心の底の何かを引き剥がず 森田童子の方へ(4)
(なんと!「昭和なつかしニッポン・フェア」で並べられていた『全共闘』 初版2003年5月・河出書房新社)
A 「全共闘のイメージはまだ残っているらしくて、理念の展開力とか突出力とか行動力とかを期待したり恐れられたりしている人もいるようだ。でも、何かやればやったで、また誰にも理解されずに孤立していくのかなって考えるだけで、もうかなりメゲルよね」
B 「そう、そんな気分が蔓延しているんだろうね。誰も何も言わない情況が続いている。だから世間のある部分では、団塊の世代を指して、期待はずれとか、エネルギーがないとか、めざわりだとか、勝手なことをいうようになっている」(いずれも『全共闘』・茜三郎、柴田弘美の共著から)
浅川マキの最初にして最後のオフィシャル本という『ロング・グットバイ 浅川マキの世界』が入荷したというので、27日、今市の書店に受け取りへ。ふらっと、店内を歩いていると、「昭和なつかしニッポン・フェア」のコーナーがあった。
『ちゃぶ台の昭和』『思い出のリカちゃん』『竹久夢二のおしゃれ読本』などが並べられていた。その中に、なんと~、『全共闘』もあり、びっくり。というか、のけぞってしまった。<そうか、全共闘は、昭和なつかしのニッポンなのか>と。
もともと、「森田童子の方へ」というものをアップする場合、いろいろな哀しいことがあったであろう学園闘争に触れることになるだろう、そう思ってはいた。それは彼女の代表曲をさらにアップしてから。そう思っていたが、1970年前後の学生運動が「昭和なつかしのニッポン」になっているのを知ったからには~(なにしろ、懐かしになってしまうのだから)。
ということで、友人のナガシマクンも磯山クンも私に紹介している『球根栽培の唄』をアップすることに。童子は7枚のアルバムを出しているが、ウィキペディアによると、この歌は最後の「狼少年 Wolf boy」(1983年)のアルバムに収められている(私は初期かなと思ったのだが~)。
全共闘時代を歌ったと思われる「球根栽培の唄」だが、その当時からもう10年以上も過ぎたところでのアルバムなのだ。いや、それからかなりの季節が過ぎたところで歌われ、聴かれたところがポイントかもしれない。というのも、例のブログ「森田童子研究所」のエッセイ・評論で、こんな鮮やかなエッセイを読んだからだ。
「前衛的パンクバンド『非常階段』」によるレコードレビューから。森田童子研究所によると、「転載にあたっては、JOJO広重さんから許可をいただいた」というから、その評論だ(この「砂時計主義」での転載で問題があったら、連絡をください)。以下は童子の最初のアルバム「グッド・バイ」について、JOJO広重さんの見方だ。
「友人の自殺をきっかけに歌いはじめたという森田童子は、75年にこの衝撃的なアルバム『グット・バイ』でデビユーする。透き通るように清い声、学生運動が敗北した後の時代を生きる「若者」の空漠感を象徴的に描いた歌詞、真っ黒のサングラスと中性的なルックスは、消えゆく70年代の重さと、80年代の空虚な明るさの裏に潜む暗い本質を凝縮したような、聞く者の心に突き刺さる歌と相まって、非常に鮮烈なシンガーとして歴史に名を刻むことになる」
「球根栽培の唄」では「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし」とか「ガリ版刷りのアジビラが風に舞う」、あるいは「孤立無援の命が燃えて」など、当時を知る、いや体験した者には、なんともいえない感覚を、いやでも思い起こさせる。「心の底から何かを引き剥がす」、「球根栽培の唄」は、そうした詩だ。
JOJO広重さんは、さらに以下のような見事な解説をしてみせる。ただし、私には「心の底の何かを引き剥がす」までは、そうだろうと思うが、それに続く「強烈な淋しさ」については、えっ、そうかな?、という反応になってしまう(それを、何といったらいいのかな?~)。
「歌の中に心の痛みを歌ったシンガーは多いが、森田童子のように、だれもが若かったことを思い出させるような、心の底の何かを引き剥がす強烈な淋しさを感じさせる歌手は他には存在しない。今生きていることの嘘臭さ、自分という存在の空っぼさ、友人や恋人との別れや喪失感を一度でも感じることの出来た人間なら、森田童子の歌に、自分の内側の大切にしておきたい気持ちの何かを発見することが出来たのである」
« 「幸せ」ってやつが あたいにわかるまで 故・西岡恭蔵の「プカプカ」 | トップページ | 霧降高原は白い世界に 今冬3度目の本格的降雪 »
「詩人」カテゴリの記事
- 「詩と思想」コラム「詩人の眼」 3月号原稿を20日に送稿ー。(2015.12.21)
- 「3・11以後」の詩の講演へ 栃木県現代詩人会で(2014.10.29)
- 詩と平和をー九条の会・詩人の輪 5日に北上の日本現代詩歌文学館で集い(2011.11.02)
- 流れ着いた海岸の向こうへ 詩人を偲んで・清水昶ノート(4)(2011.07.18)
- どうやったら心地いい歌をうたえるかってことを 浅川マキの世界(8)(2011.03.10)
コメント
« 「幸せ」ってやつが あたいにわかるまで 故・西岡恭蔵の「プカプカ」 | トップページ | 霧降高原は白い世界に 今冬3度目の本格的降雪 »
最後の一行はどうあれ、やはりjojoさんは森田童子を的確に捉えていたのですね。
前々回のポストとの繋がりをお忘れかも知れませんが、例の森田のカヴァーはjojo広重さんの別ユニットです。
あ、彼を知る一助にと裁判の様子を。
http://www.ustream.tv/recorded/12500657
投稿: ナガシマ | 2011年2月28日 (月) 09時58分
ナガシマさま
JOJO広重は前にナガシマクンが紹介していた「ノイズ」の彼という
のは知っていました。さすが、というか。というのは、森田童子研究所に
はいくつかのエッセイ・評論がありますが(かなり長い対談なども)、その
中でも一番、童子をきちんと、とらえていると思いました。文才というか、
言葉やイメージが豊かなのだと思います。もう少し、彼の指摘をとりあげ
たいとも思っています。「裁判」については参考にさせていただきます~。
投稿: 砂時計 | 2011年2月28日 (月) 13時53分
なるほど。
さて最近のヒットは、神聖かまってちゃんと相対性理論。
一部の若い人のあいだでも人気があります。
かまってちゃんの初期衝動と相対性理論のポエジー。
http://www.youtube.com/watch?v=NXT9rz8BErk
http://www.youtube.com/watch?v=V5zJmeqFd0Q
投稿: ナガシマ | 2011年2月28日 (月) 14時43分
ナガシマさま
ふ~ん・・・。神聖かまてっちゃんも相対性理論も聴きましたが
(相対性理論は「LOVEずきゅん」も)、う~んという感じ。ロック
がもう身体に浸透してこない精神構造になってきたかも。でも、
若い人に人気があるというのは、わかる気がします(バックの
映像が何だか、新鮮でした。映像といえば、ナガシマ監督作品
もネットで見られるのかな?)
投稿: 砂時計 | 2011年2月28日 (月) 17時15分