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2011年3月12日 (土)

被災地から遠い日光霧降高原だが M9・0東日本大震災(2)

Dscn0770 (「東日本大震災」などで巨大地震を報道した12日付の新聞各紙朝刊)

 この巨大地震、新聞はどう報じているか?。そう思った12日、地元紙「下野新聞」を手にとると、大きな見出しが。「東北で震度7 国内史上最大M8・8 津波、火災、死者多数」。ふだんとっている朝日新聞は?。我が家のどこにも見当たらない。

 新聞販売店によると、交通網の乱れなのか、朝までに日光の新聞店に届かず、配達できなかったという。災害を報じる新聞自身が災害で読者に届けられれないという、皮肉な結果となった。

 ふだん朝日新聞を読んでいるご近所にも、当然届いていないという。チラシと共に入っていたという新聞販売店の「おわび文」を見せられた(私は気がつかなかった~)。ともかく、この日の新聞だけはその日のうちに読まないと。なので、直接、その販売店へ。朝日新聞を2部(ご近所に手渡す分も含め)、それに毎日、日経、産経の各紙も。

 このあと、買い物に寄ったスーパーに下野新聞の「号外」が積まれてあったので、それもいただくことにした。この「号外」の大見出しは「死者不明、千人超 5県で21万人避難」。(13日午前零時11分、asahi・comでは「死者686人、不明641人」と報じている)。

 各紙の社説や論説を読み比べてみたが、大筋ではほぼ同一。「国をあげて救命・救援を」(朝日)、「救出、復旧に総力挙げよ」(毎日)、「考え得る限りの手を打て」(下野)といったトーンだ。

 朝日の社説について云えば、最後に避難が難しい高齢者も多いことから、ふだんからの助け合う仕組みづくり、建物や土木構造物の耐震化の促進、避難態勢の整備を強調している。だが、そうした指摘は以前からなされていたことだ。特段目新しい、指摘や主張ではない。

 むしろ、社説の途中にある「何万人もの人が家に帰れなくなったのも初めての経験だ」という首都圏の「帰宅難民」についての言及。さらに被害が東日本一帯にわたっていることで、「広域にわたる救援態勢をいかに築くか、これも日本が経験したことのない試練だろう」という視点。これなどが今回の巨大地震がもたらした特徴点だろう。

 その「帰宅難民」については、首都圏だけではなく、栃木県、それも私が暮らしている日光霧降高原でも例外ではなかった。きょう、ご近所宅に寄っていたら、その家の奥さんがそうだったという。

 それによると、奥さんは11日は東武線で栃木から日光へ。地震が起きたときは列車の乗客だった。ところが地震で列車はノロノロ運転で鹿沼駅へ。そこで運休となったという。新栃木から新鹿沼まで約2時間もかかったという(途中にある駅は5つだけだが~)。

 「帰宅難民」となりそうだったのは、ここから。公衆電話も携帯電話も通じないため(通じれば、霧降高原からマイカーで家族が迎えにきてくれる)、やむなく、鹿沼で一夜過ごす覚悟を決めた。財布の中身から、ビジネスホテルを探したが、なかなか見つからない。

 そうこうするうちに、大勢の列車の乗客が(中国の観光客らも含め、50人ほどだったという)ゾロゾロと歩いていく。東武鉄道不通のため、鹿沼市が鹿沼高校の体育館を避難所として開設。その体育館に向かうところだった。

 鹿沼高校の校内に入ったところで、ふだん日光で見かける特徴のある色彩のワゴン車を見かけた。日光市でよく知られた製菓会社のワゴン車だ。思わず「日光に行きますか?」と声をかけた。その車は同校に通っている生徒を日光市の親が迎えにきたところ。このため、運よく同乗させてもらうことができたという。

 とはいえ、その親子の自宅は日光でも宇都宮に近い大沢。霧降高原はその大沢から2社1寺方面へ10数キロも行かなくてはいかない。それでも、わざわざ、足をのばし、霧降高原の自宅まで送り届けてもらったという。

 ということで、一時は鹿沼で一夜明かすことを覚悟していたご近所の奥さんは、午後7時ごろには(もう少し前だったか)、無事、霧降高原の自宅に戻ることができたという。栃木県の「帰宅難民」の一人になるところだったが、製菓会社の親切な社員(だろうと思う~)のおかげで、ことなきを得たという(奥さんは「それはもう感謝です」)

 被災地から遠い日光でも、こうしたエピソードが。それでいえば、きょう夕方、日光市内のスーパーに寄ったら、パン売り場のパンはほとんど品切れ。地震の影響でパンが入ってこないのだという。そのお断りがパン売り場に掲示されていた。巨大地震が食糧の配送にも影響を及ぼしていることがわかった。

 

 

 

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コメント

私も帰宅難民です、、、

良い話ですね~~

ふぃふぁさま
いつもピュ~ンと岡山から東京~日光~福島へ。
もともと「帰宅難民」ですから、ふぃふぁさんはそれにあたりませんね。

oyajiさま
今回の超巨大地震には、そんなエピソードもありましたと、記録。
それにしても、想像以上の悲惨な被害になりそうです。ともあれ救出をと。

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