「友あり 道あり 明日あり」 災害支援「チーム日光」南三陸歌津・写真特集(4)
(阿部友昭・歌津中校長が「チーム日光」のメンバーに贈ってくれた色紙)
今回の南三陸町歌津の災害支援では地元との交流、というかきずなを深めることができた。それが印象的だった。たまたまだったが、2日目の11日は歌津中の避難所のお別れ会があった。継続して歌津を支援しているRQの一員である「チーム日光」の多くのメンバーも同席させていただいた。
避難所お別れ会は歌津中体育館で。一時は600人もの被災者であふれていたというが、仮設住宅などに移り住むなどで、最後に残ったのは3家族8人。その被災家族や伊里前の区長さんなど、歌津の人たちと、あの日のことを聴きながら、お酒を酌み交わしたり、参加者全員で震災5カ月の黙祷を捧げたりもした。
(歌津中体育館であった避難所お別れ会=11日 撮影・ヨモギタさん)
(踊りまくる阿部・歌津中校長・右端=11日、歌津中体育館舞台、撮影・同)
避難所お別れ会で印象的だったのが、お別れ会の途中で参加者全員に「炭坑節」のふりつけを教えていた歌津中の阿部友昭校長(58)。参加した「チーム日光」のメンバーのだれもが異口同音に「えらい人だね」~」と、そんな感想を口にしていた。
思わずにこっとする場面をつくっていたのもそのひとつ。お別れ会の「主役」を演じ切っていた阿部校長と私は初対面。私が「校長先生でしたね」と声をかけると、阿部校長は大真面目に「いいえ、絶好調(校長)です(これには周りのみんなも笑ってしまった)。
(阿部校長の指導で参加者が「炭坑節」のふりつけを習う=11日、撮影・同)
(阿部校長=左端=らが考案したTシャツで 「炭坑節」=11日、撮影・同)
阿部校長と「チーム日光」の参加メンバーはほかにも大いに交流。阿部校長は地元で考案したという復興商品で「Re:」をあしらった「絆」というTシャツ(1900円)を紹介。それを買い求めたメンバーと「炭坑節」を唄いながら、仲良く記念撮影。それに阿部校長は23人のメンバー全員に「友あり 道あり 明日あり」の色紙を贈ってくれた。
阿部校長といえば、ひげはもじゃもじゃとのびっぱなし。それが話題になったところで、阿部校長は「あの日からそのままにしています。でも、13日でそれもさっぱりすることに」。その13日は大震災・大津波で延期となっていた歌津中の卒業式なのだ。阿部校長にとって大震災に対するひとつの区切りなのだろう(もうひげはそったさっぱりした顔になっているだろうな)
(歌津中避難所のお別れ会にはこんなご馳走も用意されていた=撮影・同)
(初日の10日夕は地元の結、伊里前契約会のみなさんとバーベキューも)
地元との交流でいえば、初日の10日夜も。その日はたまたま水曜日。RQ歌津センターでは、毎週この曜日に、地元の人とも交流するバーベキューをやっているという。同日夕から結(ゆい)・伊里前契約会の人たちや「チーム日光」などのボランティアなどがテント内の火を囲んだ。
5月末にここの災害支援に訪れたときも、伊里前契約会の人たちとは歌津中で酒を酌み交わしている。そのうちの大半がやってきてくれた。その一人、漁師さんは前日に気仙沼で獲れたというイカを提供。目の前で姿焼を調理し、ふるまってくれた。その美味しいこと。飛ぶようにボランティアたちの口から口へ。
(バーベキューではRQ歌津の現地リーダーが率先して世話を焼いた)
(一晩前に気仙沼で獲れたばかりの新鮮なイカが地元から提供された)
今回の大震災ではとにかく被災地のため、被災者のため(結局はめぐりめぐって自分のためになるのでもあるが)災害支援へ。それも「チーム日光」の小坂代表が縁をつくった南三陸歌津伊里前へ。それがこうした形で被災者とメンバーの多くが自然に地元と交流できたことは特筆すべきことだろう。
「5ケ月間の避難所生活、ごくろうさまでした」。私はただその一言だけを伝えたいため、最後に残った3家族・8人のうちの大工さんだったというチバさんに声をかけた。その一言から、3・11の模様、その後の生活や仕事、娘や息子の話し、仮設住宅への引っ越しや歌津中卒業式などについて膝を交えることができた。
(そのイカを伊里前契約会の漁師さんがすぐにふるまってくれた)
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