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2011年10月11日 (火)

「昔、原発というものがあった」「我々の背後には死者たちがいる」 池澤夏樹『春を恨んだりはしない』

Dscn5113 (多くのエピソードや指摘、提言に満ちた池澤夏樹『春を恨んだりはしない』(中央公論新社 初版9月11日

 やはり、この人の書くものはいい。3・11以後、とくに彼の発言には注目してきた。「震災」「原発」について、冷静に考え、リアルに批判し、矛盾を指摘し、熱く提言する。だから、朝日新聞のコラムはいつも感心しながら文字を追ってきた。作家・池澤夏樹さんだ。

 本はその朝日の連載コラム「終わりと始まり」(4月5日~8月2日)も含めたこの5ケ月間のエッセーやコラムを再編集したものだ。ただ、それをそのまま再録したものではない。「ジャーナリズム向けではない文章」にしてあるという。

 書店に並んでいるのに気づき、買い求めたものだが、これはぜひ、薦めたい。内容は読んでいただくとして、そのなかでも、私が気に入った文章を(それも全体のごく一部だ)アップしたい。そのうち「今も、これからも・・・」は本日のツイッターでもつぶやいている。

昔、原発というものがあった

 テクノロジーの面においてはその気になれば社会はがらりと変わる。原発から再生可能エネルギーへの転換も実はさほど難しいことではないのではないか。原子力におけるような原理的な困難はない。製造業の側からの不満は予想されるところだが、大量に作って速やかに陳腐化させてどんどん捨てるという経済成長依存型の資本主義もそろそろ見直した方がいい。アメリカの詩人ゲイリー・スナイダーは、「限りなく成長する経済は健康にはほど遠い。それは癌と同じことだから」と言う。

 それならば、進む方向を変えた方がいい。「昔、原発というものがあった」と笑って言える時代の方へ舵を向ける。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく屋根にソーラー・パネルを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデラート・カンタービレの日々(砂時計注・忙しく時間を追いかけるめまぐるしいテンポの生活ではなく、ほどほどの早さの時間と共に表情豊かな楽しい日々を、ということ)

 それはさほど遠いところにはないはずだと、この何十年の日本の社会の変化を見てきたぼくは思う。

 今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる

 更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。撒き散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがては誰かの身体に癌を引き起こす。そういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり孫である。不吉なことだが否定も無視もしてはいけない。この社会は死の因子を散布された。放射性物質はどこかに落ちてじっと待っている。

 我々はこれからずっと脅えて暮らすことになる。冷戦の時代にいつ起こるかわからない全面核戦争に脅えて暮らしたように、今度は唐突に自分の身に起こる癌死の可能性に脅えて暮らさなくてはならない。我々はヒロシマ・ナガサキを生き延びた人たちと同じ資格を得た。

 これらすべてを忘れないこと。今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。

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