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2011年9月18日 (日)

新たな共同体を模索すべき時が来たのだ  詩人・河津聖恵の世界(11)

Dscn4937 (河津聖恵さんが「闇の中でなお美しい言葉の虹」という辺見庸のエッセイ集『水の透視画法』共同通信社)

 とてつもなく重く考えさせられるエッセイ群。それがジャーナリストで詩人、芥川賞作家でもある辺見庸の『水の透視画法』(共同通信社、2011年6月)だ。『反逆する風景』『独航記』『いま、抗暴のときに』『単独発言』など、発売と同時に求めてきたが、その鋭く胸に突き刺さる言葉の海にいつも溺れそうになっていた。

 辺見庸の言葉をそのまま読むには、よほどの勇気がいる。強いオーラに目を焼かれてしまいかねないからだ。確か、そんな会話を私の先輩で、剛腕記者を絵に描いたような増子義久さん(現・岩手県花巻市議)と話し合ったことを思い出す。そんな辺見さんの最新刊のエッセイ集、やはり、真正面から「世界」を、「現在」をえぐりとっている。

 「・・・なすべき内面的省察をしなくなった詩や思想。テクノロジーの発展にぴったり並行して内観がどんどん阻碍され、実存それじたいがむなしくかんじられてしかたがないいまは、世界大戦期およびその前後もふくめ、史上もっとも貧寒とした空洞の時代なのではないか。そこには<世界は見えないものはない>という、万物可視幻想がまるで信仰のように、いや、うすっぺらい宗教そのものとして生きている。だが、われわれにいまなにが見えているというのか」(「おとしめあう世界 動乱と詩集について」

 そして、以前にもこのブログで少し紹介した大震災直後に発表されたエッセイ、「非情無比にして壮厳なるもの 日常の崩壊と新たな未来」。そこで、私たちに問いかけながら指し示すそのことば。

 「愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の『個』が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかではなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか」

 私自身がかみしめて反芻してきたその指摘に河津さんも鋭く反応。ツイッターはもちろん、ブログ、さらに書評でもとりあげている。なかでも、「非情無比御にして壮厳なるもの」に注目。「・・・ただふるえるぼかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをあたえ、ともに生きることができるのか」、その問いにこう語る。

 この切実な問いかけに対し、「生きることができる」あるいは「生きねばならない」と一人一人が応答し、新たな共同体を模索すべき時が来たのだ

以下は『水の透視画法』についての河津さんの書評(全文)。河津さんのブログ「詩空間」から。

朝鮮新報文化面書評(7月20日付)

闇の中でなお美しい言葉の虹──辺見庸『水の透視画法』


                                                                 河津聖恵
 
 本書に収められたエッセイの大部分は、2008年から2011年まで共同通信社配信で全国各紙に掲載されたもの。折々の時事的な話題や日常に触発され書かれた。著者の言葉には固有の鋭敏な論理と深い響きがあり、読む者が今抱える言葉にならない闇に巧みに微光を当て、言語化のためのヒントを与えてくれる。この本は今言葉と最も誠実に向き合う書き手による、「わたしという、よるべないひとりのこころが、読者という、よるべないひとりのこころに、か細い橋をかける行為」の結実である。
 今二つの闇がせめぎあう。一つは、資本の非倫理的な力がうすっぺらな悪を蔓延させる、透明で虚無的な闇。もう一つはこの世の奥から暗い川のようにひそかに流れ込む、いのちの闇。私たちが今生きる世界は、前者が席巻するかに見えて、じつは後者にこそ凝視されている。著者の筆致はそのせめぎあいの脈動を伝える。著者の世界への絶望感は深い。だが言葉を差し入れられ、闇は各所でヒカリゴケのように未知の希望を孕み光り出すのだ。
 著者の世界や社会についての認識は、まっとうで鋭い。「この世界では資本という『虚』が、道義や公正、誠実といった『実』の価値をせせら笑い、泥足で踏みにじっている。そのような倒錯的世界にまっとうな情理などそだつわけがないだろう。なかんずく、実需がないのにただ金もうけのためにのみ各国の実体経済を食いあらし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。それこそが世界規模の通り魔ではないのか」。秋葉原事件の〝真犯人〟は、「眼鏡をかけたあの青白くやせた青年」ではない。彼の犯罪はじつは狂った世界で「起きるべくして起きた人間身体の〝発作〟」なのだ。
 加害者と被害者、善と悪の区別もなく、人間の想像を超えて自走する世界。この世界で傷ついた者たちが、各所で再び身を起こし呻く。「大恐慌、きますか。きたら、ガラガラポンですよね」と吐きすて、ペットの死骸を入れた箱をさするプレカリアートの青年。「半端ねえ。まじ、半端ねえよな……」と「蟹工船」を読んだ感想を慨嘆する学生。赤ん坊の手に感動し、「痛覚が静かによみがえるのを感じて泣いた」新聞記者。生死の汽水域に孤独な眼を深くして佇む母。吐く男をさする異国の青年、いまだ祖国へ深い愛を表現する老共産主義者、すさみのない眼の死刑囚、清掃業の面接を受けるけなげな老女、熱中症で死んだ貧しい老人──。
 一方、かれらを高みから押しつぶそうとする者たちの力はますます強い。「理想主義と現実主義の自己断裂」のような眼の翳りを見せるオバマ大統領、食人的関係を強いる資本家、倨傲の塔を建てる富者、今もひそむ天皇制ファシズムの亡霊、バナナの叩き売りに似た元総理が象徴する日本の腐敗した権力、画一的なエコ運動に走る人々、そして「在日コリアンいじめに手をかすような〝朝鮮学校は対象外〟の方針」を打ち出した民主党政権──。弱者たちはまさにあとひとひねりのようだ。
 しかし三月十一日、日常は崩壊した。故郷の喪失を目の当たりにして著者は綴る。「けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の『個』が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。(…)家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか」。この切実な問いかけに対し、「生きることができる」あるいは「生きねばならない」と一人一人が応答し、新たな共同体を模索すべき時が来たのだ。
 ずっしりと量感のある一冊が響かせるのは、言葉から見放されるな、世界と「膚接」し、「パルレシア」(率直に真実を語ること)を実践せよというメッセージだ。それは、悲惨な世界越しに私達の魂へまっすぐ架けられた、闇の中でなお美しい言葉の虹である。

「震災と原発」に向き合う詩の講演会・朗読会(河津聖恵の世界)

「ひとりびとりの死者」へ、「ひとりびとりの生者」から

10月1日(土)午後5時~7時 JR日光駅2階ホワイトルーム

★前売券・予約 1200円(資料代含む)★当日券・1500円(同)★予約の申し込み・問い合わせはメールまたは携帯で受け付けます メールqk3y-tmok@asahi-net.or.jp 携帯090・5351・3440 (事務局・富岡)。講演会・朗読会終了後、事務局の「砂時計家」で懇親会もあります(参加料2000円)

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