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2011年2月17日 (木)

せめて最後にラスト・ワルツ 森田童子の方へ(2)

Dscn0482 (友人の詩人、磯山オサムクンが郵送してくれたCD『森田童子 ベストコレクション』)

 暖かさで屋根の雪が「ドドーン」という響きとともにベランダへ。晴天の17日、その雪かきをしていたら、茨木の詩人、磯山オサムクンから郵便物が届いた。<もしかしたら~>。開けてみたら、やはりそうだった。森田童子のCD「ベスト・コレクション」が一枚と短い手紙が入っていた。

 森田童子のCDをレコード屋さんに頼んだら、「廃盤になっており、注文できません」。そのことや「CDを貸してくれるエライ人はおりませんか?」とも、ブログに書いていた。さっそく、群馬のナガシマクンが中古CD販売先をコメントで教えてくれていたところだった。

 さらに森田童子のファン、磯山クンはCDそのものまで送ってくれた(「プレゼントです」と書いてはあったが~)。いや、ありがたい。CDに添えてあった短い手紙には、この「ベスト・コレクション」(全13曲)の各曲について、簡単なコメントが、こう書かれていた。

 「森田童子は ボクがボクであり続けるために です。『ぼくたちの失敗』は 気はずかしいです。『雨のクロール』は ほっとします。『さよならぼくのともだち』は、GOODです。『ラスト・ワルツ』は、あの時代にサヨナラしようとした童子のメッセージでもありましたが、愛悟(?)あるものです」

 夜になって、このCDを聴いてみて、磯山クンの感想が<なるほど>と、思われた。特に「ほっとする」という『雨のクロール』は、いやがうえにも童子の透明な声とメロディがあっており、ゆらゆらと聴くことができる(ほんとうはものすごく悲しい歌なのだが~。それでも、劇画家・つげ義春が描いたザーザー降りの雨の中、クロールで海を泳ぐ印象的な大きなカットが想い浮べられるほどだ)

 でも、この13曲の中で一番、気に入ったのは「ラスト・ワルツ」。ここでの童子の声は今にも壊れそうな声で歌う「ぼくたちの失敗」のようではなく、かなり落ち着いて歌っている(ように聞える)。

 「すべてが終わる」「すべてが遠き」「すべてが帰らぬ」「せめて 最後に」・・・・。もうほとんど落ちて行くトーンだが、歌の文句ほどには物悲しくはならない。あえて言えば(今は文化財的になっている)「歌声喫茶」で歌ってもいいかもしれない曲調だ(いや、やっぱ無理かな~)。

ラスト・ワルツ

         作詞作曲 森田童子

美しき明日に

ついても語れず

ただあなたと

しばし この時よ

すべてが なつかしき

この時よ

すべてが終る この夜に

せめて 最後に ラスト・ワルツ

(2番、3番 略)

 「森田童子研究所」にある笠井嗣夫さんの評論「『森田童子』 あるいは共犯幻想のこちらがわ」を前回でも紹介したが、今回もこれから、私にとっては<なるほど~>と思われる指摘を紹介したい。

 私がこの夜、聴いた「ベスト・コレクション」には「蒼き夜は」(たぶん、歌詞的には、彼女の代表曲かもしれないと、私は感じたが~)。この歌は彼女の3枚目のレコード「a boy ア・ボーイ」に入っている。

 笠井さんは「蒼き夜」も入っている3枚目のアルバムの持つ「哀切な情感」を、少し長いが、以下のように、こうとらえる(「ベスト・コレクション」も多くがそうした「哀切な情感」、いや、というか、「寂寥感」に満ちた歌といった方がふさわしいかもしれないが~)。

 このアルバムのもつ哀切な情感は、恋愛体験を表層的モチーフとしながら、どうじにラディカリズムという観念との別れあるいは喪失の感情が歌いこまれていることからくる。「明日になれば/ぼくたちは/ひとり どうして/生きるだろう」(注・3枚目のアルバムにある「君と淋しい風になる」のフレーズ)ということばには、信じようとしたもの(=ラディカリズムとしての観念)と別れて日常へともどっていかざるをえないものの深い喪失感がある。そのとき、「淋しい」かれらに残されているのは、ただ「軽やかに踊る」ことだけだ。70年代後半から80年代前半にかけて活動した森田童子という歌手のもつユニークな位置と、10数年の月日を経た現在において彼女の歌を感受するときのむずかしさの理由がここにある

 「ラスト・ワルツ」(1980年の5枚目のアルバム)では、「きみ」ではなく、「あなた」と呼びかけられているが、笠井さんの評論のように、それを「ラディカリズムとしての観念」との別れと、受け取れば、その意味がさらにうまく呑み込めることになる。

 磯山クンは私への手紙で、「ラスト・ワルツ」について、「あの時代にサヨナラしようとした童子のメッセージ」とコメントしているが、確かにそのように語られた歌なのだと思う。それにしても、なんというもの悲しく、か細く、透明な声で歌うのだろうか、森田童子は。

 そして、森田童子は歌詞によって、声のトーンが、かなり変わっている。聴いた人はわかるだろうが、微妙な「七色の声」のように思えるのだ。あるいは、彼女自身が歌詞によって、変えていたのか?、歌によって、自然にそういう声にならざるをえなかったのか?(その声の変化に私は関心があるのだが~)。

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コメント

いやはやなつかしい。
あの世界観は大好きでした。
もちろん、ドラマ主題歌よりずっとず~っと昔から。
森田童子と山崎ハコは、自分の分身のような言葉たちでした。
なんだか気恥ずかしくて、聴いてるって、堂々と人には言えないこっそり感がまたよかったなぁ。

ふなどんさま
おひさしぶりですね、お元気ですか(仕事はまじめにやっていますか、
というべきかな)。それにしても「主題歌」よりも
ず~とず~と、以前から聴いていたのですね。それはすごい。
私は森田童子が活躍していた時代は「猛烈サラリーマン」時代
に入ろうとしていたためか?、その接点がなかったようです。
童子がやめるころがバブルの序曲が聞えそうな季節というのが、象徴的ですね。
それからはもう童子的な構えは「時代遅れ」という空気があったのでしょうか?。
ただ、彼女の歌は(追憶を含めてか)、年を重ねても、
いや、年を重ねることで、童子の歌の良さがわかってくる、そんな気がします。
もうこの年代になると、「気恥ずかしい」のを、越えていくからかもしれませんが?。

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