詩 感傷主義者 黒川純『砂時計主義』から
(詩「感傷主義者」 黒川純詩集『砂時計主義』・2008年5月・随想舎から)
巨大な塊、団塊世代(だんかいせだい 昭和22、23、24年生まれの周辺)は戦後の鬼っ子として、さまざまな評価がある1970年前後の全共闘時代を生き、ロック・フォーク・ジャズ、アングラ演劇やATG映画、政治用語、詩の文化などにどっぷりつかってきた。
そのうえで、ベトナム戦争、沖縄基地付き返還、カンボジアの悲劇、ソ連・ユーゴスラビアの解体、ベルリンの壁解放、とんでもないイラク戦争、韓国・中国の躍進、高度成長から土地成金、バブル崩壊、貧困時代、政権交代までリアルに並走してきた。
その世代が定年後をどのように過ごすか。時代の価値観の変容を感じ、あるいは価値観に影響を与えた世代が、その後をいかに豊かに過ごし、ある共同的な社会とかかわっていくのか、いこうとするのか、いけるのか(「砂時計」の用語でいえば、「詩的生活」ということになるが)。
それが巨大な単位で問われている。その行方は、戦後日本の、いや日本人の(ひいては世界の)ひとつの到達点を示すものだ。いわば、視えない壮大な「社会実験」だと思っている。
そのひとりである「砂時計」も、かなり前から、そんな感覚を抱き、そのひとつとして、「感傷主義者」という詩を書いた。きっかけは、学生時代からの親友が中年で病死したことだった(横浜での葬儀で「砂時計」が弔辞を読んだ)。
きょうはなんだか、そんな意味があると思っている「団塊世代」という言葉が何度も頭の中に浮遊していたので、その詩をアップすることにした。ただし、最初に発表した詩より、かなり削ってある(最近は書くにしろ、詠むにしろ、短い詩の方が性に合っている)
詩 感傷主義者
黒川純
感じやすく すぐに悲しみ
涙もろくなるセンチメンタリズム
在ることそのものが
いつも社会問題だった
団塊世代のそれが財産であり
精神のシェルターなのだと
遠方からの青いシグナルが
神経細胞をニヤリとさせた
確かに寄らば大樹たちに
手に負えない鬼っ子だと
眉をひそめられてきたが
わたしも あなたの社会を問題にしていたのだ
そうだ!
明るい感傷主義者を名乗り
悲しみの精神と魂たちの
安全装置の組立工になろう
ある詩人が呼びかけたように
ある共同的なもののために
ワルシャワ労働歌で
乾杯できるように
(初出・詩誌「新・現代詩 21号」2006年6月 黒川純『砂時計主義』収録)
« さぁ冬の準備は万全! 薪ストーブの薪づくり、終了へ | トップページ | イキテルヤツハミナタマゴ 茨木のり子詩集からー(1)- »
「歌・唄・詩」カテゴリの記事
- 戦中戦後に戻る 詩 マスク(2020.07.13)
- 子規想いつぶあん食す梅雨の空 森まゆみ「子規の音」を読んで(2020.07.11)
- 不要不急胸を当てれば我が事か サイクリングで吟ず(2020.07.09)
- 泪降る九州にまた豪雨 サイクリングで読む9句(2020.07.07)
- 深々と雨の緑の文庫かな 梅雨空に一句(2020.07.06)
« さぁ冬の準備は万全! 薪ストーブの薪づくり、終了へ | トップページ | イキテルヤツハミナタマゴ 茨木のり子詩集からー(1)- »
コメント