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2010年12月20日 (月)

過去の方向に抗うことが  黒川純・詩「ギンヤンマ」

Dscf5356詩 「ギンヤンマ」などの詩の草稿が書かれている37年前のノート「詩稿1973 黒川純」)

 霧降高原の「砂時計」で、25日、学生時代の仲間たちなどでつくる同人誌『序説』(もう第17号まで)の忘年会が予定されているので、その準備(といっても掃除などだが~)を始めた。

 それがきっかけか、学生時代のメモ帳「詩稿1973 黒川純」(もう37年前。この当時、ガリ版自作詩集を路上で売っていたこともある)を思い出し、本棚から取り出すことになった。

 そこには黒川純第一詩集『怒りの苦さまた青さ 「反戦詩」とその世界』(随想舎 2004年9月)に収めた詩「銀ヤンマ」の元になった詩もメモされていた。懐かしくめくっていたところ、詩集が気になり、今度は『怒りの苦さ~』の詩を読んでみた。

 すると、どうも言葉の使い方がいまいち~。<もう少し直したら、少しはまともになるのでは~>。手を入れていくと、ほとんど、半分以上に直しが。元の詩「銀ヤンマ」ではなくなってきた。ということで、急きょ、詩の題名を「ギンヤンマ」に変えることにした(「少しはまともに」なったかどうかだが?)

 「ギンヤンマ」の詩そのものは先が視えず、追分道でどうしようかという恥多い若いときの心の動きを伝えるもの。その詩を読んでいると、そのときの(つまり37年前の)世の中に対する自分の構え方や考え方などが思い浮かべられる(今もほとんど変わっていないが~笑い)。

 詩稿は詩による日記みたいなもの(読書ノートでもあったが~)。考えたら、若いときの詩稿(書き散らしのメモでも)は、時が過ぎ、こんなふうな使い道もあるのですね(まさか、ブログに昔の「詩稿」を登場させるようなことがあるとは。思ってもいなかったことなので、私でも少し不思議な気がしています~)

詩  ギンヤンマ

              黒川純

もっと飛ぼうとしたのだが

深夜が足元まで迫っていたので

張られた蜘蛛の糸が視えないまま

赤い夕暮れのギンヤンマのように

くるくると円を描いて飛んでいた

     偶然の法則を飛んでいくと

     過去の方向に抗うことが

     飛ぶべき方角だと感じた

     生涯の向こうから落下して

     飛んだのは そのときだった

急降下したのは そのためだったが

輝く昼下がりの街角のパン屋で

失速したバリケードが大安売りされ

買い物袋が笑顔でいっぱいの

三時のあなたになっていた

     そうなったのも

     可能性の方程式を解けず

     遠回りでは敗北だと勘違いし

     もっと跳躍するリズムを崩して

     涙で翅が濡れてしまったからだ

ただ どうしてなのか

砂漠を押し広げて進む大河をめがけ

大きく翅を広げて飛んでいけば

ゆっくりと とまることができる

かすかな予感が不安な瞳に映ったので

だれかが待つ首都へ飛び立ったのだ

     

     

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