その道の専門みたいな詩人なのだ 山之口貘・「年越の詩」
(「年越の詩」なども収められている『山之口貘詩文集』講談社・2005年8月第8刷)
詩 年越の詩(うた)
山之口貘
詩人というその相場が
すぐに貧乏と出てくるのだ
ざんねんながらぼくもぴいぴいなので
その点詩人の資格があるわけで
至るところに借りをつくり
質屋ののれんもくぐったりするのだ
書く詩も借金の詩であったり
詩人としてはまるで
貧乏ものとか借金ものとか
質屋ものとかの専門みたいな
詩人なのだ
ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて
火のない火鉢に手をかざしていたのだが
ことしはこれが
入れじまいだとつぶやきながら
風呂敷に手をかけると
恥かきじまいだと女房が手伝った
もう面白くて、情けなくて、笑ってしまい、泣けそうで~。貘の詩にはこんな詩が、貧乏の詩がかなりあるが(「ものもらひの話」とか、ずばり「借金を背負って」など)、「年越の詩」は別格のように思える。
確かに「詩人」とくれば、「金持ち」ではなく、「貧乏」。さらに青白い顔で、やせていて、力がないといったイメージか(貘の顔は哲学者のようだが~)。「貧乏」なので、詩人の資格があると、言ってみてしまう。そのうえ「貧乏もの借金もの質屋ものとかの専門みたいな詩人」とも。
時代小説に「武家もの」とか「町人もの」とか、そういわれる分野がある。だが、まさか、詩に「貧乏もの・・・もの・・・ものとか」もあるまいに。でも、貘が書くと、ほんとうに詩にそんな専門の分野がありそうな気がしてしまうから、不思議だ。
同時に年末に火鉢まで質屋に入れようとするのに、妻もあきれた様子で手伝う場面も詩に。それでもなんだか、暗くなく、透明な空気が流れている。これほど貧乏なのに、そうして自分も貧乏であることがわかっているのに、貧乏くさくない。これは、貘の、さらに貘夫婦の愛すべき人柄なのだろう。
私にしても、学生時代はいつもぴいぴいしていた。せっかく訪ねてきた友人と焼き鳥屋に行こうとしても、だいたい資金はゼロ。仕方なく、本棚から「高橋和己全集」とか「吉本隆明全集」から抜き出した何冊かを抱えて、古本屋へ(今となってはそれらの本を手放したのが惜しい)。そのわずかな金で飲みあったことが何度もあった。
そうして飲んだ焼き鳥屋の日本酒の美味かったこと(青春の苦い味があったからかもしれないがー。今でもときどき、その美味さを思い出すほどだ)。だが、まだ学生の独り者だっただけに、古本屋や質屋に通うのも、それはそれでありだ。ところが、貘は所帯を持ってからも、そうだったというのだ.。
本気だか、冗談だか。ほとんどわからない、めんくらったこの手の貘の詩に「自己紹介」がある。わずか6行の詩だが、さまざまに思いを巡らせることができる詩だ(ただ、「砂時計」は、この詩にある「びんぼう」と「自惚れ」の関係については、、半可通で理解しているのかもしれない)
詩 自己紹介
山之口貘
ここに寄り集まった諸氏よ
先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります
僕ですか?
これはまことに自惚れるやうですが
びんぼうなのであります。
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