「世界を愛するということ」 森一郎『思想としての3・11』から
「人間は、生物として自然に属して生きており、かつ人工物から成る世界に住んでいる。この二側面は人間にとって等しく根源的だが、どちらが『人間的』かと言えば、それは明らかに後者である。なぜなら、自然にとって人間の存否などどうでもいいが、世界は人間がいなければ意味をなさないからである」(森一郎「世界を愛するということ」『思想としての3・11』) (昨夏、我が庭に植え替えた紫陽花が見事に開花した=日光霧降高原)
「自然は世界を圧倒するがゆえに、人間は自分たちが築いた世界を守ろうとする。自然は人間に守られずともビクともしないが、世界は人間に守られなければ滅びる。『自然を守ろう』と叫ぶのは尊大すぎるが、『世界を守ろう』ならまだしも人間の身の丈に合っている」(同) (7月中旬から次々と開花し、緑の庭で薄青色が印象的な紫陽花)
「『環境』という言葉は玉虫色で混乱の元だが、ドイツ語ではUmweltと言う。この語を逐語的に訳せば、『環境世界』である。つまりこれは『人間の身の回りの世界』のことを意味する」(我が家の階段から眺めたクマザサの中の紫陽花)
「森にしろ川にしろ海にしろ山にしろ、人間がその内を動くのにふさわしく美観を顧慮して整備されているのが、『環境』なのである。それゆえ『自然環境を守ろう』ではなく、『環境世界を守ろう』と言うべきなのだ。自然に翻弄されるしかない生き物が、『自然を守る』などと口走るのはおこがましい。『自然から世界を守る』こそ、正しい用法である」(同)
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