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2010年10月26日 (火)

ただじっと視ている人は必要だ 茨木のり子詩集からー(7)-

Dscf4602 (茨木のり子の七冊の詩集から編集した『女がひとり 頬杖をついて 茨木のり子』2008年1月・童話屋)

詩 瞳

           茨木のり子

ぼくらの仕事は 視ている

ただ じっと 視ていることでしょう?

     晩年の金子光晴がぽつりと言った

     まだ若かったわたしの胸に それはしっくり落ちなかった

視ている ただ視ているだけ?

なにひとつ動かさないで? ひそかに呟いた

     今頃になって沁みてくる その深い意味が

     視ている人は必要だ ただじっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳が

あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

     でも なんて難しいのだろう 自分の眼で

     ただじっと視ているということでさえ

                                                        

 詩 「瞳」は茨木のり子の死後、彼女と親しかったという田中和雄が茨木の七冊の詩集から編んだ『女がひとり 頬杖をついて 茨木のり子』に収めた一篇。もともとは1992年発刊の詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』(花神社)から。

 人はだれかに見守られていることで、安心できる存在だ(とは、だれかの説~)。例えば、初めて小学校に入学する1年生が傍らにいる母親を繰り返し、振り返ることで、安心して同級生の列に加わるように。そんな例が挙げられていた(実際、そうだろう)。

 あるいは「人間は本能の壊れた動物だから、自分が何をするにも、その理由づけが必要になる」(心理学者で唯幻論の岸田秀 初期の『ものぐさ精神分析』は素晴らしい)。この詩はそんなことも思い起させる。

 これは少し短絡な紹介だった。つまり、行動を起こす人は、その行動を起こす理由があるわけだが、それには視ている人が大事になるときがある。あるいは視えない視ている人を意識することで、まっとうな行為にならざるを得ないということも。

 詩にある「」じっと視ている」ということになれば、お天道様をまっさきに浮べる。子どものころに「悪いことをしても、お天道様が視ているよ」と、親から何度か言われた覚えがある。<そんなことはあるものか>と思ったが、妙に気になる小言だった。

 長じては「どんな情況になっても、お天道様の思し召し」というのが好きな言葉になった。「孫悟空とお釈迦様の手のひら」でもそうだが、自分にはまるで手が届かない、とても大きな意志みたいなものがあるのではないか(山田正紀のSF『神狩り』『弥勒戦争』などが好きなのはこのへんの感覚からか~)。

 「砂時計」は別にどの宗教を信じているわけでもないが(あえて言えば、革命的お天道様フーリェ主義的浄土真宗派か 「悪人正機」説の親鸞がいいので~笑い)、「青い地球」を見せられたとき、霧降高原がある地球が、宇宙船地球号であることを信じないわけにはいかない。

 その宇宙、つまり、お天道様でいえば、「犯罪は夜つくられる」との関連も(「夢は夜ひらく」ということも、これは別か~)。だれも視ていないところで、わからないように悪事を働いても、お天道様はじっと視ている(夜はお天道様ではなく、お月さまだが)。世の中もそうしたキラリ、あるいはそっとでもいいが、「ただじっと視ている人が必要だ」。

 

 

     

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