今は居ないのです 茨木のり子詩集からー(5)-
(書き下ろし詩篇「行方不明の時間」も収められている『茨木のり子集 言の葉 3』)
詩 行方不明の時間
茨木のり子
人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです
三十分であれ 一時間であれ
ポワンとひとり
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ
遠野物語の寒戸の婆のような
ながい時間は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です
詩「行方不明の時間」の前半部分だ。「人間には行方不明の時間が必要なのです」という自問自答とも、問いかけともとれる誘い文句。それから始まり、思わず読みたいと思える詩だ。
「わたしは居るが、居ないのです」。
今は日光霧降高原で「詩的生活」(という、いわば遊行人の隠居生活)をしているので、日常そのものが、もともと居ても居ない「行方不明」みたいなものだ(あの世に行くと、それこそずっと行方不明になるが)
それでも世間さまのあれやこれやは、それなりにあり、この詩のように「今は居ないのです」と言いたいときも、あるにはある(例えば、ニワトリ小屋を掃除して居るときとか、あるいは「居酒屋さん」に居るときだが~笑い)。
居ても居ないというのは哲学的だ(居留守などは別~)。家に居ても就寝中ならば、居ないということだろうし、その人は居なくても手紙やはがきがそこにあれば、あるいは強い記憶が現れるときは、居るだろうし。
この詩は『茨木のり子集 言の葉 3』の書き下ろし3篇の詩のひとつ。50行近くもある。その後半は「あの世にさまよいでる透明な回転ドア」について書いてある。
詩は「一回転すれば」とあり、最後に「その折は/あらゆる約束事も/すべては/チャラよ」。無効ではなく「チャラ」という言葉を使うことで、この世に居なくなれば、ほんとうにあらゆる約束事は、もちろんチャラ。おもちゃ箱をひっくりかえして、すべておしまいという感じがでている。
所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯をとる
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこ?>に
答えるために
遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望は更に深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも
私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです
(このあと16行あるが、長くなるので略)
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コメント
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久しぶりにのぞかせていただいたら、また茨木のり子さん
!
最初の1行いいですね。
ヨガの境地のようです。
初めて読みましたが、これもまたぐっときます。
投稿: きゃべつ | 2010年10月24日 (日) 00時29分
きゃべつさま
久しぶりですね。茨木のり子さんのそれぞれの詩にコメントを
いただき、ありがとうございます。茨木さんの詩はある構えの
人にはぐっとくるものがあるのだと思います。ただ、遺稿集
『歳月』の寂しい茨木さんも茨木さんです。そう思いながら、
もう少し茨木さんの詩をブログで紹介していこうと思っています。
投稿: 砂時計 | 2010年10月24日 (日) 19時35分