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2011年2月12日 (土)

何処で暮らしても同じだろうと 浅川マキの世界(4)

Dscn0463 (浅川マキのエッセイ集『こんな風に過ぎて行くのなら』 石風社 第2版・2004年7月)

 

 「最近わたしは何処で暮らしても同じだろうと思っている。きのうまで、何とかやって来た。そんなことを友達にはなしてみたら、笑って言うことには、『おまえさんは、もう終わっているよ』。それじゃ、あんたはどうだって言うの、『おれも終わっているのさ』」

 「わたしは歌謡曲の詞が好きだ。だから、こうしてへたくそなのを書いて、ピアニカでメロディをつけてみる。ビリー・ホリディは、いくつかのブルースと『奇妙な果実』以外は、ほとんど当時の流行歌しか唄わなかった。しかし、ビリーの口をついて出る時、それはみんなブルースだ」

 浅川マキのエッセイを集めた『こんな風に過ぎて行くのなら』。そのなかの「ビリーなら今頃どっかの港町」にある小文だ。これを挙げたのは、冒頭の「最近~」と「わたしは~」の間に、私の好きな「少年」(作詩・作曲 浅川マキ)が掲載されているためだ。

 この歌を繰り返し聴いていたり、口ずさんでみたのは20代中盤。それから数十年後の今でも、中高年のいつもの仲間が先に一杯やっているだろうと思われる近くのイベントハウス「幾何楽堂」や居酒屋などに行こうとするとき(それも月に1、2回だが~)、この歌詞が思わず、口をついて出ることがある。

詩 少年

           浅川マキ

夕暮れの風が ほほを撫でる

いつもの店に 行くのさ

仲のいい友達も 少しは出来て

そう捨てたもんじゃない

     さして大きな 出来事もなく

     さのひとは  いつだってやさしいよ

     何処で暮らしても 同じだろうと

     わたしは思っているのさ

なのに どうしてか知らない

こんなに 切なくなって

町で一番高い丘へ 駈けてくころは

ほんとに泣きたいぐらいだよ

     真っ赤な夕日に 船がでてゆく

     わたしのこころに なにがある

 歌に直接的なメッセージがあるわけではない。日々、揺れている若者にとっては、何だか、しみじみと聴いたり、歌ったりすることができる。「どこで暮らしても、同じだろうと」、思いながら、でも、何かが足りないとも。そんな揺れる心を絵画のように歌っている。

 ネットで「浅川マキ」を検索していたら、この「少年」について、書いているブログに出会った。「五線譜の夜盗」という音楽に詳しいブログだ。どんな人がアップしているのか、知らないが、連合赤軍の永田洋子の病死について、「死刑囚が獄中で病死するという、ある種不条理ともいえる結末に複雑な思いを抱く」と書き、さらに「このところ、浅川マキばかり聴いている」とも。

 そのなかで「五線譜の夜盗」は「『少年』という歌がいい。戦後世代への挽歌のようだ。浅川マキの真髄を知るのが遅すぎだ。ぼくはこのことを深く恥じる」とも。

 う~ん。戦後世代の挽歌、追悼歌か、いや、悲しみを歌った歌か。そうか、なんともいえない悲しみかも。そういえば、フォークルが歌った『悲しくてやりきれない』(作詞はあのサトウハチローだ、この歌は悲しすぎるが)も、この系列に入るかも。

 若いとき、理由もなく(探っていくと、理由はある程度わかるのだが~)、感傷的になったとき、この「少年」は、すごくぴったりした。それも浅川マキが歌うその歌詞を口ずさむことで(と、書いているうちに、そのことを思い出した~)

(「浅川マキの世界(5)」に続く)

 

    

 

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詩人」カテゴリの記事

コメント

砂時計さん、こんばんは。お久しぶりです。
昨日はこちらも少しだけ雪が降りました。
昨晩もコメントいれたのですが消えてしまったようなのでまた入れてみますね。
浅川マキはけっこう聞いたのですが、その直後に出てきた森田童子はあまり聞いていませんでした。
何日か前、森田童子の話題がTwitterで流れYou Tubeをうろうろしていたら貴重な動画がありました。
動く森田童子というのはあまりみたことなかったですね。
浅川マキに比べると死に向かうベクトルが強い森田ですが、詞はなかなか考えられていますね。
まずは有名なこれから。
http://www.youtube.com/watch?v=KF77sQz1hIQ&feature=related
こんなのもありましたね。
http://www.youtube.com/watch?v=fkjorYBV0uc&feature=related
そして貴重なドキュメンタリーです。
http://www.youtube.com/watch?v=NILp9TG7YJw
http://www.youtube.com/watch?v=F58bfy_D1Lw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=NaP6P1clws4&feature=related

今晩は・・。
今日、氷室の番屋でお会いした時に、なぜか「チコン、チコン」という信号が頭の中で鳴り響いておりましたが、その実態が判りませんでした。
今その信号の意味が判明いたしました。
あまりにも多額の借金を砂時計さんからしてしまったために、それを思い出すことを脳が拒否してしまったというのが真相でした。
次にお会いした時に「リボ払い」でお返し致します(笑)。

漂ふさま
そうか、漂ふさまには貸金があったのか。あまりに「多額?」
だったので、私も忘れていました。思い出したときに「リボ
払い」で(笑い~)でお願いします。

ナガシマさま
いや~、森田童子の歌や貴重な動画を見ました。活躍したのは
1974年から1983年ぐらい(資料によると、確か~)とか。その頃の私は
大半が東京暮らし。80年代に宇都宮に。だったのですが、森田童子
は知らずじまい。その後、名前だけは何度か聴いたことがあるが、
そのままに。今回初めて、その歌を知り、リアルタイムで知っておく
べきだったな。そう思っています。素顔を見せないというスタイルも知りました
(かっこいいですね~)、早速、本日、音楽店で「ベストコレクション」(お店によると、CDで発売され、手に入るのは、現在、これだけなのだという)を注文しました。
浅川マキとは違う、暗いけれど、直接的な魅力があるように感じます。
紹介ありがとう。いずれ、ブログにも登場させたいと思っています(森田童子はネットで検索すると、現在59歳、主婦とのこと。歌からはなにか想像できませんが~)。間違いでなければ、確か、ナガシマ君も学生時代、森田童子のような
カーリーヘアーのスタイルだった記憶があるのですが~。

カーリーヘアー。
そうなんですね。あそこまで極端ではないのですが天パーだったのでのびると凄いことになっていましたね。
森田童子をもっとほっそりさせるとちょっと似ている感じです。というか、ナガシマの妹とか檄似ですね。あごのしゃくれ加減とか。
当時はおそらく暗く死の匂いの濃厚さが鼻について聞かなかったのでしょう。
あとはちょうどそのころに叙情との決別みたいのが自分のなかにあったのが大きかったのかも知れません。
でもいま聞くと危険な蜜の味が感じられます。
どっぷりとヒッピーもどきやっていてころに引き戻されますね。

ナガシマさま
ユーチューブで何曲か、ほかの曲も聴きました。「パクられた」
とか「赤ヘル」とか「一発」、「高橋和己」とか。ふつう歌にできない言葉
をそのまま使っている詩が印象的です。メロディも暗く。もう少し
若かったら、私はどっぷりだった、と思います。私もあの頃は長髪そのもの。
ヒッピー的活動家でしたから。大学祭で「戦艦ポチョムキン」を上映し、
「山下洋輔トリオ」を呼んだのもその流れ(後年、その坂田明さんと温泉に
泊まってジャス関係者ら何人かと痛飲するということも)。そうそう、森田童子は
中性的魅力が。高校生に見えたり、中高年に見えたり、不思議な雰囲気だと
思います。「カーリーヘアー」のナガシマクンはそうだね、確か天然だった。「危険な蜜の味」。ふ~む、私はまだそこまで聴いてはいません。さぁ、マジに聴いたらどうなるか?。

そうそう、その学園祭に友だちとの臨時グループで出て君が代をアメリカ国家のメロディで歌ったのですが、そのあと日本拳法部がナガシマという学生を捜していると聞いて驚いたことがありました。
確かもう一人の冨岡君がその情報を伝えてくれてように思えます。
いまやある種の人々にとって伝説となっている鈴木いづみの講演もありましたね。
あのころの大学は面白かった。

ナガシマさま
えっ~。そんなことがあったの。それは初耳。覚えているのは、大講堂で上映した
「戦艦ポチョムキン」を若くして亡くなった当時、自治会副委員長のイソザキと2人で
見ていたこと(その後は例の混乱へ。その事件を共有している仲間を中心に「序説」
ができているのだが~)。鈴木いづみの講演は企画した覚えがあるが、(私は大学
祭副実行委員長だったから)、聴いてはいない。いずれにしろ、私たちはいわゆる「過
激派」といわれた時代だったが、反体制はもちろんだが、もうひとつの心情としては、
自分の大学をフツウの(当時のね)大学にしようとしていたのだ。教授会を監禁して
団交したり、学内をデモったり、臨時学生大会を開いて長期ストを提案したり。そうそう、
そのとき監禁された大ぜいの教授たちの1人は「あなた方のそうした世の中や大学への批判や行動があったことが、そのころの大学としてはよかったのだ」と、後年になって、
話してくれた(安保闘争世代のその教授は今は「序説」の同人のひとりなのだが~)。

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