石巻支援で「チーム日光」が泥バスターズ(2) M9・0東日本大震災(25)
(鈴木公二さん宅の茶タンスを運び出す「チーム日光」の二人=9日、石巻市)
(「チーム日光」のボランティアが運び出した茶箪笥は瓦礫の山の中へ=9日、石巻市)
石巻支援の「チーム日光」の2日目、9日はチームを3班(リーダー各2人)に分けて、各家庭の泥出しや畳や家具など家財道具などの運び出しへ。私は12人と最も人数が多い第2班。まず一階が津波でやられたお宅へ。
最初は畳を出すことから。ふだんの畳ではなく、海水を含んでいるため、その重いこと。2人ががりでもようやくという重さだ(一人ではとても運べない)。
この家を担当した第2班メンバーによると、この民家の九十歳過ぎの母親はふだん2階で寝ていたが、3月11日の前日に地震があり、一階で寝起きすることにした。その方がすぐに逃げられるという判断だった。
息子さんは当時、仙台にいた。「一階に津波が来ても、ベッドで浮いているかもしれない」。その期待もむなしく、息子さんが仙台からようやく帰ってきたときはー。母親への配慮が結果的に悲しい結末に。
(玄関周辺の泥出しに懸命な「チーム日光」=9日、石巻市)
(茶箪笥の品々をていねいに取り出す「チーム日光」=9日、石巻市)
(瓦礫の中から大学生の佐藤直人君が見つけ出した「アルバム」を開けると・上 母親の看護師学校の卒業証書などが収められていた・下)
続いて、小坂代表が石巻支援に乗り出すきっかけとなった大学生・陸君の友人で専門学校生、鈴木公二君(21)のお宅。台所や居間、お風呂場、庭先などの泥出し、さらに道路に積み上げられた瓦礫の選別と撤去などへ。
会社員の父親・佐藤信幸さんと参加した大学生の佐藤直人君(19)が、泥で埋まった瓦礫の中から一冊の「アルバム」を見つけた。津波でよごれたそのアルバムを開くと。
鈴木公二君の母親、鈴木公美さんの看護師学校の卒業証書などが。危うく茶箪笥とともに投げ出すところだった。大事な卒業証書は大震災から1カ月で、家族の手元に戻された。
(瓦礫に囲まれた道路に立ちながら、しばしの休憩をとる「チーム日光」=9日、石巻市)
(泥出し作業を終え、お互いに長靴を洗いあう「チーム日光」のメンバーたち=9日)
その鈴木君、大震災当日は自宅近くにおり、津波被害をもろに受けた一人。「あと一分遅れていたら、どうなっていたか」。危機一髪だったという顛末は作業を終えるところで、聞いた。
というのは、鈴木君は大震災のとき、車に乗っており、自宅近くのパチンコ店の広い駐車場(今は支援にあたる自衛隊の車両基地的になっている)へいったんは避難。しかし、予想もしていなかったという津波が来襲することがわかり、車を捨てる判断をして、自宅へ向かった。
自宅近くではもう胸までの津波。「どのように自宅にたどりつき、2階に逃れたのか、よく覚えていない」。パチンコ店の駐車場には車で多くの人たちが避難していたが、車はすべて流されてしまっていたという。鈴木君も間一髪のところで、犠牲を免れた一人だったのだ。
(日光市商店連合会が提供してくれたベースキャンプのテント=石巻専修大キャンパス)
(現地で合流した福島県の「チーム日光」の4人=9日夜、石巻専修大キャンパス)
(あくまで石巻で暮らしていくという陸君のお母さんによるテント形式の「居酒屋」と小坂代表=9日夜、石巻専修大キャンパス)
鈴木君は最終的に津波から逃れることができたが、甥っ子の小学生が犠牲になっていると、重い口調で話した。甥っ子は大川小学校に通っていた。朝日新聞によると、108人の在籍児童のうち、9日現在、死者64人、行方不明10人、約7割が犠牲になった。その一人だったのだ。
「先生たちと児童らはすでに地域の人と一緒に山側の出入口を抜けて堤防の高いところへ避難しようとしていた。突然、激しい突風に続いて大きな音が聞えた。津波が道路に沿って迫ってくる。そしてー」(朝日新聞10日付朝刊39面 石巻の大川小。点呼終え高台へ。その児童の列を、水の塊が襲った)
鈴木君が語ったことで印象的だったのは、「石巻では大津波が襲って来るなんてことは、多くの人が考えていなかったと思う」という言葉だった。
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コメント
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3日間、大変お世話になりました
チーム日光のみなさまに感謝です
みなさんキラキラしてました
また是非、参加させてください
この機会を与えていただき
本当にありがとうございました
投稿: かんくら@遍路 | 2011年4月13日 (水) 13時14分
かんくら@遍路さま
3日間、こちらこそお世話になりました。お遍路さんはなかでもよく頑張りました(花丸)。
私の方は本日13日、日光市災害ボランティアセンター主催の福島県相馬市のボランティアへ。専業農家の泥バスターズでした。約20人ががりで、半日めいっぱい。水田の津波被害の大きさも知りました。「チーム日光」については、次の行動も予定しているようです。そのときは再び、ぜひ参加をお願いいたします。それまでお元気で。
投稿: 砂時計 | 2011年4月13日 (水) 22時26分