胸のうちに痛みのような感覚が広がっていく 浅川マキの世界(1)
(伝説の歌手 浅川マキの決定版オフィシャル・ベストアルバム 「浅川マキ Long Good bye」)
「これで俺たちの青春も(青春というより、青春の記憶か)ついに終わったのか」。そういう哀しい思いを抱かせた。大袈裟でもなんでもない。そういう感覚を覚えている。ほぼ1年前の2010年1月17日。歌手・詩人、浅川マキが亡くなった。名古屋での3日間公演の最終日、宿泊先のホテル自室での急性心不全だったという。67歳だった。
たまたま、先日、今市の本屋さんをふらっと、のぞいていたら、新刊コーナーに『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社)。初版1月25日とある。まだ店頭に出されたばかりだ。
上野千鶴子、奥成達、三田誠広、平岡正明、最首悟、田中優子、加藤登紀子、小椋佳、山下洋輔、長谷川きよし・・・・・。いやいや、そうそうたるメンバー。「さまざまなジャンルの執筆者が、伝説の歌手・浅川マキをとおして、60年代、70年代という≪時代≫を鮮やかに切り取ったエッセイ集」。
その本から彼女のオフィシャル・ベストアルバム「浅川マキ Long Good bye」(2枚組・全32曲)が発売されていることを知った(発売は昨年10月ということなのだが、これまで知らずにいたのだった~)。今市で掘り出し物の中古レコードを扱うお店に顔を出す際は「浅川マキのCDないの」というのが、このところの口ぐせだった。だが、ご主人から返ってくるのは「それがなかなか出ないのだよ」。
浅川マキはたくさんのレコードを出しているが、熱烈なファンはそれを中古市場に出したがらない(のだと思う)。ということで、さっそく、彼女のCDを注文(レコード屋の若い女性は「アサカワマキ?どんな歌手?」という顔で、「アサカワマキ」と打って、発売状況を検索していたのだ~)
「入荷しました」。その連絡を受け、本日28日はそのCDを買いに。CDの解説でも読もうと、今市の日光珈琲へ(なにしろ、懐かしい雰囲気があり、落ち着けるお店なので。浅川マキのことを考えるなら、このお店がピッタリと。そして、この店でこの本を読み終えないと、次のブログは書けないと思ったほど~)。そこでCDの解説を読み始めたら~。
「えっ、まさか、浅川マキさんですか?」。珈琲を運んできたお店のうら若き女性から、こんな声(テーブルの上にCDと『君は浅川マキを聴いたか』を広げていたところ)。「そう、今買ってきたところ。暗そうな歌が多いのだが、そんなに若いのに知っているの?」
すると、彼女は「つい最近、浅川マキさんの歌を(ラジオだったかで?)聴いて、衝撃を受けたので(ショックだったか、びっくりしたかだったか、かなり印象に残ったという言い方だった)」
で、砂時計は「へぇ~、聞いたというのは、どんな歌なの?」「確か『かもめ』」「それは代表曲だね。詩を書いたのは、あの寺山修司なんだよ。寺山は劇団『天井桟敷』を主宰する一方・・・」というように浅川マキから、思わぬ展開になっていったのでした(寺山修司の『書を捨てよ、町に出よう』『家出のすすめー現代青春論ー』『青女論』は今でも面白い~いずれも文庫本で手にできる)。
彼女も偶然の場面に不思議さを感じたようだが、私にしても思わぬやりとりが面白かった。浅川マキの死後1年、欲しかったCDを手にし、その解説を読もうとしたところ。そこで、今から40年前、特に1960年代後期に登場し、「アングラの女王」とも呼ばれた浅川マキの歌を、当時まだ生まれてもいない若い女性が最近聴いて、感激したというのだから。
なぜ、浅川マキなのか?。それは今後にするとして、CD『Long Good bye』の最初の曲「夜が明けたら」(作詩作曲・浅川マキ)をアップすることに。唄(歌というより、唄という感じ)を聴いているときは、それなりに長い詩だと思っていたが、実は20行の短い詩だったのだ。それも浅川マキか書いた詩だということは、知らなかった(「かもめ」や「少年」「別れ」などもそうだが、代表曲だというのに~)。
唄 夜が明けたら
浅川マキ
夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちょうだい
私のために一枚でいいからさ
今夜でこの街とはさよならね
わりといい街だったけどね
夜が明けたら一番早い汽車に乗って
いつかうわさで聞いたあの街へ
あの街に行くのよ
いい人が出来るかもしれないし
ンーあの街に行くのよ
夜が明けたら一番早い汽車に乗るわ
みんな私に云うの
そろそろ落ち着きなってね
だけどだけども人生は長いじゃない
そう あの街はきっといいよ
夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
切符を用意してちょうだい
本当本当よお 一枚でいいのよ
いつだって身軽なあたしじゃない
そう乗るのよ
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コメント
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『砂時計主義』で検索させていただきました。今日は記憶に残るワンシーンをとらえたかのような感覚でした。
アンダーグラウンド。浅川さんと共に知った言葉です。お会いできて、気さくにお話くださってありがとうございました。
投稿: ちゃちゃん | 2011年1月29日 (土) 01時24分
ちゃちゃんさんへ
「記憶に残るワンシーン」ですか。表現力が豊かですね。そう、
何か、映画のシーンに使えそうな小さな小さな出来事でしたね。
これから浅川マキについて、たぶん10回ほど書いていこうと思う
ので、ひまなときにのぞいてみてください。
投稿: 砂時計 | 2011年1月29日 (土) 14時40分