺めた山々。まるで水墨画のような光景が広がった)

Dscf4454(最盛期までもう少しの六方沢の紅葉。本番のその鮮やかさは、桃源郷?を思わせる)

2010年10月22日 (金)

だからもう薫るものはもうなにひとつない 茨木のり子詩集からー(6)-

Dscf4444 (詩「泉」などが収められた茨木のり子の遺稿集『歳月』初版2006年2月・花神社)

詩 泉

          茨木のり子

わたしのなかで

咲いていた

ラベンダーのようなものは

みんなあなたにさしあげました

だからもう薫るものはなにひとつない

     わたしのなかで

     溢れていた

     泉のようなものは

     あなたが息絶えたとき いっぺんに噴き上げて

     今はもう枯れ枯れ だからもう 涙一滴こぼれない

ふたたびお逢いできたとき

また薫るのでしょうか 五月の野のように

また溢れるのでしょうか ルルドの泉のように 

                                                     

 茨木のり子は、「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性ぐらい」とか「倚りかからず」など、自分をうたっているのだが、人生応援歌、つまりは人を励ましてくれる詩で知られてきた。だが、それだけではなく、もっと清々しい匂いのある、乙女のような優しい資質を持った詩人なのだろう、そう思ってきた。

 その典型が死後に発刊された遺稿集『歳月』だ(発刊の経緯はこちら「茨木のり子初回顧展」で)。甥っ子のあとがきによると、夫が亡くなってから31年の長い間に40篇近い詩を書きとめていた。

 「なぜ新しい詩集として出版しないのか」と甥っ子が尋ねると、「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだ」と答えたという。これらの詩群は死後、書斎の書類の中から発見された。それが「Y」の箱だった。

 これらの詩は「夢」「占領」「殺し文句」「恋歌」「獣めく」「一人のひと」「存在」など。いずれも夫を偲んで書かれた挽歌、哀悼歌だ。それも恋唄といっていい。もっと直接的であったり、柔らかく書かれたり。さまざまだが、「砂時計」はこの「泉」が気に入っている。

 この詩にある「薫る」とか「溢れる」とかの言葉は、私など男性ではなかなか出てこない言葉だ(と、思う。もちろん例外もあるだろうが~)。このように歌える夫婦であったことが、うらやましい限りだ。

 ただ、そうした詩を書くことができることは、「わたしが一番きれいだったとき」の詩から感じていた。この中に「わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争に負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」という節がある。

 さっそうと(たぶんまっ白い)ブラウスの腕をまくって、卑屈な大通りをのし歩く清々しい青女が思い浮かぶ。想像できそうな、その姿から、「泉」など『歳月』に収められた詩群を残す詩人だろう、そう思ってはいた。これも茨木のり子さんらしい(思わず初めて「さん」づけになってしまった)。

2010年10月21日 (木)

今は居ないのです  茨木のり子詩集からー(5)-

Dscf4427  (書き下ろし詩篇「行方不明の時間」も収められている『茨木のり子集 言の葉 3』)

詩 行方不明の時間

             茨木のり子

人間には

行方不明の時間が必要です

なぜかはわからないけれど

そんなふうに囁くものがあるのです

     三十分であれ 一時間であれ

     ポワンとひとり

     なにものからも離れて

     うたたねにしろ

     瞑想にしろ

     不埒なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸の婆のような

ながい時間は困るけれど

ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

 詩「行方不明の時間」の前半部分だ。「人間には行方不明の時間が必要なのです」という自問自答とも、問いかけともとれる誘い文句。それから始まり、思わず読みたいと思える詩だ。

 「わたしは居るが、居ないのです」。

 今は日光霧降高原で「詩的生活」(という、いわば遊行人の隠居生活)をしているので、日常そのものが、もともと居ても居ない「行方不明」みたいなものだ(あの世に行くと、それこそずっと行方不明になるが)

 それでも世間さまのあれやこれやは、それなりにあり、この詩のように「今は居ないのです」と言いたいときも、あるにはある(例えば、ニワトリ小屋を掃除して居るときとか、あるいは「居酒屋さん」に居るときだが~笑い)。

 居ても居ないというのは哲学的だ(居留守などは別~)。家に居ても就寝中ならば、居ないということだろうし、その人は居なくても手紙やはがきがそこにあれば、あるいは強い記憶が現れるときは、居るだろうし。

 この詩は『茨木のり子集 言の葉 3』の書き下ろし3篇の詩のひとつ。50行近くもある。その後半は「あの世にさまよいでる透明な回転ドア」について書いてある。

 詩は「一回転すれば」とあり、最後に「その折は/あらゆる約束事も/すべては/チャラよ」。無効ではなく「チャラ」という言葉を使うことで、この世に居なくなれば、ほんとうにあらゆる約束事は、もちろんチャラ。おもちゃ箱をひっくりかえして、すべておしまいという感じがでている。

 

 

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2010年10月20日 (水)

山帰来(さんきらい)が上棟式 「日光小来川活性化プロジェクト」

  Dscf4342 (北東など2か所の鬼門に矢を放つ鹿沼市高藤神社の坪山欣也宮司=19日、日光市小来川の「山帰来」屋根)

先ずは『小来川活性化プロジェクト』
着実に進み大まかな刻みが終了した
ここに来るまで日本を代表する4人の素晴らしいログビルダーが
経験と技術と知恵を集約させ 今までに類のないログハウス 『山帰来』
の骨格を完成させた
予定通りに進めば9月初旬今までバラバラになっていた材が
集まり 大自然の中に『凛』とした建造物が現れるだろう

この建造物は日本のログハウスの新しい夜明けとなる
日本のログハウスの聖地と呼ばれる日光 小来川に
建つということ その縁は計り知れない
しかもログハウスの神様 アランマッキーの全員が
私も含め 教え子であること・・・
上棟式の時は大変なことになりそうだ

 と、このように日光霧降高原の幾何楽堂がブログに書いていたのは、この6月22日。それから約4カ月。その「山帰来(さんきらい)」の上棟式が19日、現地の日光市小来川であった。

 山と川に抱かれ、いかにも日本の里といった小来川。地域を流れる黒川と西黒川の合流点。そこにログハウスの技法で凛とした木造建築が姿を現した。

 計画を進めている栃木都市計画センター(宇都宮市)が、「小来川活性化計画 『山帰来プロジェクト』」と名付けている構想が一歩も二歩も進んだことになる。

Dscf4355 (上棟式にこぎついた「山帰来」の建物、写真は川から見た建物全景)

 施設は蕎麦店として来春にも開業を予定しているという。同センターによると、この施設は「人の動きを創り出し、流れを加速させる装置としての役割」を見こんでいる。

 と、いうのも、日光の風光明媚な小来川に、単にログハウスづくりの蕎麦店を出店させるということに終わらない。かなり、遠大な今の時代的要請を背景に進めている。

 小来川の「まちおこし」を想定しているのはもちろん、さらに現代の都市が変容しつつある今、今回の取り組みをてこに、次の社会の流れを期待した施設づくりなのだという。

 同センターの江原好昭社長やプロジェクトによると、これまで都市は拡大に次ぐ拡大を続けてきたが、もはやそれは望めず、これからの都市は縮小の時代になっていく(スローシティの取り組みはそのひとつなのだろう)。

 その際、地方、あるいは田舎の里の秘めた力を活かすこと、隠れた資源に光を当て、新たな風情や価値を生み出しすことが大事になる。都市はそれとの交歓や交流でまた新たな意味や価値を取り戻す。

 プロジェクト名の「山帰来」とは、都市と地方の、仕事と余暇の、日常と非日常の双方を行き来する、往還するという意味だということで、「砂時計」が半可通的に拡大解釈すると、こうなるのだが~)。 

Dscf4296 (地元産の杉材を組み立てた「山帰来」。上部の空間には漆喰を施すという)

 「と、評論家的に云うのではなく、まちづくりの専門家として具体的に何をなすべきか」。そこで白羽の矢を立てたのが、栃木県を代表する日光だという(全国に知られる日光の地域であることが大事なのだという)。

 それも、日本の原風景のような(「砂時計」も、実際、何だか懐かしい風景だと感じている~)、 またログビルダーたちの聖地でもあり、さらに同センターがこの土地に縁がある小来川だったという。

 その手法として、陶器の修復手法である「金継ぎ」を強調していた(なんとなく理解はできるが、これはちと難しい~)。修復すべき問題点として、耕作放棄地などを挙げており、それへの対処策も含めた施設建設であることは確かなようだ(詳しくは後述の「山帰来プロジェクト」を)

 いずれにしろ、建物の木材は樹齢約80年という杉を地元・小来川から切り出して活用。さらに地元に3万平方㍍の蕎麦畑を確保し、施設のわきに広い山葵田をつくり、野生鳥獣対策で電気柵も設けた。開店のために蕎麦職人を育て、地元雇用もはかっていくという。 

Dscf4416 (弓矢の儀式はこの屋根の上で行われた 写真は建物前面)

 「砂時計」は手腕が伝えられるログビルダーたちが、どんな建物を作っていくのか、それに関心があった。この日、建物を見てみると、その組み手がいかに凛としているか、まるで工芸品。ひとつのオブジェといっていい。

 ただし、ログハウスの組み方は建物の下半分で、上半分の木材の空間には漆喰を塗っていくという。完成すると、木材と漆喰が組み合わさった違った見事な光景になるだろうと思う。

 そして、この施設を核にしたプロジェクトが、新しい時代の「まちづくり、むらづくり」を意図したものであるだけに、これからの時代のひとつのシンボル(モデルケースあるいはショーウンドーか)になっていけるような、にぎわいをみせるのかどうか、それも楽しみにもしたい(美味しいお蕎麦も食べたいし~)。

Dscf4324 (宮司を迎え、建物の「中二階」でおごそかに行われた「山帰来」の上棟式)

Dscf4406 (ログハウスの技法で組み立てられた壁面は、オブジェのようだ)

Dscf4365_2 (建物そばにつくられている広いわさび田)

Dscf4403 (天井に伸びる木材の組み立ても美しい「山帰来」)

Dscf4400 (「山帰来」のすぐ目の前は黒川と西黒川の合流点だ)

Dscf4391(「山帰来」の上棟式に参加したみなさんの記念写真 掲載が困るひとは連絡をください)

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2010年10月18日 (月)

華々しい意志の落ちこぼれ  茨木のり子詩集からー(4)-

Dscf4295 (詩「落ちこぼれ」が収められている『思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』近代出版・2006年4月)

 

 「和菓子を連想するなんて、思いも寄らない」。詩と哲学のデュオ『思索の淵にて』の一方の著者、ヘーゲル学者で知られる長谷川宏の文章だ。実際、「落ちこぼれ」から「和菓子」をだれが連想しよう。

 落ちこぼれは「①落ちてちらばっているもの②あまりもの。 残り物③普通一般から取り残された人。特に授業についていけない生徒」(『広辞苑』)。少なくともプラスのイメージの言葉ではない。

 だが、茨木のり子は落ちこぼれの魅力を語り、自らも女としては落ちこぼれだと語る。最後の四行で「落ちこぼれ/結果ではなく/落ちこぼれ/華々しい意志であれ」と結ぶ。

 「思索の淵にて」の長谷川宏は「劣等感」をキイワードにして、「全共闘運動のあと、大学教師への道を自ら断って塾教師をはじめたときには、まちがいなく落ちこぼれの意識があったし、さらにいえば、落ちこぼれを楽しみたい思いがあった」とする 

 長谷川は、そこから落ちこぼれ生徒の解決法について語っていく。だが、この詩は落ちこぼれという人生を選択したときのある種の構え方をとらえたものだ。

 だから、長谷川は生徒のことではなく、落ちこぼれの意識があったという自らのことを、もっと哲学的に語るべきだった(と思う。高名なヘーゲル学者なのだから、そこを伝えて欲しいという思いからだが)

 「砂時計」も工業高校から自動車会社に就職したが、現場(試作車を一台づつ作る試作工作課)の仕事になじめず退社。工業大学に入ったものの、世の中は1970年代の騒乱期。全共闘運動にのめりこむのが自然だった。

 工業大学には6年(いや7年だったか)も在籍したが、最後は(「試験拒否闘争」などもあり~)大学除籍。まともな仕事に就けるわけもなく、落ちこぼれそのものだった。いや、落ちこぼれというより、<破滅型人生を歩んでいるな>。そんな思いでいた(詩を書き始めたのはこの頃から)。

 明日が視えないその道も自ら決めたのだから、それでも、良しとしてきた。時代の真ん中にいた全共闘運動の経験や蓄積が(いい面もいやな面も)、いずれ、どこかで役に立つだろう。

 そうした思いを抱えてはいたが、それが何になるのか。まったく定かでなかった。まして、長谷川のように落ちこぼれを楽しむというような余裕はなかった。

 だから、この詩の結びのように「落ちこぼれ/華々しい意志であれ」といった凛とした、すがすがしいものではない。しかし、落ちこぼれだからこそ、物事をラジカルに、根底的に追い求めることができる。その思いは強かった。

 その意味ではこの詩の「むざむざ食われてなるものか」ではなく、「こちらがいずれ食わせてもらう」。いつか、そうなることを変に確信していた。落ちこぼれという出来そこないは、それを自覚するゆえに、ゆっくりと、そうゆっくりとだが、美味しく育っていくのだと思う。 

 

詩 落ちこぼれ

               茨木のり子

落ちこぼれ

  和菓子の名につけたいようなやさしさ

落ちこぼれ

  いまは自嘲や出来そこないの謂

落ちこぼれないための

  ばかばかしくも切ない修行

落ちこぼれにこそ

  魅力も風合いも薫るのに

落ちこぼれの実

  いっぱい包容できるのが豊かな大地

それならお前が落ちこぼれろ

  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ

落ちこぼれずに旨げに成って

  むざむざ食われてなるものか

落ちこぼれ

  結果ではなく

落ちこぼれ

  華々しい意志であれ

2010年10月17日 (日)

しい~んと静かな魔の湖  茨木のり子詩集からー(3)-

Dscf4281 (詩「みずうみ」などが収められている『茨城のりこ集 言の葉 3』・筑摩書房・2002年10月)

 

 「人間の魅力とは/たぶんその湖のあたりから/発する霧だ」。

 茨木のり子の詩「みずうみ」は、しい~んとした深く青い静かな湖を心の底に持つべきなのだ、という詩句をメインに組み立てられている。その詩の「しいん」(原文では強調点、、、が打たれている)

 その深く青い湖を「かくし持っているひとは/話すとわかる/二言 三言で」。だが、「さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖」だという。そして「人間の魅力とは・・・」へ。

 そのひとの深い知恵であったり、深い哀しみであったり。あるいはひとに言えぬ挫折感や恥を知る心、温かな慈愛や優しい自信など。これらを心の底に隠し持つひとは、少し話しているだけで、ほとんど感じることができる。

 この詩を読んでいたら、川端康成の『伊豆の踊子』の一場面を思い出した。下田へ向かう道すがら、踊子たちが主人公・私のことについて、語っている場面だ。

いい人ね」

「それはそう、いい人らしい」

「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」

この物いいは単純であけっぱなしなひびきを持っていた。感情のかたむきをぽいと幼くなげだして見せた声だった。わたし自身も自分をいい人だとすなおに感じることができた。

 砂時計」は、「いい人」という評価より、「いい人はいいね」という物いいに惹かれる。いい人が悪いわけはなく、いいに決まっている。だが、この場面だと、絶対的な肯定感や安心感、信頼感がみてとれる。

 若い頃からの夢のひとつは、踊子が語るように「いい人はいいね」、そう言われてみたいということだった。残念ながら、人徳がいまいちとあって、そういう幸福な場面に会うことはなかった。

 だいたいが「自分勝手な性格だ」「猪のようなB型人間そのもの」「気遣いがほんとにない」などの評価が多い。せいぜい、中年に差しかかるときに、お年寄りの知者から「あなたは、職業そのものだね」と、しみじみと言われたぐらいだ(この場合は功罪両面の評価か?)。

 そんな悔い多い自分の過去があるので(反省しても元の場所に戻れないので、反省はしてませんが。いや、少しは反省しているかな~)、茨木のり子の「みずうみ」のような詩は、よけいに親しみを抱くのだろう。

 つまりは「いい人はいいね」と、言われるようになるには、「しい~ん」とした深くて青い魔の湖を、心の底に隠し持たねばならぬということなのだろう(念のためですが、隠し事ではないですぞ 笑い)。さぁ、わたしやあなたはどうだろう?。

詩 みずうみ

             茨木のり子

<だいたいお母さんてものわさ

しいん

としたとこがなくちゃいけないんだ>

     名台詞を聴くものかな!

ふりかえると

お下げと河童と

二つのランドセルがゆれてゆく

落葉の道

     お母さんだけとは限らない

     人間は誰でも心の底に

     しいんと静かな湖を持つべきなのだ

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2010年10月16日 (土)

青春は木偶の坊  茨木のり子詩集からー(2)ー

Dscf4274_2  (詩 「伝説」 現代詩文庫『茨木のり子詩集』 初版は1969年3月)

 「青春が美しいというのは伝説である」で始まる茨木のり子の詩「伝説」は、いかにも茨木のり子だと思う(代表的な詩「わたしが一番きれいだったとき」のトーンに似ている)。なにしろ、「囚われ人」「木偶の坊」ときて、「歪み」「へま」。さらに「残酷で」「恥多い」とくる。

 実際に青春は、その中にいるとき、自分を振り返ってみても、世界や社会の中の己の位置がまだ薄明かりで、大海にただ漂う小さなヨットのよう。どこかに向かう羅針盤もなく、ただ、やみくもに大波に向かおうとする無鉄砲な木偶の坊だ。

 その雰囲気というか、若者の気分が過不足なく、次々と繰り出す詩句に示される。「青春」といえば、阿久悠作詞・森田公一作詞の「青春時代」がすぐに思いつく。歌いやすい曲なのだが、なぜだか、ずっと、違和感が残っていた。

 それが茨木のり子の「伝説」を読むことで、その違和感がなんとなくわかる気がしてきた。「青春時代」のサビはこうだった。「青春時代が夢なんて/あとから思うもの/青春時代の真ん中は/胸に刺さすことばかり」

 実際の青春はもっと焦燥感や飢餓感に満ちあふれ、世界や世間の理不尽さに怒り、弾劾し、感激し、怪行し、騒乱し、そして無力感に向き合って、打ちひしがれてしまう。こころは残酷な冷凍庫のようだ。そうした気分が「青春時代」は弱い。

 さらに「伝説」には別の側面もある。短い詩句で、青春の情況も描いてみせる。「青春は/自分を探しに出る旅の 長い旅の/靴ひもを結ぶ 暗い未明のおののきだ」。私にひきつければ、そう、温かな故郷の精神史から別れ、歴史を過去へ過去へと遡る長い旅に向けた靴ひもを、ぎゅっと、結び直したのだった。

  

詩 伝説

           茨木のり子

青春が美しい というのは

伝説である

からだは日々にみずみずしく増殖するのに

こころはひどい囚れびと 木偶の坊

青春はみにくく歪み へまだらけ

ちぎっては投げ ちぎっては投げ

どれが自分かわからない

残酷で 恥多い季節

そこを通ってきた私にはよく見える

     青春は

     自分を探しに出る旅の 長い旅の

     靴ひもを結ぶ 暗い未明のおののきだ

ようやくこころが自在さを得る頃には

からだは がくりと 衰えてくる

人生の秤はいやになるほど

よくバランスがとれている

失ったものに人びとは敏感だから

思わず知らず叫んでしまう

<青か春は 美しかりし!> と

2010年10月15日 (金)

流れゆく時の刻み 「蓄音機」で漆の砂時計などの作品展

Dscf4200_2 (重さと色が違う砂が落ちることで縞模様ができる砂時計)

 「砂時計を愉しむ」。ブログ「砂時計」にとって、そのものズバリの漆芸展が日光市山内の明治の館庭内のギャラリー「蓄音機」で開かれている。地元紙・下野新聞で知り、さっそく出かけてきた。

 「明治の館」で食事をしたことはあるが、「蓄音機」は初めて。石造りの外壁に内部は大谷石。建物の造りといい、いかにもアナログ風だ。そこにアナログそのものの砂時計の作品群。これは興味深々。とばかりに見学を始めた。 Dscf4209_2 (いわゆる砂時計の砂時計)

 よっぽど興味深そうに作品を見て回っていたためか、作者の宮原さんは<何だろう?>といった表情。「砂時計主義」の名刺を渡すと、「そうですか、砂時計主義ですか」とにこり。その名前に親しみを覚えてくれたのか、どうして砂時計なのかについて、語ってくれた。

 「漆芸が基本ですが、動きのある作品を作りたいと考えたのです。万華鏡も考えたこともあるのですが、ゆったりした時間の流れを楽しんでもらえる砂時計に。砂度時計づくりは、もう10年ほど前から。ここで作品展をやるのは7年ぶり2回目。砂時計の作品はすべて今回の作品展のために制作しました」

Dscf4244 (展示会場そのものがアナログの代表格のギャラリー「蓄音機」)

 展示品は砂時計やオルゴール、漆工芸そのものなど大から小まで約130点。重さと色が違う砂を落とすと、縞模様ができる大きな砂時計、斜めに砂を、時を落とすもの、1分、3分、5分の時を刻む3点セットの砂時計など、さまざまだ。

 宮原さんは、日本伝統漆芸展・日本伝統工芸展入選、栃木県文化奨励賞を受け、栃木県芸術祭美術展審査員なども務めてきたという。さすがに作品は1万円強から約40万円まで。会期は17日まで(午前11時~午後5時)。

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2010年10月14日 (木)

イキテルヤツハミナタマゴ  茨木のり子詩集からー(1)-

Dscf4157 (詩 「詩人の卵」も収められている現代詩文庫『茨木のり子詩集』・思潮社・初版は1969年3月)

 <そうそう、そういうことだよね>。思わず、その詩に向かって言いたくなるのが、茨木のり子の詩「詩人の卵」だ。なかでも、結びの「誰も知っちゃいないのだ/どれがほんとに孵るのか/水の流れも知らないのだ」には同感する。

 もともとは現代詩文庫『茨木のり子詩集』にある未刊詩篇の「詩論に代えて 詩三つ」のうちの一つだ(残りの二つは「言いたくない言葉」と「日本語」)。

 でも、最後の最後で、「イキテルヤツハミナタマゴ」はすごいというか、発想の奥が深い。孵るためにはりきれと、励ましながら、なかなか大人にはなれないぞ(生きているうちは絶対の完成形はないのだぞ)、そう釘をさす。

 この詩を読んでいたら、米国人詩人 アーサー・ビナードさんが激賞し、私も好きなプロレタリア詩人 小熊秀雄(北海道出身 全国の詩人がめざす「小熊秀雄賞」で知られる)の詩「気取り屋の詩人に」を思い出した。

 乱作詩人だと罵る寡作の詩人に対し、小熊は「僕は食事中でも詩を書く(略)僕たちは働く詩人だ」とやりかえす。最後には、皮肉たっぷりの詩句を用意している。「砂時計」はその結びが、ときたま頭をよぎることがある。

 「君はー男のくせに/女形のように容子ぶって/原稿紙にむかう/月経(つきもの)でも/あったように/二十八日目に/一篇おつくりになる」

詩 詩人の卵

        茨木のり子

魚が あんなにびっしり

喘ぎ喘ぎ卵を抱えているのは

孵る子が乏しいため

孵っても生き抜く確率がすくないため

下手な鉄砲も数打ちゃ当る

詩人の卵が昔より

びっしり増えてきたのもさ

現実に食われる詩人が多いため

はりきれ 卵!

誰も知っちゃいないのだ

どれがほんとに孵るのか

水の流れも知らないのだ

      イキテルヤツハミナタマゴ

2010年10月13日 (水)

詩 感傷主義者 黒川純『砂時計主義』から

Dscf4148_2詩「感傷主義者」  黒川純詩集『砂時計主義』・2008年5月・随想舎から)

 巨大な塊、団塊世代(だんかいせだい 昭和22、23、24年生まれの周辺)は戦後の鬼っ子として、さまざまな評価がある1970年前後の全共闘時代を生き、ロック・フォーク・ジャズ、アングラ演劇やATG映画、政治用語、詩の文化などにどっぷりつかってきた。

 そのうえで、ベトナム戦争、沖縄基地付き返還、カンボジアの悲劇、ソ連・ユーゴスラビアの解体、ベルリンの壁解放、とんでもないイラク戦争、韓国・中国の躍進、高度成長から土地成金、バブル崩壊、貧困時代、政権交代までリアルに並走してきた。

 その世代が定年後をどのように過ごすか。時代の価値観の変容を感じ、あるいは価値観に影響を与えた世代が、その後をいかに豊かに過ごし、ある共同的な社会とかかわっていくのか、いこうとするのか、いけるのか(「砂時計」の用語でいえば、「詩的生活」ということになるが)。

 それが巨大な単位で問われている。その行方は、戦後日本の、いや日本人の(ひいては世界の)ひとつの到達点を示すものだ。いわば、視えない壮大な「社会実験」だと思っている。

 そのひとりである「砂時計」も、かなり前から、そんな感覚を抱き、そのひとつとして、「感傷主義者」という詩を書いた。きっかけは、学生時代からの親友が中年で病死したことだった(横浜での葬儀で「砂時計」が弔辞を読んだ)。

 きょうはなんだか、そんな意味があると思っている「団塊世代」という言葉が何度も頭の中に浮遊していたので、その詩をアップすることにした。ただし、最初に発表した詩より、かなり削ってある(最近は書くにしろ、詠むにしろ、短い詩の方が性に合っている)

 

詩 感傷主義者

             黒川純

感じやすく すぐに悲しみ

涙もろくなるセンチメンタリズム

在ることそのものが

いつも社会問題だった

     団塊世代のそれが財産であり

     精神のシェルターなのだと

     遠方からの青いシグナルが

     神経細胞をニヤリとさせた

確かに寄らば大樹たちに

手に負えない鬼っ子だと

眉をひそめられてきたが

わたしも あなたの社会を問題にしていたのだ

     そうだ!

     明るい感傷主義者を名乗り

     悲しみの精神と魂たちの

     安全装置の組立工になろう

ある詩人が呼びかけたように

ある共同的なもののために

ワルシャワ労働歌で

乾杯できるように

(初出・詩誌「新・現代詩 21号」2006年6月  黒川純『砂時計主義』収録)

     

2010年10月12日 (火)

さぁ冬の準備は万全! 薪ストーブの薪づくり、終了へ

Dscf4128 (斧で次々と割った薪ストーブの薪=日光霧降高原)

 そうだ!薪割りをしないと~。原木をチェンソーで切ったのはいいが、それを庭に転がしたまま。すでに薪ストーブの季節に入っているが、最後の仕上げまで手が回っていない(「(今ごろ何、来年の作業かい?」と、日光の薪ストーブ屋さんから言われてしまうが~)。

 ということで、好天の11日と曇り空の12日、「砂時計」は庭に転がした原木たちの薪割りに精を出した。斧で割り、ノコギリで切り、さらに残っていた太い木はチェンソーで(チェンソーは、木くずなどの清掃が完璧でなかったのか、稼働しても、すぐエンストしてしまい、残念ながら、ほとんど使えず)。

 切った薪たちは、階段経由で10数メートル離れたベランダへ。運ぶこと数十回。ベランダは二重の薪の山になった。小さい薪は居間の薪ストーブ周辺へ。さらに建築廃材のスギ材をノコギリで一本ずつ切断。それをナタで数重もの小枝にして、段ボール箱へ(二箱半にもなった)。

Dscf4126 (見上げれば、「砂時計」宅のすぐそばにあるヤマザクラはもう秋模様に)

 大きく背伸びすると、そばのヤマザクラは緑の葉が少なくなり、秋模様に。両日とも半日は薪作りだった。野良仕事ではないが、<これは早くお風呂へ>。夕方には風呂へ。汗だくの身体で湯船につかれば<天国~天国>(その後の晩酌が楽しみなだけに~) 

 と思っていたら、霧降高原の友人が久しぶりに来訪。手には缶入りハイボール。さらに別の霧降高原の友人が乱入?。<なんにもないけど、あたたまってゆきなよ>。そんな構図となり、薪をガンガン燃やすことに。

 部屋はもう27度。ベランダに通じるサッシは開け放しで、薪ストーブの炎が揺らめく。ビール、日本酒、ウイスキー。肉豆腐に味噌&マヨネーズのキュウリ、冷奴と続く。

 ハイボールの作り方から始まり(ウイスキーツウフィンガーに炭酸割り)、大阪地検特捜部批判、恋愛のあれこれ、大学論と政権論、霧降高原「森の図書館」発展計画、酔うほどに若いころの失敗談(途中まで成功したようだったが~)が飛び出し、さらに薪ストーブ生活に話が及ぶ。

Dscf4113 (けっこう力が入った薪割り用の斧)

 「薪をもらうなんて発想をしないで、原木でどさっと買い、チェンソーなどで切断するのは、ご当人というやり方がいい」「灯油代わりだと思えば、10万円でいっぺんに原木を買っても高くない」「ふ~む、どうかね」(「砂時計」は初夏にとりあえず割った薪4万円分だけ買っている)

 「冬本番で薪が本当になくなると、ベランダなど、そこらへんの板さえも、ひっぺがして燃やしたくなるもの」「確かに、そうだろうね」(なぜか上州のお堂で野宿する長い楊枝をくわえた木枯紋次郎を思い出してしまった。今、寝床で毎晩「帰ってきた紋次郎」を読んでいるせいもあるが~)

 いずれにしろ、イソップ物語の「アリとキリギリス」ではないが、薪ストーブ生活を楽しむには、冬が始まる前にいかに良い薪を適度な量、確保しておくか。それが大事だ。薪ストーブ1年生だった昨冬は「お~い、薪があと数日でなくなるよ~」と何度、日光の薪ストーブ屋にSOSを出したことか。

 さぁ、今冬はどうなることやら?。12日午後9時半。あっ!、今夜も肌寒くなってきた。そろそろ、薪ストーブを点火しないといけない~。 

Dscf4118(「砂時計」宅前の道路の両側はもう落ち葉がはらはらと散っている)

2010年10月11日 (月)

続々とたまご、半月で7個  霧降高原の「名古屋のコーチャン」

Dscf4032我が家の名古屋のコウチャンが9日まで12日間に生んだたまご=日光霧降高原)

 日光霧降霧降高原の我が家で育てている名古屋コーチンの「こうちゃん」が、次々と新鮮なたまごを生んでいる。生まれてから160日目の9月26日に最初のたまごを生んだことは報告しているが、その後、11日まで6個、計7個になった。

 16日間で7個なので、約2日と少しで1個の割合。いずれも薄い桃色がかったたまご。市販のたまごより、やや小さいサイズだ。すでに「砂時計」が、たまごかけごはんでいただいているほか、ご近所2軒に2個づつ贈った

 そのうち一軒の気品のある奥様は春先、我が家のベランダで紅茶をいただきながら、すくすく育つこうちゃんをじっと見て、「まぁ、おいしそう!」と、おっしゃっていた。なので、こうちゃんのたまごを贈るにも複雑な気持ちだった(笑い こうちゃんの太ももに関心があるF氏に対しては、さらに要警戒だが~)

Dscf4140 (名古屋のコウチャンが11日朝に生んだたまご)

 まぁ、それにしても、よく生んでくれること。一時は野良猫に襲われ、仮死状態になったことも。さらに、獣医師によると、襲われたショックで血も吐いていた。そんな生と死を往復する事件に遭いながら、たまごという命を生み出すというのは、エライ!。

 ただ、なんとなく、<そうなのかな>と思うことがある。というのは、こうちゃんは、生んだたまごに関心が、まずない。<なんで、そこにあるのかな?>。といった表情で、たまごには全然、手(足や口ばしか)を出さない。

 もっとも、余り関心を持たれてしまうと、「砂時計」が、たまぎかけごはんで食べるのも、気がひけてしまう。いまのところ、そんなことはないので、明るく「いただきます~」とありがたく頂戴している。

Dscf4071 (好天の11日、「砂時計」のベランダと庭をいったりきたりしていた元気な名古屋のこうちゃん)

 ということで?、最近のこうちゃんの行動と声色について、気づいたことを、いくつか。

その1 ふだんいる小屋からベランダや庭など戸外に出たいときは低い声で「グルグルル~(出してくれ!) グルグルル~(出してくれ!)」と繰り返す。かなり欲求不満だという感じで、<ワタシはソトニイキタインダ!>と、小屋の中をくるくる回り続ける

その2 飛行機の音など、何か大きな物音がするとか、シーツなど大きな布などを広げたことで視界がやや異なると、直ちに警戒態勢に入る。首を上げて周囲を注視。「コケコッコウ~(大変だ!)」「コケッ! コケコッコウ~(大変だ!)」と、大きな声で何回も続けて鳴き、なかなかおさまらない。

その3 「砂時計」が持っている、その食べ物が(例えば、こうちゃんが好きなパンくず、ブドウ、ビスケットなど)欲しいときは、首を上下左右に振りながら、これも低い声で「アハッ、グリュルル~(早くくれよ!)、アハッ、グリュルル~(早くよこせよ!)」と、向こうに行ったり、こっちに来たりしながら、鳴き続ける。

2010年10月 8日 (金)

「北の思想が深くなる」 日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(10・完)ー

Dscf3091_2  (ハーモニカを交えて川柳を朗読する岩手県の川柳人 佐藤岳俊さん=9月18日、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館)

 「日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」であった朗読会では、ひとつの詩を集団で朗読する「北上詩の会」の群読も含め、三十数人の詩人や歌人が舞台に立った。その表現の仕方はさまざまで、それが印象的だった 

 自作を解説したうえで詠みあげたり、伝えたいある詩句にだけ力を入れたり。次々とスポットライトを浴びる詩人たち。その中でも異色というか、「ほほぉー」と思わせた何人かの印象深い詩人がいた。

 そのひとりが地元・岩手県の川柳人 佐藤岳俊(がく・しゅん)さん(岩手県川柳連盟及び東北川柳連盟理事長)。川柳を詠みあげる合間に、フォークグループが使うように、ハーモニカを吹き鳴らし、緩急をつけていた。朗読した川柳は40句近いが、そのうちの五句になぜか、魅せられた。

雪積もり北の思想が深くなる

ふるさとを掘ると一揆につきあたる

反骨の血が流れ出す雪の下

北国の屋根合掌のまま朽ちる

開拓碑背にびょうびょうと休耕田 

Dscf3074 (ほとんど劇団員が朗読するかのように朗読した青森県の詩人 斗沢テルオさん)

 朗読そのもののうまさでは青森県の詩人 斗沢テルオさん(青森県詩人連盟所属)だろう。詩は「鬼の宿る瞬間(とき)」。津軽弁というのか、青森弁というのか、地元の言葉で書かれ、詠まれた。その抑揚のリアルなこと。まさに詩が生きているみたいに聞えた。

 「斗沢さんは劇団員ではないか?」。かなり訓練された朗読だと思われ、聞いている最中、そう思ったことだった。その夜の懇親会では「斗沢さんの朗読が最も印象に残りました。どこかの劇団にいたのではないですか」と声をかけてしまったほどだ。

Dscf3079 (ほとんど独演会のように朗読した花巻市の詩人 照井良平さん)

 もう、ひとり、忘れてはいけないのは、岩手・花巻の詩人、照井良平さん(花巻詩人クラブ会長)だ。巻紙を広げ、そこに書かれた詩「北天のきら星」を、詠んでいくのだが、暗誦しているのか、朗読する間、ほとんど客席?に向かって、聞かせていた。

 その朗読も舞台の右へ 左へと移動しながら。原稿を手に、直立不動でマイクに向かっているだけの朗読とは、おおいに違うスタイルだ。照井さんは、これまでも朗読会に何回も参加しているという。それだけ聞かせる工夫を加え、場馴れもしているのだと思う(旧知の照井さんからは自身が会員の詩誌「青焔(せいえん)第70号 2010・夏」をいただいた)

 「砂時計」も、いずれ、自作を朗読するような機会があるかもしれない。そのときのためにも、大勢の詩人や歌人たちの朗読を聞くことができたのは、非常によかった。斗沢さんのように劇団員のような朗読は、まずできないが、少しは工夫できそうだと思ったことだった(たまには詩人の集まりに参加してみるもんだね、とも)。

(「現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」完)

(お知らせ 本日から、ブログ名を「砂時計主義」(ブログ管理者・黒川純の第2詩集の題名です)に変更しました。「砂時計」の朝礼暮改的な性格もありますが?、ひとつの方向を、さらに摸索しようという思いからです。同時に人気ランキングでは「地域情報・栃木県」で登録していましたが、内容が「詩人」のブログに、かなり傾いてきたため、多くを「詩」の分野に移すことにしました(「地域情報・栃木」にも少し)。今後とも、よろしくお付き合いください。

2010年10月 7日 (木)

ブログ「マコトノクサ通信」 アラセブ初当選の増子花巻市議が開設

12849629851 ブログの開設にあたり   (増子義久)

平成22年7月25日に行われた花巻市議会選挙で初当選したのを機にブログを開設することにしました。私は立候補に際し、無投票の阻止と若い世代が政治に関心を持ち、自ら議員に挑戦できるような「環境づくり」を目指すことを約束しました。そのためにはまず、「開かれた議会」の存在が前提となります。議員は行政に対する監視役をきちんと果たしているのか。市民目線の議員活動をしているか…。私自身、議員になるまでは市議会に対する関心は希薄でした。もちろん、自分にも責任がありますが、その最たる要因が「閉ざされた議会」にあったような気がします。議会活動の実相だけではなく、肝心の議員の素顔さえうかがい知れない。これでは関心の持ちようがありません。私は密室をこじ開け、そこに新風を吹き込むことを自らの使命としました。一体、議会の内部では何が行われているのかーこのブログを通じてどんどん発信していきたいと考えています。
 郷土の作家、宮沢賢治の「花巻農学校精神歌」に次のような歌詞があります。「日ハ君臨(くんりん)シ カガヤキハ 白金(はっきん)ノアメ ソソギタリ ワレラハ黒キ ツチニ俯(ふ)シ マコトノクサノ タネマケリ」(1番)。
 賢治が言う「マコトノクサノタネ」こそが民主主義の根本義であり、市民の皆様方の一票一票はまさにその種(たね)の一粒一粒だと信じています。この初心を忘れないためにブログのタイトルを「マコトノクサ」通信としました。皆様方のご批判、叱咤(しった)激励、罵詈雑言(ばりぞうごん)など何でもご遠慮なくお寄せください。このブルグを皆様方との共有の場にしたいと願っています

Dscf3300(居酒屋で増子さんとコージさんと飲んだ南部杜氏の冷酒=9月19日、岩手県花巻市)

 アラセブ=70歳で、岩手県花巻市議に初挑戦し、初当選した元朝日新聞「名物記者」、増子義久さんがブログ「マコトノクサ」通信を開設した。「一体、議会の内部では何が行われているのか、このブログを通じて、どんどん発信していきたい」という。いやはや、その内容も充実しており、年齢を感じさせないエネルギーに驚く。

 「砂時計」は9月下旬、日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手に参加するため、2泊3日で岩手県の旅に出たが、2日目は花巻市で花巻市議に初当選した増子さんに会うことも、目的のひとつだった。

 その夜、鉄をモチーフにした作品づくりを進めている新進気鋭の花巻市の美術家、新田コージさんも誘い、3人で痛飲した(新田コージさんは地元や東京・銀座、最近では九州・福岡などで個展を開いているが、「砂時計が住んでいる日光霧降高原でもやれないかなと、思うことしきりだ)。 

 そのとき、増子さんは「ブログを近く開設して、議会のことをどんどん伝えていく」と話していた。近くとは秋も深まってからかな、と思っていたら、もう9月には開設。どしどしと記事をアップしている(考えたら、もうそのときブログ名は「マコトノクサ」通信を予定しているとか、言っていたことを思い出した)

Dscf4027 (議場出入口の開閉に関する増子義久さんの花巻市議会議長への申入書)

 その際に手渡されたのが、花巻市議会議長への申入書。車椅子の傍聴者が傍聴席に通じる狭い階段を支援者らによって、汗だくで運びあげられている。一方、議場出入口については、議会事務局員が議員や市幹部のためにホテルのドアマンのように開閉している。

 この「落差」がおかしいとして、「なぜ、そんなことを繰り返すのか」と、ただした内容だ(やめるべきだということ、当然だろう)。

 つまり、議員としての特権意識にあぐらをかいているのではないか?。そんな疑問、というか、批判精神から発したものだ(ここら辺のラジカルさは、もともと増子さんそのものだ)。さらに、そうした内容を岩手日報「日曜論壇」に投稿したという。

 9月16日付の申入書の結果は?。9月定例市議会の閉会の27日、議長が「これまで慣例として続けてきたが、今後は原則として廃止したい。ただ・・・」と語り、増子さんも了承したという(詳しくは「マコトノクサ」通信で)。また、「日曜論壇」投稿は、9月28日付で岩手日報に掲載されたという(これも「マコトノクサ」通信を)

 東北、岩手、花巻の出来事だが、増子さんそのものが全国を駆け巡ってきたパトスのひと。それも「もう失うものはない」という構え、故郷に恩返しをしようと、定年後に知的障がい者施設園長、市議、そしてブログ開設。そうしたブログ報告は全国各地に波紋をもたらすだろうことは、間違いない(栃木県、日光市も例外ではない)。

 このブログにマコトノクサ通信のURLをアップ、さらに「砂時計」の「お友達リスト」にも加えてあります。この種の動きに関心を寄せる方は、ぜひ、増子さんのブログを訪問してみてください(岩手日報「論壇」については、以下に)。

 

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2010年10月 6日 (水)

薪ストーブ生活、いよいよ本格化 さぁ秋本番の日光霧降高原

Dscf3991 (5日から本格化させた「砂時計」の薪ストーブ生活=日光霧降高原)

 日光霧降高原では、このところ、夕方になると、室内の気温が20度を下回り、肌寒さを感じるようになってきた。ということで、「砂時計」宅では、ついに5日夜から居間の薪ストーブを本格的に点火させることにした。

 点火には牛乳パックの空き箱がよく、空き箱の半分もちぎれば充分だ。そのあとは小枝が必要。冬本番なら、近くの道路にいくらでも落ちている。が、秋は始まったばかり。周囲を歩いたが、、まだほとんど落ちていない。

 ふと考えたら、<そうだ、昨冬、庭先の樹木を伐採した際に保管しておいた小枝があるはず>。それを思い出した。さっそく、その小枝集めへ。1年もたっているので、小枝がポキポキと、よく折れること。6日は、それを段ボール箱につめた。

Dscf4008 (薪ストーブの「前座」を務める自宅庭先から集めた小枝)

 小枝を燃やし、さらにその上に薪ストーブに合わせて切った建築廃材を。これがよく燃えること。これらの「前座」「二つ目」が燃え盛ったら、「真打ち」の登場。晩春にベランダに積んでいた薪、1年前から物置に積んでいた薪たちだ。

 「真打ち」はそう簡単に燃え始めない。が、いったん火が点くと、じっくりと燃え続ける。まだ夜だけの点火でもあるが、1日に数本を燃やすだけで済んでいる(冬本番だと15本~20本ぐらい必要だ)

 まだ秋の入り口でもあり、本格的に燃やすと、部屋の温度はすぐに上昇。5日夜は、今秋、初めて「湯豆腐」をやってみたが、このときの居間の温度は27度だった。Tシャツ一枚でも暑いくらいで、「湯豆腐」に「冷酒」という組み合わせになってしまった。Dscf3977 (薪ストーブの「二つ目」」にちょうどいい建築廃材)

 薪ストーブ生活に入るのはまだ先~。夏の間、そんな考えでいたので、やや後手に回っているところも(「砂時計」は、少しキリギリスの性格があるため)。昨冬、県が無料で提供してくれた間伐材は、チェーソーで切ったまではいいいが、まだ庭先に転がしてあるだけだ。

 これも早く、ベランダに移動させないといけない。それに小枝もいつまでも続かない。いずれ、自宅の周辺などから調達しないといけない。さらに薪そのものも、今年の冬の間中、持つとは思えない。

 霧降高原は冬になると、金本位制、ではなく、薪本位制?に変わるくらい、薪が生活必需品になる((夏は天然氷本位制になるのと同じく?)。ということで、「砂時計」のベランダは、まだ空いていますので、霧降高原の関係者のみなさま、この冬もどうぞ、よろしくお願いします(意味深~)。

Dscf4012 (薪ストーブの「真打ち」は、やはり乾燥させた薪そのもの)

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2010年10月 5日 (火)

詩 花の方へ  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(9)-

Dscf3443 (岩手県北上市の小原麗子さんが日光霧降高原の「砂時計」に送ってきたブドウ「岩手葡萄の里 イーハブドリ」)

 岩手県北上市から日光霧降高原の「砂時計」のところに、ブドウ一箱が宅配便で送られてきた。日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手から帰ってきて間もなくのことだ。「岩手葡萄の里 イーハブドリ」とある。

 送り主は北上市の詩人 小原麗子さん。岩手に行く際、日光市のお土産として、湯沢屋の水羊羹をいくつか買い求めた(上州の実家に帰省するときも、お土産はいつも、この水羊羹なのだが~)。そのひとつを懇親会で受付役をしていた小原さんに手渡した。ブドウの御礼電話を入れると、その返礼なのだという。

 いやはや、律儀なこと。こちらは岩手に暮らしていた際にずいぶんとお世話になったので、あいさつ代わりのお土産だったのだが~。ブドウは粒も大きく、甘さも独特。うちの名古屋のコーチャンにも、おすそわけ?したら、美味しそうに食べること。Dscf3104 (現代詩人会東日本ゼミナールin岩手で群読する北上詩の会の詩人 小原麗子さん=9月18日、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館)

 小原さんは、詩の道、もう何十年の大ベテラン。「千三忌」(ぜんぞうき)の「墓守」を自任する詩人(岩手県芸術祭選者)で、地元で「麗ら舎(うららしゃ)読書会」を主宰し、個人誌「通信・おなご」の発行人としての小原さんだ。

 私にとっては、「千三忌」に集い、小原さんが年に一度、新春に発行している詩やエッセイなどを集めた「別冊・おなご」との関係が一番かもしれない。この冊子に「砂時計」は「詩人の力」を数年前から連載している(引っ越しで大忙しだった昨冬は休載)。

 その小原さんには、詩集『小原麗子詩集』『消し忘れた母の声』『花の方へ』などがある。最近は北上詩の会の詩誌「ベン・ベ・ロコ」(岩手弁でナコヤナギ)に「さがす」という題の長編連作詩?を、書き継いでいる。

Dscf3969 (詩「花の方へ」などを収めた小原麗子詩集『花の方へ』=1994年7月、さがらブックス)

 斎藤彰吾さん、渡邊眞吾さんと同じく、小原さんも、今回の詩人の集まりの朗読では、群読のひとりとしての参加だった。自分の作品を朗読する機会はなかったが、この機会に、ぜひ紹介したい詩人だ。たくさんの詩から、少し古いが、ふだんの優しい人柄も示しているような詩「花の方へ」をアップすることにした。

詩 花の方へ

            小原麗子

心晴れぬ日に

花を用意し

心晴れやかな日に

花を用意する

     花束は

     幸せな胸にもいだかれ

     棺にも添えられる

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2010年10月 4日 (月)

お見事!チェンソーアート MTB「スタート」「ゴール」を栗田さん

Dscf3871_2(日光霧降高原・MTBコース「ゴール」のフクロウを彫る栗田宏武さん=3日、日光霧降高原)

 チェンソーアートの世界では、第一人者で知られる栗田宏武さん(千葉県市原市)が好天の3日、日光霧降高原で、クマとフクロウなどを彫るのを、じっくり見物できた。

 霧降高原・MTB(マウンテンバイク)構想(「日光ふぃふぁ山荘」ブログから)が着々と進んでいる。そのスタート地点に立つクマ、ゴール地点に立つフクロウの制作を依頼され、そのための制作だ。

 フクロウ、というか、森の神様のシマフクロウは(だと思うが~)、いかにも、その姿にふさわしい姿だ。クマはややメタボ系?。フラッグなどを立てるため、クマの両手に穴を開けたという。

Dscf3904 (栗田さんが彫ったゴール地点に立つフクロウ)

 栗田さんはチェンソーをまるで彫刻刀のように自由自在に取り扱い、細かな部分もあっという間に仕上げていく。霧降高原に住む「砂時計」は薪ストーブの薪をつくるため、晩夏に原木の数十本をチェンソーで切っているが、真っ直ぐ切るのも、なかなか大変だ。

 それに、まず10分もすると、チェンソーの重みで腕が痛くなるというか、腕の感覚が鈍くなってしまう。栗田さんのチェンソーは「砂時計」より、さらに大きい。それを一心不乱に、道具のように、いや、自分の手のように使いこなす(だからこそ、チェンソーカービングの第一人者なのだろう)

Dscf3935 (栗田さんは「WELCOM」の文字もチェンソーで、あっという間に仕上げた)

 クマとフクロウが完成したところで、「署名を」という声がかかった。これもチェンソーで、「K u r i t a」と、あっという間に。さらに「WELCOM」も。これは最初に何本かスジを引き(もちろんチェンソーで)、それから仕上げへ。

 「できあがり」で見たところ、最初は「W」と「M」はわかったが、それ以外は、よくわからなかった。そのはず、文字が浮き出るように、彫っていたからだ。思わず「これがプロの腕なのですね~」(失礼しました~)と言ってしまった。

 作業を見守っていた見物人も、栗田さんの腕に感嘆。切断した丸いスギ板を「記念に持って帰りたい」という霧降高原の別荘の住人も。制作を終えた栗田さんは、作業中の厳しい表情から一変、記念撮影にも、気軽に応じるなど、気さくな人柄を思わせた。 

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2010年10月 3日 (日)

詩 眼をそらさないで 現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(8)-

Dscf3948 (渡邊眞吾さんの詩「眼をそらさないで」などが掲載されている詩誌「堅香子」最新号の第7号=2010年6月、「堅香子」の会)

 「日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」では、「北上詩の会」の一員として、群読に参加した詩人 渡邊眞吾さんのふだんの詩は、ぜひ紹介したい詩だ。岩手県詩人クラブの前会長として力を尽くしてきたが、人柄はいたって気さくだ。その人柄と同様に、その詩はいつも温かく、なんだか懐かしさがある。

 今の岩手県詩人クラブ会長の吉野重雄さんが代表を務める詩誌「堅香子(かたかご)」でも、「砂時計」は渡邊さんと同人同士。毎回、作品を楽しみにしている詩人のひとりだ。同誌では毎号とも、同人それぞれが、「いいと思う詩五篇」を編集担当に、はがきで報告している。

 最新号・第7号でも、「砂時計」も五篇を選んで送ったが、その第一番に渡邊眞吾さんの詩「眼をそらさないで」を選んだ。「東日本ゼミナール」の休憩で、「おひさしぶりです」と、渡邊さんに声をかけると、「そういえば、あなたでしたか」。もう何年も岩手に顔を出していないが、なんとか、思いだしてくれたようだった。Dscf3193(詩人たちの懇親会で語り合う渡邊眞吾さん・写真左=9月18日、岩手県北上市内のホテル)

  その渡邊さんが会長だったときに発刊したのが岩手県詩人クラブ50周年記念の『岩手の詩』。なにしろ、1000ページを超える本で、厚さが約6センチもある代物。その「刊行にあたって」で、当時の渡邊会長は、こう書いている。

 本県出身の国民的詩人に啄木と賢治がおります。その後も多くの優れた詩人を出していますが、「岩手の詩」の編集を進めるにあたり、特に啄木、賢治の眼に見えない励ましがあったように思います 

 詩といい、詩人といい、世間的には、なんだが、現実離れしたもののように思われてしまう(「砂時計」は、もともと性格そのものが、現実離れしていると、若い頃からいわれてきたが~苦笑い)。だが、東北、それも岩手では、詩が非常に日常化している。あるいは生活や市民の中にある、そう言ってもいいかもしれない。

Dscf3964 (渡邊眞吾さんが岩手県詩人クラブ会長だった2005年2月に発刊された岩手県詩人クラブ結成50周年記念の『岩手の詩』。なんと1087ページもある)

 「啄木、賢治の眼に見えない励まし」。渡邊さんは、そう書いているが、その啄木、賢治を生んだ「風土」が関東などと違うのではないか。日光霧降高原に暮らしている「砂時計」は、いつもそう感じている(その「風土」とは・・・となると、長くなるので、略~実際は、うまく伝えられないので~)。

 ただ、ひとつ言えるのは、北上市とお隣の花巻市だけでも、「日本現代詩歌文学館」はもちろん、「サトーハチロー記念館」、「宮沢賢治記念館」、「宮沢賢治イーハトーブ館」、「宮沢賢治イーハトーブセンター」、「高村光太郎記念館」などがある。

 詩 眼をそらさないで

              渡邊眞吾

まわりに弱い人がいる

弱い人を包んで生きている

陽が昇る 陽が沈む

ささやかな今日がある

     人は一人では生きてゆけない

     おだやかな明日があればいい

     言葉や手で呼びかける

     あなたの瞳に明りが灯る

望みはそれだけ

なのに なぜ?

     戦火と飢餓におびえる瞳

     非情と孤独にふるえる瞳

空と海と森にくるまれた

水晶体の地球が焼けただれる

     戦争の歴史は

     450万年のなかの8000年

     宿命ではない 人間の知恵で

     共生の時代は戻って来る

眼をそらさないで

(「東日本ゼミナールin岩手ー(9)-」に続く)

2010年10月 2日 (土)

詩 なんでも一番  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(7)-

Dscf3844 (詩誌「コールサック 67号」最新号=2010年8月、コールサック社)

 いや、浅学非才だと思った。というのも、「日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手」の懇親会後、二次会、三次会と斎藤彰吾さんと一緒に北上市内で飲んだ詩人、鈴木比佐雄さんが代表を務める「コールサック社」が編集した「原爆詩181人集」のことを知らなかった。

 それだけではない。この原爆詩集が、岩手・花巻の宮沢賢治学会・イーハトーブセンターの「イーハトーブ賞奨励賞」(2008年)を受けていたことも、知らなかった(2009年には、詩人・思想家の吉本隆明が宮沢賢治賞を受賞)。

 アフガニスタンで医療活動の一方、大地に水路を切り開いている「ペシャワール会」(「砂時計」も会員のひとりだ)の中村哲医師が、2004年のイーハトーブ賞に選ばれた際、その受賞式にも立ち会うなど(仕事がてらだったが)、同賞には関心を寄せていた。

 二次会、三次会で、その鈴木さんから「原爆詩」が生まれる経緯や詩論にかける熱い意気込みを聞くことができた。なかでも詩論については、鈴木さんの『詩の降り注ぐ場所ー詩的反復力(1997-2005』(2005年12月、コールサック社 斎藤彰吾さんが以前に私に送ってきた詩論)を、パラパラめくっただけで、<これはなかなかのもの>という印象を、もともと抱いていた。 

Dscf3851 (鈴木比佐雄さんの詩論集『詩の降り注ぐ場所ー詩的反復力Ⅲ(1997-2005)』)

 そのことを確認しようと、日光霧降高原に帰ってきてから、改めて、鈴木さんの『詩の降り注ぐ場所』を読み返してみた。370ページ余もある大冊。なので、関心がある戦後詩の潮流に目を向けた。すると、戦後すぐの詩誌を代表する「荒地」と「列島」に関する鈴木さんの読みの鋭さに改めて感心させられた。

 思潮社社主の小田久郎「荒地」に対し、「列島」を下に見て、なかでも中心的存在だった関根弘について、「メタフォア(隠喩)が読めないリアリストの関根」といった評価の仕方をしていたことは、よく知られる。

 『詩の降り注ぐ場所』で、鈴木さんは、小田久郎の発言について、「虚偽的言動だ」と、厳しく批判。さらに関根弘の有名な詩「なんでも一番」に触れて、吉本隆明のこの詩に対する読みの浅さを指摘(詳しくは同書で)。「荒地」を代表する鮎川信夫の詩「アメリカ」に対し、「なんでも一番」がいかに優れているかを論じている。 

Dscf3847 (故・出海渓也さんの詩論集『アレゴリーの卵」』=2000年10月、潮流出版社)

 鈴木さんはいう「20世紀の行動原理でもあった世界を支配しつつあるアメリカニズムの本質を関根弘は『なんでも一番!』と洞察し、誰でもわかる言葉で風刺していたのだ」と。

 これについては、関根と親しくかった詩人 故・出海渓也さん(「列島」創刊者のひとり)も、詩論『アレゴリーの卵』(2000年10月 潮流出版社)で、小田を批判する一方、関根の手法を高く評価している。

 関根の場合、戦前からのプロレタリア詩の政治主義や戦後の抵抗詩の挫折をのりこえ、諷刺詩に一つの活路を見出している。≪霧≫の紐育(ニューヨーク)を揶揄しながら、すでにスモッグを予見する」ということを書いた。

 (関根は)メタファ(隠喩)がわからないどころか、隠喩を超えた表現方法であるアレゴリー(諷喩=寓意)がある。諷喩とは、隠喩をおしすすめて、読んで字のごとく風刺精神(批判精神)に裏打ちされ、しかし、単なる語句だけの比喩でなく、物語性をもっている表現法である。 

Dscf3859 (詩「なんでも一番」も収められている『関根弘詩集』=1989年第8刷、思潮社)

 物語性をもったアレゴリーの詩をうまくものにするのは、かなり難しい。「砂時計」もそれに近いものを、何篇か書いているが、なかなかうまくいかない。それに対し、関根弘は、戦後数年の間に、そんな詩「なんでも一番」を作品にしていたのだ。

  一方、「コールサック社」代表の鈴木さんが、戦後詩の潮流に分け入るなかで、その関根弘を高く評価していたことを、今回知ることができた。気分として、うれしい感じだ。これも「東日本ゼミナールin岩手」に参加したから知ることができたことだ。

 出海渓也さんは、「砂時計」にとって、若いときからの詩界?の大先輩。季刊詩誌「新・現代詩」の代表と会員だったという以上に、同じ伊豆半島に住んでいたので、亡くなる直前まで親しくさせていただいた。その際、こうしたことを直接、聞いていたから、なおさらだ(そういえば、熱海で出海渓也さんと斎藤彰吾さん、そして私の3人で飲んだことを思い出した)。

 と、書いてきて、当の詩「なんでも一番」を紹介するのを、忘れていた。たった16行の短い詩だが、その詩のもつ力の大きいことか。

詩 なんでも一番

               関根弘

凄い!

こいつはまったくたまらない

せっかくきたのに

摩天楼もみえぬ

なにがなんだか五里霧中

その筈!

アメリカはなんでも一番

霧もロンドンより深い

嘘だと思う?

職業安定所へ

行って

試してみろ!

紐育では

霧を

シャベルで

運んでいる!

2010年10月 1日 (金)

異相の北上詩想  日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手ー(6)-

Dscf3835 (日本現代詩人会東日本ゼミナールin岩手 岩手詩祭」の冊子)

 今回の詩人の集まりで忘れていけないのは、実行委員長を務めた岩手県北上市の詩人、斎藤彰吾さん。元岩手県詩人クラブ会長でもあるが、「全国生活語詩の会」の代表3人のうちの一人として、「全国生活語・ロマン詩選」(2008年12月発刊・竹林館)のとりまとめをしている(「砂時計」も詩作品を寄稿~)。

 というか、「砂時計」が北上市に暮らしていたとき、詩の水先案内人になってくれた恩人だ。私が『怒りの苦さまた青さ 詩論「反戦詩」とその世界』(2004年9月・ずいそうしゃ新書)を出したときも、「黒川純の詩について」という詩人論も寄稿していただいた。

 斎藤さんとの、そんな関係もあり(「義理と人情で参加」と言っているが~笑い)、日光から東北自動車道など約400キロ先の岩手県へ(北上市の隣、花巻市にも友人がいるので、今回は2泊3日の東北の小さな旅になったが~)。 

Dscf3161 (閉会のあいさつをする岩手県北上市の詩人 斎藤彰吾・実行委員長)

 たまたま、「in岩手」が開かれる半月ほど前、斎藤さんと電話で話す機会があった。そのとき、斎藤さんから「今度、詩論集を出すことにしたよ」ということを聞かされた。「どこから」「コールサック社から」「あのいい詩論を書いている」「そう、鈴木さんのところ」。そんな短い会話をしている。

 夜の懇親会で、そのコールサック社の代表である詩人 鈴木比佐雄さんが、たまたま私の隣席だった。そこで渡されたのが、分厚い詩誌「COAL SACK 67号」(最新号)。その「詩論 石炭袋新書 近刊」に、斎藤さんの詩論集が予告されていた。

 『斎藤彰吾詩論集 異相の北上詩想(仮題)』。「青年よ一寸の志を磨け」「出発点と賢治・ハチロー」などの論が目次予定にある。斎藤さんは膨大な詩や詩論を書いており、詩論集を出して欲しかった。それが遅くも来春までには発刊にこぎつけそうだという。私としても、非常に喜ばしい。

Dscf3830 (「コールサック社」から発刊が予定されている斎藤彰吾詩論集『「異相の詩想』の予告)

 斎藤さん自身は、今回の詩の集まりで朗読はしていない。が、こんな詩を書いているということを知ってもらうために、詩「地の川」を紹介したい。初出は季刊詩誌「新・現代詩 12号」(2004年3月)

 といっても、これは黒川純の詩「天の川」との連詩(黒川と斎藤さんが、ひとつのテーマで2人が詩作)。先ほど挙げた『怒りの苦さまた青さ』に転載されているもの。その詩の紹介だ(え~、つまり~、結局、「砂時計」の詩集、『怒りの~』のPRになるのか~笑い~、半分だけ冗談です~)。

詩 地の川

              斎藤彰吾

西の国を旅するアイヌの水神から メールが届いた

 公害の毒にしびれ 青じろに病む農漁民あまた

 死者も出て裁判になっとる

 陸奥(みちのく)は どうか 雑魚(さこ)の生態(なり)を診たい

     灯影の下 目やに溜めけだるく暮らすおれは

     メールの文字にゆすぶられ がばと起きた

     こうしてはおれん

     薄明に帆を掛け 良き風を満たして川をのぼる

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