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2010年11月

2010年11月29日 (月)

検閲逃れた反戦の叫び 山之口貘の傑作詩「紙の上」

Dscf5152 (『別冊 おなご 27号』に連載中の「戦争を読む」でも紹介されている山之口貘の傑作反戦詩「紙の上」)

 

 軍部・特高の検閲があっても、反戦の思いを、いや叫びを軍部には読みとれないように工夫した詩が、軍事国家・ニッポンで堂々と公表されていた。今から読んでも傑作反戦詩だ。貧乏や借金、質屋などの詩が「専門」のように思われてしまい、「ルンペン詩人」と呼ばれたという沖縄出身の詩人、山之口貘の「紙の上」だ。

 「紙の上」が反戦的な詩だということは、どこかの詩論でかじってはいたが、今ひとつ、納得がいかないでいた。そのまま読めば、まず反戦詩、あるいは厭戦詩とは思えない。もちろん、そうすぐに読めてしまえば、軍部・特高の検閲は通らない。

 「紙の上」は第二詩集の『山之口貘詩集』に掲載されているが、なにしろ、発行がハワイ真珠湾攻撃1年前の昭和15(1940)年12月<初出は昭和14(1939)年の「改造」6月号>。軍部・特高にその意味するところが、わかってしまえば、もちろん発禁処分だったろう。

  私は最初、舌足らずのどもりの詩人が詩を書いている想定なので、「だだ だだ」と、繰り返しているのだな、そう思って読んでいた。だから、浅はかにも、せいぜい、子どもがだだをこね、「嫌だ、嫌だ」と、泣け叫んでいるというありさまぐらいしか、思い浮かばなかった。

 それを、私の詩の先輩である詩人、斎藤彰吾さん(元岩手県詩人クラブ会長)は『別冊 おなご』(岩手県北上市の麗ら舎読書会)の27号(2008年12月)に掲載した「戦争を読む Ⅸ」で、この「紙の上」について、「際どい時期に書かれ、詩集に挟み込まれた厭戦詩」と位置づけていたのを、最近知った。

 その理由について、斎藤さんは、「だだ」は吃音になり、駄々をこねるに通じ連発銃の擬音でもあり、子どもらが遊んだ”戦争ごっこ”を思わせるとする。そこから、「紙の上で自由に詩を書きたい。その強烈な願望が終わりの数行に潜んでいる」としている。

 斎藤さんの指摘を読んでも、まだ半可通だったが、最近、ネットでこの「紙の上」の「『だだ、だだ』」はダダイズムのことだと思う。そう解釈すると、ものすごい反戦詩になる」という指摘を読んだ。<あっ、そういうことか>。頭に電球が点灯したのが、自分ではっきりわかった。

 「だだ」=「ダダ」=「ダダイズムは「1910年代に半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。単にダダとも。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする」(ウィキペディア)。

 つまり 「紙の上」で、繰り返し使われている「だだ だだ」は「ダダ ダダ」であり、ダダイズムのダダイストとして、戦争について、「否定 否定」、あるいは「認めない 認めない」(私たち全共闘世代の言葉でいえば、「ナンセンス!」か)ということなのだ。日の丸を機体に編隊で飛行していく戦闘機なんぞ、認めないぞ!。その叫びなのだ。

 いや~、なにやら暗号解読みたいだが、そういうことなのだ(と、勝手に断定してみる)。完全に兵器を否定する見事な反戦詩だ。だから、大変な詩だと思う。当時、ダダ=ダダイズムは社会現象・芸術運動として、かなり広く知られていたろうから、わかる人にはその意図するところがわかったと思う。

 現代では、検閲があるわけではなく、そこまで言葉を選ばないと、こうした反戦詩を書けないということはない(どちらかというと、社会の空気を読んで、自粛してしまう危険性の方が大きいかも)。

 でも、山之口貘の「紙の上」の方法論から(だだ=ダダ=ダダイズムという、私がネット情報の私見に得心しただけだが~)、今の時代でも、さまざまな詩法の可能性があるように思われたのだった(以下、ようやく、詩「紙の上」の紹介へ)。 

詩 紙の上

           山之口貘

                                                          

戦争が起きあがると

飛び立つ鳥のように

日の丸の翅をおしひろげそこからみんな飛び立つた

                                                         

一匹の詩人が紙の上にゐて

群れ飛ぶ日の丸を見あげては

だだ

だだ と叫んでゐる

発育不全の短い足 へこんだ腹 持ちあがらないでっかい頭

さえづる兵器の群れをながめては

だだ

だだ と叫んでゐる

だだ

だだ と叫んでゐるが

いつになつたら「戦争」が言えるのか

不便な肉体

どもる思想

まるで砂漠にゐるようだ

インクに渇いたのどをかきむしり熱砂の上にすねかへる

その一匹の大きな舌足らず

だだ

だだ と叫んでは

飛び立つ兵器をうちながめ

群れ飛ぶ日の丸を見あげては

だだ

だだ と叫んでゐる

2010年11月26日 (金)

貘さんは自然児なのでした 詩・「求婚の広告」

Dscf5131茨木のり子が山之口貘など4人の詩人を描いた『うたの心に生きた人々』ちくま文庫・1999年12月第3刷)

男でも女でも結婚したくてたまらない気持を、こんなに素直にあらわす人はいないといっていいでしょう。こうした素朴な願いを、貘さんは実に洗練された、しゃれた感覚で、堂々とうたったのです。貘さんは自然児なのでした。けものが成長期に達すると本能で、雄や雌が恋しくなるのとおなじように、植物が大きくなると美しい花をひらいて昆虫をさそい、結実を願うように、ごくしぜんにお嫁さんをほしがったのです(茨木のり子・『うたの心に生きた人々』)

                                                           

詩 求婚の広告

         山之口貘

一日もはやく私は結婚したいのです

結婚さえすれば

私は人一倍生きていたくなるでしょう

かように私は面白い男であるとう私はおもうのです

面白い男と面白く暮したくなって

私をおっとにしたくなって

せんちめんたるになっている女はそこらにいませんか

さっさと来て呉れませんか女よ

見えもしない風を見ているかのように

どの女があなたであるかは知らないが

あなたを

私は待ち侘びているのです

                                                    

 詩人・茨木のり子が『うたの心に生きた人々』でとりあげている詩人は与謝野晶子、高村光太郎、金子光晴、そして山之口貘の4人。貘さんは「ルンペン詩人」という呼称で知られていた。

「詩人としてはまるで/貧乏ものとか借金ものとか/質屋ものとかの専門みたいな/詩人なのだ」(詩・「年越の詩」)。と、本人もうたっている通り。だが、「求婚の広告」のような、あっけらかんとした詩群もある。

 「だから女よ/こっそりこっちに廻っておいで/ぼくの女房になってはくれまいか」といった詩「現金」とか、「若しも女を掴んだら/丸ビルの屋上や煙突のてっぺんのやうな高い位置によぢのぼって/大声を張り上げたいのである/つかんだ」といった詩「若しも女を掴んだら」なども。

 なかでもストレートに、お嫁に来ないか、とうたっている「求婚の広告」は、詩の世界ではまず読んだ記憶がない(歌謡曲「嫁に来ないか」やフォーク「結婚しようよ」などはあるが)。

 茨木のり子は「人間はねじくれた思考をもっていますから、同じ願いでも、もってまわり、貘さんのようにはればれといえなくなっているのです」という。それだけに「求婚の広告」などの詩について、「いきいきとした傑作」だと、大いに評価している。

 結婚はふつう、祝祭と決まっており、人々が無条件で祝福する。幸福が続けば、それはそれでけっこうなことだ。だが、ときとして、その結婚が逆に不幸を招き、悲劇に終わることもあるのは、ご承知のとおり。ひとつの家庭には必ず視えないひとつの不幸というか、トラブルもあるとも。

 若いときに読んだので、だれの詩句だったか、もう忘れてしまったが、結婚や家庭には、そういう負をひきずってしまう側面もあるだろう(幸せな家庭はそれでいいことなのは、いうまでもないが~)。そうしたことも仕方がないと、ずっと思ってきてはいた(「砂時計」は自惚れるわけではないが、不幸人の幸福人です~)

 その面で、貘さんが「一日もはやく私は結婚したいのです/結婚さえすれば/私は人一倍生きていたくなるでしょう」のフレーズには救われる。というか、あたりまえの希望を希望として、うたっている健全さに同調できる。「ルンペン詩人」だが、たんなるルンペン詩人でなく、詩人・山之口貘の面目躍如といった詩だ。

 ところで、貘さんはこれらの[「求婚広告」などの作品を書いたあと、昭和12(1937)年秋、小学校の校長先生の娘と見合いをした。詩人・金子光晴が立ち会ったというその見合いで、結婚が決まった。「結婚しましょうね」「はい」。30分だったという。

 新婚生活のスタートは、東京・新宿のアパートの四畳半一室。このとき詩人・貘さん、33歳。畳の上に寝られたのは、16年ぶりだったという(ほんとうにルンペン詩人だったのですね~)。

2010年11月25日 (木)

その道の専門みたいな詩人なのだ 山之口貘・「年越の詩」

Dscf5125 (「年越の詩」なども収められている『山之口貘詩文集』講談社・2005年8月第8刷)

詩 年越の詩(うた)

        山之口貘

                                                     

詩人というその相場が

すぐに貧乏と出てくるのだ

ざんねんながらぼくもぴいぴいなので

その点詩人の資格があるわけで

至るところに借りをつくり

質屋ののれんもくぐったりするのだ

書く詩も借金の詩であったり

詩人としてはまるで

貧乏ものとか借金ものとか

質屋ものとかの専門みたいな

詩人なのだ

ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて

火のない火鉢に手をかざしていたのだが

ことしはこれが

入れじまいだとつぶやきながら

風呂敷に手をかけると

恥かきじまいだと女房が手伝った

                                                     

 もう面白くて、情けなくて、笑ってしまい、泣けそうで~。貘の詩にはこんな詩が、貧乏の詩がかなりあるが(「ものもらひの話」とか、ずばり「借金を背負って」など)、「年越の詩」は別格のように思える。

 確かに「詩人」とくれば、「金持ち」ではなく、「貧乏」。さらに青白い顔で、やせていて、力がないといったイメージか(貘の顔は哲学者のようだが~)。「貧乏」なので、詩人の資格があると、言ってみてしまう。そのうえ「貧乏もの借金もの質屋ものとかの専門みたいな詩人」とも。

 時代小説に「武家もの」とか「町人もの」とか、そういわれる分野がある。だが、まさか、詩に「貧乏もの・・・もの・・・ものとか」もあるまいに。でも、貘が書くと、ほんとうに詩にそんな専門の分野がありそうな気がしてしまうから、不思議だ。

 同時に年末に火鉢まで質屋に入れようとするのに、妻もあきれた様子で手伝う場面も詩に。それでもなんだか、暗くなく、透明な空気が流れている。これほど貧乏なのに、そうして自分も貧乏であることがわかっているのに、貧乏くさくない。これは、貘の、さらに貘夫婦の愛すべき人柄なのだろう。

 私にしても、学生時代はいつもぴいぴいしていた。せっかく訪ねてきた友人と焼き鳥屋に行こうとしても、だいたい資金はゼロ。仕方なく、本棚から「高橋和己全集」とか「吉本隆明全集」から抜き出した何冊かを抱えて、古本屋へ(今となってはそれらの本を手放したのが惜しい)。そのわずかな金で飲みあったことが何度もあった。

 そうして飲んだ焼き鳥屋の日本酒の美味かったこと(青春の苦い味があったからかもしれないがー。今でもときどき、その美味さを思い出すほどだ)。だが、まだ学生の独り者だっただけに、古本屋や質屋に通うのも、それはそれでありだ。ところが、貘は所帯を持ってからも、そうだったというのだ.。

 本気だか、冗談だか。ほとんどわからない、めんくらったこの手の貘の詩に「自己紹介」がある。わずか6行の詩だが、さまざまに思いを巡らせることができる詩だ(ただ、「砂時計」は、この詩にある「びんぼう」と「自惚れ」の関係については、、半可通で理解しているのかもしれない)

詩 自己紹介

        山之口貘

                                                      

ここに寄り集まった諸氏よ

先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに

考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります

                                                     

僕ですか?

これはまことに自惚れるやうですが

びんぼうなのであります。

2010年11月24日 (水)

すくすく育つ土壌がどんどん悪くなってゆく  詩 「キャベツ」

Dscf5109_2(まな板の上でキャベツと包丁が出会う あたりまえか~=24日、日光霧降高原の「砂時計」宅)

                                                         

詩 キャベツ

        黒川 純

                                                    

包丁がキャベツの上に落ちても

キャベツが包丁の上に落ちても

どっちの場面であっても

結果を引きうけるのは

キャベツの俺たちなのだ

     包丁が落ちるかもしれない

     飛んでくるのではないか

     そう思わないでもなかったが

     まさか 本当に飛んでくるとは

     それもたくさんの包丁が

一丁でも それはすごい衝撃だ

それが次々と丘陵を飛び越して

キャベツ畑を荒らしてしまったのに

北の農家はこう強弁するんだ

「うちの畑の回りをウロウロするから 断固たる措置をとった」

      こんなことは土地の縄張りを決めた

      半世紀以上前の1953年以来だ

      怒りに怒った南の農家もすぐさま

      「数倍の包丁で対応してやれ」と

正義はこっちだ 互いに胸を張って

ギラギラした包丁をもてあそぶのは

キャベツの俺たちにとっては

どっちにしても大きなお世話なのだ

   わかっていないのかもしれない

   こんなことを繰り返していくと

   若いキャベツがすくすく育つ土壌が

   どんどん悪くなってゆくのが

                                                    

初出は季刊詩誌『新・現代詩 22号』2006年9月 詩「メロン」  今回の「キャベツ」は、この詩の変形型)    

   

2010年11月23日 (火)

伝説の「たま」が思い浮かんだ 異色バンド「マンマリカ」の幾何楽堂演奏会

Dscf5070 (幾何楽堂の観月祭で演奏する異色グループ「マンマリカ」=22日夜、日光霧降高原)

Dscf5118 (グループの雰囲気が出ている「猫とマンマリカ」切り絵のポストカード メンバーのやまさん作)

 なんとも不思議な演奏だ。柔らかな音色、メロディが次にどこに飛んでいくのか、不透明。歌詞がシュールっぽいというか、哲学っぽい。一方で、メロディはフォークのようではなく、懐かしい童謡のようにも思えるし。演奏のイメージは沖縄のネーネーズのようだし。<これと同じような雰囲気の演奏を昔、聴いたことがあるな?>

 <そうだ 「ロシアのパン」の、え~と。ネコではなくて>。演奏の休み時間にそんなことをメンバーに投げかけたら、「ネコではなく、『さよなら人類』のたまでは」。「そうそう、そのたまの演奏を思い浮かべたのです」。

 22日の満月の夜、日光霧降高原の幾何楽堂であった「マンマリカ」(mammalica)の演奏会。そこでのことだ。栃木県を中心に演奏活動しているとのことだが、マンマリカの名は初めて。「不思議な演奏をするグループ」。予備知識はそれしかない。いや、聞いてみて、これはそういう言い方になるのだろうな。そう思ったことだった。

Opening (異色グループ、マンマリカのみなさん マンマリカのホームページから転載)

 「砂時計」は霧降高原の自宅から持ちこんだ純米酒「五人娘」の一升瓶を抱えて、演奏を聴いていた。一杯、二杯と飲むうちに、演奏が溶け込んでいくよう。脱力感が、つまり、いやがうえにもゆったりした心もちになっていったからだ。

 ギター、ドラム、ベースを基本に、マンドリンやピアニカなども。グループ独特の癒し系の音が広がる。CDも売っているというので、買い求めると500円。「3曲なので」とのことだ。「カラフレーション」「クマの森さん」「眠れない夜のマンマリカ」。聴いてみると、やはり、印象は「たま」系統。実際、グループも「たま」が好きだという。

 「たま」といえば、「いかすバンド天国」(いか天)の伝説的なグループ。「さよなら人類」の「きょう、人類が初めて木星に着いたよぉ~」という独特のフレーズが印象的だ。当時、世間に「たま現象」が起きるほどの人気バンドだった。そんな雰囲気のあるメンバーの演奏を偶然、聴くことができたので、このブログにアップへ(世間には不思議な才能があるグループがあるのですね。また、どこかの会場で聴きたいと思ったことでした)。どんな詩か、とりあえず、「カラフレーション」を。

Dscf5077(「マンマリカ」の演奏を聴きながら、「砂時計」らが飲んでいた純米酒「五人娘」)

歌 カラフレーション (詞・曲 メミ)

梅かおる春の日の マホガニー色のたんす

縁側の窓からの ひかり明るい

青草のにおいを肺 いっぱいためて眠る

ひたいをくすぐるのは 春風トプウ

三寒四温過ぎた そろそろ麦茶飲む

季節になるんだ せり・なずな・ごきょう

閉じられた窓と 七色の空 関係なく

ちぎれ雲で飾って 君にあげようとしたけど

にぢんだ美しさ 君に届かない カラフレーション

(2番略)

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2010年11月21日 (日)

街中に展開する市場 一日限りの「日光マルシェ」を楽しむ

Dscf5041 (東武日光駅前に出店したコーヒーにトン汁、古本などの「ポルカドット」の雰囲気)

 街中に小さな店が軒を並べる市があるというので、21日、霧降高原から市内にでかけた。「日光マルシェ」というのだそうだ。バザールはわかるが、マルシェは?。フランス語で市場だというのは、帰宅しネットで調べてから。当日は半可通のまま、街中を歩き回ったが、これが意外といい。というか、初めての試みだそうだが、何度もやって欲しい好企画だ。

Dscf5035 (ゲストハウス「巣み家」前に出店した那須町の「atom coffee roaster」。私も一杯)

 主催者はNPO法人「日光門前まちづくり」。ふれこみは、「秋のにぎわいのなか、一日限りの市が出現します」。「地図を片手に街を巡り、一人一人の地図を完成させてみてください」とも。。市内7か所の会場でスタンプを集めると、「日光の名品をプレゼント」とある。

Dscf5068_2 (日光の門前町の7カ所が会場となった「日光マルシュ」=チラシの地図)

 今回の市場については、ブログ「日光の親爺の徒然」や「日光ふぃふぁ山荘」をチラッと見ただけ。なので、全体がわからないまま、まずは外国人観光客に人気のゲストハウス「巣み家」前へ。経営者のご夫婦は旧知だが、建物の内部を見るのは初めて。「お昼はまだですか」と問われ、同家特製のカレーをふるまってもらってしまった(美味しかった。ごちそうさまでした)。

Dscf5006  (「巣み家」前に出店した古本の「あたまるブックス」の品ぞろえ)

 「巣み家」前で出店していたのはコーヒー店、てびねり、粘土遊び、ポスターやアクセサリー販売、牛スジ煮込みなど。そこの古本屋さんで買い求めたのが雑誌「天然生活」の「生きる道具」と「お米を食べよっ!」。次に近いのが、東武日光駅前。すると、野菜の産直市や格安トン汁やコーヒーなど。<野菜も必要だが、ここはトン汁なのだ>と。

Dscf5039 (「トン汁100円」「カフェオレ200円」と格安の「ポルカドット」=東武日光駅前)

 東武日光駅前の「ポルカドット」では古本も扱っていた。トン汁を味わいながら、迷わず「町田康詩集」と内田百閒の文庫本、それに帰りがてらに雑誌オレンジページの「基本の和食」も購入していた(いずれも100円)。

Dscf5046 (「砂時計」は一杯100円のトン汁を2杯も注文してしまった)

 さらに「そっと・ぼーちぇ」前へ。チーズなどの市だが、これは敬遠し、4番目の「石屋町公園」へ。ベーグル、レコード、古本、絵に雑貨など。「懐かしのフォークソング」などがあれば、買いたかったが、ここでは冷やかしだけ。とはいえ、懐かしの「カルメ焼き」(200円)があったので、これも迷わず?「ください」。

Dscf5051  

 「一番派手なのが稲荷神社境内だよ」。そう教えられて、コース5番目の同神社へ。が、すでに3時半ごろだったか。行ってみると、もう撤収作業中。午後2時過ぎにきたのだが、あっちこっちと歩くうちに時間が過ぎていたのだ(市場には、そのように街中を歩かせる魅力があると思う)。

Dscf5057_2(「砂時計」が買い求めた一冊100円の「町田康詩集」や「基本の和食」など)

 稲荷神社では着物の着付けやヘアメイク、人形、インテリア、日光珈琲、さらにライブもあったという。いや、残念。ということで、スタンプラリーは4カ所のみ。東武日光駅前の本部で「4カ所だけでした」と伝えると、本部のメンバー(12月にも街中にカフェ兼ギャラリー「仁右衛門」を開店させるという)が気の毒に思ったのか、「歩く日光ちず」(確か限定版のはず)などを手渡してくれた(この地図は新聞で知り、欲しいと思っていた) 

Dscf5060 (結局、「砂時計」がスタンプラリーで回れたのは、7カ所の会場のうち4カ所だった)

 チラシによると、この日行けなかった郷土センター前ではガラス工芸品など、矢島屋前では駄菓子屋なども。ちょぃと寄ってみるつもりで出掛けた「日光マルシェ」。天候が良かったせいもあるが、歩いてみて心が弾んだ。どうせなら、すべての会場を回りたかった(スタートが遅かった私が悪いのだが~)。

Dscf5055(午後3時を過ぎても、にぎわう東武日光駅前の「日光マルシェ」) 

 面白い企画で、私みたいな地元民でも楽しめる。日光を訪れる人たちでも,。いや、観光客の方がより楽しめる市場だろう。だが、どんな人たちが、どんな品ぞろえのお店を出し、どのように運営しているのか。市民向けのそんな情報が薄かった印象が強い(主催者ブログでは明らかにされていたが)。初めての試みだろうから、仕方がない面もあるのだろう。

 これも回を重ねていけば、日光のもうひとつの顔になることは間違いない。「砂時計」としては今回限りではなく、最低でも四季ごとにやって欲しいと思ったことだった(それにしても「日光マルシェ」というカタカナより、「日光楽市」といった漢字の命名の方がふさわしいのでは。日光は祈りの街、伝統の街、時代の街だと思うからだが。それはそれとしても、主催したNPO法人「日光門前まちづくり」のみなさん、ごくろうさまでした。

2010年11月20日 (土)

才能は手が知っている 吉本隆明・寺子屋授業実録『ひとり』

Dscf5001 (発売されたばかりの吉本隆明本 15歳の寺子屋『ひとり』講談社・初版2010年10月)

 手を動かしてみな。手があなたのダメなところも値打ちも全部知ってるよ。才能があるかどうかなんてわからなくったっていい。ただ、ひたすらに手を動かしてさえいれば、自分のなんともいえない性格とか、なんともいえない主義とか、なんともいえない自分なりの失敗とかがんばり方とか、そういうものがひとりでに決めていくものがある。そうして決めていった挙げ句のものが、<才能>であり<宿命>なんだと僕は思います(吉本隆明 二時間目 「才能」って何だろうね)

 吉本隆明が寺子屋形式の授業を本にしていた。オンライン書店「本やタウン」(「砂時計」は会員)で久しぶりに「吉本隆明」を検索していたら、その新刊がアップされていた。

すぐに申し込み(「山之口貘詩文集」「丈人ノススメ 日本型高齢社会」「木枯らし紋次郎」や近藤ようこの「逢魔が橋」なども)、今市の書店経由で本日、手にして読むことができた。

 「ひとりっていうのは悪いもんじゃないぜ」「才能って何だろうね」「人生にどっちが正解ってことはないんだぜ」「特別授業」「恋愛って難しい」「大人になるってどういうこと?」。

この項目順に吉本が答えていく授業だ。「共同幻想論」など、難解で知られる吉本隆明だが、15歳が相手の授業とあって、わかりやすく?書かれている。

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2010年11月15日 (月)

その人に乾杯しよう! 解放されたアウン・サン・スーチー

<p>

詩 その人に乾杯しよう 

               黒川 純

「勇気というのは

気持ちを強く持って

自分が成し遂げたいことのために

一生懸命行動することです」

   獄中の政治囚が今も2000人以上いる

   軍事政権のその国で

   自宅軟禁7年半というのに

   地上に姿を現したあなたは

   女神として再び蘇ったかのようだ

「愛というのはお互いに心が幸せになるようにという願いから」

「良心を裁く法廷で自ら裁きを受ければ力が価値あるものに」

なんという凛とした行動力の精神

なんという揺るぎない意志の呼びかけ

     すべての活動家が釈放されるように祈り

     期待に対する責任を恐れないという

     成し遂げようとするその強い意志も

その青々としたエネルギーが

東洋の島国にも瞬時に広がり

地球号からおおぜいの乗客たちが降り立つ

世界遺産「日光の社寺」の祈りの街

秋が深まる日光霧降高原にも届いた

  呼びかけた勇気は

  大勢のひとたちと手を携えてゆこうとしても

  いずれある共同的なものに向かうため

  再び理不尽な荒波をかぶり 

  大揺れすることになるかもしれない

      だが 今は

      あたりまえの希望を取り戻すため

      その国と世界の人々の期待を担い

      今、大きな物語を書き始めようとする

      祈りにも似た響きを放射する

      その名に乾杯しよう

      その人

          アウン・サン・スーチー

 (アウン・サン・スーチーさん解放を喜んで)

 ミャンマー(ビルマの民主化運動指導者、アウン・サン・スーチーさん(65)が、自宅軟禁を解かれ、14日、ヤンゴンで初めての演説をしたという。どんな演説をしたのか、すごく注目していたところ、朝日新聞のアサヒコムがその(1)からその(5)にわけて、全文を掲載した(マスコミの役割はやはり大きいなと感じた)

 以下はそのアサヒコム全文のうち、私・「砂時計」が気に入った各文。それから<なんとか詩のようなものはできないか>と、考えて、大急ぎで書いたのが、詩「その人に乾杯しよう」。この詩で、スーチーさんの解放の喜びを伝えたい。

(アウン・サン・スーチーさん演説の一部 アサヒコムから)

 1人ではできません。私1人ではやりたくありません。1人で行動するのは民主主義ではありません。この考えを忘れないでください。私は1人で行動するつもりは全くありません。多くの皆さんと一緒に行動します。国民の皆さんと一緒に行動します。私たちを支持し、私たちに共感する世界の人々とともに一緒に行動します。そういう思いを心にしっかりと持ってください。

 勇気というのは拳を振り上げて勇者気取りをすることではありません。勇気というのは、気持ちを強く持って、自分が成し遂げたいことのために一生懸命行動することです。そのような勇気を私たちは持たなくてはいけません

 国民の理解、支持を得て、引き続き活動していきます。今ははっきりと言えないことを許してください。しかし、たった今軟禁を解除され、今これをやりますと言ったとしても、深く考えずに語った言葉になってしまいます。最近の人々の声をたくさん聞きたいと思います。そのような声を聞きながら、これからの旅をどのように続けたらいいかということを私たちは決めたいと思います。

 最も重要なのは、国民の力をもって私たちが行動するということです。民主主義を求めるグループすべてと私は連携して活動します。そして、私たちは対話が実現するよう活動していきます。対話の実現のために努力し、国民が最も傷つかない方法で、でも、まったく傷つかないとは私は言えません。そのように私が保証すれば(国民に)わいろを与えるようなものになってしまいます

 正直に言います。私たちと一緒に活動してきた人の中には、目標が達成されるのをもう見ることができない人もいます。正しい目標に向かって進んでいくというのは人生の価値ある行動であり、誰もその価値を傷つけることはできません。

 人はいつかは死ぬのです。死ぬまでの間にどのように生きてきたかが重要です。今私たちはこれまでに命を落とした民主化活動家に敬意を表したいと思います。獄中にある民主化活動家にも敬意を表したいと思います。すべての活動家が釈放されるように祈りたいと思います。(おわり)

2010年11月13日 (土)

日光の隠れ料亭・杉光  「祠」で美味しさを楽しむ

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 日光「ふぃふぁ山荘」がブログで紹介していた雰囲気のある料亭「杉光」(さんこう)へ、出掛けた。つい先日のことで、ふぃふぁ山荘に予約を頼み、酒席ならどこへでも(かな?)という「砂時計」ら霧降高原の2人が加わった。

 日光の隠れ料亭・杉光(さん・こう)。いや、その名にふさわしい、たたずまいに味がある「総杉づくり」の建物と「祠」をイメージしたという空間。そして、店内へ。すると、旧知の観光ブロガーや通訳ガイド、ゲストハウス経営者、市職員の4人グループが先客で。あいさつを交わす一方(ブログ「砂時計主義」PRの名刺を次々と配る一方~笑い)、まずはビールで乾杯!

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 料理3000円のコースだが、出てくるわ,出てくるわ。マグロなど品のよいお刺身盛り合わせに茶碗蒸し、すべて食べられるようになった鮎、ふぐにかき(確か東北・三陸かきだったかな~)。いずれも美味。いかにも料亭の味だ。

 ビールから日光の地酒の冷酒へ。さらに熱燗へ。「どうだ~こうだ~」。かしましく飲みかつ語っているうちに夜は更けていく(話した内容はもう記憶にない~)。雰囲気はいい、味はいい、値段もほどほど。こんな料亭というか、小料理屋さんが日光にあったのか。

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 というのも、店はすでに今年4月にはオープンしていたという。その店を知ったのは秋も深まってから。「肩のこらない、しっかりした味を提供したい」(料理長ブログ)。きさくな料理長の思いどおりのこのお店を、もっと早く知ってもよかったのに(やはり「詩的生活」をしていると、こうした情報にうとくなるなぁ~)。

 財布とも相談しなければならないが、これはどうもくせに、というか、半常連になりそうな気配だ。酔いながら撮った写真をアップしておきます(霧降高原仲間の忘年会という名目の飲み会はここでやりたいな~)。 

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2010年11月 9日 (火)

草に埋もれて寝たのです 詩「生活の柄」・山之口貘・高田渡

詩 生活の柄

        山之口貘

歩き疲れては、

夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである

草に埋もれて寝たのである

ところ構わず寝たのである

寝たのであるが

ねむれたのでもあったのか!

このごろはねむれない

陸を敷いてもねむれない

夜空の下ではねむれない

揺り起されてはねむれない

この生活の柄が夏向きなのか!

寝たかとおもふと冷気にからかはれて

秋は、浮浪人のままではねれむれない

                                                                                                            

 『山之口貘詩集』(現代詩文庫)の年譜によると、この詩「生活の柄」を書いていた当時の貘さんの生活は以下のようだ。

大正13(1924)年 21歳

 詩稿を抱いて二度目の上京。当時の詩に「ものもらいの話」「生活の柄」などがある。再び友人の下宿を転々とする生活を始める。

昭和2(1927)年  24歳

 詩人赤松月船やサトーハチロー等を知る。しかし、定職を得られず、昼間は喫茶店に入りびたり、夜は土管にもぐって寝たり、公園や駅のベンチ、キャバレーのボイラー室等折り折りの仮住まいの生活で、初上京の日から16年間、畳の上に寝たことはなかった。こうした放浪生活の中で詩を書き続け、この頃より山之口貘の名を用いる。

 20歳前後の若者のときはだれでも、「夜空と陸の隙間」で寝ることはできる。私でさえ、そのころ、東京の友人を訪ねたとき、不在だったので、公園のベンチで寝たことがある。沖縄返還協定粉砕闘争デモに出るため、新宿駅構内のコンクリートの床で新聞紙にくるまって、一夜を明かしたこともある(新宿のJAZZ喫茶店で夜を明かすというのは何度も)。 

 ところが、貘さんはそれが日常だったよう。なにしろ、19歳で沖縄から上京して以来、16年間も「畳の上で」寝たことがないというのだから。その後も貧乏はついてまわった。「貘さんはだれよりも貧乏したのに、心は王侯のごとしという、ふしぎな豊かさをますます自分のものにしていった人でした」(茨木のり子の詩人論「精神の貴族」) 

 その詩を生きながら伝説の人になっていたフォーク歌手・高田渡が歌にした。「生活の柄」だが、さらに貘さんの詩「鮪に鰯」も、そのまま歌にしている。高田渡は「タカダワタル的」という映画でも知られていようが、私にとってはフォークの名曲「自衛隊に入ろう」や「自転車に乗って」などのほうがなじみがある。

 とくに「自衛隊に入ろう」はパロディというか、ブラックユーモアの典型で、詩でいうと、諷刺詩ともいえるできだ。私が寓意や寓話などを好むのは、若いときに高田渡やザ・フォーク・クルセダースの「帰って来たヨッパライ」などに、魅せられたからかもしれない(赤塚不二夫の「天才バカボン」も大好きナノダ~)。

2010年11月 8日 (月)

鮮やかな紅葉が街に下りる 霧降高原「森の図書館」も今季閉館

  Dscf4952鮮やかな紅葉 「砂時計」宅の2軒隣の庭先=8日現在 日光霧降高原)

 <うわ~これは見事>。ちょいと用事で外出しようと、「砂時計」を出たところ、絵のような紅葉を見かけた。といっても、私の家から2軒隣の庭先。例年の紅葉は、いろは坂を一気に下る。今秋はゆっくり下りてきたのか、2社1寺など日光の街は今が秋本番だ。

Dscf4925_2  (興雲律院の紅葉=8日現在)

 自宅周辺で秋本番を迎えたのなら、霧降高原周辺の紅葉を撮ろう。ということで、霧降高原を下りてすぐの「日光山興雲律院」へ。日光の紅葉名所で知られている通り、やはり見事だ。し~んとした境内の木立から見る紅葉もまた趣きがあっていい。 Dscf4940興雲律院の境内の紅葉=8日現在)

 おっと。興雲律院に向かう途中の霧降高原でも雰囲気のある場所が。会席料理「れんこん」の紅葉がそれ。その向かいにあるステーキ専門店「日光グルマンズ和牛」周辺の紅葉も美しい。ふだん通っている街路に、なにげなく鮮やかな秋が広がっているのを見るのは楽しい。

Dscf4900(会席料理「れんこん」の紅葉=8日現在 霧降高原  写真に少しもやがかかってしまいました)

 紅葉本番が街に、つまり下界にやってくると、いつも、観光施設・霧降高原チロリン村は休村に。今季も8日から冬季休業に入った。チロリン村が休業に入ると、「もう冬に入るよ~」というシグナル。同時にこの村の森林内にある霧降高原「森の図書館」も閉館、というか、冬季休館に入る。

Dscf95491_2来春まで閉館した霧降高原「森の図書館」=写真は6月 本日は撮り忘れ~)

 今季の開館は春から秋まで半年強。「大切なあなたの一冊を」。その呼びかけに、霧降高原に暮らす人たちや県内外の人たちから手渡してもらったり、あるいは郵送で送ってもらったり。貴重な書籍の寄贈していただいた。感謝いたします。再び開館するのは来年4月下旬になりそうです。Dscf4898 (再び「砂時計」のご近所の見事な紅葉をアップで=8日現在 霧降高原)

2010年11月 7日 (日)

詩 ギリギリッス  現代版?イソップ物語

The_ant_and_the_grasshopper__projec (「アリとキリギリス」 WikiPedia「イソップ寓話」から転載)

詩 ギリギリッス

       黒川 純

                                   

夏に額に汗して働き

少しでも貯めていかないと

年がら年中 遊びまわっている

イソップ物語のキリギリスのように

冬になったら飢えてアリに泣きつくはめに

それに赤ん坊のミルク代も

稼ぐ必要があるから

朝も早くから労働しているんだ

                             

     友人がマジでこう話すので

     勤労精神豊かなアリになり

     小金虫のような金持ちになって

     冬は気楽に過ごすことにしたんだね

     そう言ったら こう返ってきたものさ

     〈それでもギリギリッス〉

                             

さらにあんまり忙しいわりには

家計は火の車だと 苦虫をかみ

〈きょうも戦死〉と嘆いているので

まるで不死鳥の火の鳥のようだね

そうねぎらったら、こう言ってきた

〈火の鳥というよりヒドリ〉

そうか そういうことだろうね

日取りの日銭稼ぎは いいときもよくないときも

                              

     なので こういうことを伝えた

     キリギリスは遊びまわったことで

     いつかヴァイオリンの名手となり

     冬の楽しい演奏会にアリを招き

     お礼に冬を越せる食糧をもらい

     一緒に仲良く愉快に暮らした

     あのイソップ物語には

     そんな現代版のあらすじもあると

                              

 詩 ギリギリッスは「砂時計」も同人となっている岩手県を中心にした詩人たちでつくる詩誌『堅香子』(事務局・岩手県滝沢村 春と冬の年2回刊)の次号・第8号に、つい最近、投稿したものだ。

 ブログ「砂時計」へのコメントで、なんともおかしかった、というか、傑作だったのが「そんなに働いて、アリさんになるのですか」という問いかけに、「ギリギリッス」と答えた友人がいる(知っている人は知っている人だが~)。

 その真面目なユーモア(ブラックユーモアっぽい雰囲気もあるが~)をなんとか詩に生かせないか?。そう考えていたところ、山之口貘の詩をきちんと読む機会があった。その山之口の方法というか、語り口をそのまま生かした詩の特徴をキイワードで結びつけていけば、できるかも

 それに不死鳥の「火の鳥」と、ヒドリ論争がずっと続いている宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」の「ヒドリ」の労働につなげていけば、さらに面白いものになっていくのではないかと。

 詩がほぼ出来上がった6日午後、友人(日光「ふぃふぁ山荘」だが~)が「砂時計」宅に寄ったので、この詩「ギリギリッス」の朗読を聞いてもらった(無理強いだが~笑い)。聞き終えた友人は「これって詩なの?」とけげんそう。そう言うのも無理はないが、でも、これでも詩だと思っています。はい。

 

2010年11月 6日 (土)

霧降高原の森林を駈ける~! MTBコース完成でライダー試走

Dscf4834 (新設されたMTBコースのスタート地点から急坂道を下るライダー=6日 日光霧降高原)

 日光霧降高原に延長約3キロのマウンテンバイク(MTB)コースが完成し、6日、その安全祈願祭と試験走行があった。この日は快晴に恵まれ、絶好のMTBスポーツ日和。熟練のライダーや初めてという乙女まで10人ほどがスタート地点の急な坂道を下っていった。 。

Dscf4856(スタート地点の急坂道は駈け下るといった感じで、愛好家のライダーたちも真剣だ)

 地元の「日光森と水の会」(小坂憲正代表)が、霧降高原の地権者の協力や日光市の援助を受け、愛好家の若者らが中心となって、森林管理道路なども生かし、コースを完成させた。県自転車競技連盟などによると、マウンテンバイクコースは県内でも非公式なものはあるが、行政の支援も受けたコースづくりは珍しいという。

Dscf4840 (正装の?ライダーは、メットにゴーグル、手袋、膝あて、小手あて、修理道具と水筒などを入れたナップザックを背負って走る)

 スタート地点は今夏で営業を中止した霧降高原リフトに近い霧降高原道路沿い、標高約1200㍍の霧降高原第一駐車場。コースはそこから標高約900㍍のニュー霧降キャンプ場まで。標高差は約300㍍あり、道幅は2㍍ほど。全体にほぼ下り坂だという。

Dscf4818 (快晴の霧降高原の山々を背に行われたMTBコースの安全祈願祭)

 サイクルショップによると、初心者でも走ることができる「修業道だ」といい、約15分から約20分で走れる。「日光森と水の会」では、来春に本格オープンさせたいという。森に優しいクリーンスポーツ、地域の活性化につなげたいという思いがある。Dscf4819 (標高約1200㍍のスタート地点で歓迎するチェーンソーアートの小熊と大熊)

 一帯は地元に暮らしてきた人たちの共有地で、コースはその一部。安全祈願祭では、その一人でもある所野自治会長や市の日光総合支所長、県自転車競技連盟理事長らがあいさつ。多くの期待を受けてのスタートとなった(私も機会ができたら、コースを走ってみたい~)。

 ブログ「日光を漂ふ」「日光ふぃふぁ山荘」や下野、朝日、毎日、読売の各新聞も報じている。NHKも取材しており、一挙に知名度が上がったと思う。 

Dscf4880 (手慣れた雰囲気で試験走行のしんがりをつとめる霧降高原在住のライダー)

2010年11月 2日 (火)

その詩人は7500枚の中に 沖縄出身の山之口貘について

Dscf4716_2 (朝日新聞2日付朝刊13版第2社会面の石田博士記者の「その詩人は7500枚の中に」)

詩 博学と無学

          山之口貘

あれを読んだか

これを読んだかと

さんざん無学にされてしまった揚句

ぼくはその人にいった

しかしヴァレリーさんでも

ぼくのなんぞ

読んでない筈だ

                                                     

 借金に次ぐ借金を重ね、それこそ貧乏暮らし続きだったが、「精神の貴族」と呼ばれていたという沖縄出身の詩人 山之口貘(やまのくち・ばく)のことが2日付の朝日新聞のコラム「五線譜」で紹介されていた。

 見出しは「その詩人は7500枚の中に」。<あれ! もしかしたら、山之口貘のことかも?>。たまたまだが、茨木のり子の『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)を読んでいるところ。そこに4人の詩人が紹介されているのだが、その一人。そこでこう書かれていたからだ。

 「貘さんは推敲の鬼としても、鳴りひびいていました(略)短い詩一篇つくりだすためにも、二百まい、三百まいの原稿用紙を書きつぶしてしまうことはざらでした」

 高名な沖縄出身の詩人であることは以前から知っており、詩集も手元に置いていた。しかし、どうしたわけか、手にとる機会がなかった。本棚から詩集をひもとくと、なんと10年前に買ったもの。それを初めて開こうとしていた。

 石田博士記者の手による記事を読んだのは、こんなとき(しかし、石田博士記者の専門は南米のはずだが、この手の人情話風記事でも、いつもいい記事を書いている)。

 記事によると、原稿用紙の束はビニールひもにくくられ、東京都内の民家の押し入れに眠っていた。初校から書き損じまで、詩ができあがるまでのすべてを保存していた。完成まで200枚を超えた作品もあったという。記事の結びはこうだ。

 「原稿用紙は、3日から故郷沖縄の県立図書館で展示される。こんな大量の手書き原稿が残されることは、どんな作家のものでも、もはやないだろう」

 茨木のり子の『うたの心に生きた人々』や「研究 精神の貴族」(『山之口貘詩集』)を読んだり、この日の記事を読んだり。これもひとつの大きな縁。少し読んだだけでも、好きな詩がたくさんあった。いずれ、山之口貘の詩も順次、このブログで紹介してみたい。 

 最初はまず、以下の詩を

詩 羊

           山之口貘 

食うや食わずの

荒れた生活をしているうちに

人相までも変って来たのだそうで

ぼくの顔は原子爆弾か

水素爆弾みたいになったのかとおもうのだが

それというのも地球の上なので

めしを食わずにはいられないからなのだ

ところが地球の上には

死んでも食いたくないものがあって

それがぼくの顔みたいな

原子爆弾だの水素爆弾なのだ

こんな現代をよそに

羊は年が明けても相変わらずで

角はあってもそれは渦巻にして

紙など食って

やさしい眼をして

地球の上を生きているのだ    

Dscf4722 (詩「博学と無学」も収められている『山之口貘詩集』・思潮社・初版1988年8月)

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