海や土を、自然を想定外にしていたのだ M9.0東日本大震災(30)
(アースデイ那須2011のライヴトークの合間に空にくっきりと二重の虹が=24日、那須)
発明家で原発に詳しい藤村靖之さんと文化人類学者、辻信一さんのライヴトーク「希望の未来を考えるお話会」が24日、那須町の非電化工房であった。「アースディ那須2011」のメインプログラムで、会場は若い人を中心になごやかな熱気に包まれた。
午後2時半から午後5時まで。途中、二重の虹が空にくっきり描かれたので、トークを中断し、みんなで眺めるといったゆったりした時間だったが、話された内容はいずれも魅力的。イメージとしては大学の自主講座といった感じだ。
詳しい内容の方はユーチューブにアップされているので、それをじっくり聞いてみて欲しいが、私が感銘というか、ある種のひらめきを感じたフレーズに、こんな指摘があった。辻信一さんが大震災と原発事故について触れた見方だ。
「私たちは海を、土を、つまり自然を想定外にしていたのではなかったか」
(ライヴトーク中の藤村靖之さん・左と辻信一さん=24日、那須の非電化工房)
2時間以上の対談には傾聴すべき多くの指摘や考え、紹介があったが(例えばブータンの国民総幸福指数・GNHなど)、私はその「海と土、自然を想定外にしていたのではなかったか」という言葉が、とても新鮮に思えた。
震災前も海や土、自然はあったが、実はなかったのでは。というのが辻さんの考えだ。この魚がどこの海から獲れたか、土はコンクリートの下にあり、視えていない。つまり、私たちの関心外にあり、保障や年金などの社会的な仕組み、あるいは原発安全神話などの「想定内」で生きていたはずだという。
それが大震災と原発事故でめくれあがり、海や土、自然があることを、あるいは忘れていたその原初的なものを想起させたのではないか。そうしたものを想定外にしていた私たちは、いちがいに東電を責められないのはないかといった趣旨だ。
(ライブトークには若い人を中心に多くの人たちが熱心に耳を傾けた=24日、那須)
東電についての言及は私は保留だが、その前の「海、土、自然」については、「なるほど」と思わされた。というのは、私が4月1日に陸前高田市の惨状に接したとき、視線は定まらず、その光景をどう表現していいのか、わからなかった。そんな思いがあったからだ。
〈どうして、その瓦礫だらけの光景をことばにできないのか〉。私は不思議に思っていた。それを詩にしてみたが、まだ、そのときの全部を描けたとは思っていない。そのヒントが辻さんが指摘してくれた「海や土、自然を想定外にしていたのではないか」ということだった。
それが頭の中でスパークしていたので、「会場から発言」。私が災害支援「チーム日光」のメンバーであることを伝えながら、辻さんの指摘で、陸前高田市に立ったときのなんともいえない感情の意味がある種、納得できたと発言した(いつも一言多いのが私なので~)。
さらに27日のブログでも伝えたが、「今こそ、ふだんは気恥ずかしい愛、優しさ、思いやりといった言葉に内実を与える新しい時代にきているのではないか(「誠実さ」と「勇気」も加えるのを忘れていた~)」と、会場内に伝えたことだった(会場には「チーム日光」の若いメンバーが何人も参加していた)。
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