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2010年11月 2日 (火)

その詩人は7500枚の中に 沖縄出身の山之口貘について

Dscf4716_2 (朝日新聞2日付朝刊13版第2社会面の石田博士記者の「その詩人は7500枚の中に」)

詩 博学と無学

          山之口貘

あれを読んだか

これを読んだかと

さんざん無学にされてしまった揚句

ぼくはその人にいった

しかしヴァレリーさんでも

ぼくのなんぞ

読んでない筈だ

                                                     

 借金に次ぐ借金を重ね、それこそ貧乏暮らし続きだったが、「精神の貴族」と呼ばれていたという沖縄出身の詩人 山之口貘(やまのくち・ばく)のことが2日付の朝日新聞のコラム「五線譜」で紹介されていた。

 見出しは「その詩人は7500枚の中に」。<あれ! もしかしたら、山之口貘のことかも?>。たまたまだが、茨木のり子の『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)を読んでいるところ。そこに4人の詩人が紹介されているのだが、その一人。そこでこう書かれていたからだ。

 「貘さんは推敲の鬼としても、鳴りひびいていました(略)短い詩一篇つくりだすためにも、二百まい、三百まいの原稿用紙を書きつぶしてしまうことはざらでした」

 高名な沖縄出身の詩人であることは以前から知っており、詩集も手元に置いていた。しかし、どうしたわけか、手にとる機会がなかった。本棚から詩集をひもとくと、なんと10年前に買ったもの。それを初めて開こうとしていた。

 石田博士記者の手による記事を読んだのは、こんなとき(しかし、石田博士記者の専門は南米のはずだが、この手の人情話風記事でも、いつもいい記事を書いている)。

 記事によると、原稿用紙の束はビニールひもにくくられ、東京都内の民家の押し入れに眠っていた。初校から書き損じまで、詩ができあがるまでのすべてを保存していた。完成まで200枚を超えた作品もあったという。記事の結びはこうだ。

 「原稿用紙は、3日から故郷沖縄の県立図書館で展示される。こんな大量の手書き原稿が残されることは、どんな作家のものでも、もはやないだろう」

 茨木のり子の『うたの心に生きた人々』や「研究 精神の貴族」(『山之口貘詩集』)を読んだり、この日の記事を読んだり。これもひとつの大きな縁。少し読んだだけでも、好きな詩がたくさんあった。いずれ、山之口貘の詩も順次、このブログで紹介してみたい。 

 最初はまず、以下の詩を

詩 羊

           山之口貘 

食うや食わずの

荒れた生活をしているうちに

人相までも変って来たのだそうで

ぼくの顔は原子爆弾か

水素爆弾みたいになったのかとおもうのだが

それというのも地球の上なので

めしを食わずにはいられないからなのだ

ところが地球の上には

死んでも食いたくないものがあって

それがぼくの顔みたいな

原子爆弾だの水素爆弾なのだ

こんな現代をよそに

羊は年が明けても相変わらずで

角はあってもそれは渦巻にして

紙など食って

やさしい眼をして

地球の上を生きているのだ    

Dscf4722 (詩「博学と無学」も収められている『山之口貘詩集』・思潮社・初版1988年8月)

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歌・唄・詩」カテゴリの記事

コメント

漂ふさま
もちろん。古くからのフォークソングファンですから。なかでも
やはり山之口の詩に高田渡が曲をつけた「生活の柄」は
味がありますね。漂ふさまが紹介した画像の「鮪と鰯」は
山之口の代表的な詩で、詩集の表題にも。いずれ、ブログ
で紹介しようと思っています。やはり同世代ですね。

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