40年近い歴史が仲間の絵で 美術家・冨岡弘の「個展+序説」
(今夏発刊した「序説18号」と、その表紙原画を示した「冨岡弘展」=前橋市のD-HOUSE)
わたしたちの同人誌『序説』(事務局は「砂時計」のわたし・黒川純)の表紙を描き続けている高崎在住の美術家、冨岡弘君の個展「冨岡弘 絵画個展+序説」が前橋市の「D-HOUSE」であった。
会期は11月下旬と12月上旬で、すでに終わっているが、記録的な意味も込めてアップへ。冨岡弘君も同人だが、個展会場も同人の建築家・高橋一男君のところ。「個展を観てからみんなで忘年会を」。そんな誘いで日光からでかけたのだった。
(1974年の「序説」創刊号から今夏の第18号までがずらりと並べられた「冨岡弘展」)
「序説」の創刊は1974年。すでに40年近い前だ。同人はいずれも当時、若者だった。それが12号で休刊、四半世紀を経て、13号から復活。それから6年になる。
初期の題名は「解体新書序説」。それが「序説」になり、そのままに。表紙はすべて弘君が描いているが、初期はやはり同人で「美術家」だった野村タカオ君が担当していたことも。その「序説」も含めて一堂に展示されていた。
(確か「イタリアで買い上げられた」と説明を受けた覚えがある「序説第14号の表紙原画)
弘君は建築科出身の美術家だが、これらの作品群を眺めていると、<やはりこの道に進むべくして進んだか>、そんな思いがよぎった。同人は学んだ学科そのものに進んだものやぜんぜん違う分野に進んだものなどさまざま。
美術家、建築家、公務員、介護職、大学職員、ファッション店主、卸売業、新聞記者、建築事務所経営、会社員、デザイナー。だが、それぞれの個性や特性をみてゆくと、そうした職業に就いたことがうなづける。
(初期の「序説」の表紙は冨岡弘君ではなく、野村タカオ君が担当していたこともあった)
そのなかでも「美術」にこだわったのが、冨岡弘君だ。大学卒業後もアルバイトをしながら、絵そのものの生活を続けていた。その結果、たくさんの生徒を持つ美術家に。そのパトスが、根源的な姿勢が浮かび上がってくるような個展だった。
(20代の若いとき、下宿で描いたという冨岡弘君の魅力的な作品)
(絵画展を知ったさまざまな人たちが「冨岡弘展」の会場を訪ね、じっくりと観賞していた)
その夜はもちろん、彼・弘君も含めて「序説」の「忘年会」へ。高崎の「大衆 いち蔵」で。その肴の見事で美味しいこと~。東京から恩師で同人の福澤さんも駆けつけ、酒盛りへ。当然、二次会へ。カラオケの合間に「ボランティア論争」をしたのだったー。
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