しみじみとした「心地よい哀感」 浅川マキの世界(2)
(最新エッセイ集『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社 2011年1月)
「ラジオから浅川マキの歌が流れる。ああ、浅川マキだ、と思う。すると、胸の内に痛みのような感覚が拡がっていく。それは『哀しい』という感情に似ているのだが、少し違う。けっして不快ではなく、むしろしみじみとした『心地よい哀感』といっていいのかもしれない」
最新エッセイ集『ちょっと長い関係のブルース 君は浅川マキを聴いたか』。浅川マキにかかわった、あるいは関心を持っていたたくさんの人たちのエッセイを集めている。そのなかで、砂時計にとって、「そういうことだろうね~」、あるいは「いい云い方をしているな~」というのが、何人か。
冒頭に挙げたのは、そのひとり、団塊世代の三田誠広(みたまさひろ)。「僕って何」。1977年の芥川賞を受賞している。さすが、作家というか、言葉に説得力があると思った。<そうか、『心地よい哀感』か。うまいこと云うな>。そんな思いが浮かんだ。
そのエッセイの小題は「浅川マキの時代」。三田はここで浅川マキについて、「ある特定の時代に関わった個性的なキャラクターだということは間違いない」といい、その「時代」について、こう書いている。
「70年代前半というのがその『時代』だろう。いわゆる全共闘運動が収束し、連合赤軍浅間山荘事件や連続企業爆破事件など、哀しい事件が続いた時代である。ここで『哀しい』というのは、個人的な印象のようでもあるが、わたしが把握する限りは、時代の若者の全体をおおっていた感覚だったように思われる」
「正義の闘いであったはずの学生運動が、ほとんど自滅に近いかたちで消滅しようとしていることへのセンチメンタルな思いが『哀しい』という感覚になって、多くの若者の胸をみたしていたのではないだろうか」
そう、三田と同じく団塊世代で、いわば学生活動家でもあった「砂時計」にしても、70年代前半というより、70年代中盤、何か「哀しい」思いでいた。「運動」の挫折感をどのように処理していくのか、先が視えずにいた。
いわば、自滅的にその日その日を送っていただけだった(ジャズ喫茶店で毎日、午後から深夜までアルバイトし、お客の注文でレコードを回したり、「コルトレーン」や「ミンガス」「キース」「パエウル」「エバンス」「ピーターソン」「パーカー」「コリア」に「マッコイ」「ガレスピー」「コールマン」など好きな演奏家のレコードを回していたりした)。
浅川マキの歌については、1970年前後から聴いており、当時持っていたたった一枚のレコード「浅川マキの世界」(「夜が明けたら」などの代表曲が入っていたので、このレコードだったと思う)を下宿先の6畳(家賃1カ月1万円)で繰り返し聴いていた。
それから数年後、東京の書籍倉庫の3畳(ようするにフォークソング「神田川」の世界。それも倉庫の隅の三角形の三畳。あるのはトイレだけ)で暮らしていたとき、彼女のライブへ。当時、恒例となっていた新宿紀伊国屋ホールの大みそかライブだ。いまでも耳に残っているのは会場で演奏者を紹介するマキの声。「つのだひろ!」。
浅川マキには紹介したいたくさんの歌があるが(スナックのカラオケでは、だいたい「かもめ」と「夜が明けたら」ぐらいしかないが~)、ここではリズム感にあふれる明るい哀しい歌「ちっちゃな時から」。作詞は浅川マキ、作曲はむつひろし。
1、2、3番あり、詩でいうと、あわせても24行。その出だしの「ちっちゃな時から」と投げやり的に歌うその声がいい。なかでも3番がなんともいえない。「ちっちゃな時から/可愛いお前だ/何かあったら来な/こんな俺だけど/さよなら/夕焼けがきれいだよ/泣くなんて/お前らしくもないぜ」
浅川マキの紀伊国屋ホールコンサートを聴いたのは、確か25歳ぐらい。つまり1975年か。それから四半世紀以上過ぎて、いや、30年近く過ぎて、このときのことを思い浮かべて書いたのが、詩「出会ったあの人」。季刊詩誌「新・現代詩17号」(2005年6月)に寄稿した。詩というより、ドキュメントに近い。こちらの人だけが「いい詩だね」と言ってくれているだけだが、私としては好きな詩だ。
詩 出会ったあの人
黒川 純
君たちの様子が好きだなあ
ゆったりしている雰囲気がね。
何だか幸福そうに見えるから
浅川マキの歌に感激した大晦日
山手線の車内の隅っこにいた
スーツにコート姿の中高年が
ほろ酔いかげんの柔らかな声で
それとなく私たちに声をかけた。
駆け落ち同然に首都に向かい
古い倉庫の3畳が世界だった。
今だけに向き合う都会暮らし
半年先の漂流先はどこなのか
それさえもまったく予測できない
そんな若者に共感を寄せるとは
狐につままれた思いもしたが
元気づけられたとも語り合った。
あの夜からたくさんの年が過ぎた今
あの中高年に出会うようになった。
何だか疲れを覚えた晩の夢の中
そのまま豊かになりなさいという
あのときも初めて会ったのに
何だか懐かしい人に会うようだ。
それはどうしてなのだろうか
その中高年をこわごわ注視すると
未来の私であることに気づかされた。
あのときの大晦日の山手線の一瞬
貯金通帳を持つなど とんでもない
どん底状態の私たちを励まそうと
私が 私たちに会いに行ったのだ。
今をよく生きて万華鏡を大切に、
のびやかさと悠々さを忘れるな、
希望と絶望に揺れてもいいのだと
それを若さの特権に終わらせるな
数十年の時間を飛び越え
私が若いわたしに伝えたのだ。
(「浅川マキの世界(3)」に続く)
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コメント
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ここで私が大好きな例の詩を掲載してください、、、
投稿: 三代目でございます。 | 2011年2月 3日 (木) 23時10分
三代目さま
私もちらっと、その詩を掲載しようと思ってはみたのですが~。
やはり乗せましょうかね。しばしお待ちください。近日公開へ。
投稿: 砂時計 | 2011年2月 3日 (木) 23時58分
この詩はなんか、、、
いいなぁ~
理屈じゃなくていいんですよねぇ~笑い
最近、近年まれに見る苦学生に会いました。
牛乳を薄めてすするという生活らしい、、、
しかし、彼女の作品(切り絵)はまさに狂気と正常のはざま、、、
一枚思わず買いましたがこれはまさに天才のなせるわざ。
正常だとたぶん生み出せない切り絵です。
必見です。
バーに飾ってあります。
すごすぎて誰も切り絵だと思わないのですけどね、、、笑い
投稿: 三代目でございます。 | 2011年2月 6日 (日) 01時18分
今、10回読みました、、、
泣けるなぁ~
何度呼んでも泣ける。
今さっき、、、
深夜12:30分になんの前触れもなくポーランドの方が飛び込みでやってきました。
寝てたんですけど部屋を暖めたりなんだりで眠れなくなってしまいウイスキー片手に詩の朗読。
それも音読10回、、、笑い
投稿: 三代目でございます。 | 2011年2月 6日 (日) 01時24分
三代目さま
10回もですか?。これから前もこれから先も、それほど読んでくれる人は
でないでしょう。ありがとうございます(詩というより、夢も含めて、実際の体験を
そのまま書いているから、わかりやすく、共感しやすいのかもしれませんが~)。
それはそれとして、正気と狂気のはざまで書いているという「切り絵」、早く観賞
にうかがいたいと思います(お預かりしている高価な絵画の引き取りも。薪ストーブの
薪がどうも足りない状況なので、まずはベランダをはがしてさらにその次はとい
ときの有力な候補になりかねませんので~笑い)
投稿: 砂時計 | 2011年2月 6日 (日) 21時48分