「あらたな始発駅=原点から、また詩の旅を」 詩人・河津聖恵の世界(19)=番外編=
(会場前の10分間、テーマソング的に会場に響き渡らせた米国のロックバンド「CCR」の「雨を見たかい」のLPレコード=会場ではこの歌のCDを使ったがー)
このブログでも予告していたが、「震災と原発」をテーマにした京都の詩人、河津聖恵さんの詩の講演会・朗読会では開場前にCCRの歌「雨を見たかい」を流した。午後4時50分から約10分ほど。1971年1月、全米8位のヒット曲だが、反戦歌とみなされ、放送禁止歌となってしまったとされる歌だ。
なぜか。「晴れた日に降ってくる雨」がベトナム戦争で盛んに投入された米軍のナパーム弾を比喩しているとされたからだ。ずいぶん過ぎてから、この歌詞はCCR自身の崩壊をうたった歌だと、作詞者自身が語ってはいる。それでも、1970年代からずっと、反戦歌だと受け入れられてきた。歌詞や音楽それ自体に、そうした力があったからだ。
実行委のあいさつで、そうした経過があったことは、集まっていただいた参加者のみなさんにお伝えした。それも「晴れた日に降ってくる雨」は「晴れた日に降ってくる放射能」と二重写しにと思えたからだと。詩の講演会・朗読会はそれから始まった。
講演会・朗読会の模様を本格的にブログにアップしようとしたら、すでに全体状況を人気ブログ「『日光』ふぃふぁ山荘」さんがアップ、さらに河津聖恵さん自身が、自身のブログ「詩空間」で、当日の感想について語っていた。ので、今回は「番外編」?として、河津さんの「講演会・朗読会のご報告」をそのまま掲載することにした。
(以下は河津さんのブログ「詩空間」から)http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/10/101-ae02.html)
10月1日に日光で行った「原発と震災」をテーマとした講演会・朗読会のご報告
大変遅くなりましたが、日光での講演会・朗読会のご報告です。
といっても、まだ私自身の報告の文章は出来ていません。すでに参加されていた方、主宰者の方の、客観的ですばらしい報告があるので、まずそちらをぜひ御覧いただきたく、紹介させていただきます。
まず、全体的にまとめていただいているブログです。
「日光「ふぃふぁ山荘」元単身赴任日記」http://fifabakutyouou.cocolog-nifty.com/nikkousannsou/
それから、主宰者代表の詩人富岡洋一郎さんのブログ「砂時計主義」です。会自体についてだけでなく、会の開催を入念に準備していただいた方々について詳細な報告をしていただいています。
①「大盛況でした『震災と原発』がテーマの詩の講演会・朗読会」→ http://nikkosunadokei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-edb2.html
②「大盛況を支えた縁の下の力持ちたち」→ http://nikkosunadokei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-cadf.html
これらのブログ記事を読み、あらためて当日の会場の熱気を思い出しています。じつはこの講演会・朗読会は、ネットを介して知り合った富岡さんが、私のツイートを読み、内容に共感して下さり、私に白羽の矢を立ててくれ実現したものです。「震災と原発」と「詩」という、一見なかなか結びつけがたいようでいて、しかしもしかしたら最も深く結びついているかもしれないこの二つについて、この講演の準備の中で私も私なりに関連をさぐることが出来ました。そういう意味でもいい機会を与えてくれて、感謝しています。また会場となった、大正元年に建てられた姿のままのJR日光駅の駅舎の一角にあるホワイトルームは、(上記ブログの写真でも分かるように)優美なシャンデリアにあかるく照らし出された木造の空間で、講演会・朗読会の会場として最上のものだと感動しました。声やまなざしが白い木造の壁に柔らかに吸いこまれるようでした。そうした会場の雰囲気と、何よりもこちらの言葉を熱心に聞き入って下さる観客の方々の姿に、講演・朗読する私も、心がそれほどたかぶることなく話せたと思います。朗読には音楽を付けていただきましたが、選曲も心を落ち着かせるもので、音の響きもほどよく声が放ちやすかったです。
ちなみに駅舎というのは、私の詩でも、もかつて夢の風景を旅する詩や、ドイツなどの異国の駅に触発されて書いた詩で、頻繁に出てきたモチーフです。そんな自分の詩のエッセンスのような空間で、50名もの方々に現在の自分の詩的思いを訴え、また朗読でき、それをそれぞれの思いの中で受け止め響かせていただいたことは、忘れがたい出来事でしたし、何よりも勇気を与えていただきました。
今、当日を思い返し、JR日光駅という詩のあらたな始発駅=原点から、また詩の旅を続けていこう、という新鮮な気持になっています。もちろん集っていただいた50名の方々と共に始める気持で、原発事故と震災を乗り越える未知の詩の旅を
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