これがB29 これはグラマン 「65年目の『遺言』」に詩「音楽の時間」
(17歳のとき、名古屋空襲で足も恋も奪われた松野和子さんを軸にした戦争企画「65年目の『遺言』①」=朝日新聞6日付夕刊3版 クリックすると写真が拡大します)
詩 音楽の時間
黒川純
Cジャムブルースにブルー・トレーン
Tシャツで春風を誘った青年時代
ジンとプカプカが一緒だった深夜
モダンジャズを枕に夢に沈んだ
すると セピア色した木造校舎の
小学校の音楽教室が浮かんだ
先生がピアノで和音を響かせている
身震いする地鳴りのような金属音だ
今度はLPレコードを回している
やはり ゴーゴーという嫌な音だ
どこか遠くから降ってくる轟音だ
それぞれの音を聴き分けなさいという
先生が再びピアノを弾いた
聴き逃したら やられてしまう
子どもたちが真剣に聴いている
これがB29 これはグラマン
美しい和音の世界に分け入り
心を揺らす歓びを覚えるためでなく
襲ってくる機種と編隊を知るために
虎狩りのような和音を教育したのだ
それから65年
2010年冬
薪ストーブが燃え盛る寓居で
私はインザ・ムードを味わう
(黒川純詩集「怒りの苦さまた青さ 詩・論「反戦詩」とその世界」 2004年9月の同題を改稿)
12月15日は太平洋戦争開戦日。敗戦記念日の8月15日はもちろんだが、この日も忘れてはならないだろう。戦後生まれの私だが、戦時を生きた父母や縁者らから、体験を聴き、歴史から学んでいる。
だが、知るのは膨大な体験の一部だ。空襲もそのひとつ。東京大空襲はよく知られているが、そんな空襲があり、そんな大変な目に遭った人もいたのか。この時期、そういう思いを抱いた新聞記事に出会った。
朝日新聞6日付夕刊の「65年目の『遺言』①」だ。約1000人が死亡・行方不明になったとされる名古屋空襲の犠牲者を軸に、空襲被害者の援護を求める動きを伝える記事だ。
空襲が、いかに悲惨か。記事はそれを、岐阜県の老人介護施設で暮らす松野和子さん(83)の例からとりあげている。1945年3月の名古屋空襲のとき松野さんは17歳。3歳の弟をおぶって逃げる際、降り注いだ焼夷弾のどろっとした油脂がつき、もんぺを燃え上がらせた。
病院に運ばれたが、化膿で両足は丸太にように膨らみ、高熱が出た。ノコギリで両足を切断された。切断面の化膿が止まるまで7年かかったという。記事の見出しはこうだ。「空襲が奪った 17歳の足も恋も」。
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