津波の爪跡は今も 災害支援「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(3)
(歌津中に近い住宅街の道路ぎわで大きく咲いていたヒマワリ=10日)
あの日からもう5カ月。災害支援「チーム日光」が南三陸町歌津の支援で今回、滞在したのは10~12日。2日目がその日だったが、津波の爪跡は今もそのまま残されている。
歌津の「街」は残骸はもう片付けられ、遠くが見通せる更地に。電柱の列がここが市街地だったことを思わせるだけだ。あれからかなりの月日が過ぎたが、市街地、それもJR気仙沼線歌津駅の周辺を歩くと、改めて津波の威力を思い知らされる。 (JR歌津駅近くにある千切れて捻じ曲げられているレール=10日)
とくに歌津駅近くの鉄路に近づくと、その力を思う。5月末にもこの現場は視ているのだが、それから2カ月半も経ってもそのまま。津波で無惨にちぎれたレールがねじまげられながら山側の道路に垂れ下っている。
レールというのは直線の代名詞と言ってもいいと思うが、奇妙にねじまげられたうえ、ジェットコースターのようなレールになっている。高台にある歌津駅に向かうと、消えた「街」がそのまま。。
10日午後の災害支援作業を終え、RQ歌津センターに向かう途中で歌津駅に立ったのだが、たまたま警視庁機動隊の大型バスを遠望できた。数台も入ってきたろうか。
3月や4月は東北道を走る車は災害支援車両だらけだった。自衛隊、警察、消防車、救急車、ボランティアの災害支援車両、全国各地の自治体の給水車など。それが今ではほとんど見かけない。「珍しかった」?ので、写真を撮ってみた。 (歌津駅でたまたま見かけた警視庁機動隊の大型バス=10日)
歌津駅構内で視たレールも山側に大きくねじれ、高台から落ちていた。よく視ると、レールに雑草が覆いかぶさるように。「前に来たときに見たレールにこんなに雑草は生えてはいなかったですよ」。そう言いながら、やはりこの構内を撮っていたメンバーのヨモギタさんが写真を見せてくれた。
海岸沿いのバイパスに架かる歌津大橋は途中から橋脚のまま。海岸近くでは残骸や瓦礫、漂着物などが山と積まれている。市街地近くでは何台もの車が整然と折り重ねられた「車の墓場」を見た。5カ月経っても、津波被害は記憶ではなく、まだ現実のままだった。
(真っ直ぐなはずのレールは駅構内で今も山側にねじまげられたまま)
(3・11まで列車が走っていたJR気仙沼線歌津駅の「発車時刻表」)
(途中から橋脚だけとなったバイパスに架かる歌津大橋=10日
(「チーム日光」のマイクロバスから撮った歌津の「市街地」=10日)
(歌津の海岸近くに積み上げられている瓦礫や残骸の山=11日)
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