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2011年3月10日 (木)

どうやったら心地いい歌をうたえるかってことを 浅川マキの世界(8)

ガソリンアレイ直訳すると、「ガソリン路地」となりますが、第二次世界大戦後のアメリカでは、町外れの路地でティーンエイジャーが、粗末なガレージに入り浸り、ジーンズの膝をオイルで汚しながら愛車に手を入れる風景が日常化していました(ネット検索から)

Dscn0736 (歌「ガソリン・アレイ」も収録されている2枚組みCD「MAKI Long・Good-bye」)

 浅川マキ=あたしは、とりあえず非常に好きなんです、演歌って

 五木寛之=好きだから、やっぱり憎むところが出てくるんじゃないか

 浅川マキ=あたしは憎んでないわ

 『ロング・グッドバイ』(浅川マキ、他 白夜書房)にある五木寛之と浅川マキの対談「たとえ五人の聴衆のためでも」のやりとりのひとつだ。これを紹介したのは、浅川マキがジャズやブルースに魅せられていたことは、よく知られているが、演歌も好きだったことは意外と知られていないからだ(かもしれない~)。

 それも、あの、というか、戦後の演歌を代表する、美空ひばり。ジャズとブルースと演歌~。その三大話が、浅川マキの口から語られる場面がある。彼女のエッセイ集『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社)の「あの娘がくれたブルース」に。

 「黒人のなかから生まれたジャズは途方もないものである。だから、それは聞いてすぐにわかると言うものではなく、深く、そして次元は高い。それは、わたしなどが口にする事すら畏れ多いのかも知れないのだが。東京で暮らし始めた頃、三畳の下宿の電蓄でビリー・ホリディの『身軽な旅』を聞いていた。そのうたは、黒人の女の体温に違いなかった。麻薬で死んでいったソニー・クラークのピアノも好きだった。それはいま思うと、まだ子供のころ、あの北陸の町に流れていた美空ひばりの『越後獅子の唄』と同じように、わたしのどこかに陥ちて行ったのだった」

 浅川マキと美空ひばりについて云えば、『ちょっと長いブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社)の「浅川マキ問題」(新内秀一)に、こんな見方が出ている。「浅川マキのライブに行ったことのある人とない人の違いの一つは、彼女が美空ひばりの歌を歌うということを知っているかどうかではないだろうか」と(私はライブに行っているが、そのことは知らなかった~)

 新内秀一はこの後で、寺山修司の『日本童謡集』での寺山の見方を示す。「すぐれた童謡は長い人生に二度あらわれる。一度は子供時代の唄として、二度目は大人になってからの唄としてである」。続けて、つまりということなのか、「浅川マキにとって美空ひばりの唄はすぐれた『童謡』なのだろう」という。

 う~ん。なんとなく、そういうことか、というような気もするが、もう少し違った言い方があってもいいかも知れない。というのは、『ロング・グットバイ』で、浅川マキの若い頃からの親友だったという歌手・亀渕友香が、面白いエピソードを語っているからだ。

 小題「マキのああいう世界は、ただ好きなだけでは表現できないですから。なかなかあの世界に飛びこむ勇気は誰もないですよ」。そこで亀渕友香がこう証言している(「証言」という云い方は大げさだが、でも、貴重な話しだと思う)

 「当時、歌の友達は私ぐらいだったですけど、『隙間のないくらいきちっとしている歌は、たぶん面白くないよね、どうやって言葉の言い方を変えていくか、削っていくかと、いう作業をしていかなくちゃね』って、そういう歌のことはいつも話していました。どうやったら心地いい歌がうたえるかってことを。誰も信じないかも知れないけど、マキは美空ひばりさんの歌がすごくうまくて、そのとおり歌える人なんです。『美空ひばりはこういう風にうたうけど、私はこういう風にうたうのよ。そこが美空ひばりの美空ひばりたる所以なんだけど、そうじゃない風にしないと面白くない』って。マキのルーツは演歌ですよ」

 ということを書いていたら、横浜・野毛のジャズ喫茶のことを思い出した。もう10年以上前、当時、今の朝日新聞「be」の「うたの旅人」と少し違うが、当時の神奈川県版で、一枚の絵から物語を紡ぐ企画記事が続けられていた(今はどうなっているのか、知らないが)。

 そのとき、その一枚の絵から、美空ひばりの歌を追いかける必要があり、その周辺の取材で、横浜の街を歩き回った。そこで、確か、戦後すぐのひばりのヒット曲「東京キッド」か、「悲しき口笛」をとりあげたことがある。

 ひばりを追っているうちに、(どういう経緯か~)野毛の(戦後の焼け跡闇市の発祥地といわれた)ジャズ喫茶にたどりついた。そのお店は、もちろんジャズ喫茶なのだが(お酒も飲ましたからジャズスナックか)、閉店と同時にその店は美空ひばり一色になるからだ。

 マスターが大のひばりファン。毎晩、お店が終わると、ひばりアワーになり、ひばりのレコードが回っていた(そういえば、その店で、「横浜的」「ジャス的」「野毛的」」など、著書多数の評論家・平岡正明の背中も見たことがあった~)

 ジャズとひばりは縁が深い~。そういえば、私も浅川マキと同じく(おこがましいといわれそうだが)~、コルトレーンが大好きだ。若いときはマッコイ・タイナーやキース・ジャレットもよく聴いていた。同時に、美空ひばり(「例えば、「港町十三番地」)も、都はるみ(例えば、「小樽運河」)も、八代亜紀(例えば、「舟歌」)の演歌も好きだ。

  ということで?(今回は「ガソリン・アレイ」をアップしたかったので~)。リズムがいいのは、もちろんだが、最初のフレーズが妙に印象に残っている(今もだが~)

ガソリン・アレイ

       日本語詩・浅川マキ

(1番のみ。以下略)

何もかもか うまくいかなくてさ

毎日毎日が

これじゃ 俺らが生きてる事さえ無駄な気がしてきた

帰ろう

俺らが生まれた あのガソリン・アレイへ

帰ろう

細い路地の あのガソリン・アレイへ

 

 

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コメント

マキの唄をほろ酔い加減で聞きながら このブログにたどり着きました。やはり いつ聴いてもスゴイ!の一言。マキの故郷 白山の麓に その源があるのかも?陰を秘めながら 陽を求め続けたマキ。その複雑な感情解るなア。マキの唄 ストレートに響く人 気味悪がる人 匂いで解る。でも マキの唄わかる人が減って寂しく感じます。

おばさん・・・さま

よくたどり着いてくれました。この記事はもう3年半以上も前のもの。改めて私も読むことになりました。マキとJAZZと美空ひばりを書きたかったので、こんなものをー。それしても、もう一度、マキの舞台に立ち会いたかったー、と思ったことでした。

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