「二十四パターンの一人の美人?▼□★~」 「結婚写真展」の変身に腕を組む・・・
(これはすべて「同一女性」。思わず「ふ~む」と=日光市「日光珈琲」の「結婚写真展」)
「おやっ?」。と思って、さまざまなヘアスタイルをしたたくさんの若い女性の写真を眺めていた。「この娘はなかなかだ」「こっちの娘はいまいちかな~」。などと勝手に評価?しているうちに、ふと、疑問が~。
<もしかしたら、むむ~、同じ人物ではないか?>。そう思っていたら、肩越しに「チーチャンを私たち3人がそれぞれ7~8通りのヘアメイクを施したんです」。ヘアメイクのプロであるクミチャン(吉田公美さん)のそんな説明で初めて同一女性だということを知った。
(3人で一人の女性の24通りのヘアメイクを施したのだという)
説明は受けたものの、やはり、現実にはどうにも、いまひとつ信じられない。あまりにもそれぞれの表情が違うから。というか、顔つきから漂う人格がかなり違うように思えるから。
それにしても、ヘアメイクの技術というのは大変なものだな~。そう思わされたことだった。クミチャンに感想を聞かれたので、こう答えたのだ。そう、こう言うしかないと思われた。「女性は怖いねー」。
正式には「結婚写真展」。鹿沼で初めて開かれ、ここ日光が2回目。主催はヘアメイク、エステ、写真の専門家の女性たちでつくる「ケッコンビト実行委員会」。「ふたりらしさの追求」をテーマに県内各地の名所などで撮影した写真約50点が展示されている。
「結婚」が切実な若い人たちは、その「ふたりらしさの追求」を表現した写真をじっくり観るいい機会だ(写真撮影はいずれもフォトグラファー、水戸辺恵子さんだという)。それもあるが、「こんなヘアメイクも提供できますよ」ということを示した「二十四の顔~」を観るだけでも、会場に足を運ぶ価値があると思う。
(「結婚写真展」の基本はこんな新婚夫妻のたたずまいがさまざまに)
「ふ~む」。会場でそう思ったことで、究極の「美人」についての実験結果が思い浮かんだ。美人といえば、「大変な」「まれな」「まったく」など、普通と違って、ひとランク上の別のものといったイメージを思い浮かべがちだ。
だが、街を歩く若い女性たちを、それも無差別に、例えば、100人を撮影し、それを全部、合成して1人の女性を示すとー。あら、大変な美人が出現する。そういう科学実験?というか、そんな結果が出ていることが知られている。
(11日まで開催されている「結婚写真展」のパンフふうチラシ)
ということは、最も美しい人は(男性でもあてはまるが)、最も平均的な人であることを伝えている。もっともあたりまえであること、もっともふつうであること、もっともバランスがとれていること、それが美と結びついていることがうかがえる。
この結果は、いわば「哲学的」(あるいは「人類学的に」)にとらえることもできるが、「二十四の顔~」をみたことで、その「美人の定義」?を思い出してしまった。片や「一人の二十四人」、片や「百人の一人」。状況や意味は、もちろん違うわけだが、どこかで何かが「共鳴」しているのだと思う。
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コメント
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女性が見る目と男性がみる目がだいぶ違うと思うのですが、
私は人の顔を見分けるのが得意です。えへん!
そして究極の美人について。
昔、いろいろな実験から科学的に、ここは何度、ここは何度といった
ような統計があって、そこに一番違い人が英国のエリザベス・ハーレーだったと
何かで見ました。(もう10年も前の話だけど)
人の顔で疑問に思うのは、左右対称の顔の人っているのかな、というとこです。
投稿: ハル | 2011年9月 9日 (金) 09時45分
ハルさま
「ここは何度、ここは何度」ですかー。たぶん、美人は(美男は)、人類の「集合的無意識」にかかわるものだと思っているのです。つまり、(外国人でも美しく思えるように)、より中心に向かう顔、より均衡のとれた顔、より特徴のない顔。たぶん、相手に不安を覚えさせない、そうした顔なのだと。そうなると何億人の平均が美に。と、勝手に思っているのです。いや、メルロー・ポンティが専門の哲学者、鷲田清一の「顔、この不思議な存在」の趣旨がそうだったかも。
投稿: 砂時計 | 2011年9月 9日 (金) 21時29分