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2011年8月

2011年8月28日 (日)

詩 悪魔の申し子に  原発詩(4)黒川純

200146_4 (ファウストが悪魔メフィストと魂を売る約束をする「ファウスト」=中央公論新社から転載)

悪魔の申し子に
                            黒川純

だれにも視えない臭わない壊せない
黒く透き通った無限そのものの死神は
地獄の扉を蹴破ってやってきたのだから
あれこれ百家争鳴すべき議題ではない
快楽と引き換えに悪魔に魂を売り飛ばした
その契約どおりそっくり返されたのだ
ジパングの分厚い札束に舌舐めずりし
太古から決して踏み込んではならない
のたうつ恐竜の世界も知らぬ存ぜぬで
唯我独尊の無知につけ込まれたのだから

                                              

言葉巧みなメフィストと契約したとき
この国の顔役も密かに震えてはいた
取り返しがつかぬ災いになる予感に脅え
「もしかしたら?」と自問自答しつつ
「悪魔の申し子になるかもしれないー」
思わず側近たちにそうつぶやいたが
金ぴかの腐食した机が列島のあちこちで
脚を逆さまにして狂い踊っていたので
マントルの戒めを想定外に追いやり
裸の王様だったのを忘れていたのだ

                                              

今から2万4千年が過ぎた快晴のある日
石そのものとして仮睡を続ける死について
私たちの私たちに苦い記憶を伝承するため
ムンクの叫びを世界の非常口という非常口に
アルタミラのように刻んでゆかねばならぬ
零の連鎖を呼び起こす契約を破り捨てるには               
戦後の鬼っ子という鬼っ子の眠りを醒まし
悪魔の申し子に永久追放の主文を申し渡せ
視える光と香る風の遠大な用水路の現場の
揺れる涙で磨いた力強いそのツルハシを手に

原発詩(3)「悪魔に売った魂に」を改稿 「砂時計主義」7月22日付掲載(初出詩は詩誌「コールサック70号」8月末発行に掲載予定)

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2011年8月27日 (土)

世界は世界自身の悪意へと無限に身を委ねてしまった 詩人・河津聖恵の世界(2)

Dscn4206(「河津聖恵は光の詩人である」という詩人・野村喜和夫さん=現代詩文庫『河津聖恵詩集』)

轟音とともに世界は
世界自身の悪意へと無限に身を委ねてしまった

 「震災と原発」。10月1日夕、JR日光駅ホワイトルームで京都の詩人、河津聖恵さんを招いて開く詩の講演会・朗読会のテーマだ。河津さんの最新作にその大震災を正面に見据えて書いた詩「メドゥサ」がある(河津さんのブログ「詩空間」8月10日付によると、「思想運動875号」掲載とある)。

 河津さんがどんな震災詩、原発詩を書こうとするのか、非常に関心を持って注視していたが、<こういう詩だったのか>、そう思ったことだった。見る物をすべて石に変えてしまう、古代ギリシャ神話に出てくる「メドゥサ」をキイワードにするとは思わなかった。

 「メドゥサ」といえば、団塊世代である私としては、ノンポリ学生を石ではなく、運動家に変えてしまうオルグのプロで、「メドゥーサ」というコードネームを持つ美人の彼女(あの重信房子がモデルとされる)が主人公のひとりだったコミック『メドゥーサ』(かわぐちかいじ)を思い出してしまう。

 本題に戻すと、それにしても、河津さんの詩「メドゥサ」の中盤以降の言葉のきらめきのすごさよ、と思わずにいられない。とくに「轟音とともに世界は/世界自身の悪意へと無限に身を委ねてしまった」には、めまいにも似た感覚を覚えた。

 あるいは「私たち自身の”破壊”そのものの吐息が」、「破壊されたすべてが“破壊そのもの”として一つになり」など。「三月十一日午後二時四六分ー」以降は、もう河津さんの世界だが、そこで改めてこの詩に向き合わざるをえないことになる。

 つまり、こういうことではないか。

 「詩集として分類された物体の中にある言葉は、詩として読む他ない。だから読む私たちのまなざしは必然的に鋭敏になる。すると時に言葉と意味とのあいだに、細い空隙がひらく。そこに何者かのまなざしが覗き始める。生者のもののような、死者のそれのような、あるいは空隙そのもののような、その時にはすでに、まなざしていた私たちこそが深くまなざされている」(「詩の壁を越えてー2004年「現代詩手帖」詩集評から」 現代詩文庫『河津聖恵詩集』)

 

詩 メドゥサ  

          河津聖恵

いつからかそこに
メドゥサは砕かれた額をもたげていた
私たち自身の〝破壊そのもの〟の吐息が
ことばにならない泡を紡ぎながら
海の底から重く重くあふれだしていた
生まれたばかりの〝彼女〟は怒りも喜びもなく
ただ盲目の無の使いとして沈黙を続けていた
ひそやかなその誕生を
本当に誰も知らなかったか
いや、誰もが瀕死の魚のように
みえない鰭の端で感じていたのではないか
(かつて私たちは魚だった、鳥だった)
深海にひそむみずからの喘ぎを
聴き取ろうとしなかっただけではないか
遥か陸上に冷たい粘土の身体を横たえ
鼓動させるだけで精一杯だったとでもいうのか
だが海深くから砂埃をあげてもがく
真実のいのちの苦しみがたしかにあった
私たちは共振するように
夜ごと 凶(わる)い夢を見続けていたではないか
(火の夢を見た、鉛の夢も見た)
眠っている間(ま)も
月に照らされた不眠の海を
甲冑姿の死神たちは無へと凱旋行進していた
槍の先に「星を歌う心臓」を突いて掲げ
黒い空の血を浴びながら 死の歌を
木製の声で高らかに歌い上げた
眠る私たちから夢の海へ燃え墜ちていったのは
流れ星ではなく
私たちと世界をつなぐ胞衣(えな)
夢の光も届かない底へ渦巻き吹きだまる
愛や希望や信頼という名さえも腐乱させた嬰児たち
それらはよるべなく抱き合いながら「そのとき」を待った
私たちの幾千もの夜が縊り殺した善き神々もまた
闇の血潮に乗り そこに流れ着き
蛇や鳥や犬の胴に食い込む不信のロープを外し
お互いをきつく結び付け直して「そのとき」を待った
待ち望むでもなく、恐れるでもなく、ひたすら待った
破壊されたすべてが〝破壊そのもの〟として一つになり
ふたたび漆黒の生命(いのち)ごと迫り上がる
時の超新星爆発を

〝そのとき〟

闇の叫びは奪われ 死の叫びさえ凍りついた
空がかつてない残酷な閃光をあげ
世界はやっと気づいた
自分自身がもはやとめどなく狂ったメドゥサの機械であることを
水という水が「私たち」の手負いの傷に苦しみ
風という風が魂の皮で出来た痛みの旗をはためかせていることを
いつからか、なぜか──
問う暇もなく
まったき無根拠の深さで溺れてプレートを踏み外し
轟音とともに世界は
世界自身の悪意へと無限に身を委ねてしまった
青い死のまなざしは未来へと向けられ
ヒュドラはメドゥサの額から陸へ解き放たれ

三月十一日午後二時四十六分──

コノ国ノタマシイカラ封ジ込メラレテイタスベテノ悲鳴ガホトバシリ
人々ハ硝子ノ橋ノ上デ立チ尽クシ石ノバベルハタチマチニ崩レ落チタ

                                               

*メドゥサ 古代ギリシア神話に出てくる怪物。見るものを石にする力を持つ。頭は無数の毒蛇。
*ヒュドラ 水蛇

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2011年8月26日 (金)

3・11の破壊は詩を根こそぎにするのか 詩人・河津聖恵の世界(1)

Dscn4198(現代詩文庫183『河津聖恵詩集』思潮社・2006年2月)

 「震災と原発」。今、求めるべきテーマで京都の詩人、河津聖恵(かわづきよえ)さんを招き、10月1日夕、JR日光駅2階・ホワイトルームで詩の講演会・朗読会を開く。主催は実行委員会、霧降高原「森の図書館」が後援する(もっとも、第1回実行委員会は30日だから、まだ入場料設定もこれから)

 春、私は3・11の陸前高田のかってあった市街地に立ったとき、一瞬、言葉を失った。青い空と砂塵だけしか、視界になかった。「ほんとうのこと」が噴出し、いわば言葉が死んだと思われたが、その言葉を瓦礫から(あるいは凍土から)掘り出すべきだと考えた。

 そうした思いで震災詩をツイッターでつぶやく一方、震災を、フクシマを追いかけていると、この時代に勇ましく向きあい、的確な指摘や発言を続けている詩人に偶然、ツイッターで出会った。石巻出身の作家・詩人・ジャーナリスト、辺見庸の思念にも共鳴し、3・11を最前線で考えている詩人だった。

 その人、京都在住のH氏賞受賞詩人、河津聖恵さん。日光に招くにあたり、いわば「河津聖恵の世界」をこのブログなどを通じて伝えたい。どんなふうに震災を、原発を、そして詩を見詰めているのか。その真剣な言葉や見方、指摘は今、私たちのさまざまな人たちに届くはずだ。そう思っている。

 最初に河津さんが8月11日付毎日新聞夕刊・関西版「震災と表現」に寄稿したエッセイ「真実の言葉に耳を澄ませ」の根幹部分をアップすることに。

 そのエッセイでは、河津さんは7月初めに石巻市であった「復興ウォーキング」に参加し、五感で瓦礫の街を歩いたという。そこで「覆うもののない瓦礫の原は一面、ものみなの悲鳴によって強く発光していた」と体感している。

 以下は、そのエッセイ「真実の言葉に耳を澄ませ」から(全文は河津さんのブログ「詩空間」で) 

 「悲鳴vs言葉。その対立項が今、『沈黙vs言葉』に代わり詩の現場に迫り上がってきている。だが求められているのは、悲鳴を引き写す言葉や、観念にねじ伏せる言葉ではない。悲鳴を素通りし、型通りの美意識のまま書かれる詩ではさらにない」。

 「現代詩はポストモダン以降、現実との関わりで『詩とは何か』を考えることを避けてきた。脆弱で曖昧なモダニズムを享受し続けた結果、言葉の力は急速に失われた」。

 「3.11の破壊は、詩を根こそぎにするのか。あるいは詩は、破壊の現実と向き合うことで『復興』できるのか。破壊の後にもなお、いや破壊の後だからこそ、ひとは真実の輝きを放つ言葉を求めている」。

 「悲鳴と言葉の間。私の中の通路はだが、被災地で拓かれる以前すでに他者の言葉によって掘り進められていた。被災者が体験や思いを語り続ける真実の言葉、あるいは故郷の被災を目の当たりにした痛苦から、『瓦礫の中からことばを』とTVで熱く訴えた作家・詩人辺見庸の言葉、そして3.11以来、応答を求めるように読み続けた、それぞれが史上最悪の破壊を体験した詩人たち(原民喜、石原吉郎、パウル・ツェラン)の詩によって」

 エッセイの結びはこうだ。

 「今日も悲鳴はどこかで上がる。瓦礫の中で応答して言葉が輝く。復興と共に忘却の明るい闇が深まろうとも、詩人は耳を澄ませ聞こえない悲鳴を捉えて、言葉に未知の輝きを見出さなくてはならない。悲鳴と言葉をつなぐ『声の道』(ツェラン)を拓くために」。

河津聖恵(かわづきよえ) 1961年東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。1985年第23回現代詩手帖賞受賞。詩集に『姉の筆端』、『クウカンクラーゲ』、『Iritis』、『夏の終わり』(第9回歴程新鋭賞)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞)、『青の太陽』『神は外せないイヤホンを』『新鹿』『龍神』『ハッキョへの坂』『現代詩文庫183・河津聖恵詩集』。詩論集に『ルリアンス――他者と共にある詩』。野樹かずみとの共著に『christmas mountain わたしたちの路地』『天秤 わたしたちの空』。『朝鮮学校除外反対アンソロジー』発行人。京都在住

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2011年8月25日 (木)

一滴を落としにゆく   『序説18号』大震災詩その3・完(9篇)

一滴を落としにゆく

できることはわずかだ
それも少しの力だ
家中に積もった泥を出す
過酷な泥バスターズを志願した
ボランティアたちが束になっても
一日に一軒
なんとかなるかどうか
それでも
何度でもゆく
燃え盛る森から
たった一羽だけ逃げないで
小さなくちばしから水のしずくを
一滴づつ落としにゆく
アンデス地方先住民の寓話
クリキンディという
ハチドリのように
わたしができることを

                                                   

舞い落ちた心
                                     
古びた映画ポスターが一枚
壊れたビルの壁に舞う
むかし
そんな消えた街を歩いたことも
だが
昨日まであった街が
海の風景に消えている
そんなことってあるものか!
でも
やはり
視える世界はどこまでものっぺらぼう
恐竜が駆け抜けたように
わたしの位置はぐらぐらと揺れ
信じられない心が
土埃に舞い落ちた

                                        

私のそれでもあるのだ
                                      
両手を合わせ
おがんでくれたお年寄り
涙をこらえきれない中高年
「まさか自分の仕事をほっといて」
「そんな遠い日光からわざわざ」
「手助けにくる人がいるとは」
涙顔で驚いていた経営者も
納屋の泥出し作業が終り
記念写真に肩を組んでくれた農家も
震災支援の私たちに
だが
こういうことなのだ
あなたの事態は
私のそれでもあると

                                    

あの日を境に
                                        
生徒たちは
生徒たちは?
あの日を境に
生き残ったことで
残された責任から
顔つきが変わってきた
振る舞いもしゃんと
会ってよくわかった
でもね
松の大木が流れてきた高校から
泥だらけの成績表を見つけ出し
パソコンで打ち直して
「ここまで復元したよ!」
生徒たちは?
「見つからない方がよかった」

                                                    

悔みを返上するのだ

阪神・淡路大震災では
阪神大震災では?
手助けに行きたくても
行きたくても?
とても無理だった
子育て中だったから
その悔みがあるので
「今度は行くんだ」
東京のエッセイストが胸の内を明かした
そうなのだ
私もあのとき
1日25時間でも足らなかった
手を差し伸べられなかった
今度は返上するのだ
その悔みを

                                                       
                                                                                                           
ボランティア新時代                                           

「小学生まで3人います」
えっ!
子供が3人もいるのに
30歳余の若いお母さんが
「なんとか手助けしたいと」
初めての被災者支援へ
宮城県南三陸町歌津伊里前
2泊3日の支援を終え
ずっと駐車させていた
スポーツカータイプの
乗用車のハンドルを握り
「ブルブルン」と勇ましい爆音を響かせ
家族が待つ我が家へ
新しい風が吹いている
ボランティア元年の
「1995・1・17」から
ボランティア新時代の
「2011・3・11」

                                                    

そうは問屋が卸さない
                                      
安心です
まず安心 安心だと
安心ではないか
安心だと思います
安心だと信じてください
一神教までもう少し
安心教の方法は
安心から暗示へ
思った以上の津波だったので
全電源喪失なぞ考えもせず
いずれも想定外だから
想定外だから問題外
問題外なら問題ない
そうは問屋が卸さない

                                                    

                                        
神話の溶融
                                       
とにかく安全ですから
安全神話にしましたから
どっこい
奢る平氏は久しからず
神話を滅ぼすのは神話
安全剃刀だって
安全が外れれば
いやはや やっかい
古代からやってきた津波が
現代の神話を溶融させ
安全が突如として暗然に
あるいは唖然とさせながら
安全圏はどこまでか
いったいぜんたい
全体像はどこまでか

                                                    

ほんとうのことに向き合わねば
      -岩手県陸前高田市からー

陽光が古ぼけた茶褐色で埋まり
海の街がうめき声をあげていた
私の視点は揺ら揺らと定まらず
存在という存在は影絵でもあるという
カナリアの悲痛な声を確かに聞いた

気仙小に積み重なった息絶えた車の山
ぺちゃんこに横たわった金剛寺本堂
プラットホームが引き裂かれた竹駒駅
水平になった気仙川沿いの道路標識
数百㍍先の気仙中までさらわれた民家

高さあるものはすべて憎まれたか
瓦礫の世界がどこまでも果てない
1千年間、だれも見たことがない
海底から生まれた海鳴りがのしかかり
大地に根づいた生活をつぶし去った

天国と地獄を子供たちまで焼き付けた
深い海の巨大なエネルギーは
冷やかに告知するかのようだ
シーラカンスからの世界を支配するのは
電力なしに暮らせないこの大地ではない

春のない寒空に投げ出された人々に
思いやりと勇気ある優しさを投げ出し
震えた悲しみに息詰めている人々に
なんとか再び立ち上がってもらえるよう
希望というやつに両手で触れられるよう

静かに哀しむ人々は私自身の現在であり
私の明日を投影するものだから
私のDNAが救われるためにも
はすに構えた誠実さに命を吹き込み
ほんとうのことに向き合わねばならぬ

初出 
各詩ともツイッター・sunadokeihaでつぶやき、4月5日からブログ「砂時計主義」にも転載。そのうち、「そのけなげな表情を」は下野新聞「しもつけ文芸」(6月6日付)、「凍土から言葉を掘り出せ」も同新聞「しもつけ文芸」(8月22日付)。「ほんとうのことに向き合わねば」は詩誌「コールサック 69号 震災原発特集」(4月30日発行)。「悪霊退散~悪霊退散~」「『負けるな』」「ハート」「国民総幸福」の4篇は詩誌「堅香子 9号」(2011年初夏号)に掲載。

『序説18号』の一斉売り出しは8月いっぱいのみ。あと6日間の限定発売です。定価は1000円+税(一冊計1050円)。事務局が売り上げた場合、1冊に付き、300円を災害支援「チーム日光」に寄付します(大半の発売先がやはり、そのようにするそうです)。期間が迫ってきたので、改めて発売先一覧を下記に。ぜひお買い求めを。という宣伝もさせていただきます。郵送を希望する方は、「序説」事務局の黒川純に問い合わせを。連絡先は以下の通り。〒321・1421 栃木県日光市所野1541の2546 電話0288・25・3348。Eメールqk3y-tmok@asahi-net.or.jp   ツイッターsunadokeiha

◎書店「TSUTAYA 今市店」

◎トンボ玉づくり体験工房「エカト」(今市、「日光珈琲」そば)

◎コーヒー店「日光珈琲」(今市、二宮神社近く)

◎「幾何楽堂」(「チーム日光」代表のログハウス、霧降高原)

◎観光施設、霧降高原「チロリン村」(霧降高原)

◎ホステル「鳴沢ロッヂ」(霧降高原)

◎古本屋「砂時計主義」(「序説」事務局、霧降高原)

◎小さなホテル「森の詩(うた)」(日光明峰高校そば)

◎ゲストハウス「巣み家」(東武日光駅、JR日光駅そば)

◎ゲストハウス「にっこり荘」(世界遺産「神橋」近く)

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2011年8月24日 (水)

「詩人は?]  『序説18号』大震災詩その2(13篇)

詩人は?

詩人は 詩人は?
ただ じっと視ているだけでしょう?
視ている
ただ 視ているだけ?
反戦を貫いた反骨の詩人
晩年の金子光晴が
ぽつりと言った
戦後詩の長女と呼ばれた
茨木のり子は
そのときしっくり落ちなかった
後年
ただ じっと視ている人は必要だ
茨木は詩「瞳」にそう書いた
だが
大震災後の詩人は
今や
ただ じっと視ている人
それだけでは済まぬ

もっこりもっこり

津波はもっこりもっこり
スローモーションのよう
高さは20メートルにも思えた
津波がここまで来るとは思っても
納屋の軒下に津波線が残る
相馬の農家
ショベルカーで繰り返し泥をかきだし終え
気丈にそのときを語った
24㌶のうち8㌶だけは残ったが
潮に浸かった16㌶は・・

だれのもの 

青い地球はだれのもの
青い地球はだれのもの
だれのものか
答えを示さず
問いを
ひたすら繰り返す不思議な歌がある
わかっているようでわからない主
輝きであったり
美しさだったり
あるいは宝物だったり
私たちは荒々しく伝えられたのだ
百年先でも払えない授業料で
その主が
海と土と空のものだと

                                        

「ヒナンシテクダサイ!」

「イソイデタカダイヘヒナンシテクダサイ!」

防災無線で発信を続けた
町庁舎を襲った津波で
声の主も行方不明に
その声でどれだけの町民が助かったことか
当人の行方は分からなかった
それが黄金週間に確認された
願いもむなしく
彼女の遺体だと
死者・不明1160人余
南三陸町の
町職員・遠藤未希さん(24)
合掌ー

                                        
問題外                                      

想定外ではなく
問題外を問うべきなのだ
古代がめくれあがった大震災も
かつて起きたことであり
千年に一度の
大津波もそうなのだ
それを想定外で人智を超えたなんて
逃げ言葉にしか聞こえない
想定から外して
問題にしなかった
恣意的に
ご都合よく
問題外にしてきた
それを
問題とすべきなのだ

                                        

消えていた

なんと返答したらいいのだろう
帰ってきたら自宅は
こつ然と消えている
知人に教えられて
それを知ったのは数日後
はるかかなたに見える
中学校近くに乗り上げていた
「えっー、あれが」
「そう」
避難所から毎日訪ねてくる
家があったここを
ほかにやることが考えられない
青空に砂ぼこりが舞う
陸前高田市
                                        

遠い親類                                      

1万500㌔先の親類へ
こちらに避難したいという方には
市民権を与えます
スペイン・人口約3万人弱の
コリアデルリオ市
約400年前、伊達藩の家臣らが
海を渡ってつないだきずな
「慶長遣欧使節が縁」
けさの新聞がそう伝える
市民権を与えますという心強さ
そんな遠い街を
いつか訪ねたい

「負けるな」

「がんばれ東北はもういい」
家畜やペットと別れ
農産物も水産物も
市場に出せない
もうじゅうぶん頑張ってきた
これ以上
頑張ってと云わないで
朝日新聞の「声」に届けた
福島の主婦のその思いは
「負けるな」
そっと肩を抱いて欲しい
そう
私も走って行って
寄り添って声を掛けよう
「負けないで」

                                       
ハート

ハートのマークが
そのマークが印象的だ
きちんと洗い直したまっ白い軍手
中学校の避難所でいただいた
どこから送ってくれたのか
そこまでわからない
だが
その無償の親切さが身に沁みる
そう云うかのように
泥バスターズの私たちに
その日初めてみせた笑顔で
両手で掲げて
泥で埋まっていた
石巻のOさん

                                       
国民総幸福

文明は
ここまでできる
文化は
ここまでしない
欲望と知恵
豊かさと幸せ
かつてこんな叫びがあった
「くたばれGNP」
大震災がそれを思い出させた
ただし
今回は幸せを求める
「GNH」(国民総幸福)へ
ヒラヤの小国
ブータンの叡智だ                                       
                                       

その両眼にしかと

何をそこで
伝えたかったのか
大震災ボランティア初体験の
初々しい若者に
思わず口をついて出た
このときこそ被災地へ
手助けしながら
どんなことが起きたのか
その両眼でしかと焼きつけるべきだ
今ではなく
いつか
きっと
君たちの未来を指南するだろう
私たちの想像外にある
豊かな緑の大地と青い海原の
その包容力と荒々しさが

その哀しみが溶け出すように
                            
哀しみは言葉にならない
その言葉は凍ってしまった
深い暗闇が遠い海から
私たちの鼓動を早打ちし
振り返るときを与えず
瞬時にさらっていったから
声にならないその言葉は
大地に閉じ込められ
凝固したままだろう
だが
いつか
温かな
ほんとうのいいことにめぐりあい
その哀しみが溶け出すように

                                       
言葉そのものが

声に出しているが
話しているが
会話をしているが
ほんとうに心から
語りたい 伝えたい
胸の内をわかってほしい
言いたいのだが
言葉からは出てこない
寒々しい情況が
哀しみを抱えた心情が
これまで視たことがない
拭えない頬に接すれば
はるか遠くからでも
わたしたちは
そのことを
両眼で知ることができる

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2011年8月23日 (火)

「悪霊退散 悪霊退散」  『序説18号』大震災詩その1(13篇)

Dscn3323_2 (「東日本大震災詩篇」。黒川純の35篇が掲載されている『序説18号』)

悪霊退散~悪霊退散~

悪霊退散
悪霊退散
鬼剣舞が桜の花に舞う
激震した大地を蹴り
無念の剣をひらめかせる
古代がめくれあがった大地に
悲痛の記憶を受け継いだ東北の鬼たち
その祈りの力強さよ
今こそ重々しく軽々と
砂塵を従え縦横に舞え
怒る大地と海原を鎮めるため
本堂が瓦礫に横たわり
風景が涙に揺れる
陸前高田・金剛寺で
悪霊退散
悪霊退散

花吹雪の夢
                                       
わたしもその夢を見よう
あの日から
離れ離れになった
別れた命
愛おしい命
あきらめきれない命
哀しみ
悔しみ
恨みと怒り
無念さ
やるせなさ
どこへ持ってゆけばいいのか
声にならない悲しみのありか
桜散る春に
花吹雪の春に
春の夜の夢ではないのか
何度も
何度も
振り返るあなたの
その夢を

そのけなげな表情を

私は忘れないだろう
哀しみでもない
悲しむでもない
肩を落とすでもない
不満というのでもない
訴ったえるでもない
責任を問うでもない
怒るでもない
頼るわけでもない
でも
私の視点をぐらぐらと揺らし
ざわめきを呼び出し
先が視えない暮らしを
頬を伝わる涙で伝える
そのけなげな表情を

                                                                                       
凍土から言葉を掘り出せ

ほんとうのことを語ると
世界が凍ってしまう
ある詩人がうたったことがある
だが
ほんとうのことが噴出し
世界はそのまま凍ってしまったのだ
いや
言葉が凍ってしまったのだ
この世界のほんとうを
身体に刻んでしまった
わたしやあなたは
言葉を掘り出さねばならない
その凍土から                                                                                                                                         

もともとの根源へ

私は敬遠していた
嘘っぽくて
とても身に着くものじゃない
偽善ではないかとも
羞恥心さえ覚えていた
反論できない
倫理というものだから
愛 優しさ
勇気 思いやり
つまりは誠実さってやつに
だが
今はそれが否応にも必要とされる
そのもともとの根源へ
次元を超えた大震災で
私自身も救われるために                                                                                            

沈黙だけが許される

舗装が激しくめくられ
意味を失ったプラットホーム
土に埋もれた乾いた鉄路
その先にどこまでも
瓦礫、瓦礫、瓦礫
かつてそこにあったのか
傾いたコンクリートが駅舎だという
それでようやく知ることができた
姿を失った市街地はかなり先にある
沈黙だけが許されるだろう
陸前高田竹駒駅

                                         

差し出して寄り添う

カッパ姿の背中をさしだす
風呂から、台所から
庭先から、居間から
泥をかきだす泥バスターズ
それでも大潮で再び水浸しに
そこに住むことが
暮らすことが
再びかなうのか
でも
私たちは手を差し出し
寄り添うのだ
あなたが再び立ち上がれるよう
わたしも歩んでいけるよう

                                        
海であり土であり空であり

私たちを想い出せ
忘れてくれるな
いつも
あなたのそばに立っていたのに
知らぬふりをされていた
もうわかっただろうか
しかし
これほどの嘆きを
これほどの哀しみを
今は悔いるしかない
百万匹の弔いをした
青空をふいにふさがれた
これまで呼ばれていた
海であり土であり空であり

同胞よ、同胞たちよー

大海原を前にした瓦礫の街に立てば
見渡す限りの平原なのに
私は支えのない球体によろめく
悲しいピエロのようだ
どくどくと流れる毛細血管
春まだ浅い東北が
焦点距離を混乱させ
声にならない胸騒ぎを呼びよせた
すると
親たちが語っていたその言葉
それが濡れた瞳に映った
<同胞よ、同胞たちよー>                                                          

超日常

木材たちの死体置き場だ
防潮林だったという無残なマツたちが
見渡す限りの水田に横たわる
海水が押し寄せた
乾いた土にはボラたちが
納屋にスコップを入れれば
硬直したフッコやカニたち
あの日
海の生き物たちは境界を超え
獣のような大地へ
何を伝えようというのか
その超日常は                                                               

冷え冷えとした既視感

既視感が未明に冷え冷えと
醒めた脳髄に押し寄せてくる
一人の女性が
何度も生まれ変わって
築いた優しい星
永遠の命がその星を見守っていた
みんなの母・女王が
故郷・地球に向かったとき
邪悪な細菌に侵された星は
大地震と共に滅びていく
手塚治虫「火の鳥・望郷編」
そのSFを超えねばならぬ

落ちないための第六感

被災地へ 被災地へ
できることはわずかだと知りながら
手を差し伸べなければと
私が私に命じるのだ
いや
私ではなく
私のDNAが壊れないために
足を向けさせるのだ
たくさんのあなたを哀しませることは
きみが打ちのめされることは
私も深い谷に共に落ちていく
そんな第六感に導かれて

一分でも遅れていたら

大勢が避難してきた駐車場から
車を捨て離れようとしていなければ
その判断が1分でも遅れていたら
それでも津波は胸の高さまで
どうやって自宅に辿りつき
二階に逃げ込めたのか
あのとき地獄を見てしまった
石巻の専門学校生
「父母は無事だったがー」
「だったがー?」
「大川小に通う甥っ子が・・・」

(「大震災詩35編」は、「その2」、「その3」と、3回に分けて順次掲載する予定です)

 『序説18号』の一斉売り出しは8月いっぱいのみ。あと8日間の限定発売です。定価は1000円+税(一冊計1050円)。事務局が売り上げた場合、1冊に付き、300円を災害支援「チーム日光」に寄付します(大半の発売先がやはり、そのようにするそうです)。期間が迫ってきたので、改めて発売先一覧を下記に。ぜひお買い求めを。という宣伝もさせていただきます。郵送を希望する方は、「序説」事務局の黒川純に問い合わせを。連絡先は以下の通り。〒321・1421 栃木県日光市所野1541の2546 電話0288・25・3348。Eメールqk3y-tmok@asahi-net.or.jp   ツイッターsunadokeiha

◎書店「TSUTAYA 今市店」

◎トンボ玉づくり体験工房「エカト」(今市、「日光珈琲」そば)

◎コーヒー店「日光珈琲」(今市、二宮神社近く)

◎「幾何楽堂」(「チーム日光」代表のログハウス、霧降高原)

◎観光施設、霧降高原「チロリン村」(霧降高原)

◎ホステル「鳴沢ロッヂ」(霧降高原)

◎古本屋「砂時計主義」(「序説」事務局、霧降高原)

◎小さなホテル「森の詩(うた)」(日光明峰高校そば)

◎ゲストハウス「巣み家」(東武日光駅、JR日光駅そば)

◎ゲストハウス「にっこり荘」(世界遺産「神橋」近く)

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2011年8月22日 (月)

災害支援ボランティアはこんな姿  「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(6・完)

Dscn3842   ((歌津の海岸から数キロ入った農家の庭先に元気よく咲いていたツバキ)

 今回の南三陸歌津の支援について、5回にわたってアップしてきたが、最終回の第6回は、「チーム日光」メンバーの個々人の働きぶりや表情などを紹介したい。今回のメンバー23人の年齢は幅広く、高校1年生から60歳代まで。

 三陸の災害支援はすでに13回目というコサカ代表やともちゃんのほか、今回で何度目かの常連組、あるいは初参加の人たちも。現地での助っ人は真剣に、和気あいあいとやることができた(私は「定置網引き上げ作業」であえなくダウン~)。

 今回の「砂時計主義」は、そんなメンバーの雰囲気が伝わり、「わたしもチームに加わって、南三陸町の支援に行きたい」。そんな人にも向けて。問合せは公式ブログ「チーム日光のキセキ」で。活動の軌跡や連絡先が掲載されています。それでは~以下に写真特集で?。

Dscn3941 (「チーム日光」の代表代行を務めるなど大活躍したオオシマクン)

Dscn3959 (インド・マリ峰の世界初登頂を果たし、さらに富士登山の翌日に南三陸に姿を現したカタヤナギさん)

Dscn3976 (樹木にひっかかっている漂着物を取り除くハタナカさんとヨモギタさん)

Dscn3939 (高校1年生で参加した最年少のユウホクン)

Dscn3956 (定置網作業で「最優秀ボランティア賞」?に選ばれたアオキさん)

Dscn3974 (チームの「宴会部長」?としても活躍したコバヤシさん)

Dscn3955_2 (三陸ボランティア13回を数える「チーム日光」代表のコサカさん)

Dscn3733_2 (チーム日光の「女房」役、ニッカポッカが似会うトモちゃん)

Dscn3775 (「海の男」でもあったハンターのクマさん)

Dscn3948(災害支援「チーム日光」の公式ブログ管理人のツジムラさん)

Dscn3774 (東京からはせさんじたデザイナーの殿、いや、トノ)

Dscn3776(無心に?漂流物除去作業に取り組む人形師のミヤケン)

Dscn3771(ていねいな作業で定評があるオオフジさん)

Dscn3749(定置網作業では「応援団長」を務めたヤナギダさん)

Dscn3949(「山頭火句集」なども見つけていた「日光を漂ふ」のオダイラさん)

Dscn3988 (ふだんはものすごくお堅い仕事をしていらっしゃるナガノさん)

Dscn3963_2(「チーム日光」のマイクロバスの運転手も引き受けてくれたヤナカさん)

Dscn3942 (やはりマイクロバスの運転手を務めてくれたヒグチさん)

Dscn3968

Dscn3789

Dscn3958 

Dscn4025

Dscn3906(最後にこの人、「ガンコな主張」のコヅカさん)

Dscn4039(南三陸歌津を災害支援した今回の「チーム日光」メンバー、ほかにコサカ代表ら3人いるが、この時間、別の場所へ=12日、現地のRQ歌津センター)

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2011年8月21日 (日)

日常のボランティア最前線 「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(5)

Dscn3845 (ボランティアが命の洗濯をした「魚竜の湯」=10日、南三陸町歌津)

 歌津の災害支援ボランティアにとってありがたいのは、歌津中学校内に「魚竜の湯」があることだ。春から設置され、被災者に加え、災害ボランティアたちも入浴することができる。燃やすのは下水処理場からでる汚泥を乾燥させたもの。バイオマス燃料のお風呂というのもいい。

 今回は猛暑での作業で、身体は汗でだくだく。10日、11日の両日とも作業を終えたところで、「魚竜の湯」へ。お風呂は二つあり、片方が40度ほど、もう片方はそれこそ熱いお風呂。6人が一度につかることができる。もう「極楽~極楽~」といった感じだった。

Dscn3854  (6人が同時につかることができる「魚竜の湯」、入っているのは私~)

Dscn3849_2 (バイオマス燃料でお湯を沸かしてきた「魚竜の湯」の心臓部)

 「魚竜の湯」は歌津中学校内にあり、お風呂を出ると、校門そばの校舎に呼びかけが。「”がんばろう”心ひとつに 歌津」。そこからRQ歌津センターのテント村まで坂道をゆっくり歩いてゆく(11日は通りがかったRQの軽トラに便乗したのだが~)。

 夕食は午後6時から。ふだんはボランティアが当番で調理する。たまたま10日はバーベキューの日、11日は歌津中避難所お別れ会があり、勝手が違った。テント村内にある仮設トイレの掃除もふだん当番制。5月のときに手をあげたことがあるので、今回もと思ったが、出番がなかった。  

Dscn3850 (「魚竜の湯」はボランティアスタッフが運営しているので「募金箱」も)

Dscn3857(「魚竜の湯」をでると、目の前の歌津中学校校舎にはこんな「言葉」が)

 災害支援でテント村に着いて、まずやることはテント設営。キャンプ用のテント、登山用のテント、一人用や数人用など、メンバーのテントはさまざま。私は2人~3人用テント。ゴム製のハンマーを持参したが、今回は土が堅くて打ちこめない。メンバーが持ってきた金属製ハンマーでようやく張ることができた。

 テント張りに慣れていないメンバーにはメンバーの登山家などが助っ人に。テントが張れたら、中にブルーシートを敷き詰める。そのうえに銀マットを敷く。それに枕を。春はすべて着こんで寝袋にくるまっても東北の寒さがこたえた。夏本番の今回は寝袋は不要の安眠キャンプだった。

Dscn3866 (RQ歌津のテント村はテントや物干しでいっぱい=10日夕)

Dscn3868 (作業後、まずはテントで休憩~=10日、RQ歌津センター)

Dscn3904 (「チーム日光」には、こんな信条?のメンバーも)

 10、11の両日とも地元の人たち、とくに結の伊里前契約会や避難所生活を終える人たちなどと、一杯を交わす貴重な機会に恵まれた。いずれもほろ酔い程度でテントに帰還。その後、今度は「チーム日光」のメンバーと少しだけ一杯~。

 私は今回、手動で(手で腕を回す)充電できるランタン(もともと電池はない。これは便利だ)とラジオ付き懐中電灯を持って行った(ほかにトイレに行く場合などに使うLEDのミニ懐中電灯も。春先はさらにヘッドランプも)。その灯りで持参した日本酒や洋酒で少しだけ(ほんとに少しだけやることができた)

Dscn3892 (手動式ランタンや懐中電灯の灯りでテント内で一杯も~)

Dscn3902(目覚めてみたら、風でこんなふうになっていたメンバーのテントも)

Dscn3893 (朝はラジオ体操第一、第二で元気に=11日早朝、RQ歌津センター)Dscn4034 (「チーム日光」などが滞在したRQ歌津センターの標識?)

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2011年8月20日 (土)

「友あり 道あり 明日あり」 災害支援「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(4)

Dscn4173 (阿部友昭・歌津中校長が「チーム日光」のメンバーに贈ってくれた色紙) 

 今回の南三陸町歌津の災害支援では地元との交流、というかきずなを深めることができた。それが印象的だった。たまたまだったが、2日目の11日は歌津中の避難所のお別れ会があった。継続して歌津を支援しているRQの一員である「チーム日光」の多くのメンバーも同席させていただいた。

 避難所お別れ会は歌津中体育館で。一時は600人もの被災者であふれていたというが、仮設住宅などに移り住むなどで、最後に残ったのは3家族8人。その被災家族や伊里前の区長さんなど、歌津の人たちと、あの日のことを聴きながら、お酒を酌み交わしたり、参加者全員で震災5カ月の黙祷を捧げたりもした。

P1050913 (歌津中体育館であった避難所お別れ会=11日 撮影・ヨモギタさん)

P1050949 (踊りまくる阿部・歌津中校長・右端=11日、歌津中体育館舞台、撮影・同)

 避難所お別れ会で印象的だったのが、お別れ会の途中で参加者全員に「炭坑節」のふりつけを教えていた歌津中の阿部友昭校長(58)。参加した「チーム日光」のメンバーのだれもが異口同音に「えらい人だね」~」と、そんな感想を口にしていた。

 思わずにこっとする場面をつくっていたのもそのひとつ。お別れ会の「主役」を演じ切っていた阿部校長と私は初対面。私が「校長先生でしたね」と声をかけると、阿部校長は大真面目に「いいえ、絶好調(校長)です(これには周りのみんなも笑ってしまった)。

P1050950 (阿部校長の指導で参加者が「炭坑節」のふりつけを習う=11日、撮影・同)

P1050969 (阿部校長=左端=らが考案したTシャツで 「炭坑節」=11日、撮影・同)

 阿部校長と「チーム日光」の参加メンバーはほかにも大いに交流。阿部校長は地元で考案したという復興商品で「Re:」をあしらった「絆」というTシャツ(1900円)を紹介。それを買い求めたメンバーと「炭坑節」を唄いながら、仲良く記念撮影。それに阿部校長は23人のメンバー全員に「友あり 道あり 明日あり」の色紙を贈ってくれた。 

 阿部校長といえば、ひげはもじゃもじゃとのびっぱなし。それが話題になったところで、阿部校長は「あの日からそのままにしています。でも、13日でそれもさっぱりすることに」。その13日は大震災・大津波で延期となっていた歌津中の卒業式なのだ。阿部校長にとって大震災に対するひとつの区切りなのだろう(もうひげはそったさっぱりした顔になっているだろうな)

P1050924_2 (歌津中避難所のお別れ会にはこんなご馳走も用意されていた=撮影・同)

Dscn3880 (初日の10日夕は地元の結、伊里前契約会のみなさんとバーベキューも)

 地元との交流でいえば、初日の10日夜も。その日はたまたま水曜日。RQ歌津センターでは、毎週この曜日に、地元の人とも交流するバーベキューをやっているという。同日夕から結(ゆい)・伊里前契約会の人たちや「チーム日光」などのボランティアなどがテント内の火を囲んだ。

 5月末にここの災害支援に訪れたときも、伊里前契約会の人たちとは歌津中で酒を酌み交わしている。そのうちの大半がやってきてくれた。その一人、漁師さんは前日に気仙沼で獲れたというイカを提供。目の前で姿焼を調理し、ふるまってくれた。その美味しいこと。飛ぶようにボランティアたちの口から口へ。

Dscn3870(バーベキューではRQ歌津の現地リーダーが率先して世話を焼いた)

Dscn3878 (一晩前に気仙沼で獲れたばかりの新鮮なイカが地元から提供された)

 今回の大震災ではとにかく被災地のため、被災者のため(結局はめぐりめぐって自分のためになるのでもあるが)災害支援へ。それも「チーム日光」の小坂代表が縁をつくった南三陸歌津伊里前へ。それがこうした形で被災者とメンバーの多くが自然に地元と交流できたことは特筆すべきことだろう。

 「5ケ月間の避難所生活、ごくろうさまでした」。私はただその一言だけを伝えたいため、最後に残った3家族・8人のうちの大工さんだったというチバさんに声をかけた。その一言から、3・11の模様、その後の生活や仕事、娘や息子の話し、仮設住宅への引っ越しや歌津中卒業式などについて膝を交えることができた。 

Dscn3890 (そのイカを伊里前契約会の漁師さんがすぐにふるまってくれた)

Dscn4167  (メールの返信 「RE;」をあしらった南三陸歌津の「絆」Tシャツ)

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2011年8月19日 (金)

津波の爪跡は今も 災害支援「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(3)

Dscn3859  (歌津中に近い住宅街の道路ぎわで大きく咲いていたヒマワリ=10日)

Dscn3837 (高台のJR歌津駅から眺めた南三陸町歌津の「街」=10日)

 あの日からもう5カ月。災害支援「チーム日光」が南三陸町歌津の支援で今回、滞在したのは10~12日。2日目がその日だったが、津波の爪跡は今もそのまま残されている。

 歌津の「街」は残骸はもう片付けられ、遠くが見通せる更地に。電柱の列がここが市街地だったことを思わせるだけだ。あれからかなりの月日が過ぎたが、市街地、それもJR気仙沼線歌津駅の周辺を歩くと、改めて津波の威力を思い知らされる。Dscn3806 (JR歌津駅近くにある千切れて捻じ曲げられているレール=10日)

 とくに歌津駅近くの鉄路に近づくと、その力を思う。5月末にもこの現場は視ているのだが、それから2カ月半も経ってもそのまま。津波で無惨にちぎれたレールがねじまげられながら山側の道路に垂れ下っている。

 レールというのは直線の代名詞と言ってもいいと思うが、奇妙にねじまげられたうえ、ジェットコースターのようなレールになっている。高台にある歌津駅に向かうと、消えた「街」がそのまま。。

Dscn3808 (近寄って視ると、JR気仙沼線のレールはこんな形のまま)

 10日午後の災害支援作業を終え、RQ歌津センターに向かう途中で歌津駅に立ったのだが、たまたま警視庁機動隊の大型バスを遠望できた。数台も入ってきたろうか。

 3月や4月は東北道を走る車は災害支援車両だらけだった。自衛隊、警察、消防車、救急車、ボランティアの災害支援車両、全国各地の自治体の給水車など。それが今ではほとんど見かけない。「珍しかった」?ので、写真を撮ってみた。Dscn3816 (歌津駅でたまたま見かけた警視庁機動隊の大型バス=10日)

 歌津駅構内で視たレールも山側に大きくねじれ、高台から落ちていた。よく視ると、レールに雑草が覆いかぶさるように。「前に来たときに見たレールにこんなに雑草は生えてはいなかったですよ」。そう言いながら、やはりこの構内を撮っていたメンバーのヨモギタさんが写真を見せてくれた。

 海岸沿いのバイパスに架かる歌津大橋は途中から橋脚のまま。海岸近くでは残骸や瓦礫、漂着物などが山と積まれている。市街地近くでは何台もの車が整然と折り重ねられた「車の墓場」を見た。5カ月経っても、津波被害は記憶ではなく、まだ現実のままだった。

Dscn3825 (私と同行したコバヤシさんと眺めた歌津の「街」=10日)

Dscn3839 (真っ直ぐなはずのレールは駅構内で今も山側にねじまげられたまま)

Dscn3836 (3・11まで列車が走っていたJR気仙沼線歌津駅の「発車時刻表」)

Dscn4005 (途中から橋脚だけとなったバイパスに架かる歌津大橋=10日Dscn3702 (「チーム日光」のマイクロバスから撮った歌津の「市街地」=10日)

Dscn4011_2(歌津の海岸近くに積み上げられている瓦礫や残骸の山=11日)

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2011年8月18日 (木)

猛暑の林の中で「地引網」?  「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(2) 

  Dscn3994 (猛暑の林の中の「地引網」?=11日午後、南三陸町歌津)

 災害支援「チーム日光」の今回の最大の「仕事」となったのは南三陸町歌津の漁港そばの林に横たわった定置網の漁網。一本が約100㍍、高さ約30㍍。それが何本も林の中に。いずれも複雑にからみあっている、というか、どういう状態になっているのか、まったくわからない。

 11日午後、まるで蛇のようにのたうっている長い網をほぐし、はたいて、裏返し、抜いて、引っ張り,、最後にまとめて整理していく。知恵と機転と力をないまぜにしたうえ、みんなの呼吸をひとつにして進める作業。ヘルメット同士があたったり、足をとられて転んだり。汗まみれの綱引き大会といったところだ。

  作業は午前中からRQの別のボランティアたちが手掛けていた。それを予定していた漂着物除去作業を早めに終えた「チーム日光」が急きょ手伝う格好に。網引き作業は総勢30人ほどの混成ボランティアで行った(「チーム日光」」はこの日午後、網引き作業組と引き上げた網のクリーニング組と、二手にわかれた)

 「林の中で引くから、これがほんとうの地引網だ」。そんな冗談を飛ばしながら、ソ~レ、ヨイショ~、ソ~レ、ヨイショ!。猛暑でもあり、30分もすると、へとへとになる。小休止を繰り返しながら、「うさぎさんチームがんばれ、かめさんチームもがんばれ」。そんな苦しまぎれの掛け声をかけながら、パズルを解くような力仕事が続いた。(それなりに手を抜きながら参加していた私だったが、それでも、ほとんどヘロヘロ状態だった)

Dscn3897 (2日目の11日早朝、ラジオ体操に励む小坂代表とともちゃん)Dscn3901(暑い一日が見込まれる早朝の南三陸町歌津の青い空)

Dscn3905 (メンバーのコズカさんのTシャツが面白かったのでパチリー=11日)Dscn3907 (そのTシャツの裏面はこの通り)

Dscn3908(午前7時半には全体の打ち合わせが=11日、RQ歌津センター)

Dscn3911(日程では現場は「網(引き出し)」に登米から5人とある)

Dscn3992 (定置網を引き出す「綱引き」作業前の状況。すでに別のRQのボランティア仲間が数本を引きだしていた=11日午後)

Dscn4000 (パズルを解くように引き出してゆく定置網の網。「こっちだ」「あっちだ」「通る通る」「脚が絡まった」「こりゃ別の網だ」「ストップです~」「待った」「OKです」「ゴーゴー」「いけるいける」。それはもうかしましく作業が続いた。なんとか終わったのは午後4時近くだった=11日午後1時過ぎ)

Dscn4004 (網の引き出し作業で「最高殊勲選手賞」を得た?メンバーのアオキさん)

Dscn4003(何事もなかったかのように広がっていた歌津の青い海=11日)

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2011年8月17日 (水)

炎天下の災害支援 「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(1)

Dscn3839_4  (大震災から5ケ月。まだ手がつけられていない南三陸町のJR気仙沼線歌津駅の津波で捻じ曲げられた鉄路。雑草が生い茂り始めている=10日、南三陸町歌津字伊里前)

 災害支援「チーム日光」は10~12日、南三陸町歌津の災害支援に。13回目の今回は日光や宇都宮、さらに東京からなど、23人が参加。マイクロバスやマイカーなどに分乗し、7時間で歌津に到着。現地ではこれまで手掛けてきたJR歌津駅から伊里前保育園前の道路沿いの崖状の斜面の漂着物除去作業に精を出した。その距離、約700㍍。

 今回は「チーム日光」の公式ブログの管理人も参加。災害支援の模様はブログ「チーム日光のキセキ」に動画も含めて数回にわたって詳しくアップしてある。ボランティアたちがどんな作業をしているか、それを知るにはこの公式ブログを見るの最適だ。それと重なる画面が多いが、私も作業の合間に撮った写真を紹介したい。

Dscn3738 (津波による漂着物はこのように急な崖にへばりついている=南三陸町歌津 10日)

Dscn3754 崖状の現場では命綱を張って漂着物をひとつづつとってゆく。私も今回初めて命綱の使い方を覚えることができた。外したとたん、崖から滑り落ちるアクシデントも。途中で別の木にひっかかり、けがなしですんだ=10日)

Dscn3790 (水路につかりながらそれぞれ作業中のメンバー=10日)

Dscn3770(道路側から長い棒で漂着物を取り出すメンバー=10日)

Dscn3958 (斜面下の水路のような小川に入っての作業がかなり多かった。釘を打ち付けた木材がかなりあり、対釘防止用板を長靴の下に入れておくのは最低必要条件だ。私もそれで何度も助かった=11日)

Dscn3923_2 (私「砂時計」もこんな「いでたち」で参加していた。樹木などにぶつかる場面がかなりあり、こうした作業にヘルメットは必需品だ=10日)

Dscn3971 (津波に襲われた現場だが、月日が過ぎ、こんな花も咲くように=11日)

Dscn3947 (仕上げの除去作業に精を出す「チーム日光」メンバー=11日)

Dscn3783 (崖から出てくる漂着物は大小さまざま。バックを入れるバックとか、写真帳、あるいは「山頭火句集」の表紙といったものも=10日)

Dscn3794 (漂着物の中にはこんなトロフィーも=10日)

Dscn3782 (漂着物除去作業に大活躍した「災害救援」RQの軽トラ=10日)

Dscn3966 (大きな角材を数人がかりで軽トラに運び入れるメンバー。「チーム日光」が春先から取り組んできた約700㍍の道路沿いの漂着物はこの日で終えることができた=11日)

Dscn3899 (南三陸町の空は朝から太陽がジリジリ=11日)

Dscn3762 (何度か休憩をとって水分を補給しないとやっていけない=10日) Dscn3915 (絶好の木陰を見つけ、「忙中閑あり」の休憩をとるメンバーも=11日)

Dscn38631 (一日の作業を終え、「気分は軽井沢?」のハタナカさん=10日、RQ歌津センターのキャンプ地)

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2011年8月 7日 (日)

なごやかな夏祭りの夜 日光「みんなで和楽踊り」写真特集?

Dscn3510 (練習の成果を発揮する子どもたち=6日夜、日光小校庭)Dscn3584 (笛や唄はやぐらの下の縁台で)Dscn3575 (やぐらを取り囲むようにして踊る市民。幼児も加わっていた)Dscn3519 (夏祭りの縁日に欠かせない「金魚すくい」)Dscn3517 (もちろん、「よーよーすくい」も出店していた~)Dscn3525 (夜食はやっぱり「焼きそば」がいい~)Dscn3621 (天然氷のかき氷づくりは楽しみながらでしたね~)Dscn3529 (これから「浴衣コンテスト」に挑む2人の浴衣美人の「カメラ目線」?Dscn3534 (よく知っている仲良し親子に「写真を撮って」と頼まれてパチリ!)Dscn3597 (「浴衣コンテスト」に参加した10人の浴衣美人たち)Dscn3591 (「みんなで和楽踊り」の会場中央はこんな感じでした)

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2011年8月 6日 (土)

ーそして 再起へ!「第27回宇都宮空襲展」(下)  7日まで中央生涯学習センターで

Dscn3399 (米軍占領下の宇都宮市中心部の道路標識=空襲展会場)

 「うつのみや平和祈念館をつくる会」(藤田勝春代表)が主催する「第27回宇都宮空襲展」(会場・宇都宮中央生涯学習センター)が7日まで3日間、開かれている。この機会にぜひ訪ねてみることをお勧めしたい。

 3・11の大津波で三陸の各市はいわば「焼け野原」のような惨状となったとされる。実際、私が災害支援をしながら視た陸前高田市、石巻市、南三陸町、相馬市も「焼け野原」となっていた。というか、海寄り地区は何にもなかったという感覚の方が正確かもしれない。Dscn3392

Dscn3417 (「B-29」からの焼夷弾の投下状況=空襲展会場)

 私は戦後生まれだ。なので、宇都宮空襲も東京大空襲もヒロシマ、ナガサキも歴史上でしか知らない。それでも父母らからも戦争体験を自然に聞かされてきた。とくに父は特攻隊基地で知られる鹿児島知覧基地の飛行整備兵だっただけに、戦争を身近に感じてきた。

 そういえば、父からはこんなことも。「戦争末期、飛行場でグラマンの機銃掃射を受けたことがある。その米軍パイロットの顔が見える距離から。そりゃ、逃げたのなんの」。聴いたのは私が小学生のときなので、正確ではないかもしれないが、だいたいこんな話だったと思う。

Dscn3411 (大きな破壊力を伴うM47焼夷爆弾の不発弾=空襲展会場)

Dscn3425 (宇都宮空襲による被害状況図=赤色が被害地域だという)

 それでも全国各地の空襲被害は、写真集や体験談で知ってはいても、これまで想像力の範囲内だったのではないか。そのように思える。だが、今回の3・11で「焼け野原」の、あるいはそれ以上の三陸の被害を視てしまった。そのことで、空襲と震災が頭の中でクロスし、その空襲の既視感がどこからか、やってきている。

 7月12、13日、115機の「B-29」による空襲で620人以上が犠牲になったという宇都宮。約2時間20分にも及んだ空襲のその時間、当時の市民たちが焼き尽くされる街の中で、いかに生きて、死んだか。おおげさに言えば、その時間に時間を遡り、私も逃げまどう一人になっている、そんな感覚を覚えないではない。 

Dscn3393

Dscn3390 (「宇都宮空襲展」で「つくる会」から資料の説明を受ける来訪者=5日)

 つまり、今の「震災」を通して時の「空襲」を知る視点が微妙に変わってきたと思えるのだ。片や津波という自然の猛威(フクシマ原発事故という歴史的な人災も)、片や戦争という悪行の結果。とはいえ、いずれも生身の市民が生死の堺に遭ってしまった。

 その惨状から人はどう立ちあがってゆくか、生活をどう立て直してゆくか、街を社会をどう復興してゆくのか。空襲展でも「震災」を強く見据えて、それを強く意識し、テーマもそうしたものにしている。いわく「そして 再起へ!」と。Dscn3422 (「第27回宇都宮空襲展」のポスター。開催は7日夕方5時まで)

第27回宇都宮空襲展のご案内

宇都宮市をはじめ多くのマスコミ機関や市民団体の後援のもとに開催される当会最大のイベントです。会で収集した遺品や資料の展示、会で製作した戦災当時の立体模型やパネルの展示、戦災の絵画展、紙芝居や「はだしのゲン」その他のビデオの上映等ですが、時折の国際、国内情勢に対応して毎年新しい視点からの企画をもとに、市民の皆さんに戦争の恐ろしさと無意味さを充分にお伝えできるような内容を盛り込むよう努力しております。

本年は戦争期のソビエト抑留の生活に焦点を当て、当時の生々しい抑留生活の記憶を肉筆で描いた絵画が多数展示されます。

また、『宇都宮空襲と終戦直後の市民生活』につきましても、昨年にひきつづき、広く市民の皆さんから写真・記録などを募集し公開展示したい考えです。

これらの展示を通して、戦争と平和を考え「いのち」の尊さを考える一助としていただければ幸いです。の他のビデオの上映等ですが、時折の国際、国内情勢に対応して毎年新しい視点からの企画をもとに、市民の皆さんに戦争の恐ろしさと無意味さを充分にお伝えできるような内容を盛り込むよう努力しております。

本年は戦争期のソビエト抑留の生活に焦点を当て、当時の生々しい抑留生活の記憶を肉筆で描いた絵画が多数展示されます。

また、『宇都宮空襲と終戦直後の市民生活』につきましても、昨年にひきつづき、広く市民の皆さんから写真・記録などを募集し公開展示したい考えです。

これらの展示を通して、戦争と平和を考え「いのち」の尊さを考える一助としていただければ幸いです。

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2011年8月 5日 (金)

-そして 再起へー第27回宇都宮空襲展(上) 7日まで中央生涯学習センター

Dscn3420 (宇都宮を空襲した米軍の「B-29」 10分の1の模型=空襲展会場)

 1945(昭和20)年7月12日、B-29の夜襲で市民620人以上の死者を出し、廃墟と化した「宇都宮空襲」、その惨状を後世に語り継ぎ、「命の尊厳」を基調とする「恒久平和」への強い願いを多くの市民に伝えるためにー。

 宇都宮空襲を伝える資料を収集したり、被害市街地の立体模型を作成したり。戦争遺跡をめぐるピースバスを運行するなどもしている「うつのみや平和祈念館をつくる会」(藤田勝春代表)。同会による「宇都宮空襲展」が今夏も5日から、宇都宮中央生涯学習センター(6階、3階)で始まった。7日まで。

Dscn3414 (宇都宮に投下された「集束焼夷弾」の実物大模型=空襲展会場)

 戦後40年の1985(昭和60)年に初めて開催し、今夏が27回目。テーマは「いのち、くらし、そして 再起へ!」。東日本大震災後の空襲展であり、テーマや呼びかけは「空襲と震災」をクロスさせている。

 空襲展のチラシではこううたっている。

 「3月11日、-津波の去った”町”の映像に『あの時代』を思い出した年輩の方も多くいらしたのではないでしょうか。もちろん、その原因はまったく違いますが・・・」

Dscn3392

 「心を残して逝ってしまった多くの犠牲者への思いを秘めつつ、極限の状況から明日に向かって再び起ち上がり、現在に繋げてきた人々の苦闘と営為。今、再度『あの時代』のくらしやこころを振り返り、明日に活かしていきませんか!」。

 毎年、この時期に「宇都宮空襲展」をやっていることは知っていたが、いつも終わってから気づき、残念がっていた。今夏はつい数日前に友人で空襲展の世話役をしているサトウシンメイさんから開催を伝える手紙が届いていた。

Dscn3403(昭和20年8月はじめころ 二荒山神社から南を視た宇都宮市街地

 ということで、さっそく、日光から宇都宮の初日の会場へ。いきなり、B-29の10分の1の模型にお目にかかった。さらに宇都宮に落とされた集束焼夷弾の実物大の模型、徹底的に破壊された宇都宮の中心市街地の様子などなどー。

 会場で1500円で買い求めた『うつのみやの空襲』(宇都宮市教育委員会発行、2001年3月)によると、7月12日の空襲は午後11時19分から翌13日の午前1時39分ごろまでの約2時間20分。

Dscn3408 (市街地の65%が空襲に遭った宇都宮の被害状況

 襲ったのは、マリアナ諸島ティニアン西基地にいた第58航空団。宇都宮へ飛び立ったB-29は133機。そのうち故障などで10機が帰還し、実際に空襲したのは115機だという。

 問題は落とした焼夷弾の総量。大きな破壊力を伴う「M47焼夷爆弾」は10500個、重量約326トン。親爆弾が38個の小型弾に分かれて落下する「E46集束焼夷弾」が2204個、重量440、8トン。

 えっ~。つまりこの7月12~13日に宇都宮に投下された焼夷弾の総量は12、704個、約804トン。集束焼夷弾を小型弾M69の個数に直すと、なんと~約10万個。「この数は当時の宇都宮市の人口にほぼ相当し、一人当たり1個以上の焼夷弾が投下されたことになる」という。

Dscn3422 (第27回宇都宮空襲展のポスター=中央生涯学習センター入口)

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2011年8月 1日 (月)

「大震災・フクシマ特集」・『序説』、各店で販売 災害支援チームに3割寄付も正式決定

Dscn3366 (砂時計家で爽快に開いた『序説』総会という懇親会=7月30日、日光霧降高原)

 大学時代からの仲間や恩師らでつくる全共闘世代同人誌『序説』が1年に一度開く総会・懇親会(という飲み会)が7月30日、日光霧降高原の砂時計家であった(仲間同士、もう40年間のつきあいになる~)。

 同人12人、準同人1人の計13人のうち、10人が参加。栃木、群馬、茨木、東京、さらに「フクシマ原発」の福島からも駆けつけた。夕方から深夜まで爽快に論じ、食べ、呑みの楽しいひとときを過ごした。

Dscn3389 (日光の書店でも販売を始めたことなどを伝える『序説』総会・懇親会の資料)

 事務局の私がつくった資料で、冒頭、今回の『序説18号』について説明。「東日本大震災・フクシマ原発特集」としたこともあり、はっきりと定価(1000円+税)をつけ、書店などでも売り出すことにしたと伝えた(例年はこのところ、非売品扱いだった)。

 さらに特集との絡みもあり、一冊に付き、約3割の300円は災害支援に、それも南三陸町歌津の災害支援をずっと継続している災害支援「チーム日光」に寄付することも、異論なく正式に決めた。

Dscn3372 (『序説』の2日目のお昼は鉄板焼きの焼きそば。本場・富士宮の焼きそばだ=7月31日)

 災害支援「チーム日光」に1冊に付き300円を寄付することは事務局の私だけで決めていたため、総会の確認が得られるまでは事務局で裁量できる100冊程度だった。それがこの日の総会で事務局が販売するすべてついて、災害支援を兼ねることが決まった

 販売は会費の赤字圧縮に役立つのはもちろんだが(寄贈分を除いたすべてを売っても、制作費まで届かない赤字財政なのだが~)、仮に100冊売れれば、災害支援に3万円、200冊なら6万円を回すことができる。『序説』がそんな役に立つことができれば、私たち、さらに「チーム日光」のメンバーでもある私としても、うれしい。

Dscn3354 (「300円は災害支援へ」の『序説 18号』、30日だけで10冊が売れた=「日光マルシェ」)

 ということで、本日、1日までに日光の書店など10カ所ほどに『序説18号』を置かせてもらった。一方、きまぐれな?古本屋「砂時計主義」を主宰する私は30日、震災復興を願う「日光夏祭」の「日光マルシェ」に出店し、この日だけで10冊を求めてもらった。友人、知人はもちろんだが、市民や観光客にも。

 『序説 18号』を置かせてもらうのは、8月の1ケ月間に限定している。その間にぜひ、お買い求めを。と、~お願いしたい。以下に1日現在、『序説18号』があるところや置く予定のお店などをアップしておきます(大半が石巻市や南三陸町などのボランティアで汗を流している災害支援「チーム日光」の仲間たち)。

◎書店「TSUTAYA 今市店」

◎トンボ玉づくり体験工房「エカト」(今市、「日光珈琲」そば)

◎コーヒー店「日光珈琲」(今市、二宮神社近く、了解済み・一両日中)

◎「幾何楽堂」(「チーム日光」代表のログハウス、霧降高原)

◎観光施設、霧降高原「チロリン村」(霧降高原)

◎ホステル「鳴沢ロッヂ」(霧降高原)

◎古本屋主宰「砂時計主義」(「序説」事務局、霧降高原)

◎小さなホテル「森の詩(うた)」(日光明峰高校そば)

◎ゲストハウス「巣み家」(東武日光駅、JR日光駅そば)

◎ゲストハウス「にっこり荘」(世界遺産「神橋」近く)

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歴史は繰り返すが、二度目は笑劇として 「なんでおれ(たち)はあいつのことを信じちゃったのか?」

Dscn3383 (大澤真幸の「なんでおれ(たち)ー」など、興味あるエッセイが載っている「ユリイカ6月号」。茨木のイソヤマ君が持ってきてくれたばかりの冊子だ)

「なんでおれ(たち)はあいつのことを信じちゃったのか?」大澤真幸(『ユリイカ6月号・特集 山下敦弘』)から

フランス革命に関するマルクスの論評は、二月革命についての彼のもっとも有名な一言とセットにして解釈しなくてはならないのだ。マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭で、歴史は繰り返すが、二度目は笑劇となる、と述べている。マルクスは、一九四八年にフランスで二月革命が起き、結局、ナポレオン三世がク・デタ(クーデター?)で皇帝になるまでの過程が、それより半世紀以上前に、フランス革命が勃発して、最後にはナポレオンが皇帝に就くまでの一連の出来事の反復だった、と述べているのである。どうして歴史は反復するのだろうか? しかも笑劇という形で反復するのか? この点を考えると、フランス革命へのマルクスの批判は、革命の「化けの皮を剥ぐ」というかたちのよくある批難とは別のところにあるーむしろ対極にあるーことがわかる。

                                               

革命が反復されるのは、卑屈な現実の背後にも、自由や平等、あるいは博愛等によって彩られたユートピア的な領域が隠れており、(一度目の)革命が起きてしまった後にも、それが現実に取り憑いたまま離れることがないからである。マルクスが述べているように、革命の後に実際に出現するのは、功利主義的な世界であるかもしれない。しかし、その功利主義的な世界には、「実際には生起しなかったこと」が、つまりユートピア的な期待が貼りついている。そのとき、人々には、現実に出現している功利主義的な世界は、どうしても、隠れたユートピア的な期待への裏切りや約束違反として感じられ、体験されるだろう。そのため、革命は必然的に反復されることになる。人々が、裏切られた期待を実現してもらおう、果たされなかった約束を果たしてもらおうとするからである。

                                               

ならば、どうして反復された二度目は笑劇の様相を呈するのか。最初の革命で、まず、ユートピア的な期待は満たされない。マルクスが述べたように、結局は、打算にまみれた卑屈な現実が出現する。このとき、人は、これを悲劇と感じる。そして、満たされなかった期待をほんとうに満たすべく、革命が反復される。しかし、たいてい、二度目の革命においても、ユートピア的な期待は裏切られ、約束は果たされぬまま返上されてしまう。この二度目の革命の挫折は、もはや悲劇というより笑劇の様相を呈する、とマルクスは見ているのである。

                                                

ここで間違ってはならない。マルクスは、ユートピア的な期待(理想)が何度も繰り返し裏切られることを、ダメなこととして(のみ)語っているわけではないのだ。重要なことは、つまらない卑俗な現実が期待を裏切っているということではない。逆である。それほどまでにつまらない現実にさえも、下劣な欲望に規定された現実にさえも、ユートピア的な期待が取り憑いてしまっているということ、そのために執拗な反復が誘発されるということ、この点にこそ、マルクスの主張の重心がある。

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