さりとて絶滅も不可能のしろもの 詩「詩集と刺繍」・茨木のり子詩集からー(9)-
(詩「詩集と刺繍」などが収められている茨木のり子詩集『自分の感受性くらい』花神社・2007年12月第8刷)
「働くキリギリスになるのですね?」という私の問いに「働いても働いても、ギリギリッス」と友人が応じたのをヒントに、私は詩「ギリギリッス」や「火の鳥」を書き、ブログにアップしている。言葉の面白さに諷刺を加えて、ニヤリとしたいためだ。
茨木のり子もそんな言葉が交差するおかしさ、というか、理不尽さに逢い、それを詩にしている。ただし、単にその組み合わせを追っていくのではなく、詩が持つ本質的なものさえ、そこに示す。
詩「詩集と刺繍」だ。有名な詩「自分の感受性くらい」が表題になっている詩集に収められている。その巻頭にある(「自分の感受性くらい」は3番目)。初出は1975年1月「いさかか」。初出一覧をみると、「自分の感受性くらい」と同じ75年1月に発表されている。
「詩集のコーナーはどこですか」と、東京堂の店員に尋ねたところ、店員がさっさと案内した。詩集ではなく、刺繍の本がぎっしり詰まった一角へ。「ししゅう」と云ったのだから、「刺繍」コーナーへ案内されても、間違いではない。
ただ、詩では、女が尋ねた「ししゅう」は「刺繍」とだけ、思い込まれたことに、「正しいか しくないか」と、釈然としない気持ちもつづっている。その後の心の動きや発想が、さすが、茨木のり子らしい。
「ししゅう」(詩集と刺繍)は「共にこれ/天下に隠れなき無用の長物/さりとて絶滅も不可能のしろもの」と、次元を変えて、その性格を伝える。さらに最終連で「言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ」とも。ニヤリと微笑む不敵な面構えの茨木のり子が思い浮かぶようだ。
「刺繍」から言葉で刺しかがらんとする詩を思い浮かべていく、そういうところが「戦後詩の長女」と評された非凡な詩人なのだろうな。そう思って読んだ詩「詩集と刺繍」。私も別な機会で、こんな別の角度へ、別の次元へ、別のベクトルへ飛んでいく詩を書きたいと思ったことだった。
詩 詩集と刺繍
茨木のり子
(全6連の後半、4、5、6連のみ)
礼を言って
見たくもない図案集など
ぱらぱらめくる羽目になり
既に詩集を探す意志は砕けた
二つのししゅうの共通点は
共にこれ
天下に隠れもなき無用の長物
さりとて絶滅も不可能のしろもの
たとえ禁止令が出たとしても
下着に刺繍する人は絶えないだろう
言葉で何かを刺しかがらんとする者を根絶やしにもできないさ
せめてもとニカッと笑って店を出る
« 霧降高原に初雪 本格的な冬の始まりに雪見酒へ | トップページ | 「三代目」が経営披露パーティ 霧降高原のホステル「鳴沢ロッヂ」 »
「歌・唄・詩」カテゴリの記事
- 戦中戦後に戻る 詩 マスク(2020.07.13)
- 子規想いつぶあん食す梅雨の空 森まゆみ「子規の音」を読んで(2020.07.11)
- 不要不急胸を当てれば我が事か サイクリングで吟ず(2020.07.09)
- 泪降る九州にまた豪雨 サイクリングで読む9句(2020.07.07)
- 深々と雨の緑の文庫かな 梅雨空に一句(2020.07.06)
« 霧降高原に初雪 本格的な冬の始まりに雪見酒へ | トップページ | 「三代目」が経営披露パーティ 霧降高原のホステル「鳴沢ロッヂ」 »
コメント