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2010年12月14日 (火)

「化外」から紡ぐ風土の精神(上)  「斎藤彰吾 詩論・エッセー集」解説-黒川純ー

Dscf5285_3岩手の詩人 斎藤彰吾さんが副塾頭を務めていた東北学研究誌「北天塾」の第10号)

斎藤彰吾 詩論・エッセー集(コールサック社・2011年春・刊行予定)

栞解説   黒川純

「化外」から紡ぐ風土の精神(上)

 中央に従わない、まつろわぬ民、東北の蝦夷(えみし)の心を胸に詩を視つめてきた斎藤彰吾の全体像に迫る論考だ。それも戦後すぐからざつと60年にわたる詩作活動から導きだした膨大な論考群。いずれも東北・岩手に暮らしてきた「生活詩人」の情熱が一貫して流れている。この10年近くかなり親しく交友させていただいている私にしても、その全貌は今回の詩論やエッセーで初めて知ることができた。

1 「化外」の思想 

 斎藤彰吾を語るには王権の強化の外を意味する「化外(けがい)」の思想を抜きに語れない。朝日新聞記者だった私が、北海道釧路支局から岩手県北上支局に異動してきたのが、2001年。そこで初めて斎藤彰吾という詩人の大きな軌跡を知ったのだ。

 いわば東北自治国の末裔である誇りから出発して、日本史に東北を位置づけようとした季刊同人詩誌『化外』を1973年に伊藤盛信さんらと創刊(終刊22号、1984年)。さらに1988年には東北学研究誌『北天塾』を『7千通の軍事郵便』などを世に送り出したことで知られる菊池敬一さんらと創刊。『北天塾』は1999年の第10号で休刊しているが、ここで副塾頭を務めていた。そうした硬派の詩人であることは、仕事柄、まもなく知ることになった。

 その『北天塾』の「巻頭言」をみると、北天塾は終刊した『化外』の思想を色濃く受けていることが、みてとれる。そして、彰吾さん(ふだんそう呼んでいるので)が一貫して、この立場から、東北を、日本を、世界を視つめてきたことがうかがえる。その「巻頭言」を示す。

 「“北天塾”の願いは、北の天地に生きた人びとの過去と現在の姿をみつめて東北学をおこすことにより、次の時代への展望を確かなものにしようとするものであります。日本政治文化の歩みは、古来より大陸の中華思想の影響を受け、その南蛮・北荻の思想がそのまま熊襲・蝦夷におきかえられて施策されてきました。中央行政府を離れた地方ほど化外の
地とされ、そこには文化が存在しないかのような考え方だったのであります。文化とは、普遍的にして個性豊かなものでなければなりません( 略 )深い土着志向が、世界に通じ、宇宙にまで通じるものであったことは、私たちの先哲宮沢賢治がみせてくれた如くであります」(『北天塾』巻頭言)

 今回の論考では「地域文化論・北上文化」で代議士を務めた沢藤礼次郎らとの対談で、彰吾さんが、なぜ『化外』にこだわったか、その理由が明らかにされている。もともとは奄美大島に暮らしていた作家・島尾敏雄の新聞での発言から構想されたのだという。

 彰吾さんは対談でこう語っている。「(島尾敏雄の見方は)東北にしても、琉球にしても征伐された歴史しかなく、この二つの弧は日本の動向の中でついに主流になったことがないという見方なんです。その見方に共感し勇気づけられて始めたのが『化外』なんです」。

 
 私が北上に着任したその年に、同市の「鬼の館」で企画展「エミシ展~北の鬼の復権~」が始まった。翌2002年が征夷大将軍・坂上田村麻呂と果敢に戦い抜いた古代東北の蝦夷の英雄・アテルイの没後1200年にあたっていた。

 その記念すべき年に向け、いかに東北が歴史的にねじ曲げられて伝えられてきたかを鮮やかに示す企画だった。こうした試みをストレートに打ち出せる風土が東北・岩手にはある。これらを可能にしたのも、地下水脈を保ち続けた彰吾さんらの土台づくりがあったからだろう。

 「日清戦争から第二次大戦に至る間の岩手や東北は、まさしく兵馬の供給地であった。その強いられた歴史の真実を、ぼくらは凝視しなければならない」
こう結ぶ論考「馬をめぐる幻視の古代」も、「化外」の思想上にある彰吾さん独特の切り取り方だ。

 第二次大戦では農民兵士の供給地であっただけに、今も東北・岩手は戦争の記憶がさまざま形で残されている、いや、残そうとする人たちがいる。北上市では、たった一人の息子に戦死された貧しい母親が苦労して、苦労して貯めたお金で道端に「南無阿弥陀仏」とだけ彫った墓を建て、亡くなっている。

 その墓を「意志の墓」だとして、命日(11月4日)に母子を供養する「千三忌」(せんぞうき)を毎年、開いている詩人たちがいる。それも今年で26回を数えた。同市に暮らし、「麗ら舎読書会」を主宰し、千三の墓守を自負する詩人・小原麗子さんは、その典型だ。

 その小原さんに関する詳細な論考「母と村の考察―生活詩における小原麗子の側面」では、「日本における数少ない、女の記録者、詩を創造の渕とする書き手」と結んでいる。小原さんはもちろん、彰吾さんも、戦争に対するというか、反戦の意志は首尾一貫している。

 今回の論考にはないが、多くの反戦詩を作品にしたり、紹介したりする膨大な仕事を続けているのも、もうひとつの顔だ。岩波新書『戦没農民兵士の手紙』(岩手県農村文化懇談会編)づくりにもかかわってきたのも、その延長線にあるのは、言うまでもない。

(「化外」から紡ぐ風土の精神 「斎藤彰吾 詩論・エッセー集」解説(下)に続く)

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