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2010年12月16日 (木)

心はいつも航海をゆるされる 「とりのこされた詩人」寺山修司・詩「あなたに」

Dscf5309 (詩「あなたに」などが収められている『寺山修司詩集』ハルキ文庫・2003年11月第一刷)」

 寺山修司は『名言集』で、人はだれでも一度だけ詩人になる、だが、やがて「歌のわかれ」をして、詩を捨てると書き、さらに「詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで老いてゆくのある」とした。このブログの『寺山修司名言集』からで、砂時計は寺山はとりのこされた詩人を「否定的に、というか、良い文意で語っていない」とした(砂時計は「詩人のままで老いてゆくのである」でいきたいとも)

 たまたま、寺山修司の自伝的エッセイ『悲しき口笛』を読んでいたという、「序説」同人の私の友人で詩人・磯山オサム君から手紙が届いた。寺山は死の直前まで詩を書いており(遺稿詩「懐かしの我が家」)、寺山自身も「とりのこされた人」と、語っていると思えますと、という。

 磯山君は寺山の絶筆「墓場まで何マイル?」(「週刊読売」)のコピーも添えてくれた。そこで寺山は「墓は立てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分」と書いている。結びにウィリアム・サローヤンの言葉を添えている。これはかなりいい文句だなと思った。以下に転載する。

 「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる」

Dscf5306 (友人の「序説」同人で詩人の磯山オサム君が郵送してくれた寺山修司の自伝的エッセイ『悲しき口笛』表紙

  問題は「とりのこされた人」だった。最後の詩「懐かしの我が家」は死の8カ月前、朝日新聞に掲載されたという。その意味するところは『寺山修司詩集』の解説「寺山修司の抒情について」を読んでいただきたい(この解説の解説が難しいので~)。

 また、寺山はエッセイ「歌のわかれ」で、歌集『田園に死す』以降、「私は歌を書かなくなってしまった」とある。つまり、やがて「歌のわかれ」をして、詩、いや短歌を捨てた。だが、寺山も詩を捨て損ない、「少女詩集」「歌謡詩」(「戦争は知らない」はあのフォークルが歌っている)「劇詩」などのほか、遺稿詩「懐かしき我が家」なども書いてきた。

 ただ、寺山の死は47歳(この若さであれだけの仕事!)。健康なら人生はまだこれからだ。それでも「詩を捨て損なったものだけがとりのこされ詩人のままで年老いてゆくのである」と、書いていた。

 寺山にして(いや寺山だからこそか)「とりのこされた詩人」という自覚をしていたのか、あるいは「とりのこされた詩人」に大いなる意味を与えていたのか。それとも、自嘲的にそのように自分を位置ずけていたのか(実際、世間とずれていると評されてしまう詩人のまま年老いてゆくことが、いかに難しいか~)。

 私は「とりのこされたその詩人」について、「寺山は否定的に、というか、良い文意で語っていない」と、いったんは読んでみたが。文意を読み間違えたかもしれない。いずれにしろ、寺山の『悲しき口笛』を近く読まないといけないだろうな~。

 ともあれ、『寺山修司詩集』を読み進むうちに、「少女詩集」のなかの詩「あなたに」が、かなりひっかかった、というか、妙に気になる詩だったので、ブログにアップへ。

詩 あなたに

          寺山修司

書物のなかに海がある

心はいつも航海をゆるされる

     書物のなかに草原がある

     心はいつも旅情を確かめる

書物のなかに町がある

心はいつも出会いを待っている

     人生はしばしば

     書物の外ですばらしいひびきを

     たてて

     くずれるだろう

     だがもう一度

     やり直すために

     書物のなかの家路を帰る

書物は

家なき子の家

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歌・唄・詩」カテゴリの記事

コメント

とり残された詩人という部分には微塵の悲しみも私には見出せません。

とりこされたという文字列には悲しみの感情がこめられる場合が多いですが。

この場合のとりのこされたは世間に流されることなく詩作を続ける事への賛辞がかんじられますね。

流され流れてゆくことのない<しっかりと>とりのこされた詩人へのエールではないでしょうか?

三代目さま
そうか、<しっかりと>とりのこされた詩人、それへの
エールですか。そう読むのが一番しっくりするかも。私が
「とりのこされた詩人として年老いてゆくたい」と書いた
のも、その思い、自負、あるいは矜持があったからかも。

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