「幸せ」ってやつが あたいにわかるまで 故・西岡恭蔵の「プカプカ」
(2月26日付「朝日新聞」・「be」の「うたの旅人」に掲載された名曲「プカプカ」)
<リビア革命の流血はどこまで続いてしまうのか?><ニュージーランド・クライストチャーチの捜索はどれくらい進んだのか?>。そんなことを思いながら、26日の朝日新聞朝刊を開くと、飛びこんで来たのが、別刷りの「be」。トップ記事の連載「うたの旅人」だった。
そこに、シンガーソングライター西岡恭蔵の歌が!(25日の朝日新聞夕刊 ウーマンリブ運動で知られた田中美津のコラム「永田洋子死刑囚の死に 女でありすぎた彼女」も、興味深かった~夕刊は一日遅れで配達されるので~)。
そうそう、本題の「うたの旅人」の見出しは「『あん娘』のモデルは誰 西岡恭蔵・作詞作曲『プカプカ』」。40年近く前に作られ、いくつかの「伝説」を生んだのが、和製ブルースの名曲「プカプカ」だ。春山陽一記者の書き出しはこのようだ。
この記事によると、「あん娘」のモデルは、ジャズ歌手の安田南さんだとうわさされたという。私のカラオケの「十八番」が、この「プカプカ」なのだが、だれがモデルか、なんて気にはしていなかった。ただ、それが安田南だというなら別だ。
劇団「黒テントの歌姫」だったというが、私にとっては1970年代のラジオDJの安田南(その後、彼女のジャズレコードも買った覚えがある、CDも持っていたかな?)。ただし、この記事によると、1980年代の初めには「失踪」したのだという。これは初耳だった(いや~、いろいろな興味を封印していたのだな~と思ったことだった)
「プカプカ」が生まれたのは1971年だが、私はほとんどリアルタイムで聴き、好きな歌のひとつになった。当時はまだ学生(といっても、ほとんど全共闘的な生活だったが~)。それから、カラオケで歌いたい気分になると、浅川マキの「かもめ」もそうだが、この「プカプカ」も歌ってきた。
さらにこの歌を作った西岡恭蔵が妻の三回忌に自ら命を絶ったことも、ニュースで覚えている。記事によると、自死したのは1999年4月。50歳だった(もったいない。自殺して、もう10年以上にもなるのか~)。それを知った夜は勝手に「西岡恭蔵追悼カラオケだ」ということで、「プカプカ」を歌って追悼したことを覚えている。
「プカプカ」は詩もリズムもメロディも魅力的だ。詩でいえば、一番にあるこんなフレーズ。「遠い空から降って来るっていう/『幸せ』ってやつが/あたいにわかるまで/あたいタバコやめないわ/プカ プカ プカ プカ プカ」。
「幸せ」が遠い空から降ってくるわけはないが、いつか、もしかしたら、そんなことがあるのではないか、そんな淡い希望みたいなものを感じさせる。だが、最後はかなり意味深だ。歌はタバコからスウィング、男ときて、トランプうらないへ。「あんたとあたいの/死ぬ時わかるまで/あたい うらない やめないわ/スタ スタ スタ スタ スタ」とくる。
リズムは春のように明るいのだが、実はかなり深刻な詩句で終わる。私も歌ってはきたが、最後のフレーズは、いつも少しだけ違和感というか、ザラザラした気持ちになってしまう。つまり、西岡恭蔵は若いときから、死に向き合っていたのだろうな。彼の自殺を知ってから思ってもみたことがある。
ところで、スナックでこの歌を歌っていたら、その店で知り合った高齢者が「初めて聴くけど、いい歌だね~私にも歌わせて」、こうきたもんだ(この人は演歌がうまいため、歌い込むほどにブルースではなく、演歌の「プカプカ」になってしまうのが難点なのだが~笑い。でも、「プカプカ」を好きになってもらい、うれしい)。
それにしても、「プカプカ」をカバーしている歌手がこんなにもいたとは知らなかった。ウィキペディアによると、原田芳雄、桃井かおり、泉谷しげる、つじあやの、桑田佳祐、大槻ケンヂ、福山雅治・・・・・。福山は別にして、なんとなく、「プカプカ」が醸し出す雰囲気が似会いそうな歌手や俳優ばかりだ。そういう引力がある歌なのだと思う。「プカプカ」は。
ということで、今夜は日光市内のスナック「藍」へ(「砂時計」は半常連のひとりです、もっともママに「まぁ、久しぶりね、どこで飲んでいるの」と言われてしまったが~)。ブログにアップした「プカプカ」が好きだという高齢者の兄弟とも、まったく偶然にお店の入り口でばったり。二人の演歌を聴いたうえ、もろろん、私は、ビールと焼酎で少し酔ってから、「プカプカ」を歌ったのはいうまでもない(自慢することではないが~)。
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コメント
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シンクロニシティというかなんというか、ちょうど春一番が吹き荒れた25日にTwitterに彼の「春一番」が流れてきてそれを何十年ぶりに聞いたのでした。
http://www.youtube.com/watch?v=cXuLg297f70&feature=youtu.be
そして今年、そのヤスガーズ・ファームを題材とした映画がやってきます。
http://www.ddp-movie.jp/woodstock/index.html
そうそう、24日に朝日の乳井さんから取材を受けました。
高崎映画祭関連ですが。
砂時計さんを知ってましたね。
投稿: ナガシマ | 2011年2月27日 (日) 01時59分
ナガシマさま
意味ある偶然ですか。私と「プカプカ」の関係もそうなのかも。
何を意味するのですかね。乳井さんの取材を受けたとか。もう
10年以上前、田園都市の乳井さんと厚木の私、川崎、湘南の
各支局長と本番デスクの計6人で朝日・横浜総局のデスクをして
いたことがありました。乳井さんは優しい雰囲気の人柄でしたね。
これも縁のひとつなので(ナガシマクンに送ってもらった「モギマサ
日記」のこともあり)、私も今年はひとつ高崎映画祭に行ければと、
少し思っております。
投稿: 砂時計 | 2011年2月27日 (日) 21時34分
遠いい記憶だけど昔深夜放送(ラジオ)の林 美雄氏が良く紹介してたり番組で原田芳雄氏が生で歌ってたりしたけど たしかあん娘は淺川マキだったと思う。
余りにも昔でうろだ。
投稿: アンドロメダ | 2011年7月27日 (水) 06時40分
アンドロメダさま
そうか、原田芳雄が歌っていた「プカプカ」のモデルは浅川マキですか。
そういえば、浅川マキはたばこが好きで、ヘビースモーカーで知られて
いましたね。浅川マキが逝き、原田芳雄が逝き、あの時代がセピア色に
なりつつあります。
投稿: 砂時計 | 2011年7月27日 (水) 13時01分
はじめまして。
突然のメッセージ失礼致します。
三重県志摩市の岡野と申します。
来春、西岡恭蔵メモリアルコンサートを開催することになり、
ネット検索をして、恭蔵さんの記事を書かれている方に、
お知らせできる環境であれば、メッセージを送らせていただいております。
恭蔵さんが亡くなって20年。
次の30年目には、できるかどうか・・・
そこで、一人でも多くの方にお知らせしたかったのです。
突然のコメント、
失礼いたしました。
https://www.facebook.com/KyozoKuro/?modal=admin_todo_tour
投稿: 志摩市 岡野 | 2018年9月19日 (水) 13時05分